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BLゲームの主人公の弟であることに気がつきました(連載版)  作者: 花果 唯
IF ありえた未来2

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会長END②

 太陽が高く上り日差しが燦々と照りつける中、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 教壇に立っていた先生がチョークを置き、次回の内容を軽く告げて教室を出て行った。

 これで午前の授業が終わり、昼食の時間が始まるわけである。


「よーし、飯だあ」


 以前は男友達数人とわいわい騒ぎながら食べていたのだが、最近は楓とホールで食べている。

 今日もその流れになるだろうと思いながら机の上を片付けていると、担任に職員室に来るよう声を掛けられた。


「ちょっと職員室に寄ってから行く」

「じゃあ先にホールに行って席取っとく」

「おう、頼む」


 腹が減ったし、さっさと用事を済ませて合流しよう。


 廊下をこっそり小走りしながら進み、ササッと職員室での用事を済ませホールを目指している途中、真っ赤な髪が前を横切った。

 この条件反射で逃げたくなる衝動は……。

 実際に僕の足は一歩下がっている。


「うわあ……会長だあ」

「お前か。なんだそのリアクションは、子分のくせにナメた態度だな?」


 いつも通りの二ヤリと笑う恐ろしい笑みを向けられて悲鳴を上げそうになったが、案外会長は機嫌が良さそうな様子だ。


 昨日は会長の肩を枕にして寝てしまい、目覚めるとすぐ近くに会長の顔があって心臓が止まるかと思った。

 危険を感じて思わずダッシュで逃げたが……怒っていないようで良かった。


「お昼は外なんですか?」

「ああ」

「お一人ですか? 寂しいですね!」

「ああ!? 誰が寂しいだ!? 騒がしいのが嫌いなだけだ!」


 壁を作られるというコンプレックスを刺激されたのだろうか。

 機嫌良さそうな状態から一気に取り立て屋のチンピラに早変わりだ。


「たまにはホールとか行ってみればどうですか?」

「あんなところで食ってられるか。煩い上にジロジロ見やがって。鬱陶しいことこの上無い」


 確かに、会長がホールで食べてたら遠巻きで女子がキャーキャー騒ぎながらガン見するだろう。

 所詮会長もモテるイケメンか……俺様BLじゃなかったら、僕は爆発して欲しいと願っていたに違いない。


「いつも一人なんですか?」

「……以前は真と食うこともあったがな」

「……!」


 ごめんなさい……兄は今頃、春兄にお手製の弁当を食べさせています……。

 朝も楽しそうに唐揚げを揚げていました。

 冷凍じゃなく朝から油で揚げるという辺りに僕は愛を感じて心の中で拍手を送ってきましたから、ええ。


 せつない……会長、強く生きてください!


「今日はホールに行く約束したんで、明日一緒に食べませんか?」

「お前と?」

「駄目ですか?」

「別に構わないが……。明日か、分かった。どうしてもと言うのなら付き合ってやろう」

「いや……どうしても、というわけではないですけど……」

「仕方無い、子分の頼みなら聞いてやらないとな。はっはっは!」


 会長にニヒルな笑みが戻ってきた。

 見慣れた馬鹿高笑いを浮かべながら去っていた。

 兄の代わりにはなれないけど、お昼ご飯の話し相手くらいなら出来ると思って誘ったのだが……ちょっと後悔した。




※※※




 翌日の昼休憩。

 楓がついてくると駄々をこねたが、連れて行くと会長がどんな反応をするのか分からないので説得して置いてきた。

 そういえば楓と会長は兄を取り合うライバルだったわけだが、お互いにその認識はあるのだろうか。

 認識があったら更にややこしいな。

 置いてきて正解だったな。


「来たか」


 門のところで待っていろと言われたので急いで向かったが、会長は既に待っていた。

 楓の説得に思いの外時間が掛かってしまったようだ。

 会長を遠巻きに見ている女子生徒の塊がそこかしこに出来ている。

 なんかこの状況で合流するの嫌だな……。


「遅れてすいません!」

「俺を待たせるとは、良い度胸をしている」


 台詞は恐ろしいものだったが表情は柔らかだ。

 蹴りでも貰いそうだと思っていたのに……意外だ。


「時間が惜しい。行くぞ」

「はい!」


 ブレザーを肩に掛けたまま、会長は颯爽と歩き出した。

 その後を僕は急いで追いかけた。

 完全に親分と子分の図だな……。


 学校前の大通りから離れ、細い路地裏を進んでいく。

 生徒がよく行く飲食店は全て大通り沿いだ。

 こういうところに来たことはない。

 穴場の店でもあるのだろうか。

 煩く質問しても怒られそうなので、黙って会長の後に続いた。


 すると会長が一件の小さな店の前で止まった。

 木の格子がついた、和風の落ち着いた佇まいだ。

 看板には『きこり』と書いてある。

 店の名前のようだが……小料理屋だろうか。

 扉には『準備中』の札がかかってある。


「ここですか? 準備中って書いてますけど……」


 僕が質問している途中だったが、会長は準備中と書かれた札がついた扉を躊躇無く開け、店の中に入っていった。

 勝手に入っていいのだろうか?

 少しドキドキしながら会長を追いかけ、店の中に入った。


 店の中も綺麗で『大人』な雰囲気がした。

 こんなところに制服を着た高校生は場違いだ。

 居辛くてそわそわしてしまう。


「あら、お友達?」


 先に入った会長の方を見ると、誰かと話していた。

 それは小豆色の着物姿の女性でこちらを見ていた。

 お店の人だろうか。

 二十代後半……三十歳前後に見える上品そうな和風美人だ。

 和風美人は僕を見つけると驚いた様子だったが、すぐににっこりと微笑んだ。


「夏希ちゃんがお友達を連れてくるなんて初めてねえ!」

「夏希ちゃん!?」


 和風美人は誰なのか、会長とは人には言えない関係かもしれないと邪推しそうになっていたのだが、頭を殴られたような衝撃で全て吹っ飛んでいった。

 夏希ちゃんって!

