最終話 白兎END①
『第十九話 最終分岐点』からの続きになります。
家に入り、リビングのソファに腰掛けた。
肘掛に肘をつき、ついていないテレビの画面を暫く眺めていた。
目の前の画面は真っ黒なままだが、頭の中には色んな場面が映し出されている。
雛や楓、夏緋先輩の顔が順番に登場している。
「……はあ」
気がつくと溜め息をついていた。
疲れる。
色んな人に好意を向けてもらい、嬉しい。
なのにどうしてこんなに苦しいのか。
それは、多分僕が『申し訳ない』と思っているからだ。
考えれば考えるほど、僕は向けてくれた好意に見合うだけの好意を返すことが出来ない。
誰に対しても、だ。
僕にはまだ恋愛は早いらしい。
『好きだ』と言える人がいないのだ。
年齢的には恋愛に興味を持ち、『愛している』とは言えなくても、感じがいいと思える人と交際というものをしてみるのも有りなのかもしれないが、僕の性格上そういうのは無理だ。
それにそんな心構えで交際を始めても、相手に失礼だと思う。
だから断るしかないのだ。
それが辛い、気が滅入る。
でも勇気をだして想いを伝えてくれたのだから、返事をするぐらいしっかりやらないと。
「よし」
顔を両手でバシッと叩き、気合を入れた。
後日、それぞれに素直な気持ちを伝えて断ったがとても辛い時間だった。
納得してくれたかどうかは分からないが、自分の意思ははっきりと伝えることが出来た。
雛や楓、夏緋先輩と今まで通りの付き合いは出来ないかもしれないが、これで良かったと思う。
※※※
楓と二人で遊びに行くことが少なくなったと感じ始めた日のこと。
授業が終り、部活に向かう体操服姿の生徒の波をよけながら一人で校門を出た。
「あきらさん!」
「?」
何処からか呼ばれた気がした。
名前を言われたし、僕のことを呼んだと思うのだが誰だろう。
周りをぐるりと見回すと……いた!
電柱の影からひょこっと顔を覗かせたのは、中々面会許可が下りない『あの子』だった。
「深雪君!」
「あきらさーん!」
目が合うと電柱の後ろから姿を現し僕に飛びついて来た。
大きく手を広げてそれを受け止めた。
感動の再会だ。
「会いたかったです!」
そう言いながらぎゅっとしがみついてくる白兎王子は相変わらず儚くも美しく可愛かった。
余りにも愛らしくて、ハグをする腕にも力が入ってしまう。
やっぱりこの子、持って帰りたい!
「弟よ! 僕も会いたかったよ! 元気だった?」
「はい! 元気でした! えっと、兄さん? あ、あき兄……って呼んでいいですかっ」
体を離した後、モジモジ照れながらそう言われ爆発しそうになった。
なんだこれ、萌え殺される!
「いいに決まってるじゃないかー!」
思わず離れていた体を捕まえ、もう一度ハグしてしまった。
頬擦りしたい、久しぶりに愛娘に会った父のような気分だ。
目に入れても痛くない!
『えへへ』と照れていた深雪君だったが、何かを思い出したようで慌てて僕の腕を掴んで歩きだした。
「ここにいたら見つかっちゃうかもしれないから、場所を変えましょう!」
よく分からないがまだ話をしたいし、時間もあるので大人しく従うことにした。
十分程歩いた先にあった遊具がブランコと滑り台しかない小さな公園で、深雪君の足は止まった。
ここなら大丈夫だと呟き、一先ず二つあったブランコにそれぞれ腰掛けて並んだ。
「すいません、こんなところまで来てもらって。学校の近くだと姉さんが通るかもしれないから……。あき兄に会いたくて門で待っていたんですけど、姉さんに見つかると怒られそうだから」
「それは……僕に会うなとか言われてるから?」
「……はい。何故か理由は分からないんですけど……」
「はは……」
僕だって理由は分からない。
でも深雪君の害になると、ばい菌だと思われていることは確かだ。
あ、泣きそう。
「姉さんは何故か会うなって言うんですけど、おれはどうしても会いたくて……!」
「深雪君!」
なんて良い子なんだ、僕も会いたかった!
何度と無く面会申請をしたのだが、全て『却下』の門前払いで返された。
漸く念願が叶った。
「話したいし、遊びたいし……。何よりお礼が言いたかったんです!」
「お礼?」
「はい! 姉さんが鍛えなくなりました!」
そういえば深雪君に頼まれて鍛えないように説得したっけ。
そうか、あれから会えていなかったのか。
「お母さんが泣いていました。『愛美が普通の苺ミルクを飲んでる!』って」
お母さん……。
そりゃ可愛い娘が戦地を潜り抜けて来た戦士のように育ったら、思うところはいっぱいあっただろう。
心中お察しします。
良かったです、お力になれて!
本当に良かった!
「ちょっとずつですけど、本来の姉さんに戻ってくれている気がします。最近はよく母さんと料理をするようになったんです。前は『焼けた肉があればそれでいい』とか言っていたのに。料理する姿を見て父さんも、新聞を読む振りして隠していたけど……泣いていました」
お父さん……!
