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BLゲームの主人公の弟であることに気がつきました(連載版)  作者: 花果 唯
IF ありえた未来2

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小話集③

白兎ルート:バカップル

楓ルート:幸せ太り

 天地君と私の性別が逆なら良かったのに、と思う時がある。

 私が男なら、女の子な天地君に群がる害悪を蹴散らす自信がある。

 如何なる敵にも負けない自信は今でも十分あるけれど。


「……はあ」


 女子とは面倒な生き物だとこっそり溜息をついた。


 今は体育の授業中で、三クラス合同で百メートルハードルの練習をしている。

 男子がタイムを計測中、女子はトラックの中で待機となっている。


 私は走ることは得意ではない。

 体を絞ってから記録は伸びたがどうも足を使うことより手を使うこと、腕力を要するものの方が得意だ。


「野兎さんはいいなあ。格好良い彼氏がいて」


 『いかに無駄の無い走りをするか』を考えることに集中したいのに、さっきからずっと隣のクラスの女子が話し掛けて来ている。

 誰かは知らないが私と天地君が交際していることを知っているようで、話題はそれに関することばかりだ。

 恋バナというやつか?

 理解出来ない。

 自分達のことを人に話して何が楽しいんだろう。


「でも天地君だと格好良すぎて苦労するんじゃない?」


 話し掛けてきた女子の友達が更に参加してきた。

 そちらで話して頂ければ結構なのですが……。


「でも野兎さんも美人だし、お似合いでいいじゃん! ねえ?」

「……」


 悪意を向けられていた頃に比べると嬉しいが、褒められるのも複雑だし……戸惑う。

 それに本当に私は彼と『お似合い』になれているのだろうか。


「あ、野兎さん、そろそろ天地君の番だよ」


 彼女の視線の先に目をやると、次に走るようでスタートライン脇の控え場所に天地君の姿があった。

 タイムを一緒に計測することになる隣のクラスの男子と楽しそうに話をしている。


 天地君はこうやって見ていても、とても目を引く存在だ。

 整った容姿は際立っているし、彼の放つ空気が周りを輝かせて明るくしている。

 昔の『俺』視線で見ればイケメンなんて絶滅しろと思うけれど、今はあれが自分の恋人なわけで……不思議なものだ。

 敵意を抱いていたのに、今では周りの女子達の視線が彼に集中していることが分かって不愉快になっている。

 例の桃色ツインテールも彼を見ていた。

 以前とは違い控えめにこっそりと見ているが、まだ彼に好意があるのは見て取れる。

 『彼を取られる』と思うわけではないが、どこか不安になる。

 そして私を一番不安定にさせる存在は……。


「アキ! 頑張ってね! ファイト~!」


 体育の授業ということで、髪を白のレースシュシュで一纏めにしている櫻井雛だ。

 普段髪を下ろしている彼女がポニーテールにしている姿は可愛らしい。

 男子の視線も彼女に集中している。

 『うなじ……ありがとうございます……』という声が聞こえてきている。


「ん? おう」


 天地君が櫻井雛に向けてひらひらと手を振りながら応援に応えた。

 それを見ているとズキッと胸に痛みが走った。


「野兎さんも応援しなくていいの?」

「私は……」


 言った方がいいのだろうか。

 でもあんな風に可愛らしく応援することなど出来ない。

 目立ちたくないし、私が言ったところでどうなることもないと思う。


「ん?」


 どうするべきか悩んでいると、天地君がキョロキョロと視線を動かして何かを探し始めた。

 視線の高さから察するに『物』じゃなくて『人』だろうか……もしかして、私?

 周りには立って雑談をしている人の塊がいくつかあり、私はその谷間で腰を下ろしている。

 向こうからだと姿は見えないだろう。

 探してくれていると思うと妙に気恥ずかしく、見つからないようにわざと余計に人の影に隠れた。


 そんなことをしているうちに天地君が走る番になった。

 人を……恐らく私を探すのは諦めたようで、少し寂しそうにしながらスタートラインに立った。


 試合ではないしただタイムを取るだけなのだが、見ていると妙に緊張してしまう。

 見守っているとスタートのホイッスルが鳴り、天地君を含む三人が走り始めた。


 三クラスから一人ずつ走り、計測していく。

 天地君と、さっき話をしていた隣のクラスの男子が前に飛び出した。

 二人は競い合いながら進んでいくが、やや天地君が遅れている。

 前に出ている彼は確か陸上部で、次世代のエースと期待されている人だ。

 帰宅部の天地君がそんな人と肩を並べているのも凄いが……出来れば勝って欲しい。

 声には出せないが心の中での応援に力が入り、思わず手に力が入った。


 中盤になり、天地君が追いついてきた。

 ハードルの跳び方のコツを掴んだようで……このペースだと追い抜ける!

