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BLゲームの主人公の弟であることに気がつきました(連載版)  作者: 花果 唯
IF ありえた未来2

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柊END④最終話

 制服のままベッドに飛び乗り、布団をかぶって丸まった。

 楓と雛が言い争っていたシーンが頭の中に蘇っては、柊の脅迫がそれをかき消していく。

 脅迫については考えれば考えるほど恐ろしいので頭から追い出すと、また楓と雛が浮かび、そして柊へ……というループが続いている。


 僕が柊のものにならないと何か問題を起こすぞという脅迫だったが、一体何をするつもりなのだろう。

 兄の時のように強硬手段に出て押し倒す、とか?

 柊はサイコというか、ホラーな思考回路を持っていることは解約できない恐怖のメルマガで知っている。

 最悪事件のような展開も考えられる。

 学校には武器になるものが多い。

 特に用務員が使用する道具などは凶器としては優秀過ぎる。

 登校するには勇気がいるな。

 学校に行くのも命がけか……。


 最終的には恐怖に辿り着く柊のことは置いておこう。

 何しろ今は悩みがてんこ盛り状態なのだ。


「雛と楓か……」


 雛はちょっと面倒くさい奴だけど、そこが良いところでもある可愛い女の子で一緒にいると穏やかな気持ちになる。

 楓も小姑のように煩くて面倒くさいところがあるけど、好意が伝わってくるし許してしまう。

 一生懸命で、強気で、意志の強いところは好感もあるし見習いたいという憧れもある。

 かと言って恋人として見ることが出来るかというと、雛も楓も違う気がする。

 二人とも大好きだが、親愛での『好き』だ。


 此処まで考えてしみじみ思った。

 兄はこんなに労力を使うことを、何度もこなしていたのかと。

 改めて兄の凄さを知った。

 あの人凄いや。


 そういえば兄は、柊には何と言って断ったのだろう。

 春兄が好きだ、とはっきり断ったのだろうか。

 あ、また柊のことを考えていた。

 危ない、再びループ地獄に戻るところだった。


 知恵熱が出そうなほど、頭を使ったが答えが出ない。

 受験の時より頭を使った気がする。

 ベッドの上に胡坐をかいて座っていたが、上半身が前に倒れて足首と顔がくっつきそうなよく分からない体勢になっていた。

 なんの修行だよ、これ。


  「……少し休もう」


 気を詰めて焦ってはいけないのかもしれない。

 一時間ほど眠って、頭をリセットしよう。

 体をベッドに倒して広げ、目を閉じた。




 ※※※




「まさかの熟睡だよ」


 仮眠程度のつもりで寝たはずが、夜中までぐっすり眠ってしまった。

 兄が『夕御飯が出来た』と声を掛けてくれた時に、僕は眠そうに返事をしたそうなのだが全く覚えていない。

 脳の普段使わない部分を酷使しすぎて、オーバーヒートを起こしたのかもしれない。

 目が覚めてから用意してくれていたご飯を食べ、風呂に入ったがその後もすぐに夢の国に旅立った。


 眠気がとれて頭はすっきりだが、結局答えは出ないまま。

何も解決出来ていない。

 元気だけど悩み解決に向けて進展はない、ただ元気なだけだ。

 なんだろう、僕の周りを漂うこの残念な空気は。

 眠くはないのにあくびが出るし。


「はあ、行きたくない」


 子供のように『兄ちゃん、お腹が痛い!』と言いだして休みたいが昨日も早退してしまったし、サボってばかりいるわけにはいかない。

 気は重いが、今日も一人で登校出来るよう早くに家を出たのだが……。


「おはよ。大きなあくびして、寝むそうだね」


 視界に綺麗な黄金の髪が入り、思わず固まってしまった。


「……楓」


 家の前で楓が待ち構えていた。

 我が家の開門は七時半だと常々言ってきていたが、置いて行かれないようにそれよりも早くから外で待っていたようだ。

 いよいよ都市伝説も最終章という感じがする。

 ……なんて茶化すのを躊躇うほど、楓は真面目な顔をしていた。


「アキラ、一緒に行こ」

「……ああ」


 並んで歩き始めた。

 楓や雛を避けようとして、早い時間に出ていたことはバレているのだろう。

 凄く気まずい。


「人、少ないね」

「そうだな」


 いつもは笑ったり怒ったりと忙しい楓が、ずっと真面目な顔をしていて静かだ。

 口数も少なく、一緒に登校というよりは並んで同じ方向に進んでいるだけに感じる。

 学校までの道のりがいつもよりも長い。

 そんな気まずい中でもあくびをする僕を許してください。

 空気を読んで押し殺すように頑張ったが駄目だった。


「あんまり寝てないの? 昨日は学校に来てからすぐに帰ったみたいだし、体調悪いとか?」


 顔を反らして誤魔化したつもりだったが、ばっちり見られていたようだ。


「ううん、昨日は飯食って風呂入る以外は殆んど寝てた。悲しいくらい元気」


 『いっそ寝込むほど熱が出たら休めるのに!』と、まだ子供のようなことを考えている。


「元気ならどうして帰ったんだよ」

「そ、それは……」


 しまった。墓穴を掘ってしまった。

 楓と雛が言い争っていたのを聞いてしまったからだ、とは言えない。


 楓が朝早くから待ち構えていたのは、昨日の良い争いが関係しているのかもしれない。

 僕が二人の会話を聞いていたと分かったか、そうじゃなくても雛に影響されて僕の気持ちを確認しにきたか。

そういう方面の話をしたいのだと思う。


「ねえ、アキラ……」

「おはよう、央。決めた? まさか、迷っているなんてことはないよね?」


 いつの間にか辿り着いていた校門。

 楓の言葉を遮りながら、どこからともなく今最も警戒している人物が現れた。

 いつの間にか背後に立っているではないか。

 だから僕のバックを取るな!


「急に現れるなって!」

「考える猶予を与えたけれど、それは意味のないことなんだよ。決まっているから。央に選択肢なんてないんだから」

「はあ?」


 言葉を遮られて怒っている楓がいる前で、早速昨日の話か?

 面倒なことになりそうだし、朝から濃い話はやめて欲しいのだが。

 迷惑すぎるし、決めつけてくるような言い草に腹が立った。


「自分のことは自分で決めます!」


 一気に血圧が上がった。

 やはり柊との接触は体調に悪影響だ。

 隣で柊をロックオンし、牙を光らせ唸り始めた楓が飛びかかってしまう前に退散したい。


 柊の横を通り過ぎようとしたのだが……進めない。

 気づけば腕を掴まれ、捕まっていた。

 抗議を込めて睨んだ先には、楽しそうににっこりと笑顔を浮かべている。


「分かりやすく選択肢を消して行こうかな」

「どういうことですか?」

「さあ?」


 怪しく光るその目は楓を捉えている。

 おい、物騒な空気を出すな!