 『ちゃん』!?

 誰だよそれ!?


「な……夏希ちゃん……いったあああぁ!?」


 夏希ちゃんショックで呆然としていると、耳を引っ張られ連行された。

 奥に座敷があったのだが、どうやらそこに向かっているらしい。

 手を離せ、耳が千切れる!

 その様子を和風美人は楽しそうに見守っていた。

 いや……貴方誰ですか……。


 何の説明も無いまま座敷に上がれと言われ、大人しく従った。

 置かれていたテーブルを挟み、会長がドカッと腰を下ろした。


「痛いなあ、もう……耳、あります? 耳無し央になってません?」

「馬鹿か。引っ張ったくらいで取れるわけねえだろ」

「会長の馬鹿力なら千切れる可能性もあります!」


 会長に抗議していると、お盆に急須と湯飲みを乗せた和風美人がくすくすと笑いながら現れた。


「随分賑やかね」

「あ、すいません。煩くして……」


 騒ぎ過ぎただろうか。

 そもそも開店していない店に入ってきて良かったのだろうか。


「ああ、いいのよ。悪い意味で言ったんじゃないの。夏希ちゃんが楽しそうで嬉しくなっちゃったの」

「そ、そうなんですか……」


 一度聞いていたけれど、やっぱり『夏希ちゃん』という響きの破壊力は恐ろしい。

 本人と呼び方の不適合感が半端なくてアレルギー反応を起こしそうだ。


「あの……どういうご関係で?」


 親しいようだし、聞いてもいいか躊躇うが……気になる!

 恐る恐る聞いてみた。


「ここの女将で、叔母だ」

「叔母!?」

「希里子といいます。お店の名前は私の名前をもじって『きこり』なの」


 軽く自分も自己紹介しつつ、希里子さんの方に目を向けた。

 高校生に叔母と呼ばれる歳には見えないが……。

 女将という感じもしない。

 実は付き合ってるんだ、とか言われた方がしっくりきそうだ。


「そんなに吃驚しちゃう?」

「はい。会長の恋人かと思いました」

「はあ!? そんなわけないだろ!」


 兄への想いを知っているのに、馬鹿なことを言うなと会長の目が怒っている。

 確かにそうだけど、二人の外見がそういう印象を持たせたのだから仕方無い。


「まあ! 高校生と付き合ってるように見えただなんて、私もまだまだいけるわね!」


 美男美女の家系なのだろうか。

 流石に歳は聞けないが、綺麗なお姉さんだ。


「会長はよくここに来るんですか?」

「ほとんど毎日よ。まあ、残り物を処理してくれるから助かるんだけどね。捨てるのは勿体無いし」

「残り物?」


 ここはやはり小料理屋で、前日の残り物などを会長が食べていくらしい。

 だからお代もいらないとか。

 会長が『残り物』を食べているなんて吃驚だが、この佇まいから察するに残り物でも上品で美味しい物なのだろう。


「静かで寛げる。おまけに学校から近い。ここ以上に良いところはない」

「『叔母さんに会いたいから』くらい言えるようになって欲しいわね。じゃあ適当に持ってくるから、好きなのを食べて頂戴ね」


 そう言って希里子さんは奥へ姿を消した。

 会長と雑談してると、大きなお盆を持って再び希里子さんが現れた。

 お盆の上には沢山のお皿が乗っていた。

 次々とテーブルに並べられていくのを呆然と見守っていたが、これは……。


「残り物ってレベルじゃ……」

「央君が来てくれたから、ちょっと張り切っちゃった」


 鰹やイカの刺身、鮪の角煮などの魚類に、ステーキや牛すじ煮込み、焼き鳥などの肉類、その上蒸し鶏のサラダやトマトなどの野菜もあればおにぎりや炊き込みご飯などご飯物もある。

 更に絶対残り物じゃない天ぷらなどの揚げ物もある。

 四人くらい座れそうなテーブルの上が料理で埋め尽くされた。


「豪華すぎる……」

「そうかしら? ひとつひとつの量は少ないから、男の子ならこれくらい食べれるでしょ! じゃあ私は営業の準備してくるから、席を外すわね」


 そう言い残し、希里子さんは笑顔で去っていた。


「じゃあ、食うか」

「本当に頂いていいんですか?」


 会長は何気ない様子で箸をとったが、高校生の昼食にしては豪華過ぎるし品数も多い。

 お代はいいと言っていたが、それじゃ申し訳ない。

 それを言うと、会長は鼻で笑いながら食べ始めた。


「代金はいいって言っただろ。料理はあの人の趣味だし、本人がいいって言ってんだから遠慮するな。悪いと思うんなら残さず食え」


 そう言われても、やっぱり申し訳ないというか心苦しいというか……。

 躊躇っていると会長から視線の圧力がかかった。

 折角出してくれたんだし、確かに残した方が失礼か。


「……分かりました」


 会長がガツガツと食べ始めたので、僕も遠慮せずご馳走になることにした。

 とりあえず、目の前にあったおにぎりに手を伸ばした。

 

「美味い……」


 鰹節を混ぜて海苔を巻いただけのシンプルなものだと思ったのだが、ほのかにごま油の香りがして予想以上に美味しくて吃驚した。

 おにぎりってこんなに美味しくなるの!?