 前を行く彼も天地君の気配を感じ取ったようで、後ろを振り返ろうとしたその時――。


「ああっ!」


 周りから大きな声が上がった。

 一番手の彼がハードルに足を取られ、転倒してしまったのだ。

 かなり早いスピードで走っていたので派手に転んだ。

 痛そう……擦り傷が出来ていそうだ。

 先生が助けに行くのかなと皆で見守っていると、追い抜くところだった天地君が彼に駆け寄って声を掛けた。

 放って先には行かず怪我がないか見ているようだ。

 座り込んでいる彼の足を見て、顔を顰めている。

 『大丈夫だ』と言っている様子の転んだ彼に手を貸して立つのを手伝っていると、二人の後ろをかなり遅れてきた三番手の男子が駆け抜けて行った。


「「ええー……?」」


 聞こえはしないけれど、二人が声を揃えたのが分かった。

 そして『お前、スルーして行くのかよ!』と天地君がツッコミを入れながら笑っているのも分かった。

 それを見て周りからも笑い声があがった。

 三番手だった彼は一番手になって帰ってきたが、好感度ではビリだろう。


 結局転倒した男子は保健室に行き、天地君は次の組と一緒に走ってタイムを計測し直した。

 四人での計測となったが、ぶっちぎりで一番だった。

 何故か私が誇らしくなってしまったが、周りの女子が『格好良い』と騒いでいるのを聞いてテンションが下がった。




「走る前にさ、白兎さんのこと探したんだけど見つけられなかったんだよね」


 授業が終わり、帰宅部な私達は肩を並べて下校している。

 歩きながらの話題は今日の体育の授業についてだ。

 私は探している姿を見ていました、とは言えない。


「見ていてくれたらすげー早く走れそうな気がしたんだけどなあ。見てた?」

「はい」

「そっか! 格好良かった?」

「はい」


 嬉しそうに話す彼に、機械のような返答を繰り返す私。

 我ながら可愛くないと思う。

 彼の表情も段々と曇り始めた。


「……なんか機嫌悪い?」

「別に。普通ですが」

「そう? じゃあ、なんか気になっていることがある、とか?」

「……」


 いつも彼は妙に鋭い。

 それが悔しくて素直に話す気にはなれない。


「何? 話してよ」

「なんでもありません」

「本当に?」

「はい」

「嘘だ」

「……」


 眉間に皺を寄せ、ジーッと私の目を覗き込んでいる。

 目が合ってしまうと心を読まれてしまいそうなので顔を反らして回避するのだが、しつこく追いかけてくる。

 中々鬱陶しい。


「……僕、何かした?」


 諦めて大人しく歩き始めたと思ったら、悲しそうな表情をして立ち止まってしまった。

 それを見て焦った。

 私が勝手にモヤモヤと悩んでいただけなのに、天地君にこんな顔をさせてしまうなんて!


「い、いえっ! 天地君は何も!」

「じゃあ何?」


 今度は少し怒っているような、ムッとした顔を向けられてしまった。

 もう素直に話すしかない。

 これ以上機嫌を悪くしてしまうわけにはいかない。


「その……走るときに、私は応援をした方が良かったのでしょうか」

「ん? そりゃあ、してくれた方が嬉しいよ!」

「でも、私は櫻井さんのように女の子らしく振る舞えません」

「? 応援に『女の子らしく』とか関係なくない?」


 わけが分からないと言いたげな顔をしている。

 確かにその通りかもしれないが、天地君と櫻井雛のやりとりを見てしまうと、どうしてもあちらが正解なような気がしてしまう。


「さっき言っただろ? 僕は白兎さんに応援して欲しかったんだよ。背中をドォンと押して気合い注入! でもいいし。……本当に押されたらそのままゴールまでスライディングして行きそうだな」

「後半が聞き取りづらかったのですが?」

「ナンデモアリマセン」


 今度は天地君が顔を反らした。

 こういう態度の時は碌なことを言っていない。

 今は問い詰めないけれど覚えておこう。


「まあ、応援方法なんてどうでもいいんだ。見ていてくれるだけでも……って、気にしていたのはそれ?」


 『まさか違うよね?』と顔に書いているが、これなのです。

 厳密には女の子らしくないことにコンプレックスがあるとか、天地君と櫻井さんのやりとりを見て悲しくなったとか、女子の注目を浴びすぎていることが気にくわないとか色々あるが、それは口には出したくない。

