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BLゲームの主人公の弟であることに気がつきました(連載版)  作者: 花果 唯
本編

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第三話 都市伝説は案外身近

 自転車のベル。車輪が回る音。

 忙しない足音や、賑やかな話し声が聞こえる朝の学校――。


 門を通過し、朝露が光る花壇の花を眺めながら辿り着いたのは、登校して来た生徒が一堂に会する昇降口。

 そこには友達同士や、中にはカップルで朝の挨拶を交わしている和やかな光景が広がっていた。

 とても爽やかな朝だ。

…………僕の周り以外は。


「なんでお前みたいな奴が真先輩の弟なんだろう」


 まったく、機嫌良く登校してきたのに……。

靴を履き替えている時に突然浴びせられた言葉がこれだ。

 言い方にも非常に険がある。

 気分が急降下、大暴落だ。

 これが株価なら破産しているぞ。


 テンションを下げる声の発信源は、目の前で腕を組んで仁王立ちしている『楓秋人かえであきと』。

 失恋BLの一人である。

 僕とはクラスメイトで、つい最近までは特に親しいわけではないが、仲が悪いわけでもなかった。

どちらかといえば、お互いに好印象だったと思うのだが……今は水と油のようだ。


 楓は猫っ毛の柔らかそうな金髪に、ぱっちり二重の紅眼で天使のような美少年だ。

 背はそんなにチビでもないが、僕より拳一つ分程低い。

 制服はブレザーではなく、シャツの上にライトグレーの袖が長いカーディガンを着ている。


 女子から『可愛い過ぎる!』と評判の愛らしさは僕の前では休暇中のようで、こちらを見ている目は氷のようだ。


 でも、こんなものは慣れてしまえばなんてことはない。

 この一週間、毎朝この場所でこのイベントが発生している。

 ああ、こんなフラグ立てた覚えはないのだが……。


「聞いてるの!?」


 聞こえてはいるが、聞くつもりはありません。


「…………っ」


 あれ、心の声が漏れたか?

 周囲の温度が更に下がった。


 そんなに睨まれてもなんの感情も沸かない。

 『無』だ。

 無から連なるもの……それは無関心、すなわち『スルー』だ。

 まるでそこに楓は存在していないかのように、華麗にスルーだ!


「おい!」


 あーあー何も聞こえなーい!


 よし、これで朝の下駄箱イベント終了だ。

 明日もあるのかな、このイベント。

 いらないなあ、朝から気が滅入る。


「……ん?」


 視線を感じて周りを確かめると、数人の生徒がこちらを見ていた。

 揉め事かと野次馬のように様子を伺っていたようだ。

 うわあ、変な噂とか立てられたら嫌だな。


「!?」


 一際鋭い視線を感じ、そちらを向くとクラスメイトの野兎愛美(のうさまなみ)がこちらを見ていた。


「お、おはよう。白兎(しろうさ)さん。」

「……ふんっ」


 吹き飛ばされそうな勢いの鼻息を残し、白兎さんは立ち去って行く。

 守って貰いたくなるような戦士の背中を見送った。


「怖っ」


 彼女は、背は僕より低いのだが厚みが……。

 太っているわけではなく、筋肉質でガタイが良いのだ。

 顔立ちも綺麗なのだが、闘志というか殺気が前面に出すぎていて「強そう!」という印象しか残らない。

 背中で揺れている一つに束ねた銀髪の三つ編みも、プラチナ製の綱引きの綱のように見えた。

 両側をダンプで引っ張っても切れることはないだろう。


「しっかし、何だったんだ?」


 凄い形相で睨まれた。

 何か彼女の癇に障ることでもしてしまったのだろうか。

 もしかして楓ファンか?


 いや、でも彼女にはいつも睨まれている気がする。

 綺麗な銀髪や色白の肌、そして赤い目が雪の中でも逞しく生きる白兎のように見えたから、「白兎さん」と呼ばせて貰っているのだが、お気に召して頂けなかったのかな?

 あえて言い続けてやるけどね!