「だろ?」


 身内を褒められたから、会長は得意げに微笑んだ。


「ここは静かでいい。居心地も良いし飯も美味い」

「そうですね。こんなところ知ってるなんてずるいですよ」

「気に入ったなら……たまに付き合え」

「邪魔になりません?」

「邪魔なら最初から連れて来ない」

「そうですか」


 こんな穴場を教えて貰えるなんて、僕って案外会長に気に入られているのだろうか。

 迷惑なこともあるけど、ちょっと嬉しいな。


「兄ちゃんも来たことあるんですか?」

「ない。真は弁当を持っていたからな」

「ああ、そっか。……そういえば『友達を連れてきたのは初めて』って希里子さんも言ってましたね」


 兄ちゃんが来たら喜びそうなんだけどなあ。

 希里子さんと料理トークを始めてしまうかもしれない。


 美味い美味いと連呼しながら会長と二人で取り憑かれたように箸を進め、気が付けばテーブルの上に乗ったお皿は空になっていた。

 夢中で食べてしまった、お腹がいっぱいだ。

 苦しい……幸せだ!

 会長もお腹がいっぱいになったようで、お茶を飲み干すと畳の上に転がった。


「あー食った! 俺は仮眠する。十分経ったら起こせ」


 食べた後にすぐ寝るなんて豚になるぞ。

 腹が出た会長なんて見たくないが、止める間もなく会長は目を閉じて眠り始めた。

 フリーダムだな……。


 食べた食器を下げようと纏めていると、希里子さんが顔を覗かせた。


「あら、お友達を放って置いて寝ちゃった? ああ、食器は置いておいてね」

「美味しかったです。ご馳走様でした」

「お粗末様です。嬉しいわ、綺麗に食べてくれて。お茶、入れ直すわね」


 片付けを手伝い、テーブルを拭いてからのんびりしていると、希里子さんが新しいお茶を持ってきてくれた。

 至れり尽くせりである。

 お礼を言って受け取ると、お盆を持ったまま眠っている会長に目をやり、希里子さんが呟いた。


「良かったわ、夏希ちゃんにこんな可愛らしいお友達が出来て」


 母親のような優しい顔で会長を見ている。

 何か心配していることでもあったのだろうか。

 疑問を持った僕の視線に気が付き、少し困ったような表情で口を開いた。


「私の姉……この子の母親は出来る人なんだけどね。人は『使うモノ』で友達なんてものは必要ない! って感じの人なのよ。夏希ちゃんは姉の期待に応える子に育ったけど……つい口を挟みたくなっちゃう時があるのよねえ」


 ……なんか分かる気がする。

 きっとそういうところが会長のコンプレックスに繋がっているんじゃないかな、と思った。


「夏希ちゃんのお友達でいてあげてね。それに案外さみしがり屋さんだから、また一緒に来てやって」

「はい」


 よっぽど圧力を受けたり、脅迫されたりしないかぎり友達……というか子分でいようと思う。

 ここにもまた来たい。


 それより……。


「夏希ちゃんはさみしがり屋さん……痛っ!?」


 耳を疑うような言葉を復唱していると座布団が飛んできた。

 なんだ……起きてるじゃ無いか。

 まだ眠ったふりを続ける気のようで動かないが……。


「照れてるわ」

「えっ!」

「……」


 希里子さんには反抗しないようだ。

 照れてるのか……。

 今日は凄く貴重な体験をした気がする。




※※※




 いつも空気が篭っていて閉鎖的な放課後の生徒会室。

 会長に小料理屋きこりに連れて行って貰うようになり、放課後はここで過ごすことが多くなった。


 コの字型のテーブルのセンターに鎮座するのは会長、僕はその隣でスマホのゲームをしている。

 謎を解いて脱出していくゲームだ。

 駄目だ、あと三分で鍵を見つけないと死ぬ!

 奴が来る……僕の手は震え始めた。


「……おい。人の話を聞いているのか? さっきから画面ばかり見やがって」

「聞いてます……あ、ちょっと、間違えたじゃないですか! 話し掛けないでくださいよ!」

「……」


 パニックになってきた。

 もう勘に頼ろう!

 適当にタップする作戦を決行しようとしたその時、僕の手からスマホが消えた。

 何が起こった!?

 慌てて探すと会長が僕のスマホを手に、顔を顰めていた。


「何するんですか! あと二分で死んじゃうじゃないですか! 早く鍵を見つけなきゃニコニコ兎に殺される!」

「ニコニコ兎?」

「すっごいニコニコした着ぐるみの兎が鋭い人参で何度も何度も刺しにくるんですよ! 超怖いんですから!」

「なんだそれは……お、扉が開いたようだぞ? 鈴の音?」

「ぎゃああああ奴が来たああああ! 見せないで、僕に見せないで!」


 もう駄目だ!

 奴が来た!

 僕はいつもここでギブアップする。

 音を消し、奴が去って行くのを待ってから目を開けるのだ。


――ギャアアアア!!

――ザシュ――ザシュ――ザシュ――ザシュ


「音消せえええ!!」


 耳を手で塞ぎ、聞こえないようにしたが会長は微動だにせず見ている。

 あ、段々顔が険しくなってきた……。


 最初にアレを見た日の夜、僕は悪夢を見た。

 奴に追いかけられ、最後は刺されて絶命した。

 それからトラウマだ。


「……狂気を感じる」


 ニコニコ兎の凶行の一部始終を見守った会長が、スマホから視線を外しながら呟いた。


「ええ……まともな奴が作ったとは思えませんよ……」


 一応R15で、際どいシーンは画面が血しぶきで真っ赤に染まって見えなくなっているような演出になっているのだが、音や演出で想像させられ恐怖心を煽られるのだ。


「来た時から血まみれで、手にした人参から血が滴っていたが……」

「何人も殺ってるんですよ、あいつは……あの笑顔は常に返り血を浴びていて、乾くことはないんですよ……」

「何でお前はこんなものを夢中でやっているんだ!」

「謎解きは面白いんですよ!」


 会長が僕のスマホを投げつけて返してきた。

 壊れるじゃ無いかと抗議しようとしたその瞬間……遠くから何かの音が微かに聞こえてきた。


「会長……何か聞こえませんか?」

「廊下からか?」


 二人で耳を澄ます。

 会長の言う通り廊下から聞こえる。

 誰かがこちらに向かってきている足音に混じってシャンシャンと何かが鳴っている。


「……鈴の音、か?」

「!!」


 会長が顔を顰めて呟いた。

 その瞬間二人で顔を見合わせた。

 近寄る鈴の音、それはまるで今見ていた、奴の……。


 そんなまさか……そう思いながらも思わず会長の後ろに隠れた。

 いざとなったらこいつを盾にして……!