「何だよ」


 楓も受けて立つと言わんばかりに踏み出し、鋭い視線を返している。

 血の気の多い奴らだ、元気だなあ。


「楓もやめろって! 行くぞ」


 柊の手を解き、楓の腕を引いて校舎に向かった。

 少し進んだところで振り返ってみると、柊はまだこちらを見ていた。

 目が合うとにっこりと微笑んだ。

 周りにいた女子生徒が麗しい笑顔に被弾してしまい倒れそうになっている。

 微笑みテロ、無差別攻撃だな。

 僕もこれ以上直撃を食らわないように逃げよう。


 昇降口に着き、靴を履き替える。

 早く教室に行って、自分の席でのんびりしたい。

 楓はもう靴を履き替えたのかと目を向けたが、まだだった。

 動くことなく難しい顔をして僕を見ていた。


「さっきの話は何?」


 機嫌はすこぶる悪そうだ。

 『さっきの話』とは、柊に『選択肢はない』などと好き勝手言われたあれだろうか。

 そんなことより、僕は早く教室に行きたいです。


「なんでもな……」

「なんでもなくない! 央のことだったら、ボクにとっては大事なことだよ!」


 適当に流そうとした僕の声は、楓の叫び声に遮られてしまった。

 まだ人の姿は少ないといえ、注目されてしまったようで視線を感じる。

 内容が聞かれると困る話だし、どうしよう。

 誤魔化して回避したいところだが……。


「……逃げないでよ」


 楓の表情は真剣だった。

 雛と言い争っていた時のような余裕の無さを感じた。

 ……ちゃんと話をした方がよさそうだ。

 というか、逃がしてくれそうにない。

 でもここでは落ち着いて話ができそうではない。

 教室にカバンを置き、屋上で楓と話をすることにした。




 ※※※




「さっきの用務員の話って、ボクがアキラに一番聞きたいことと関係しているよね?」


 楓の聞きたい話とは、僕の恋愛方面の話だろう。

 恐らく楓が推測している通りで間違いないが、あまり答える気になれない。

 そんな僕の様子を見て、『はあ』とため息をつくとこちらを見た。

 一瞬下を見たが、気持ちを切り替えたのか表情はスッと晴れた。


「やっぱり央が好き。そろそろボクのことを好きになってくれた?」

「楓、僕はやっぱりお前のことは友達……」

「……。聞こえない。聞こえなーい」


 僕の言葉は遮られてしまった。

 聞きたくないと耳を塞いでいるし、分かってくれそうにない。

 どう伝えればいいのだろう。

 楓には誰かと想い合って幸せになって欲しい。


 屋上の柵に手を置き、登校して来ている生徒や構内の様子を眺めながら思案していると、見知った顔を見つけて目が止まった。


「あれは……兄ちゃんと柊?」


 周りに人がいない花壇の脇で、二人は向かい合って話をしていた。

 兄は春兄と一緒に登校したはずだが、到着してから別れたのだろうか。


 この前本屋で顔を合わせた時は和やかな空気ではなかったのに、今は二人とも嬉しそうに話をしていた。

 どうしてだ?

 疑問が湧く光景だが、一番謎なのは何故か楽しそうな二人が見えた瞬間、僕はショックを受けたということだ。

 ただの驚きなのかどうなのか分からないが、衝撃的な光景だった。


「……ほら。あの人、アキラのことを真先輩の代わりにしているんだよ。でも、ボクは違う」


 僕の視線を追い、楓も二人を見つけたようだ。

 『兄の代わり』か。

 ……僕以外の人も誰だってそう思うよな。


「アキラ?」


 分かっていたことなのに、人の口から言われると嫌な気分になった。

 本当に腹立たしいし……妙に泣きたくなる。


「なんでもない。……戻るぞ」


 楓が話したいことを話せた感じはしていないが、教室に戻って静かにしていたい。


「そんな……冗談でしょ……アキラ!」


 楓を残して進んでいると、大きな声で呼びとめられた。


「あいつは駄目だから! 嫌だからね! 絶対ボクの方がアキラを好きだから!」


 楓の気持ちには応えられないし、何の心配をしているのか知らないが返答に困る。


「……先に戻るぞ」


 楓はまだ話足りない様子だったが、教室に戻ることにした。




 ※※※




「はあ、今日はなんか疲れたなあ」


 家に帰り、リビングのソファに転がった。

 背伸びをしながら学校でのことを思い返した。

 楓と屋上で話した後も一緒に過ごしたが、気まずさは抜けなかった。


 柊と遭遇したのは朝の一度きりだった。

 それは良かったと思う。 


 何かの飲もうと思い、冷蔵庫を目指した。

 キッチンのテーブルの上には白い陶器の花瓶に花が挿してあった。

 見覚えのある花だ。

 柊が兄に渡していた、あの時の花だ。

 ……なんか捨てたい。


「綺麗でしょ」

「!?」


 花を見ていると、突然後ろから声が聞こえた。

 誰もいないと思っていたのでびっくりした。


「兄ちゃん、帰っていたんだ?」

「うん。帰ってきていたけど、その花を花瓶に挿してからまた少し出ていたんだ」

「そっか」


 花を見ていたところを目撃されてしまったのが嫌だ。

 この花についてはこれ以上話をしたくない。

 冷蔵庫にあったコーラの缶を持って、そそくさと自分の部屋に向かった。


「はあ……」


 部屋に入り、扉を閉めると溜息が出た。

 どうして兄が柊から貰った花を『捨てたい』なんて思ったのだろう。

 全く分からない。

 もう一度溜息を零し、窓枠に目を向けた。


 そこには、風邪の時に僕が貰ったプリなんとかフラワーを一応飾ってある。

 うーん……あれも捨てたい。

 出来るなら柊の顔にあのプリなんとかを叩きつけたい。

 兄に花を贈っているのだから、やっぱり柊はまだ兄のことが好きなのだろう。


「散々僕にちょっかい出してきたくせに、結局は兄ちゃんなのかよ」


 僕が被ってきた迷惑は何だったのだ。

 兄も僕に『あの人とは関わるな』なんて言っていたのに、随分と楽しそうに話をしていた。

 春兄に怒られても知らないからな。

 喧嘩するなら、またこっそり覗かせて貰うが。


「捨てちゃおうかな、この花」


 これが視界に入ると、柊のことが浮かぶ。

 凄く邪魔だ。


「でも、花に罪はないしなあ」


 部屋に花を飾るような柄でもないし、捨ててしまおうかと手に取ったがすぐに戻した。


「全く、迷惑なもの寄越しやがって」




 ※※※




 今日も登校しようと家を出ると、家の前で楓が待ち構えていた。


「おはよ! さ、行くよ!」

「お、おう……」


 輝く笑顔に、絶対逃がさないという気迫を感じた。

 なんだか意地になってないか?