 それにしても……クラスメイトに見られたのは嫌だなあ。

 これ以上、教室で気を使うような事態にはなりたくない。


 まあ、そもそも楓に対して『間違い』を起こしたのは僕だ。

 失恋BLの現状、哀愁BL……もしくは新たなBLワールドを見たくて楓の様子を覗いていたのだが見つかってしまった。

 それから怪しまれてしまい、教室でも睨まれるようになって居心地が良くない。

 授業中でも時折感じる視線。

 疲れるな、僕の自業自得ではあるが……。


「はあ」


 そして今日も今日とて鋭い視線を浴びつつ、一日の授業を終えた。


 さっさと帰ろう、早く兄達を覗き見して癒されたい。

 足りぬ、癒しが足りぬ。

 BLというマイナスイオンを渇望しながら、とぼとぼと廊下を進んだ……のだが。


「はあああああ」


 なんとか辿り着いた昇降口で、僕は今日一番の深い溜息をつくことになった。

 周りの生徒が明らかにモブに見えてしまう金の髪が見えたからだ。

 向こうも僕に気がついたようで、見慣れてしまった険しい表情を向けてくれた。


「なんで下校の時までいるんだよ。お前はストーカーか?」

「自意識過剰なんじゃないの? ストーカーはそっちだろっ!」


 朝一回のイベントだったのだが、本日は下校時まで発生した。

 やはり可愛さはお留守だ。

 普通にしていたら可愛いのに、今は憎たらしさしか感じない。

 疲労が積もり、段々苛々してきた。


「ったく、なんでそんなに可愛げがないかなあ! 兄ちゃんがいる時とは違いすぎるだろ。猫かぶり過ぎだっつーの! あんまり突っかかってきたら兄ちゃんに猫かぶってんのチクってやるからな!」

「なっ!」


 僕には伝家の宝刀『兄ちゃん』があるんだぞ、参ったか!

 大好きな兄ちゃんにチクられてしまったら困るだろう。

 案の定、楓はこちらを睨みながら固まっていた。


「嫌だったら大人しく……」

「……別にもうチクられたって……どうでもいいし」

「え?」


 こちらが言い終わるのも待たず、どうでもいいと言い放って先に行ってしまった。

 あれ、おかしいな。


「おい、ちょっと」


 声を掛けたが無視されてしまった。

 何だ、あいつ。

 でも、去って行く時の顔が寂しそうだったというか、傷ついていたような気がしたが……あ。


 そうだ、苛々で思いやりが欠けていた。

 彼は『失恋BL』なのだ。

 恋を失い、今は砕け散った硝子のハート状態なのだ。

 兄の話題はとてもデリケートな部分だろう。


「今のは……完全に僕が悪いよな」


 すぐに謝りたい、急いで後を追いかけた。


 昇降口を飛び出して走っていくと、すぐに楓の姿を見つけることが出来た。

 ちょうど校門を過ぎたところだった。

 呼び止めると一瞬足が止まったが、無視をすると決めたようでそのまま進んで行く。


 だが、走って追いかけるとすぐに追いつくことは出来た。

 横に並んだが……反応はない。


「あのさ! えっと……」


 口を開きはしたが、どう謝ったら良いのか迷う。

 楓が兄に失恋した、というのを知っているのはおかしい。

 だから『失恋で傷ついているのにデリカシーのないことを言って悪かった』とは謝れない。

 うーん……まあ、とりあえず謝ればいいか。


「さっきは悪かった。ごめん」

「……何が」


 突き放すような言い方で、ぶっきらぼうだった。

 ですよね、そう言われるとは思ったのだが。


「何って訳じゃないけど、辛そうだったから。なんか傷つけること言っちゃったかなって。ごめんな」


 誤魔化しながらだが謝ると楓の足がぴたりと止まり、こちらを見た。


「……」


 そして再び歩き出す楓。

 反応無しってどういうことだ、なんか言ってくれよ!