 大丈夫、熊でも倒せそうだから兎なんてチョロイはず!

 そう期待して会長の顔を見たのだが、会長も固まっていた。

 まさか……会長まで怖いとかやめて!

 そんなことをやっているうちに、足音と鈴の音は生徒会室の前まで来て……止まった。


「か、会長……!」


 奴だったらぶっ飛ばしてくださいね! と心の中で頼みつつ扉を見つめた。

 思っていた通り、扉はゆっくり開いて…………とうとう鈴の音が室内に…………。

 ギャアアアッ!!


「…………くっついて何やってんだ?」


 入ってきたのは真っ赤な返り血を浴びたあいつではなく、青い髪の氷使いでした。


「……」

「夏緋先輩……」

「? ……って痛っ!? 何だよ兄貴!!」

「うるせえ! 紛らわしい登場の仕方しやがって! 何で鈴の音がするんだ! ぶっ殺すぞ!」


 僕が脱力していると、会長が机の上にあったペンケースを全力で夏緋先輩目がけてぶん投げた。


「鈴? ああ、預かってる鍵に鈴がついるけど、それがどうかしたのか?」

「いいからそれを拾え!」


 ぶつけられた夏緋先輩が怒鳴られ、ペンケースから散らばったペンを渋々拾っている。

 理不尽……なんという兄の横暴……。

 でも会長の気持ちも理解出来る、今でも心臓がドキドキしている。

 リアルニコニコ兎かと思った……怖かった……。


「お前、妙に兄貴に懐いてないか?」

「はい?」


 夏緋先輩がペンを拾いながら、訝しむような視線を寄越してきた。

 そういえば盾にしようと思って、会長の背後に隠れたままだった。

 慌てて離れ、自分の定位置にしている椅子に座った。


「そんなことないです。今のは危険を回避してただけです」

「今だけに関わらず、いつもここに来てるじゃないか」


 確かに放課後はここに来ることは多くなったがそれは招集がかかっているからで、無視すると放送で呼ばれるからだ。


「それは……会長が呼ぶから!」

「当然だ。真の情報を聞き出さなきゃ……」


 話している途中に会長が止まった。

 何か思い出したのだろうか、言いかけた状態で固まっている。


「兄貴?」

「会長? おーい」


 どうしたのだ、まさかニコニコ兎が会長の精神を崩壊させたとか!?

 ……そんなわけないか。

 しかし、本当にどうしたのだろう。

 何か言いかけてたけど……兄の情報についてか?

 あ、でも……。


「そういえば、兄ちゃんの話を最近していませんね?」


 最初の方は兄ちゃんの好きな物とか、春兄とはどんな感じだとか、協力しろとか話していたが最近では雑談が多い感じだ。

 希里子さんの料理のどれが美味しいとか、今度の学校行事についてとか……。


「そうなのか? ……諦めたのか?」

「ええ!?」


 兄達を妨害しないのならそれは良いことだが、それはそれで寂しい。

 会長の方に目を向けると、硬直は解けたようでちらりとこちらに目を向けた。


「……そんなわけないだろ」


 そう零すと、再び遠い目をして動かなくなった。

 何か考え込んでいる様子だけど、どうしたのだろう。

 やっぱりニコニコ兎でトラウマが出来たのだろうか。




※※※




 会長が何か考え込んで停止してつまらなくなったし、ニコニコ兎のせいで遅い時間に帰るのも怖いので真っ直ぐ家に帰宅した。

 精神的に疲労が溜まったのか、身体が重い上強い眠気に襲われていた。


 リビングに直行し、ソファに雪崩れ込む。

 部屋に行くのも億劫だからこのまま一眠りしてしまおう。

 制服を着替えていないからまた兄に叱られることになるだろう。

 そんなことを考えながら意識はゆっくりと沈んでいった。






(ん? 冷たい……)