 だが昨日のような陰りを感じない。

 張り切っているように見える。


「ウジウジしてるの嫌いだし、気合い入れたから!」

「そ、そうですか」


 僕は今あまり気力がない。

 楓のパワーに圧倒されてしまう。

 でも二人で沈んでいたらただただ暗いだけだし、楓が元気だと助かる。


「央、おはよう」


 こちらも昨日と同じように、同じ場所で現れやがった。

 無視だ。

 綺麗な顔を見ると無性に腹が立つ。

 こんなところで僕を待ち構えるより、兄のところに行けばいいのに。

 いや、兄を待っているのか?

 きっとそうだ。

 そう思ったら余計にイライラしてきた。

 髪を毟って、チョキで目つぶしをしてやりたい。


「アンタ、仕事に戻れよ。特定の生徒に親しく接しすぎるのは問題なんじゃないの? 学校に報告しようかな」


 『仕事をしろ!』と言おうと思ったところで、同じようなセリフが隣から飛び出した。

 楓を見ると好戦的な表情で柊を見ていた。


「お前……」


 柊のとても静かな低い声が聞こえ、ドキリとした。

 目を向けると……。


「……!」


 無表情だ。

 眉間にも皺一つ寄っていない。

 だが恐ろしかった。

 纏うオーラが黒を通り越して無色。

 だが近寄ると確実に切り刻まれる、そんな気配を漂わせている。

 『学校に報告』は、地雷だったようだ。


 あ、これはまずい。

 本能が危険を察知した。

 その瞬間、楓の腕を引いて逃げた。

 何も言わず、逃げることだけを優先して走った。


「ちょっと、アキラ! 何!?」

「いいから! 逃げないと死ぬぞ!」

「ええ?」


 昨日は振り返ったが、今日はしない。

 まだまだ思い残したことはたくさんある。

 兄カップルの行く末を見守るという使命もあるし、こんなところで死んでいられない!




 ※※※




「暇人か」


 休憩時間、スマホの画面を見て思わずツッコミを入れてしまった。

 目に映っているのは着信を知らせる通知。

 柊から何度も執拗に連絡が入っていた。

 被害届出してもいいレベルじゃないか?

 当然無視をした。

 朝のような危険モードに突入している柊と接触するなんて自殺行為だ。

 妙にテンションの高い楓と行動を共にし、昨日とは違う疲労感を感じながら一日の授業を終えた。


「さあ、帰るか」


 楓はいない、部活に行っている。

 兄とのことがあったり僕に行動を合わせていたためテニス部を休みがちだった楓だが、今はほぼ復活している。

 兄と楓のいない日のテニス部はギャラリーが消え、木枯らしが吹いていると聞いていた。

 今日はきっと賑やかになっているだろう、良かった。

 テニス部の奴に『ありがとう!』と言われたが、どういう意味だ。

 僕が楓を独り占めしていたと認識されていたのだろうか。

 解放してくれてありがとう、そういうことか?

 小一時間その辺りを追求したいところだが、そんなことを考えている間にも手に持っていたスマホは振動し、メールの着信を知らせてくれた。

 どうせあいつだろ? と思いながら確認した画面には、予想通りの名前があるわけで。

 無視をすることは決めているが、一応中身は確認をすることにした。


『連絡するのは最後にするから。話がしたい。用務員室まで来てくれ』


「最後?」


 あの粘着質な柊からすると俄かに信じがたい。

 それに最後だなんて、関係を切るような言い方だ。

 別にそれでもいいけど……いいけどさ。

 今まで散々迷惑かけられて困ったし。

 何回も押し倒されたし、『好き』とか言わされたし。

 あれはなんだったのだ。


「いいや、気にしないことにしよう。……無視だ、無視!」


 これ以上生活を乱されるのはご免だ。

 それが無くなるなら願ったり叶ったりだ。

 家に帰ろう。

 そう思い、教室を出たはずだったのだが……。




「……はあ、自分が分からない」


 本来なら今頃は家路を急いでいたはずなのだが、今履いているのは未だ上履きのシューズで目の前の扉の上には『用務員室』という室名札。

 柊がオープンイケメンとなってから設置された不在確認の札は『不在』になっている。

 でもいるのは分かっている。


 自分でも何故来てしまったのか分からない。

 自殺願望でもあるのだろうか。

 いや、文句を言いに来たのだ。

 振り回しておいて、謝罪もなく急に『さよなら』なんて勝手が過ぎるぞと一言物申したいだけだ。

 それ以外に何もない。

 『このまま無視して帰ったら、これが最後になるかもしれない』なんて思って寂しくなったわけではない。

 絶対違うから!


 頭の中がすっきりしない。

 モヤモヤしていて鬱陶しい。

 早く解決してすっきりしたい。

 さっさと話をしてオサラババイバイしよう、そうしよう!

 その勢いでノックもせず部屋の中に入った。


「柊さ……ん?」


 鍵は空いていたのだが、部屋の明かりは消えていた。

 柊の姿も見えない。

 ぐるっと見回してみる……あそこか?

 奥の部屋に明かりがついていたのが見えた。

 備品などを置いている倉庫の方だ。


「柊さーん」


 呼んだが返事はない。

 何か作業をしているのかと、倉庫の中に足を踏み入れてみた。


「へえ、この部屋はこんなになってたのか」


 思っていたよりも奥が広かった。

 奥まで進み、見回してみたが姿はなかった。

 そういえば返事をせずに来てしまったから、僕は来ないと思っているのかもしれない。

 メールしてみるか。


 ――ピロン


 ん?

 後ろの方、入り口の辺りで電子音が鳴った。

 スマホの通知音に似ているが……。


「な!?」


 確認しようと振り返っていたところを、突如誰かに捕まった。

 羽交い絞めにされそうになり、慌てて回避しようとしたが逃げきることが出来ず、両手を後ろで固定されてしまった。


「離せ!」


 犯人はもう分かっているが、背後にいるので顔は見えない。

 抵抗していると手首の辺りがギュッと閉まる感じがした。

 何だ?