 謝れたのかどうか分からない。


「すっきりしねえ。あ」


 その時、道沿いに設置されていた自動販売機が目に入った。

 こうなれば謝罪の押し売りだ。

 急いで自動販売機に小銭を投入、ホットのカフェオレを買った。

 前に楓がこれを買っていたのを見たから飲めるはず。


 ガコンと落ちてきたカフェオレを取る。

すぐに買っている間に先に進んでいた楓に追いつき、手に無理やりカフェオレを握らせた。


「熱! 何だよ、これ……」

「お詫びの品ってことで! じゃあな!」


 押し付けてそのまま逃亡。

 これで示談成立だ。

 うむ、すっきりした。

 世の中、やはり金、物品が後腐れなく解決出来て良い。




 ※※※




 ――翌日。


 朝の昇降口。

 昨日と同じ爽やかな光景が広がっている。

 その中再び『下駄箱イベント』……と思いきや、楓の姿は無かった。


「あー良かった!」


 朝から精神がトゲトゲしなくて済む。

 昨日の発言はきっとフラグを折ってしまったのだろう。

 安心したが、これはこれで寂しいところもある。


 まあ、今後は気をつけて失恋BL楓たん可愛い! を観察しよう。

 春兄といる楽しそうな兄を悲しげに見つめているところとか目撃したいんだけどなあ。

 せつなくて胸キュン。

 そして今日も一日、何気ない学校生活を終えて下校の時間となった。


 下駄箱から靴を取り出し、履くためにしゃがんでいると、視界がカフェオレの缶のパッケージで占領された。


「ん」

「?」


 何事かと顔を上げると楓がいた。


「ボク、甘いのは好きじゃないんだよね」

「はい?」


 手に持ったカフェオレは、僕に差し出しているようだ。

 近すぎて顔にめり込みそうですが。

 これは「飲まないから返す」ということなのだろうか。


「わざわざ返さなくても誰かにあげればいいじゃん。っていうか、前にカフェオレを買っているところを見たんだけど?」

「それは……真先輩がカフェオレを買っていたから好きなのかなって思って。部活の時とか、差し入れで……」

「えっ!」


 思わず瞳孔が開いた。

 あれは兄への差し入れだったか! 健気!

 間近でぎゃん可愛楓たんを見られて嬉しい。

 ああ、潤う……受け男子の乙女ポイント、キュンキュンするわあ。

 楓が兄とくっついていたら、実際にもゲームのように魔性の誘い受けになっていただろう。

 生で見たかったな……って、楓の前で腐海にダイブは危険だ。

 ん、でも……そういえば?


「兄ちゃんはブラック派だけど……あ、そうか。春兄が甘いの好きだから、その影響でカフェオレをつい買っちゃうって言っていたか……」

「えっ」


 付き合った男の影響を受ける系女子、と化した兄である。


 …………ん?

 冷たい空気を察知した。

 それに微かだったが絶望したような声が聞こえた気がしたけど……。

 疑問に思っていたところで楓と目が合った。

 その顔は強張っていた。


「あ」


 それで察した。

 思ったことをついそのまま呟いてしまった、と。


 これって兄達のラブラブ情報なわけで、楓からしたら『聞きたくないこと』だったか。

 ああ……もしかしたら楓が兄にあげたカフェオレは春兄が飲んでいるかもしれない!?

 うああっ、せつない……ごめんなさい、ごめんなさい、余計なこと言った!!


「あ、楓は兄ちゃんと同じブラック派なのか! 一緒じゃ~ん!」

「…………っ」

「!」


 『あなたの大好きな兄と一緒ですよ! 喜んで!』 とフォローのつもりで言ったのだが、余計に顔つきは険しくなった。

 あわわわ……ヤヴァイ! ヤヴァイ! ドウシヨ!

 終には俯き、ぷるぷると震え始める始末。


「ああ、えっと! じゃあ、甘くないのを奢るから! よし、買いに行こう! すぐ買いに行こうそうしよう!」


 楓の腕を掴んで強制連行した。

 あんな人目のあるところで、こんな目立つ人を泣かせていたなんて言われたら恐ろしい!

 手を引いて自販機まで到着すると、急いでブラックのホットコーヒーを買った。


「はい、甘くないやつ!」

「……」


 『どうぞ!』と渡してみるが動かない。

 そして喋らない!

 何かリアクションプリーズ!

 沈黙が一番恐ろしい。


「…………うっ」


 うん? 

 何か声が聞こえた。

 楓の方を向くと、そこには心臓を抉られるような光景があった。


「ううっ」

「ええっ!?」


 あれは……あの光るものはまさか!

 時には凍った心を溶かし、ある時にはたった一滴で命を吹き返すことも出来るという聖水、頬を伝う一筋の輝く雫……それは『涙』!

 わああ、泣いている……泣いているぞ、美少年が泣いているよ!

 まるで僕が泣かしたみたいな感じで泣いているんですけど!?

 罪悪感が半端ねー!

 泣いているところは可愛いけどね!

 違うことでひいひい喘いで泣いている涙も見たい、とか……ああもう!

 今は節操無く発動する邪眼が邪魔だ!


「何故泣く!? ブラックじゃなかった!? コーラとかの方が良かった!?」

「煩い! お前なんか嫌いだ!」

「ええ!? 僕、嫌いって泣かれている状況!?」


 意味が分からないが、通行人の視線が痛い。

 可憐な乙女のような美少年が、その美しい顔を曇らせ涙している……その元凶はお前か! という断罪の視線だ。

 無実だ、僕は無実だ!