 頭がぼうっとしている。

 ……夢を見ていた。


 子供の頃、風邪で熱を出したときの夢だ。

 今は主婦レベルMAXの兄が砂糖と塩を間違えるというベタな初歩ミスをした可愛らしい思い出。

 和みながら微睡んでいたが、冷やりとした感触を額に感じて目が覚めた。

 誰かが夢の中の兄と同じように僕の顔を覗き込み、額に手を当てていた。


「兄ちゃん…?」

「悪い、起こしてしまったか」


 目を開けるとそこには、蒼い瞳の凛々しくて端正な顔があった。

 兄ではなくダーリンの方だった。

 毎日来ているのだから、当然今日もお勤めのように来ていたのだろう。

 だが兄の姿が見当たらない。


「あれ、兄ちゃんは?」

「近所の主婦の方々に捕まってな。俺は先に逃げて来た」


 なるほど、さすが兄ちゃん。

 兄は主婦の方々にも大人気だ。

 近所のお母様方は家事をしている兄をよく目にかけてくれている。

 僕の方はと言うと、お兄ちゃんのお手伝いをしなさいと良く叱られる。


「お前、ちょっと熱くないか? 熱があるだろ」

「え、そう?」


 それでさっき、おでこをペタペタ触ってたのか。

 確かに意識がぼんやりとしている。

 寝起きのせいかと思ってたが、どうやら違うようだ。


「風邪でもひいたんじゃないのか?」


 今度は手ではなく、春兄の頭が近づいてきた。

 何をする気だと驚いているうちに、春兄の額が僕の額に当てられた。

 これは……、おでこtoおでこだ。

 顔が近くて戸惑ってしまう。

 こういうことは兄にだけやって欲しいものだ。


 照れてしまっているのか熱のせいかは分からないが、凄く顔が熱い。

 顔が熱を持っているのが分かる。

 関節が痛いし、涙腺が緩んでいる気もする。

 起き上がりたいのに力が入らない。


「春兄、引っ張って起こしてー」

「ったく、ガキか」


 春兄のバスケで鍛えられた逞しい腕に引っ張られて、勢い起き上がった。

 腕が抜けそうだ。

 痛い、凄く痛い。

 涙腺が緩んでいるのに痛みで更に泣きそうだ。

 もう少し加減というものをしてくれないと!