 何かで後ろ手に縛られたようで手が動かせない。


「ネクタイをつけるようになっていて良かったよ」


 そう零しながら顔を見せたのはやはり柊だった。

 縛ったことで満足したのか、僕を掴んでいた手は離された。

 離されたけど……ネクタイで縛られているんですか、僕は。


「これ、どういうことだよ!」

「逃げられたら困るから」


 朝のおぞましい空気は消えていて、とても笑顔だがそれもまた恐ろしい。

 こんなことを笑顔で実行するなんて間違いなく変態だ。


「央が悪いんだよ? 猶予もあげたし、ちゃんと話もしようとしたのに逃げるから。分かってくれないなら、分かってくれるまで教え込むしかないだろう?」

「な、何をでしょう……」

「大丈夫、それをこれからゆっくり教えてあげるんだから」


 いつものスイッチが入った様だ。

 フェロモンをまき散らすような妖しい笑みを浮かべ、一歩また一歩と近づいてくる。


「く、来るな!」


 逃げ場を探りながら後ろに下がる。

 でもここは狭い倉庫で、出入り口の扉は柊の背後にある。

 狭いため、奴の隣を通らないと出ることが出来ない。

 実質逃亡は無理、逃げ場がない。

 どうしよう!


「うわっ」


 焦りながら後退していると、足元に転がっていた箱に気がつかず転んでしまった。

 手は縛られているため、受け身がとれない。

 痛みを覚悟したが、思っていたような衝撃は訪れなかった。

 ちょうどブルーシートが積まれているところに倒れたようだ。

 僕が倒れかかったことで積まれていたシートは雪崩が起きた。

 崩れて緩やかな斜面となった所に、僕は仰向けに寝転ぶように倒れた。

 縛られた腕に自分の体重がかかって少し痛かった。

 動き辛いが起き上がろうとしたその時、視界が急に暗くなった。

 柊が覆いかぶさってきたのだ。

 僕の顔の横に手をつき、相変わらず妖しい表情で僕を見降ろしている。


「このシチュエーションは何度目かな?」

「……」


 同じようなことを考えていたが、言葉が出ない。

 話すと息もかかりそうな距離だし、迂闊なことを言ってしまうと何をされるか分からないという緊張感で体がカチカチに固まってしまった。


「今までは我慢してたんだよ? ギリギリのところでね。でも今日は我慢してやらない」


 この距離でこの目と見つめ合うのは拷問だ。

 恐ろしいセリフが聞こえたが、それも吹っ飛んでしまう。

 硬直が解けないまま、瞬きも出来ずただ柊の目を見ていると急に息が出来なくなった。


「!? んーっ!」


 目ばかりを見ていたからか、距離が無くなっていることに気がつかなかった。

 いや、気配が近づいていることは分かっていたが、色々なことで頭が真っ白になっていた。


 呼吸が出来なくなり、やっと頭が動き始めた。

 酸素が無くなれば鈍くなるはずなのに、今されていることを認識して逆に頭も体も急激に稼働し始めた。

 ……こいつ、本当にやりやがった!

 今までは死守できないと覚悟してもなんとか免れてきたが、とうとう奪われてしまった。

 手で口を塞がれた時ですら何とも言えない羞恥心に襲われたが、今僕の口を塞いでいるのは同じ口だ。

 羞恥心はあの時と比べものにならないくらいで、計測器があるなら間違いなく針が振り切れて壊れている。

 逃れたいが手は拘束されていて動かない。

 なす術はない。

 唸り声をあげて抵抗することしか出来ない。


「っは!」


 酸素切れを起こして、さっきとは違う頭が真っ白状態に陥ったが、漸く柊から解放された。

 必死に酸素を補給して抗議しようとしたが、すぐに角度を変えて同じことをしようとしている柊に気づき、慌てて首を動かして逃げた。


「逃げないでよ」

「逃げなきゃ死ぬだろ!」


 絶対に目は合わせない。

 顔を向けない。

 最大限の抵抗を続けながら抗議だ。


 僕を見降ろしながら、柊が笑っているのが分かった。

 何笑っているんだ、この変態は!


「死なれちゃ困るな。これからが本番なんだから」


 おい、本番ってなんだ。

 予想は出来るが、それだとは思いたくない。

 さすがにそれは駄目だろう!

 今でも十分アウトだけどね!


 呆然としている僕の頬に大きな手が添えられたかと思うと、無理やりに上を向かされた。

 あ、また目が合った。

 最大限の抵抗も空しく終わった。

 もう駄目かもしれない。

 諦めかけたその時――。


 ピピピピッと、何処で電子音が鳴った。

 電話の着信音で、近くから……柊から聞こえてくる。


「ちっ」


 忌々しそうに舌打ちをした柊が、ズボンのポケットに入れていたスマホを取り出し、話を始めた。

 その間もしっかりと僕の体は押さえつけられて逃げだせない。

 今電話の相手に聞こえるように『助けてー!』と叫んだ方がいいのだろうか。

 迷うが……言い出せない。

 いや、でも叫ぶべきか? と悩んでいるうちに柊の電話は終わってしまった。


「ごめん、央。邪魔が入っちゃった。少し出てくるけど、そこでいい子にしていてね」

「え? ちょっと、待て! これ解けよ!」


 急ぎの用なのか、僕の頭を一撫ですると足早に柊は出て行った。

 しっかりと床に落ちていた僕のスマホは回収して。

 助けを呼べないじゃないか。

 ここは倉庫だからか鍵は外側に付いているようで、しっかりと施錠もしていった。

 中からは開けられそうにない。

 窓もない。


「まさかこれって……監禁?」


 言葉にすると、サーっと血の気が引いた。

 柊と監禁、絶対組み合わせてはいけないものである。

 相性が良すぎて事件になる。

 っていうか事件がただ今現在進行形ですよー!


 ど、どどどうしよう!?

 大きな声を出して暴れたら、誰かが気づいてくれそうな気もするが……。

 監禁されていたと誰かに知られてしまうことも嫌だ。

 ネクタイで縛られているところを見られてしまうのも絶対嫌だ。

 いや、そんなこと言っていられないか!?

 柊が戻ってきたら、今度こそ何をされるか分からない。


「どうしてこうなった」


 のこのこ来てしまった僕が悪いのか?

 僕はこの後どうなるのだろう、調教されてしまうのだろうか。

 絶対嫌だ!