 突き刺すような視線から逃避しなければ。

 少し先に見えたベンチまで楓の手を引き、連れていく。


「はあ」


 しくしく泣く楓を座らせ、僕も隣に座った。

 今も口をへの字に曲げて泣く楓。

 自然と溜息も出るというものだ。

 どうすればいいんだ……オーマイゴッド……ヘルプミー……。


「意味が分からん……」


 思わずこっそりと愚痴った。


「……真先輩だったらきっと優しく慰めてくれるのに」


 小さな声で言ったのだが、しっかり聞こえていたようだ。

 そして、きっちり反抗はするんですね!


「すいませんねえ、残念な弟の方で」

「まったくだよ」


 あんな主人公な兄と同じことを求められても無理だ。

 確かに兄だったら、優しく肩を抱いて慰めの言葉を掛けたり出来るだろう。

 何も言わなくても包んでくれるような包容力があって落ち着けそうだが、生憎僕はそんなスキルを持ち合わせていない。

 僕にでも出来そうなことは……そうだな。


「よしよし」


 楓の頭に手を伸ばし、子供にするように頭を撫でてみた。

 おお、天使のような黄金の髪は触り心地も素晴らしい。


「な!?」

「優しくして欲しいんだろ?」


『優しくといえば頭を撫でる』しか思い浮かばなかった残念な思考回路です。

 それとも「泣かないで、子猫ちゃん」と、顎クイして囁けば良かっただろうか。

 僕がやるとギャグにしかなりませんが?


 楓の反応はどうかというと、驚いたまま固まっていた。

 面白いのでもう少しよしよししてみた。


 ――よしよしよしよし


 すると楓の顔が赤くなった。

 耳まで赤い。

 まるで林檎のようだ。

 これは……もしかして、照れているのか?

 ぎゃわいいー!

 はっ!! これは!!


「これがナデポか!!」

「っ! 馬鹿かー!」


 撫でていた手を叩き落されてしまった。


「痛いんだけど。どういう仕打ちだよ、これ」


 「イテテ」と自分の手をスリスリしながら抗議だ。

 そんな僕を楓は呆れた顔で見てる。


「……はあ、本当に真先輩と血の繋がりあるの?」

「失礼な。顔は似ているだろう?」


 素敵な笑顔でにっこりと微笑んでやった。

 ここ最近で一番の会心の笑みだ。


「! ……か、顔だけはね」


 一瞬目を見開くと、バッと顔を背けてられてしまった。

 横を向いたことで見やすくなった耳がさっきより真っ赤な気がするが、また照れている?

 僕の改心の笑みが決まっちゃった?

 は! そうか!!


「これがニコポ!」

「煩い! もうお前喋るな!」


 なんという奴だ。

 せっかく僕が優しくしているというのに今度は怒鳴られてしまった。


 でも、ツッコミを入れるぐらい元気になって良かった。

 まだ少し目元は赤いが涙は止まったし、大丈夫そうだ。


「はあ……なんか馬鹿らしくなってきちゃった」


 本人も落ち着いたのか、ブラックコーヒーを飲み始めた。


「やっぱり美味しい」

「ふうん。僕はカフェオレ派だな」

「聞いて無いし、興味無いし」

「ツメタイ」

「カフェオレ、真先輩が好きだと思って飲んでみたけどボクは駄目だったな。真先輩は味覚が寄っちゃうくらいあの人のことが……」


 俯きながら呟く楓。

 下を向くと長い睫が強調されて綺麗だった。

 お留守だった可愛いが少し顔を覗かせてくれたようだ。

 それに後半は小さな声で呟いていたが、僕の耳はばっちり捉えていましたよ!

 今、嫉妬しましたね!

 哀愁美少年BL、頂きました!

 ご馳走様です!


「……何ニヤニヤしているんだよ」

「し、してないよ」

「ふっ、変なヤツ」


 危ない危ない、顔の筋肉の締りが悪くて危険だ。

 楓は笑っているからなんとかセーフだが、気をつけなければ!