「う、痛っ……」


 抗議の視線を向けると目が合った。

 すると一瞬目を見開いて固まったがすぐに逸らされてしまった。


「痛いんですけど」

「だったら自分で起きろ。もういいから……部屋で寝ろ」

「そうする」


 もうすぐ兄も来るだろう。

 二人の時間の邪魔をするのも悪いし、自分もゆっくり眠りたい。

 大人しく部屋で寝ることにし、重い体を起こしてとぼとぼ歩き出した。


「……危ねえ。あの顔は反則だろ」

「うん?」

「なんでもない」


 何かブツブツと呟いている春兄に声を掛けるのも面倒なくらい身体が怠い。


「あ、そうだ」

「?」


 何か思い出したようで、春兄に引き留められた。

 何だというのだ、振り向くのも辛いのだが。


「お前、最近青桐と関わってないか?」

「誰それ」

「青桐夏希だ、生徒会長の」

「ああ、夏希ちゃん」

「夏希ちゃん!?」


 驚き過ぎたのか、あまり見ない崩れた表情をしている。

 だよね、『夏希ちゃん』の破壊力って半端ないよね。

 顔を引きつらせていた春兄だが、少しすると真面目な表情に戻った。


「あいつにはあんまり関わるなよ」

「なんで?」

「いいか、関わるな」

「会長は結構良い人だよ?」


 春兄にとってはライバルだから『敵』だろうけど、僕は会長の良いところを知っている。

 兄への想いは本物だったし、暴力的だけど一緒に居ても結構楽しい。


「良い人? お前、頭は大丈夫か?」

「そんなに嫌わなくても、ちょっと話してみれば……」

「もういい、早く行け!」

「何故キレたし……理不尽……」


 春兄に叱られつつ、リビングを出た。

 途中、玄関に野菜が置いてあるのが見えたが兄の姿はなかった。

 帰ってきているはずなのだが、トイレにでも行ってるのかな。

 亡者のような動きでなんとか自分の部屋に到着。

 そのままベッドに倒れこんだ。




※※※




 目を覚ますと窓の向こうの景色は暗闇に染まっていた。

 時計を見ると、春兄と話した頃から四時間程経っていた。


 熱が上がってきたようでさっきよりも一層関節が痛いし、寒気がする。

 本格的に風邪をひいてしまったようだ。

 項垂れていると部屋のドアが開き、ひょこっと兄が顔を見せた。

 やめて、なんか可愛い。

 体調が悪いのによからぬ妄想に走ってしまいそうになるじゃないか。


「起きたみたいだね。風邪、大丈夫?」

「大丈夫……じゃないかも」


 素直に堪えると、兄が困ったように微笑んだ。


「そうみたいだな。熱、測ってみようか」


 そう言うと兄はドアから姿を消したが、体温計を手にしてすぐに戻ってきた。

 早速測る。

 すぐに体温計はピピッと計測完了を告げた。

 自分では見ず、そのまま兄に渡した。


「わあ……三十八度超えてる。明日は休んで病院だな」

「はーい」

「じゃあ、お粥作ってくるから」

「お腹減ってない」

「無理はしなくていいけど、少しくらいは食べなきゃ。薬を飲む前に何か入れておいた方がいいよ」

「んじゃ、鮭のがいい」

「残念ながら鮭はないな。卵で我慢して」


 デジャヴだ。

 さっき見た夢を思い出していた。

 お互い大きくなったが、同じシチュエーションじゃないか。


「……砂糖と塩、間違えないでね」


 そういうと兄はきょとんとした顔をしたが、少しすると思い出したようで表情を明るくした。


「あー……そんなことがあったなあ。覚えてたんだ?」

「さっき夢で見て、思い出した」

「へえ。懐かしいなあ」


 そう言って僕のおでこに手を置いた。

 冷たくて気持ちいし、やっぱり春兄より兄の手の方が落ち着く。


「そういえば、春兄は?」


 この時間だと帰っていることも多いが、稀に遅くまでいることもある。

 今日はどうなのだろう。

 答えを求めて兄の方に目を向けると、黙ったまま止まっていた。

 どうしたのだろう。

 思わず小首を傾げてしまった。

 すると僕が小首を傾げた意味が分かったのか、兄はボソッと一言口を開いた。


「……帰ったよ」

「そっか」

「春樹が気になる?」

「うん? まだいるのかなって思っただけ」

「そうか」


 返事をして兄は部屋を出て行った。

 さっきの一瞬の間がなんだったのか気になったが、お粥を作ってきてくれた兄の様子はいつも通りだった。

 お粥も砂糖と塩を間違える、なんてことはもうあるはずが無く、いつも通り美味しかった。






 ***






 朝起きると熱は少し下がっていたが、学校は休んで病院に行くことにした。

 家から一番近くにある総合病院で診てもらい、受けた診断は『風邪』だった。

 『薬飲んでゆっくり休んでください。はい、次ー』という、雑な扱いを受けるくらい普通の風邪だった。

 隣接している薬局に処方箋を出して薬を貰い、帰宅。

 兄が用意してくれていた昼食を食べて薬を飲み、一眠りすることにした。


 暫く気持ちよく眠っていたが、スマホの着信音で目が覚めた。

 通知に表示されている名前は春兄だった。


『風邪、大丈夫か?』

「うん、平気」

『様子を見に行きたかったんだけどさ、真に止められてさ。寝かせておくから邪魔するなって』


 体調も大分良くなってきたし、退屈だったから来てくれても良かったのに。

 というか僕を気にせず兄の部屋でイチャイチャすればいいのに。


『なあ、話は変わるが……真の機嫌が悪いんだけどなんか知らないか?』

「え?」


 驚いた。

 兄の機嫌が悪い姿なんて、滅多に見られないレアなものだ。

 何時も穏やかに笑っていてる兄。

 怒る時は必ず真っ当な理由がある時だけだ。

 僕に心当たりは無い。 

 朝も普通だったし、昼食を作ってくれていたしそんな様子は見当たらなかったが。


「僕は心当たりないけど。春兄、何か兄ちゃんを怒らせるようなことしたんじゃない?」


 例えば無理なプレイを強いたとか。

 僕にはそれしか思い浮かばない。


『俺も心当たりがないんだけどなあ』


 やっぱり僕はアッチ方面の問題だと思う。

 言えないけどね!


「ストレートに聞いてみれば?」

『聞いたけど、流されて終わりだ』

「じゃあ、本当に何も無いんじゃない?」

『いや、多分何かはある』

「そう?」


 お兄ちゃんっ子としては兄についてのことは負けたくないが、旦那様が言うのならそうなのだろう。

 でも、本当に心当たりが全く無い。


「じゃあ、原因が分からないから、機嫌が良くなるように何かしたら?」

『そうか。そういう手段もあるか。真の機嫌が良くなることか……。何だと思う?』


 愛を囁いてやればいいんじゃないか。

 もしくはプレゼント。

 あそこを労って、円座クッションでも買ってやればいいのだ。

 ……なんてことも言えないが!


「春兄が自分で考えなよ」

『冷たいな。助けてくれよ』

「知らない。僕、病人だし。おやすみー」

『おい、待て!』


 僕に甘えられても困る。

 甘える先を間違っているぞ。


「まあ、兄ちゃんの様子がおかしいか、よく見ておくよ」

『ああ、頼む。何か分かったら、教えてくれ』

「了解しました」

『ああ、あとやっぱり青桐には近づくなよ。今日はあの馬鹿にも釘をさしておいたが』

「へ?」

『あいつが関わると碌なことが無い。気をつけろよ』


 まだ大人しく寝ているように注意を受けた後、電話は終わった。

 詳しく聞く前に切られてしまった。

 釘をさしたって何だろう。

 会長に何か言ったのだろうか……。


 喉の渇きを感じ、一階のリビングに下りた。

 お茶を飲みつつスマホをチェックしてみると、楓と雛、柊からも風邪を心配するメッセージが届いていた。

 看病しに来ると連絡があったが、のんびりしたかったので全部断った。

 暇だがこの面子が来ると絶対疲れる。

 そんなことをやっていると、いつの間にか時間が経っていたようで兄が帰宅した。


「おかえり」

「ただいま、起きてていいのか?」

「大丈夫」


 春兄が言っていたことを思い出し兄の様子を観察してみたが、特に気になるようなところはない。

 やっぱり勘違いじゃないだろうか。

 気にせずどんどん強引にでもイチャイチャすればいいのだ。

 そうすればきっと春兄の疑念も払拭されるだろう。

 

「春兄来ても大丈夫だったのに」


 そう言うと、自分の部屋に行こうとしていた兄の足が止まった。

 リビングを出て行こうとしていて、こちらに背を向けているから顔は見えない。


「どうして?」

「さっき、電話くれた」

「そう。来て欲しかったんだ?」

「うん、治ってきて暇だったし」


 どんどん連れてきて励めばいいよ。

 僕は自分の部屋に戻って聞き耳をたてるから。

 早くボイスレコーダーを買おう。

 バイトをしようかな。

 そんなことを考えている間に、兄の自分の部屋に行ってしまったようで姿を消していた。

 兄は暫く自分の部屋から出てこなかった。

 いつもはすぐに降りてくるし、春兄が来ているとき以外はリビングに居てリビングの主のようになっているのに。

 勉強だってリビングでするくらいなのだ。

 僕がいるから風邪がうつりたくないのだろうか。

 でも今までそんなこと気にしたこと無かったが。


 次第に眠くなったので、僕も自分の部屋に戻って一眠りしたのだった。

 



※※※




 丸一日寝て過ごし、熱は完全に下がった。

 倦怠感は少し残っているが、これくらいなら特に問題は無い。

 一応マスクだけはつけて家を出た。


 ギャーギャー賑やかに騒ぐ楓と雛を適当に宥めながら登校し、教室に向かうと廊下が妙に騒がしいことに気が付いた。

 何だ?