 出来れば誰にも見つからず、そっと抜け出したい。

 何もなかったことにしたい。

 ネクタイさえ取ることが出来たら、なんとか出来そうな気がしないこともない。


「くっそ、全然緩まない。なんで縛るのが上手いんだ」


 腕を動かし、試行錯誤するが全く取れそうな気配がしない。

 ネクタイを切れそうなものも見当たらないし、扉のノブを後ろ手でガチャガチャ回してみたが駄目だった。

 扉に思い切り体当たりもしてみたが痛いだけだった。


「ああもう、どうしよう……」


 早くしないと柊が戻ってきてしまうかもしれないのに、頑張る気がだんだん失せてきてしまった。

 疲れた……。

 外の景色が見えないし、時計がないからどれくらい時間が経ったか分からない。

 やばい、ちょっとトイレに行きたくなってきた。

 あまり考えないようにしよう。

 トイレに行きたいと思っていると、余計に近くなりそうだ。

 少し落ち着こう。

 床に散らばってしまった折りたたまれたブルーシートの上に座った。

 腕は疲れて来たし、お腹も空いてきたし、柊にキスされたし、最悪だ。

 やっぱり無視して帰ればよかった……。


 時計がないのでどれだけ時間が経ったのか分からないが、暫くぼうっとしてしまった。

 何となく柊との今までの出来事を思い出していた。

 最初から変態だったなあ。


 かれこれ一時間くらい経っているかもしれない。

 何もする気になれない。

 更に暫く呆けていると、ガチャと鍵が開く音がした。

 扉が開き、姿を現したのは当然柊だった。


「いい子にしていたみたいだね。どう? 俺のことばかり考えたでしょ」

「逃げる方法しか考えてなかったし」


 本当は柊のことを考えていたが、言いたくない。

 それにトイレのことも考えていたし、柊のことばかりではない。


「いい加減諦めたら?」

「絶対嫌」

「俺のこと好きって言ったのに」

「言わせたんだろ!」


 あの時のことを思い出すと、恥ずかしくて叫びたくなるし腹が立つ。

 無気力になっていたが、一気に体の中に怒りと気力が沸々と湧きあがって来た。


「僕を兄ちゃんの代わりにするな!」


 兄が思い通りにならなかったからって、僕で好き勝手しないで欲しい。


「まだそんなこと言っているの? 俺が想っているのは央だけだよ」

「嬉しそうに二人でこそこそ話をしてたじゃないか! 花なんか贈って」

「? ああ、あれはお祝いだよ」

「祝い?」

「ああ。真に、好きな人と幸せになって欲しいと思って」

「え? ええ?」


 耳を疑った。

 春兄を抹殺しようとしていた人が何を言っているのだ。

 説得力が全くない。

 疑いの目を向けると、柊は気まずそうに笑った。


「祝えるようになったんだ。相手の奴は殺したいほど憎かったけど、今は『真のことを幸せにしてやって欲しい』と思っているよ。……君のおかげでね」

「僕?」

「ああ。君という大切な人が出来たから真は俺の中で過去になったんだ」

「……なっ」


 急にまともなことを言い始めた。

 『嘘くせえ!』と思うのに顔が熱くなってきた。

 いや、信用してないからな!


「妬いてくれたのか?」

「ち、違う!」


 更に熱くなってしまう。

 いや、これはこんなところに閉じ込められて、体調が悪くなったからだ!


「可愛い」


 ブルーシートの上に座ったままの僕のところに、柊が近づいて来た。

 目の前まで来ると屈み、顔を覗き込んできたので慌てて顔を反らした。

 これだけ熱いと、顔が赤くなっているかもしれない。

 そんなところを見られたら更に調子に乗ってきそうだ。


「逃げちゃ駄目だって言っているでしょ?」


 両手で顔を挟まれ、無理やり正面に戻された。

 急に動かすな、結構首が痛かったじゃないか!


「!?」


 反撃で頭突きでもしてやろうかと思っていたのだが、柊の顔が再び急接近してきた。

 またする気だな!?

 慌てて顎を引いて俯き、口を塞がれないように防御した。

 くそっ、手が自由ならぶん殴ってやるのに!


「ははっ」


 笑い声が聞こえ、頭に来ていると額に柔らかい感触がした。


「おでこにして欲しかったってことでしょ?」

「違う!!」


 どんな解釈なんだ、本当に頭がおかしい!

 こうやって僕が憤っている間も頬やら首やら撫でまわしてくるし、どんな神経しているんだ!


「本当は央だって俺にこういうことされて嬉しいんだろう? 最初の壁ドンの時だって喜んでいたし、今だってこんなに可愛い顔をしている。早く素直になった方がいいよ」

「…………は?」


 体温が急上昇してパニック状態になっていたが、今の言葉を聞いてテンションも体温も急降下した。

 壁ドンの時はテンションが上がってしまったが、それは『壁ドン』というものを体験したからで、お前にされたことを喜んだわけじゃないからな。

 可愛い顔ってなんだよ。

 イイ顔しているとでもいいたいのか?

 こういうことされて嬉しいって何だよ。

 僕を誘い受けだとでも思っているのか?

 ふざけんな!


 大体こいつはいつも人の話を聞かない。

 なんでも自分の良いように解釈して、僕の言いたいことを聞こうとはしない。

 僕の意思なんてどうでもいいのか?

 兄の似ているこの外見さえあればどうでもいいのか?


「……勝手に決めんなよ。僕のことを勝手に決めるな! お前の思い通りになんてならないからな!」


 閉じ込められ、縛られ、抵抗できない状況だけど絶対にお前には屈しない。

 一度『好きです』なんて言わされてしまったけれど、もう何をされても二度と言わない!


「……そう。それならそれでいいけど。いつまで強がっていられるかな?」


 楽しそうにしていた空気はスッと引いて行き、一気に纏う空気が冷たくなった。

 微笑を浮かべてはいるが、見ていて気持の良いものではない。

 腹が立つほど綺麗ではあるけど。


 憤りで力んでいた僕の体を、柊がポンと押してきた。

 軽い動作だったが力は強く、再びブルーシートの崩れた斜面に倒れてしまった。

 そして同じように天井を背景にして見える柊の顔。

 何となくしようとしていることは分かる。

 BLゲームでよくあるシーンだよな、なんて他人事のように考えている。

 さすがに萌えてはいないけど。

 妙に冷静な自分がいる。

 これから起こることは嫌だけど、『柊の喜ぶことだけはしない』という決意が強い。


 腹を括った、とういうより諦めた。

 この状況のこともそうだし、柊と分かりあうことも無理だ。

 話を聞いてくれない。

こいつには僕のことを分かろうという意思がないし、分かる必要がないんだ。

 だって、兄の代わりなんだから。

そういうことなんだろ?