「なあ、アキラ」

「えっ、急に名前呼びかよ」

「なんだよ、悪い?」

「いや、全然いいけどさ。お前、距離感の詰め方半端ないな」


 今までは「なあ」とか「おい」とか「お前」だったのに、急に名前で呼ばれたから驚いた。

 一瞬「アキラってどなた?」ってなった。


「アキラ。ライン、教えてよ」

「え、嫌」

「はあ? さっさとスマホだして」


 断ったら凄く鋭い目になった。

 怖っ。


「……ハイ」


 やっぱり留守だった、『可愛い』はいなかった。悲しい。


「……八つ当たり、ごめん。ありがと」


 スマホを取り出すため、カバンをがさごそしていると何か呟いたのが聞こえた。


「うん? 何か言った」

「…………」

「無視かよ!」


 僕からスマホを取り上げ、登録を済ますと乱暴に返して楓は去っていた。

 なんなんだ、あいつ。

 ゲームではきゃわいいツンデレだったんだけどなあ。

 やっぱりゲームと現実って違うのかなあ。




 ※※※




 若干疲れを感じながらの帰宅。

 玄関には僕よりも少し大きなサイズの靴が二足並んでいた。

 今日もやっぱりいますね、春兄。

 兄カップルが仲睦まじくて、邪な弟は嬉しい限りです。


「ただいまあ」

「おかえり」

「おう、お疲れ」


 今日はリビングにいるようで返事があった。

 兄の部屋でナニとは言わないが、励んでいなかったようだ。


「はあ、疲れた」

「おい央、おっさんみたいだぞ」


 春兄に茶化されながらソファに雪崩れ込んだ。


「央、制服に皺がつくよ。着替えておいで」

「もうちょっと後で」


 母さんのようなことを言う兄は今日も今日とてイケメンだ。

 我が兄ながら惚れ惚れとする。

 顔は似ているのに、こうも残念に仕上がる僕は一体何なのだろう。

 モブマイナス補正でも掛かっているのだろうか。


「どうしたんだ、真の顔をじーっと見て」


 お、何ですか、嫉妬ですか?

 大丈夫だ、誰も取ったりしない。

 思う存分抱くといい!


「央、何かあったのか?」


 おっと、邪な考えをしているだけなのに兄に心配させてしまった。

 すいません、貴方達で『あんなこと』や『こんなこと』考えていました。


「いや……兄ちゃんと僕って、顔は似ているのに印象全然違うよなあって思って。今日も『本当に血は繋がっているのか』とか言われたしさ。いやあ、参ったね」

「……誰だ、そんなことを言うのは」


 軽口で言ったのだが、兄が真剣な顔になってしまった。

 春兄も心配そうな顔をしている。

 そんな深刻な話じゃないのだが。


「ああ、気にしないで。軽いノリで言ってただけで、僕も気にしてないし」


 そう言ったのだが、二人はまだ心配そうだ。


「ねえ、央。誰かと揉めていたりしない? ちょっと、気になる話を聞いたんだ」

「? 何それ」

「お前が最近、毎朝下駄箱で揉めているって俺もクラスの奴に聞いたぞ」


 なんと! 楓イベントが二人の耳にまで届いていたとは!

 良く考えれば楓も目立つし、僕も天地真の弟ということで顔は知られている。

 その二人がごちゃごちゃやっていれば噂も立つだろう。


「揉めている相手は楓って聞いたけど……何かあったのか?」


 兄はとても心配そうだ。

 自分が振ったことで、僕に何か迷惑が掛かっていないか案じているのだろうか。


「別に何もないよ。まあ、友達だし? ちょっと喋っていただけだよ」

「そうなのか?」

「仲良かったのか?」

「よく話すようになったのは最近、かな」


 最近というか、小一時間程前っていうか。


「何かあったら相談しろよ?」

「はーい」


 兄達に心配されながら自分の部屋に戻った。

 ああ、明日もあるのかなあ、楓イベント。

 これ以上、兄達に心配を掛けるようなことにならなければいいなあ。




 ※※※




 ――翌日の朝。


 兄が淹れてくれたホットのカフェオレを飲み干し、身支度を済ませて玄関を出ると人の影があった。

 雛とは少し先で合流するので、普段はここに人がいることはない。

 宅配の人かと思ったが……違った。


「おはよ」


 まさかの楓だった。

 おかしいな、召還した覚えはないのだが。


「……おはよう。お前は新手の『メリーさん』か何かか?」

「何それ」

「『私メリーさん。今、あなたの家の前にいるの』ってやつ」

「ああ。って人をホラー扱いするな!」

「じゃあなんでいるんだよ」

「……これ」


 差し出されたのはまたもや缶のカフェオレだったが、暖かいからさっき買ってきたのだろう。


「昨日奢って貰ったから、やるよ」

「はあ……。え、これのために来たの?」


 律儀なことだ。

 でも学校でもいいだろう、わざわざこなくても。


「ついでに一緒に学校に行ってあげるよ。ありがたく思って」

「いや、別にいいです。恐れ多いので遠慮します」

「はあ? わざわざ来てあげたのに!」

「別に頼んでないし」


 なんということだ。

 下駄箱イベントが玄関イベントに悪化している!