 落ち着かない様子でコソコソ話している女子達が視線を向けている先を見ると、そこには壁に凭れ腕を組んでいる赤髪のイケメンが立っていた。

 なるほど、騒がしいわけだ。

 というか僕の教室の前で何やってんだ。


「来たな。遅いぞ。ギリギリじゃないか」


 そんなにギリギリという程でもないのだが。

 遅いというくらいだから、長い時間待っていたのだろうか。


「少し顔を貸せ」

「HR始まっちゃいますけど」

「すぐに終わる」

「……分かりました」


 待っていたようだし、仕方無いか。

 生徒会室にまで行く時間はない、階段脇の人が通らない死角で話をすることにした。

 会長は腕を組んだままで無表情だ。

 珍しいな、いつもはニヤリと笑っているか眉間に皺を寄せて青筋を立てているかなのだが……。


「次の休日、真と出掛ける約束をした」

「え……デートの約束ってことですか!?」


 驚きの内容に、つい大きな声を出してしまった。

 誰かに聞かれていないか辺りを確認したが、大丈夫そうだ。

 

「ゆっくり話をしたくてな。学校だと時間が限られるから、休みの日にでもと誘ったら了承を得た」

「そ、そうなんですか……」


 デート、なのだろうか……。

 やばいかもしれない。

 春兄が兄に異変を感じている中での会長とのデート。

 会長の誘いを受けるなんて、兄の心境に何か変化があったのかもしれない。

 何が起こっているのか全く見当もつかないが、何かあったことは確かなのだろう。

 でも会長も、デートの約束を取り付けたにしては落ち着いている。

 どうしたのだろう。


「嬉しくないんですか?」

「嬉しいに決まってるだろ」


 そうだろうけど、そうは見えないから聞いているのだが。


「それを言いたかったんですか?」

「そうだ、と思う」

「思う?」

「お前に言わなければならないと思った」

「上手くいったぞ! って報告ですか?」

「そうだろうなあ」

「なんでそんな他人事なんですか」

「……」


 相変わらず不気味な無表情のままだし、返事もなくなった。

 無視かよ!


「……真とあの馬鹿に何かあったのか?」

「へ? さ、さあ?」

 

 『何か』と言えば何かあるかもしれない。

 会長にも感じるものがあるのだろうか。

 だったら本当に何かがあるのだろう。

 ……嫌な予感しかしないな。


「あの馬鹿……お前にも近づくなとわざわざ言いに来やがった」


 気がつけば会長は見慣れた表情に戻っていた。

 いや……違う……いつもより静かで怖い。

 それが不気味だ。

 会長の身体から出た黒いオーラが固まって影になり、暗殺とか始めそうな気配がする。

 僕は生まれたての子鹿のようにプルプルと震えるしか無い。

 怖すぎる!

 何やってるんだ春兄、余計なことしないで!


 怯えているとHR開始のチャイムが鳴り、僕の子鹿タイムは終わった。

 黒い影を纏ったまま魔王は去って行った。

 助かった……。


 それにしても、兄と会長がデートかあ……。




※※※




『央。やっぱり、真が俺に冷たい……』


 いつもより数段トーンの低い声。

 家に帰ってゴロゴロしていると、分かりやすく落ち込んでいる春兄からの電話が入った。


『家に行かせてくれない。央、本当に心当たりはないか?』

「ええ!?」


 寝転がっていたのだが、思わず飛び起きてしまった。

 なんだって……大事件じゃないか!

 兄の部屋に行かないということは、イコール二人が励まないということだ。

 僕の大事な栄養源が、主食の米よりも大事な栄養源が無くなってしまう!


 確かに気になることがあった。

 会長の誘いを受けたこともおかしいし……。

 春兄はこのことを知っているのだろうか。

 聞こうか迷うが知らない可能性のほうが高そうだし、知ってしまったら大変なことになりそうで言うのが怖い。


『お前からもさりげなく聞いてくれないか?』


 果たして僕が聞いて答えてくれるのだろうか。


『頼む』


 春兄からこんなに真剣に頼まれたことは初めてだ。

 二人の幸せの為だし、協力出来ることがあるなら喜んでやろう。


「分かった。聞いてみる」

『悪いな。助かる』


 電話を切るような流れになった瞬間、大事なことを思い出した。

 これは猛抗議しなければならない。


「春兄! 会長に何言ったんだよ! すっごく怖かったんだから!」


 魔王を降臨させるなんて許せない。

 イケメンの軽い一言で、一人の平民が平和な暮らしを失うことになるのだぞ!


『はあ? 何って……怖いなら関わらなければいいだろ?』

「春兄が余計なこと言わなければ怖くないんだってば」

『だったらまた釘をさしに行こう』

「やめてよ。もう協力しないからな!」

『それは困る! ……分かった、大人しくしといてやるよ。今はな』


 安心したような春兄の声を聞いてから電話を切った。

 『今は』の部分が気になったが、とりあえず大人しくしておいてくれるなら良しとしよう。

 それにしても……。

 

「兄ちゃんになんて聞こう」


 どういう風に聞けばいいだろう。

 何気ない会話の中でさりげなく聞くことが出来たら一番いいのだろうけど、僕にそんな器用なことが出来るとは思えないし、考えてタイミングを計っているうちに何か言いたいことがあるのだろうと勘付かれそうだ。

 結局、何も考えずに素直に聞くのが一番かもしれない。

 そう思い、心の準備をした。


 日が落ち始め、外が暗くなってきた。

 お腹の空き具合もそろそろ夕飯時であることを訴えている。

 兄が帰ってくる頃じゃないかと思っていると玄関のドアが開く音がした。


「ただいま」


 ちょうど兄が帰ってきたようだ。

 夕飯材料を買ってきたようで、大きな荷物を肩にかけていた。

 兄の顔をこっそり覗き見たが、いつも通りの麗しさで特に影も無く機嫌が悪そうには見えない。

 やっぱり春兄の勘違いじゃないだろうか。

 兎に角、一度確認してみよう。

 台所のテーブルに荷物を置き、冷蔵庫に食材を片付けている兄に話かけた。


「なあ、兄ちゃん?」

「うん?」

「なんかさ……もしかして、春兄とケンカ……とかしてる?」


 春兄の名前を出した瞬間、兄の動きが止まりった。

 顔を見ると無表情……いや、少し目つきが鋭い?