 代わりの奴が何を思っていてもどうでもいいよな。


 柊から顔を背け、倉庫内に置かれた備品を眺めていると頬や首で温かい感触が動いている。

 ……本当に僕の気持なんてどうでもいいんだな。


「……央?」


 抵抗をせず、好きにさせていると柊の動きが止まった。

 顔を見たくないから備品を眺め続けているが、柊が戸惑っているのが伝わって来た。


「ごめん。泣かせるつもりじゃ……」


 そう言われて気づいた。

 目から水が出ているらしい。

 涙とは認めたくない。

 ただの水だ。

 これが出たのは悲しいとかじゃない。

なんだか情けなくて、馬鹿らしくて出て来たのだ。

 顔を拭けないのが腹が立つ。


「……ごめん」


 柊の体が離れていき、視界が明るくなった。

 それでも動く気になれず倒れたままでいると体を起こされ、ネクタイは解かれた。

 自由になった手首が痛い。

 擦り傷も出来ていたし、赤く跡が残っていた。

 こんなものを誰かに見られたらどうするんだ。

 家に帰ってからは、兄に見られないように気をつけなければ……と思っていると手を握られた。


「央……本当にごめん。またやってしまった。本当は傷つけたくないんだ。でも、昼間あの『お友達』に煽られて、央まで失ってしまうかもしれないと思ったら焦って……」

「帰る」


 犯行の釈明なんて聞いていられない。


「学校には言いませんから。安心してください」


 チクらないから、もう放っておいてくれ。

 握られた手を解き、倉庫を出た。

 名前を大きな声で呼ばれたけど、無視をして進むと追っては来なかった。




 ※※※




 校舎を出ると思っていたより時間は経っていなかったようで、部活をしている生徒の姿が見えた。

 体感的にはもう真っ暗になっていて、人の姿はないかもしれないと思っていたが違ったようだ。


 腕を振って歩くと、縛られた跡がちらちらと見えそうで気になる。

 少しだが泣い……いや、水が出たから、それが顔に出てしまっていないかも気になる。

 精神的に疲れ、足取りは足枷を付けられているのかと思うくらい重いが早く帰りたい。

 俯きながら必死に足を前に出して黙々と進み、家路を急いだ。


「やっと着いた……」


 家に着くと、玄関で倒れこんでしまった。

 冷たいフローリングの床が気持ちいい。


「ここで寝たい」


 もう動きたくない。

 ここに根付いてしまいたいが、そういうわけにはいかない。

 兄の靴はまだないので帰っていないようだ。

 今のうちに顔を洗って手首が隠れるような服に着替えたい。


 洗面所に向かい鏡を見た。


「良かった。全然なんともないや」


 思っていたより普通だった。

 手首の後も薄くなっていて、擦り傷が少し見えるくらいだ。

 ネクタイってあまり跡が残らないのか?

 そこまで計算していたとか?

 ひたすら怖い。


 一通り気になっていたことを確認出来てホッとすると、何か飲みたくなってきたのでキッチンに行き、コーヒーを淹れた。

 兄のように上手に淹れることは出来ないが匂いは良い。

 物凄く癒される。


 カップをテーブルに置くと、兄が柊に貰った花に目がいった。

 まだ飾っていたのか。

今すぐ燃やしてしまいたい。


「その花、そんなに気になる?」

「!? あ、おかえり」


 振り向くと、兄が帰って来ていた。

 びっくりした……全く気がつかなかった。

 昨日といい、気配を消すのはやめて欲しい。


「それね、柊さんがくれたんだよ」

「ふーん」


 知っている。

 知っているし、今柊の話は僕の地雷だ。

 いや、今だけじゃなくこの先ずっと地雷だ。

 少しでもかすったらすぐに爆発してやる。


「あれ? 知ってたんだ?」

「興味ない」


 だから爆発するって。

 これ以上話を振られないように自分の部屋に逃げることにした。


「今度は央が妬く番かな」

「……はあ?」


 キッチンを出ようとしていると意味不明な言葉が聞こえてきた。

 思わず顔を顰め、兄を睨んでしまった。


「オレが柊さんに花なんて貰ったから、気に入らないんじゃないの?」

「はあ!?」


 兄はにこにこと笑っている。

 どこか癇に障る優しい笑顔だ。

 この顔が柊の好きな顔かと思うと余計に腹が立つ。


「前は関わるなって言っちゃったけど、もう大丈夫だよ」

「?」


 苛々する話は無視をして部屋に行こうとしたのだが、兄の言葉が気になり、振り返ってしまった。

 今度は引っかかるもののない、本当に優しそうな笑顔で笑っていた。


「あの人、変わったよ。変えたのは央だよ? 話を聞いていてびっくりしちゃった。まさか、祝福して貰える日が来るなんて」

「ええ?」


 変ったって……何処が?

 終始変わりなく変態で、最新の出来事といえば監禁された上に襲われたのですが?

 残念ながら兄の言っていることは大外れだと思う。




 ※※※




「おっはよ!」


 今日も楓のお出迎えがあった。

 昨日より更にご機嫌な様子で、見ているとなんだか癒される。

 柊という邪気に中てられていたが、こういう屈託のない笑顔を見ると浄化されていく感じがする。


「……よし、行くか!」


 学校に行くと柊がいる。

 顔を合わせなければいけないと思うと気が重かったが、楓のおかげでリフレッシュ出来た。

 昨日のことを意識していると思われるのも癪だし、会ったら普通にやりすごそう。

 そんなことを考えながら通学路を進んだ。


 柊が待ち構えていることが多かった校門。

 いたら挨拶だけはしようと身構えていたのだが、柊の姿はなかった。

 校舎までの道のり、昇降口、廊下でも柊と会うことはなかった。


「珍しいな」


 今までは教室の自分の席に座るまでに、一度は見かけていたのだが……。

 連絡もない。

 柊メルマガも届かない。

 いたら普通にしようと思っていたのに……いないと調子が狂う。


 午前中、柊の姿を見ることはなかった。

 『今日はどこかに行っている日なのかな』と思い始めていた、午後の授業が始まる直前。

 ホールから教室に戻っていると……いた。

 廊下から車に荷物を積んでいる柊の姿が見えた。

 あの車にも嫌な思い出があることを思い出していると、柊と目が合った。


「……」

「ん?」


 目は確実に合っていたのだが、顔を反らされた気がした。

 いつもは微笑んで僕の名前を呼んだり、軽く手を振って来たりするのだが。

 僕の勘違いで、目は合っていなかったのだろうか。


 午後の授業が終わり、窓から花壇を見ていると再び柊の姿をみつけた。

 また目が合ったはずだが……今度も反らされた。

 ……なんなのだ?


 授業は終わり、放課後になった。

 楓は今日も部活だ。

 帰ろうとしていると、今度は柊とはち合わせた。


「……どうも」

「……」


 お互いに立ち止ったし、目が合っているから声を掛けたのだが柊は無言だ。

 お通夜のような暗い顔をしてそのまま去って行った。


「はあ?」


 キレそうになった。

 なんでお前が沈んでいるんだ。

 なんでセクハラ被害者の僕が無視されなきゃいけないんだ!?


 柊のお通夜状態はその後も続いた。

 翌日も背景に漫画のベタな沈んでる棒線が見えるような状態の柊と何度か遭遇したが、まともに話をすることはなかった。

 あれから柊は一言も発していない。

 それにあの馬鹿は明らかに僕を避け始めていた。

 何度も言うが、被害者は僕の方なのですが!!