 黙って首を縦に振ると、呆れたように溜息をつかれてしまった。


「なんだ、しょうもない」

「なっ! しょうもないとは何ですか! 大事なことです! 大体天地君は女子にキャーキャー言われ過ぎです! ちょっと格好をつけていませんでしたか!」


 私にとっては重要なことだ。

 悩んでいるのに、下らないと一蹴されると腹が立つ。

 そもそも天地君が女子の目を惹き過ぎるのだ。

 BLゲームの主人公なのだから、大人しく男の目だけ惹いていればいいのだ!


「はあ!? 格好なんてつけてないし! キャーキャーなんて言われていないしな!」

「言われています! 耳が遠いんですか!?」

「遠くない! おじいちゃん扱いするな! 黄色い声なんて僕の耳には聞こえてないっつーの! それを言うなら白兎さんだって野郎連中に見られ過ぎなんだよ!」

「何を言っているのか分かりません。勝負を挑まれているのか、挑戦的な視線は感じますが」

「違うから! それ『可愛いな』って見られているだけだから!」

「そんな馬鹿な」




 賑やかな声を上げて歩くカップルを、冷ややかな目で眺める影が二つあった。

 仲良く並んで歩く背中を見ながら同時に溜息をついた。


「喧嘩していてチャンスなのかと思ったら、ヤキモチ焼き合ってるただのバカップルじゃん! もお! 楓君。あれ、何とかならないの?」

「知らないよ、馬鹿らしい。こんなの毎日見せられて……ボクはやってられないよ」

「私だって。頑張るのが馬鹿らしくなってきちゃった」


 虎視眈々と付け入る隙を探しつつも、結局は想い人である彼が幸せそうなので大人しく見守ってしまう二人であった。




 ※※※




「アキラ、おはよ!」

「おう、おはよ」


 今日も黄金の髪を輝かせている天使な楓様のお迎えを待って登校だ。

 朝一番に楓の顔を見ることが出来るのは嬉しい。

 良い一日になる気がする。


 楓と付き合い始めてからは二人で行くようになった。

 以前は雛も一緒だったが……『BLは滅べ』と言われてからはこの家には一度も姿を現していない。

 学校で顔を合わせても、唇を噛んで涙を堪えているような様子で逃げられてしまう。

 本当にごめん……雛に冷たくされてしまっているという春兄にも謝りたい……春兄ごめん。


 でも僕は楓と一緒にいると決めたから仕方がないのだ。


「ねえ、アキラ」

「ん?」


 腕をツンツンされたので顔を向けると、内緒話をするように顔を寄せてきた。


「今誰もいないから手、繋いでいい?」

「駄目だ」

「えー、ケチ!」


 だからまだオープンBLになるところまでレベルが上がってないんだって。

 楓は平気なようで外でも学校でもベタベタしてくるのだが、僕は恥ずかしくて無理だ。

 BLだからというより、公衆の面前でイチャつくのが無理な性格なのだと思う。


 だから楓には人前では絶対するなと言い聞かせている。

 それなのにこうやって時折許可を得ようとしてくるのだ。

 まだ諦めていないようで恨みがましい目を向けてくるが無視だ。

 可愛いけれど、駄目なものは駄目。


「ん? 良い匂いがするな」


 楓から甘い匂いがしている。

 楓自信も美味しそうではあるが、匂いの元は手に持っている小さな紙袋のようだ。


「気がついた? 今日のおやつはブッセにしたんだ~。チョコとチーズクリームと抹茶! アキラはどれがいい?」


 どうやらまた手作りのおやつを持ってきてくれたようだ。

 付き合う前も貰っていたが、最近ではおやつの他にも弁当を作って来てくれたり、日曜日にはご飯を作りに来てくれたりしている。


「……す、凄いな。そうだな、僕はチーズかな」


 とても美味しそうで……とてもカロリーが高そうだ。


「そうだと思った! だからチーズクリームは多めに作ったんだ。でも他のも美味しいから食べてよね」

「う、うん……もちろん……うん」


 ……昼飯は食べないでおこうかな。


「どうしたの?」

「いや……」

「嬉しくないの?」

「う、嬉しいに決まってるだろ! 楓が作ったものは全部美味いし!」

「良かった! アキラが喜んでくれて嬉しい!」


 ……帰ってから走ろうかな。