 明らかに穏やかさが抜けていた。


 その変化を目にして心臓が大きく波打った。

 まずい、これは駄目な時の顔だ。

 久しぶりに見る、絶対に茶化してはいけない時の表情だ。

 『本当だ、確かに怒ってる』と、漸く理解出来た。

 春兄の勘は正しかった。


「春樹が何か言ってた?」

「そういうわけじゃないけど……」


 滅多に怒らない兄が怒っていると分かった瞬間から動悸が止まらない。

 余計に怒らせるようなことは絶対したくない。

 話を止めたいが春兄と約束してしまったし、聞かないわけにはいかない。

 腫れ物に触るように、慎重に口を開く。


「何かあったの? 二人には仲良くしてて欲しいなあって……」


 僕の話を聞いている兄の眉間の皺が、より一層深くなっていくのが見えた。

 あー……まずい。


「央には関係無い」


 遮るように言い放たれた言葉は、凄く冷たかった。

 内容も、言い方も、何もかもが冷たかった。

 心臓がきゅっと痛くなり、頭も真っ白になりそうだ。

 でも春兄から託された使命を果たしたいし、僕だって早くいつもの二人に戻って欲しい。

 簡単に引き下がるわけにはいかない。


「……ごめん。で、でも」

「関係無いって言ってるだろ。口を挟んでこなくていい!」


 怒気を孕んだ強い口調だった。

 怯えたわけじゃないが、驚きと兄の気迫に圧されて思わず身体が強張った。

 兄が穏やかだからか普段から喧嘩は無いが、全く無いわけじゃない。

 でも今のは喧嘩じゃなくて、拒絶されたような気がした。

 僕にとって兄は兄というだけでは無く、母でもあり父でもあり、誰より大好きで尊敬する人だ。

 そんな兄に冷たくされ、高校生にもなって情けないが泣きそうになってしまった。


「ごめん、なさい……」


 肩を落として俯いてしまう。

 これ以上、この話をするのは無理だ。

 それに涙を堪えるのが難しくなってしまう。

 『部屋に戻って落ち着こう』そう考えていた時――。


「真」


 突如聞こえた声に反応して振り返ると、そこには……。

 怖い顔をして立っている春兄がいた。


「悪い。勝手に上がらせて貰った」


 僕の頭にポンと手を乗せてから通り過ぎ、兄の方に近づく春兄。

 春兄の手が優しくて嬉しかったが、それよりも空気がピリピリしていてどうしていいか分からない。


「今の言い方はないんじゃないか?」

「……勝手に入ってくるなよ」


 二人は険しい顔をして睨みあっている。

 こんな二人を見るのは初めてだ。

 どうしたらいいか分からず、オロオロと二人の顔を見ることしか出来ない。


「央は、俺やお前のことを心配して言ってくれてるんだぞ」

「お前が言わせたんじゃないのか?」


 兄は馬鹿にしたように鼻を鳴らして、春兄に背を向けた。

 ああ、兄ちゃんがこんな悪態をつくなんて……。


「何をしにきたのか知らないけど、早く帰れよ」

「お前……何にそんなに苛々してるんだよ」


 春兄の声が荒々しくなってきた。


「煩い。オレのことは放っておいてくれ。二人で仲良くやってればいい」

「はあ? 何を言っているんだ。大体最近のお前の態度は何だ。言いたいことがあるならはっきり……」

「煩いって言ってるだろ!」


 兄が声を荒げて春兄の言葉を遮った。

 僕は兄の大きな声を聞いて心臓が縮んだような感覚に陥り、思わずぎゅっと目を閉じた。

 兄と春兄、二人の間に沈黙が流れる。

 時間が止まったようだったが春兄が大きな溜息をつき、再び時は流れ出した。


「お前、ちょっと頭冷やせ。央、行くぞ。……央?」


 僕は二人のやりとりを最後まで聞かず、自分の部屋に向かっていた。

 駄目だ、辛くて聞いていられなかった。

 本当は仲の良い二人が、あんな風に睨み合ってるところは見ていられない。

 兄に拒絶されている悲しみや二人の険悪なところを見たショックで、我慢しきれないくらい悲しくなった。


 自分の部屋に入り鍵を掛け、スマホを取り出し電話を掛けた。

 掛けた先は会長。

 コール音が五回程鳴ると音が途切れ、会長に繋がった。


「会長! お願いですから、二人の邪魔をしないでください!」


 会長が話し出すのを待てず、気づけば叫んでいた。


『央?』


 困ったような会長の声が聞こえた。

 いきなりこんなことを言われても、わけが分からないと思う。

 でも、止められなかった。


「お願いですから……」


 それ以上言えず言葉が詰まった。

 駄目だ、泣きそう。


『……何かあったのか?』


 今まで聞いたことのない穏やかな声が聞こえた。

 会長が気遣ってくれたのが分かった。

 その瞬間、僕の頭は冷えた。

 ……完全な八つ当たりだ、僕は何をやっているんだろう。


「ごめんなさい、何もないです」

『……』

「八つ当たりです、すいませんでした」


 それ以上言えず、切ろうか迷っていると会長が話し始めた。


『俺が真を諦めたら、お前は楽になるのか?』

「え」

『どうなんだ』


 会長が兄を諦める?

 そんなこと起こるわけがないと思うが……。

 もしそんなことがあったら、どうなんだろう。


「それは……」

『お前は俺にどうして欲しい?』


 どうして欲しいのだろう。

 今は二人の邪魔をするなと言ってしまったが……。


「……分かりません。僕に口を挟む権利はありませんから。会長は会長の好きにしてください」

『お前はそれでいいのか?』

「はい」

『……そうか』


 そう言うと、会長が静かに電話を切った。

 通話が切れたことを知らせるツーツーという音を聞きながら溜息をついた。

 八つ当たりなんて最低だ。

 ……自己嫌悪だ。

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