 怒鳴りたい衝動を我慢していたが、日に日に苛立ちは増すばかり。

 やっぱりおかしい、僕がこんなに我慢しなきゃいけないなんておかしい!

 気がつけば足は用務員室へと向かっていた。


「あれは……」


 用務員室の手前、廊下の先で探していた背中を見つけた。

 後ろ姿でもイケメンオーラが溢れていた。

 綺麗なオレンジ色の髪が輝く後頭部を見ているとスリッパでパシーンッと叩いてやりたなった。


 怒りに任せドカドカと追いかけて行くと、僕の殺気を察知したようで柊が振り返った。

 僕を見ると目を見開き、慌てた様子で用務員室の方へ進み始めた。

 だから何故お前が逃げるんだ!

 更に怒りを募らせ、逃がすまいと追跡。

 用務員室に逃げ込まれるギリギリのところで追いついた。

 扉まであと少しというところで腕を掴み、正面を向かせるように引っ張った。


「お前、その反応は何なんだよ!」

「離してくれ」


 少し久しぶりに聞いた声も暗かった。

 相変わらずの美貌だが、疲れているのか陰りがある。

 僕と目を合わせようともしないし、負のオーラが湧き出ている。


「なんでそんなに沈んでるんだよ! 沈みたいのは僕の方だからな!」

「俺はもう、君には近づかない。……今まですまなかった」

「は? ……なんだよそれ」


 自分の中で、ブチッと血管が切れた音がした。

 今まですまなかった?

 そんな一言で済まされてしまうのか。

 散々かき乱されてきたし、今だって気がつけば柊のことばかり気になっているのに。

 もう知らない……馬鹿馬鹿しい。


「勝手にしろ! じゃあな!」


 掴んでいた手を放り投げるように乱暴に離した。

 二度と会いに来ることはないし、話をすることもないだろう。


「央……!」


 手を離した時に、ショックを受けているような顔が見えて更に苛々が増した。

 『近づかない』と言ったのは自分なのに、捨てられた子犬みたいな目をしていたのは何故なんだ。

 意味が分からない。

 蹴りを入れてやりたい。

 兎に角! 柊よ、さよならだ。

 これからは安全で健全な高校生活を送ることが出来るだろう。




 ※※※




「そろそろ禿げる」


 柊という歩くR指定な奴から離れることが出来、女子と青春してやろうと張り切っていた僕の気合いを台無しにする奴がいる。


「もう本当になんなんだ、あいつは……」


 花壇から感じる悲哀に満ちた眼差し。

 視線の主は少し前まで封印されていた怪物だ。

 群がる女子は、憂いを帯びることでいつもよりも多くまき散らされているフェロモンで撃沈している。

 話すことも出来ず、無言でうっとりと柊を見つめている。


 柊とさようならをした翌日から、何故かあの馬鹿は執拗に僕を見るようになっていた。

 校内を移動していると頻繁に視線を感じるのだが、確認すると大体柊だ。

 奴は話しかけてはこない。

 ただジーッと、寂しそうな目で僕を見るだけ。


 ……構ってちゃんか!!

 ああもう! 鬱陶しい!!

 言っていることとやっていることが違うじゃないか。

 離れたのはお前だろう!


 気にしたら負けだと無視を続けていたが、鬱陶しさがどんどん増していく。


 ……はあ、無理。

 これ以上苛々を我慢していたら発狂しそう。

 そう思った瞬間に行動に移した。

 一秒でも早くストレスから解放されるため、目的地に急いだ。


 早く解決したいという衝動が足を急がせたのか、目指していた扉がすぐに目の前に現れた。


「……またここに来ることになるとは」


 妙な感慨深さを感じながら、来ないと思っていた用務員室の扉を開けた。

 不在になっていたが、扉を開けるとすぐに柊がいた。

 懐かしい光景だな。

 あの兄が襲われた伝説のソファに腰掛け、頭を抱えた全力で悩める人のスタイルになっていた。


「央!? ……どうして……どうして来てしまうんだ」


 僕に気づき、幽霊のように消えてしまいそうな弱弱しい動作でこちらを見た。


「あんな物言いたげな目をしておいて『どうして』!? 何か言いたいことがあるんじゃないのかよ!?」

「……ごめん」


 怒りに任せて怒鳴ると、柊は更に小さくなった。

 柊の目の前に立ち、何か言いたいのなら今のうちだぞと威圧すると、床を見ながらぽつりぽつりと言葉を零し始めた。


「俺みたいなのが央のそばにいたら駄目なんだ。また暴走して、央を泣かせてしまうかもしれない。分かっているから、離れようと頭では思うのに……駄目なんだ。見ちゃいけないと思うのに我慢できない。君を探してしまう。……どうすればいい?」

「は?」


 僕のためだと身を引いていたが我慢出来なかった、とこということか?

 あの柊が我慢を覚えようとしているなんて、妙な感動を覚えた。

 それが僕のことを想っての行動ということにむず痒さを感じるが……悪い気はしない。

 少しだけ、ほんの少しだけ怒りのボルテージが下がった。


「そこは自分で考えろよ。聞いて欲しい時に人の話を聞かないくせに、そんなことを質問するな」


 柊の隣、ソファの空いているスペースにドカッと座った。

 背中を丸め、前屈みに小さくなって座っていた柊がゆっくりとした動作でこちらを見た。


「……君のそばにいたいんだ。駄目、かな?」


 心細そうな表情だった。

 お前のデフォルトは妖しい笑みだろう。

 やっぱり調子が狂う。 


「……少しは、僕の話を聞いてくれるなら」

「え?」

「柊さんは押しつけるばかりだ。僕の話とか、気持ちとか、全く聞こうとしないじゃないか」

「だって……聞いたら断られるだけだ。俺のことなんて嫌だろう? 嫌がられると分かっているけど、我慢できないから押し通すしかないじゃないか」


 どんな理屈だよ。

 柊らしいといえば柊らしいが。


「……その嫌だと思っているのも、決めつけているじゃないか」


 柊は自分に自信がないのだろうか。

 兄に失恋して沈んでいた時も、自分に嫌気がさしているような発言をしていた。

 僕に喜んでいるとか選択肢が無いとか押しつけてくるのは、尋ねると拒否をされるのが怖いから聞かないのだろうか。


「嫌じゃないのか?」


 そんなことを考えていると、柊が顔を上げてこちらを見ていた。

 驚いたような、何か期待しているような表情をしていた。

 しまった。

 今の一言は心の中で言ったつもりだったのに、声に出してしまった。

 まるで柊のことを嫌じゃないと言っているみたいじゃないか。


「い、嫌だけど!」

「……期待したのに」


 慌てて訂正するとあからさまに肩を落とした。

 だって嫌なんだからしょうがない。

 嫌じゃないけど嫌っていうか……ああもう自分でもよく分からない!