 正直に言うと、最近楓に貰うものを食べ続けて確実に太り始めている。

 このペースだとメタボになりそうだ。


「これが幸せ太りか……」

「ん? 何か言った?」

「いや、何でもない」


 絶対に『いらない』とは言えない。

 言えば楓が悲しむ。

 今日は家に帰ってからダイエットについて調べてみよう。




 昼休憩になり、ホールで昼食を食べた。

 本当はおやつの試練に備えて食べたくは無かったのだが、楓に食べないことを臭わせると心配されたので結局普通に食べてしまった。

 満腹まではいかないが、腹八分目でちょうど良い状態だ。

 ここから高カロリー摂取をしなければならないとなると辛い。


 ホールを出て、屋上が試練の場となった。

 今は風に吹かれながら見た目も味も素晴らしいブッセを頬張っている。


「うっ……美味いけど量が多いな……」

 

 楓はクラスメイトに呼ばれて席を外している。

 すぐ戻ってくると思うが……。


 食べておいてと渡された紙袋の中には、一口サイズのブッセがびっしりと入っていた。


 捨てるなんてことは絶対にしないが、隠して持って帰って兄に手伝って貰おうかと悩む。

 でも楓は僕が貰ったものを人に渡すと凄く怒る。

 以前教室で食べていたときに『美味そうだ』と声を掛けてきたクラスメイトに一つ分けてやったのだが後で鬼のような顔で怒られた。

 『アキラのために作ったんだから人にあげちゃ駄目!』と叱られ、暫く機嫌が悪かった。 


「御機嫌よう、天地君」


 覗いていた紙袋が急に暗くなったと思ったら、腐った人が座っている僕の前に立っていた。


「ご機嫌よう、佐々木さん。そしてさようなら」

「あら、可愛い彼氏はいないの? 残念」

「座るな。帰れ」

「美味しそうね。順調に餌付けされているようで素晴らしいわ」


 僕の声は聞こえていないのか?

 隣に座り、紙袋を覗き込んできた。

 お前は見るな、減るじゃないか。


「ねえ、一口くれない? 受けが攻めのために作ったお菓子を頂くなんて『身の程を弁えろ!』と自分を罵りたいけど誘惑に勝てないの。食べてみたいの」

「お前にはやらん」


 人にあげてしまったら楓に叱られる。

 相手が佐々木さんなら尚一層叱られること間違い無しだ。


「天地君、最近ぽっちゃ……ふっくらしたわね?」

「!」


 今『ぽっちゃり』と言おうとしたな!?

 な、なんということだ……気づかれてしまうなんて!

 雷に打たれたような衝撃だ。

 誰にも気づかれないうちに引き締めたかったのに……。


 仕方ない……メタボにならないために減らして貰おう。


「……少しだけだぞ。人にあげたら凄く怒られるから、見つかる前にさっさと食べろよ?」

「やった! 素敵な情報とお裾分けありがとう! ああ……幸せ!」


 まだ楓は帰って来ないだろう。

 屋上の扉が開いたら、なんとか隠そう。

 佐々木さんがまだ食べていたら、証拠隠滅するために屋上から突き落としてやる……あ。


「アキラ……」

「か、楓……」


 気がつけば楓はこちらを見て立っていた。

 佐々木さんと話しているうちに扉は開いていたようで音に気がつかなかった。

 やばい……楓の顔がどんどん険しくなっていく!


「待て、楓! 違うんだ、これは……その……!」

「酷いよ……アキラのために作ったのに、こんな奴にあげるなんて! 央の馬鹿!」

「楓!」


 そう言い残し、楓は屋上から出ていった。

 しまった……やってはいけないことだと分かっていたのに!

 やはり悪事はするものじゃない。

 早く楓を追いかけないと……!


「BLカップルが痴話喧嘩……しかも私が原因! い、痛い……心の臓が痛い……私の許容範囲を超えるエネルギーが供給されて辛い! ああ、私ったらなんて図々しいの! でも幸せ! 地獄に落ちろ! いや、もう自分で逝かせて頂きます!」

「煩いな! ああクソッ!」


 八つ当たり気味に言い捨て、佐々木さんを残して屋上を出た。

 階段を降りて廊下に出たが楓の姿は既になかった。

 どこに行ったのだろう。

 スマホで電話を掛けてみたが繋がらない。

 すぐに切れるので着信拒否にされたのかもしれない。

 どうしよう、泣きそう!