 二人でごちゃごちゃ言い合っていると、後ろのドアが開いた。


「央、どうした? ……楓?」


 登場したのはもちろん麗しの兄だ。

 兄の登場で楓は固まってしまった。


「なんでここに楓が?」

「あ、あの、ボクは……」


 どうしたらいいのか分からないようで挙動不審になる楓。

 そんな楓を見て、兄は顔を顰めながらこちらにやって来る。

 昨日も楓と何かあったのか聞かれたし、あまり心配をかけたくない。


「楓は僕を迎えに来てくれたんだよ。じゃあ、行くぞ」

「え? 央、待っ……」

「大丈夫だって、先行くから! んじゃ、いってきまーす」


 兄はまだ心配そうな顔をしていたが、楓の肩を叩いて出発するよう促した。


「え? あ、ちょっと待って。真先輩、失礼します!」


 兄に挨拶をして楓も後を追いかけてきた。

 隣に並んで歩き出した楓の顔を見ると、何故か少し微笑んでいた。


「何ニヤニヤしてんだよ」

「別に」


 よく分からないが、機嫌は良さそうだ。

 失恋の件は乗り越えることが出来たのだろうか。


 何にしろ、もう楓とトゲトゲすることはないような気がした。

 少しは打ち解けることが出来たようだ。

 自然と僕も、明るい気持ちになっていく。


「しっかし、兄ちゃんと僕とで態度が違い過ぎない? なんだよ、あの『あ、あの』とかいうもじもじは」

「もじもじなんかしてないし!」

「してたね。トイレ行きたいのかな、ってくらいにしてたね!」

「変なこと言うなよ!」


 ぎゃあぎゃあ言い合っていると、兄を迎えに来た春兄とすれ違った。

 こっちを怪訝な顔で見ていたので、春兄も心配してくれたのかもしれない。

 「大丈夫だよ!」という意味を込めて、笑顔で手を振っておいた。


「っていうか、折角ホットを買ったんだから早く飲みなよ!」

「いや、カフェオレは今飲んできたからいいよ」

「ええ? じゃあ、これ食べなよ!」


 何故か半ギレぎみに差し出されたのは、手作りっぽい焼き菓子だった。

 美味しそうだったので手にとって見る。

 いい匂いがしてついつい食べてしまった。


「美味い! なんだこれ、柔らかいクッキー?」

「フィナンシェ! ふふん、美味いだろ。結構上手に出来たんだから」

「ふうん。って、作ったのお前かよ! 乙女か! 美味すぎて引くわ!」

「な! 人が頑張って作ったのに!」







 『賑やか』というより、騒々しい声をあげながら歩く二人の一年生。

 その後ろを、二人の三年生が距離をあけて歩いていた。

 前の二人は騒いでいて、後ろの二人が見ていることには気づいていない。


「……大丈夫かな」

「まあ、大丈夫だろう。楓も悪い奴じゃない。お前にフラれたからって、央に害を及ぼすようなことはしないさ。ああやって突っかかっていくくらいさ」

「いや、そういうことじゃないんだ。そういう心配はしていない。あれだって、突っかかってというよりは、じゃれているようなものだろう。それよりも……」


 憂いに満ちた溜息をつき、もう一度前の二人に視線を向けた。

 もう一人もそれに合わせて同じように視線を移した。

 そして、金色の髪を揺らす少年の微笑む横顔を見て納得した。


「ああー……そういうことか。『そっち』か」

「うん。央は……本人は気がついていないけど、本当はオレなんかより人を惹きつけるものを持っているから。……どうなることやら」

「まあ、俺はライバルが減っていいけどな」

「春樹、お前なあ。……はあ」


 世界は廻る。

 始まりがあれば終わりがあり、終わりは始まりでもある。

 気づかぬうちにも物語は始まり、進むのだ。


 『主人公』と呼ばれていた者が、『前主人公』となっていることに気がつくものはいない。

 新たな『主人公』が生まれていることにも……。


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