「嫌だけど! 本当に嫌だったら、学校に言ったりして何とか拒否していたと思う。でも、そういうことはしようとは思わなかったから……はあ、もういいや」

「大事なところで面倒くさがらないでくれ」


 自分のことが理解出来ないというわけの分からない状況に陥って、考えることが面倒になった。

 思考放棄しようとしたのが、バレたようだ。

 柊は逃がしてくれそうにない。

 ジーッと僕を見つめ、次の言葉を待っている。

 そんなに待機されても何を言えばいいのだ。


 っていうか今、僕達は何の話をしているんだ!?

 ジャンルは何だ? 恋愛か?

 恋愛っていうか……これは……BLじゃないか!

 いつの間にこの道を進んでしまっていたんだ!?


「央? どうかした?」

「……なんでもない」


 BLロードを進んでいたことに気づいていなかった。

 もう完全に引き返せないところまで進んでいたのに、どうして気づかなかったんだ!?

 やっとどこに立っているのか認識することが出来た。

 僕は今、雷に打たれたような衝撃を受けている。


 覚悟するというか、受け入れるしかないのか。

 自分がBLをしてしまうことを……。

 よく考えれば柊に襲われた時も生理的な嫌悪感は無かった。

 それは『柊が好きだから』、……そういうことか?


 顔が熱い。

 何故なんだ自分、どうして柊なんだ!

 自分を多少いたぶりながら問い詰めたいところだが、自覚してしまった今、もう一度柊に確認しておきたいことがある。


「……僕を兄ちゃんの代わりにしてないんだな?」


 こんな台詞を吐く自分が恥ずかしい。

 まるで『好きなのは兄ちゃんじゃなくて僕だよね?』と確認しているようだ。

 柊の顔を見ることが出来ず、反対側に顔を逸らした。


 この僅かな時間で、僕は自分の気持ちを自覚して大きく変化したけれど、柊はまだそれに気がついていないだろう。

 何となく、柊のことが好きだと思っていることをまだ悟られたくない。


「俺はね……本当は君のような子は苦手だったんだ」

「え」


 穏やかな声が伝えてきた内容はショッキングな内容だった。

 頭の上にズドーンと岩が落ちてきたようだ。

 『苦手』って!


「俺には君が眩し過ぎるから。自分に無いものを見せつけられているようで。それは真もそうだったんじゃないかな」


 言われていることがよく分からない。

 僕と柊はあまり似てないから、柊にないものが僕にはあるというものがあるかもしれないが……。

 でもそれは逆も言えるわけで、僕にないものを柊は持っている。

 何を気にしているのか分からないが、それでいいんじゃないの?

 ここで兄の話が出てくるのも謎だ。


「真といると一人じゃ無いと思えた。自分と同じ色を持っている人がいる、ってね。今思えば、真を想うことで自分に空いた穴を埋めたかったのかしれない。でも君は……君といると忘れてしまうんだ、そんな穴なんて。知らないうちに埋まっていて、空いていたことさえ忘れてしまって……。でも、君がいなくなったら穴は前より大きくなってしまって塞げなくなってしまう。真じゃ駄目なんだ。もう、君じゃなきゃ駄目なんだ」

「……よく分かんないや」


 ぽつりと零すと、顔は見ていないが柊が苦笑いをしているのが分かった。

 柊や兄は繊細なのかもしれない。

 難しいことは分からないけど……柊が兄じゃなくて僕を必要としてくれていることが分かったからそれでいいや。


「よく分かんないけど、柊さんをそばに置いてあげてもいいよ」


 顔は背けたままで伝えた。

 柊みたいに真面目なトーンで語るのは恥ずかしい。

 さっきみたいなのは美形がやるからいいのだ。


「……」


 反応を待っているのだが何もない。

 何で!?

 不安になり、ちらりとのぞき見ると大きく目を見開いて驚いている柊と目が合い、慌てて顔を背けた。 


「僕がいないと穴空いちゃうんでしょ? だったら別にいてあげるけど」


 っていうか穴ってなんだよ、と思っていると急に体を圧迫され、苦しくなった。


「央……!」


 柊の長い腕が伸びてきて、力一杯に抱きしめられている。

 苦しい、痛いくらいだ。


「抱きしめてごめん。嫌だったら言って」

「べ、別にいいけど。ちょっと苦しい」


 程ほどにしてくれないと雑巾のように絞られてしまいそうだ。

 苦しいという抗議はすぐに聞き入れられ、腕の力は弱くなった。

 弱くなったというか、解放されてしまった。

 そこまでしなくていいのに、寂しいじゃないか。


「していい?」


 体が離れたことにがっかりしていると、顔を両手で挟まれた。

 これは恐らく口を狙われているのだが……これをするために離れたのか、納得。


「嫌」


 納得はしたけど、口にされるよりさっきのをもう少ししていて欲しかった。

 それにこんなところであまり発展するようなことは……と思っていたら、僕の顔を挟んでいる両手に力が入り、上を向かされ……。


「んーっ!」


 拒否したのに!


「嫌って言ったのに! 聞いてないじゃん!」

「ははは」


 突き飛ばして抗議をすると、久しぶりに『笑う所じゃねえよ!』とツッコミたくなる綺麗で腹の立つ笑顔を見せた。

 柊の笑顔を見ていると張っていた気が抜けた。

 気も張っていたし、ここ最近の僕は意地を張っていたのかもしれない。


 力が抜けてだらしなくソファに凭れていると、また体が温かくなった。

 さっきは苦しかったが、今は安心出来そうなくらい優しく抱きしめられていた。


「もう泣かせないから」

「泣いてないし」


 一度水は出たけど、あれは違う。


「あ。でも、こういうことでは泣かせるかもしれない」

「は?」


 何を言っているんだ?

 そして何故一瞬で、目に映る風景が天井になっているんだ?


「ちょっと待っていて。鍵かけてくるから」

「何するつもりだ!」


 さっきまでお通夜状態だったのに、一気に元気になりやがって!

 この道を歩き始めてしまったことを受け入れたけど、間違ったかもしれない。

 どこかに引き返す道はないかな?

 ……まあ、あっても結局引き返さないと思うけれど。


 BLゲームの世界で主人公の弟に転生しましたが、僕も兄と同じ運命を辿りそうです。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本編の時は、1番無いのが柊で次が雛だと思ってたけど、柊はありになりました。まだまだ苦労はしそうですけどね。
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