 仕方なく心当たりを探したが、休憩時間中に楓を見つけることは出来なかった。




「ええっと……楓サン」


 昼休憩が終わると、楓は教室には帰ってきた。

 小休憩になって話し掛けに行ったのだが無視をされた。

 その後の授業を終え、放課後になったのだが未だ無視は継続中だ。


 帰宅するために教室を出た楓の後を追い、後ろから呼びかけているのだが反応はない。

 背中から怒りのオーラが出ているのは分かる。


「なあ、悪かったって。ごめん」

「……」

「おーい、秋人ー」

「! ……」


 『名前で呼んで欲しい』と言っていたから呼んでみたのだが駄目だった。

 一瞬反応したんだけどなあ。

 『楓』で慣れているから、あまり名前では呼ばないぞ?

 今のうちだぞ?


「……」


 はあ……暫く様子を見てみたが反応が無い。

 これはほとぼりが冷めるのを待つしかないかな。


 仕方なく話し掛けるのを止め、黙って後をついていった。

 

 何か機嫌を良くする方法はないだろうか。

 明日の朝は迎えに来てくれるのだろうかと考えていると、前を行く楓の足が止まった。


 距離を保ったまま僕も足を止めた。

 どうかしたのかと見守っていると、ゆっくりと振り返りこちらを見た。

 眉が下がっていて浮かない顔をしている。


「ねえアキラ、今日のは美味しくなかった?」


 声も沈んでいる。

 怒りは収まったようだがとても辛そうだ。

 僕が佐々木さんにあげなければこんな顔をすることも無かったのに。

 申し訳ない、反省だ。


「いつも通り美味かったよ」

「じゃあなんであげたんだよ」

「いや、その……」


 これ以上は誤魔化せそうにない。

 下手な嘘を言うと余計面倒なことになりそうだ。

 こうなったら言葉に気をつけながら話してしまおう。


「最近幸せ太りといいますがか、糖分を取り過ぎたのか横に広がったというか……ぽっちゃりが気になりまして」

「え?」

「家で運動とかしていたんだけど、ちょっと甘いものも控えるべきなのかな、なんて考えていたところに欲しいっていわれたから……つい。本当にごめん」


 ショックを受けないように伝えたつもりだが、大丈夫だろうか。

 表情に変化は無い。


「……そっか」

「いらないわけじゃないんだ! 嬉しいし美味しいし、全部食べたいんだ!」

「うん、分かった。……ごめん」


 必死にフォローをしようとしていると、今度は何故か楓が謝った。

 思わず首を傾げた。何で?


「ボク、アキラが『美味しい』って言って食べてくれるのが嬉しくて、無理してくれていることに全然気がつかなかった」

「楓……」


 シュンと肩を落としている様子を見ていると抱きしめたくなった。

 ここが屋外だということを忘れてしまいそうだ。


「でも……これからは気をつけるね! 栄養も考えて、体の管理もばっちりするから!」

「お、おう」


 頭を撫でようとして進めた足が途中で止まってしまった。

 沈んでいたはずなのに一気にテンションが上がっている。

 どうしよう、楓の嫁レベルが上がった。

 この調子でどんどん管理されることになりそうだ。

 幸せなことではあるが、妙に汗が滲んでくるのは何故だ。


「えへへ」


 すっかり元気になった楓が戸惑っている僕の正面に飛びついてきた。

 思わず周りに人がいないか確認してしまった。

 運良く誰もいないが車が通るかもしれないし、早く離れなさい。


「もう一回名前で呼んで?」

「もう売り切れ。駄目」

「ええ!? 早いよ! じゃあ子供の頃みたいに『あきちゃん』でもいいよ? あっくん」

「それは恥ずかしいから絶対嫌。あっくんもやめろ」


 そろそろ離れろと引き離していると、顔を上げた楓が僕の頬を引っ張った。

 ……おい、何をするんだ。


「本当だ。ちょっとプニッとしてる」

「プニッ!?」


 ショックだ……プニッという言葉がエコーのように脳内で響いている。

 絶対ダイエットするぞ、体を鍛えて引き締めるぞ!


「重たいのは……やだな。潰されちゃう」

「ん?」

「何でもないよ」


 漸く離れた楓が軽快な足取りで進み始めた。

 この調子だと明日も迎えに来てくれそうだ。

 僕の幸せな日常が守れたようで安心した。


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