原始人から現代人に急進化したような奇跡に熱いものが込み上げる。
僕まで泣きそうだ。
「本っ当にありがとうございました!」
「大したことはしてないけど……でも、良かった!」
ブランコエリアは魔王が倒されて平和が訪れたような祝福オーラに包まれた。
「あき兄は凄いなあ」
感動の余韻に浸りながら、深雪君が呟いた。
「僕は何もしてないけど。頑張ってんのは白兎さんだし」
「姉さんも頑張ってますけど、でも違うんです。おれは人の心を動かすことが出来るあき兄が本当に凄いと思うんです」
本当にそう思ってくれているのだろう、キラキラとした目を向けられてむず痒くなってしまった。
「そ、そうかな」
でも、白兎さんを説得出来たのは痛いところをつくような狡いやり方だった。
素直に喜べないというか、申し訳ない気分だ。
「おれもあき兄みたいになりたいな」
「お勧め出来ないかな。深雪君のままの方がいい」
深雪君は可愛くて優しくて良い子で……絶対今のままの方がいい。
それにそんなことが白兎さんの耳に入ったら僕は消されてしまいそうだ。
「どうやったらなれますか?」
深雪君は真剣なようで、真面目にどうすればいいか考えている様子だ。
「ならなくっていいって」
気持ちは嬉しいが、白兎さんは冗談抜きで嫌がるだろう。
思わず苦笑いだ。
「まず、体が丈夫じゃなきゃ駄目ですね。鍛えます。姉さんがやらなくなった分、おれがやりま……」
「絶対やめて!」
言葉の途中だったが遮るように叫んでしまった。
囚われの王子の美貌が、筋肉と言う鎧で包まれて行く様を僕は見たくない。
儚いまま、硝子細工のように繊細なままでいて欲しい!
逞しいのもいいが、深雪君には似合わない!
「でも……」
「いきなり筋肉にいくより、まず体力つけるくらいから始めようよ。ジョギングとかどう?」
「……走ったら喘息の発作が出るんです」
「じゃあ、ウォーキングは?」
「それなら……」
なんとか深雪君のマッスル化は阻止出来たようだ。
ウォーキングでムッキムキになることはないだろう。
「じゃあ、僕もたまにつきあうよ」
「本当ですか?」
「うん。一人で歩くのもつまんないだろうし」
「やったー!」
嬉しそうにはしゃぐ姿が可愛い、癒される。
一緒にウォーキングすることでたまに会えるようになるのは嬉しい……って、駄目じゃん。
「ごめん、駄目だ。白兎さんに殺される」
面会許可が下りるわけが無い。
今日だって会っていたことがバレたら、どんなお叱りを受けるか。
多分、二度と会うなと言われるだろう。
それに、白兎さんは再び鍛え始めてしまうだろう。
ご両親が涙を流して喜んだのに、それではあまりにも可哀想だ。
深雪君も僕と同じことを考えているようで、明るかった顔が一気に暗くなった。
「……なんで姉さんは駄目っていうんだろう」
「理由は分からないけど、でもきっと深雪君のためなんだと思うよ。……僕は寂しいけどね」
本当に僕の何が駄目なんだろう。
白兎さんと呼んでいるから?
桃色ツインテの子が僕のことが原因で白兎さんに嫌がらせをするから?
色々思い当たるが、もっと根本的な理由もあると思う。
単純に生理的に受け付けない、とか……?
ありえる、凄くありえる。
それだといくら頑張っても好きになってもらえそうにない。
辛い、今夜も泣き明かすしかない。
「あき兄……」
俯いて考え込んでいると、深雪君心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
おっといけない、こんな顔させちゃいけないな。
「ごめん、ちょっとぼうっとしてた。今度白兎さんに話して、相談しておくよ」
絶対『却下』の二文字でバッサリ斬られてしまうだろうけど。
でも、可能性は低いがゼロではない。
条件有りでも許してもらえることもあるかもしれない。
明日の朝、さっそく聞いてみようと考えていると、隣のブランコで揺れていた深雪君が突如立ち上がった。
「……姉さんには内緒にしましょう!」
決意したように、凛々しい表情をこちらに向けて宣言した。
目が真剣だ。
きっと僕のことを気遣ってそう言ってくれたのだと思うが……。
「それは良くないんじゃないか?」
「良いんです! だって、あき兄に会ったら駄目なことがあるなんて思えないし……ううん、あるはず絶対無いです! 姉さんが何かきっと勘違いしているんです。体が丈夫になったおれを見たら、きっと間違いだったって気がついてくれます! だから……駄目ですか?」
シュンと耳が垂れた子犬のように見える。
いや、耳の垂れた白兎か。
ああ……そんな目で見られたら……僕は……僕は……!
「ぜっ……全然いいし!」
……ごめん、白兎さん。
囚われの王子に潤んだ瞳で懇願されたら、僕はノーと言えない!
言えるわけが無い、無理だ!
大体僕がばい菌扱いされる意味も分からないし、ウォーキングに付き合うくらいなら……。
約束をやぶってしまうという罪悪感を持ちつつも、深雪君と仲良くなりたいという誘惑に負けてしまったのだった。
***
それから僕は、週に一回くらいのペースで放課後、深雪君のウォーキングにつきあった。
朝は毎日一人で歩いているそうだ。
毎朝と週一回の放課後歩くだけだが、深雪君の体調は良いようで、体力がついてきた気がする!と喜んでいる。
確かに、顔色もよくて元気になってきたと思う。
ウォーキング以外にも、深雪君は受験生と言うことで、勉強を教えてあげることもあった。
ウォーキングおわりに公園で参考書を広げたり、図書館に寄って勉強をしてみたり、電話がかかってきて教えてあげることもあった。
白兎さんは僕と深雪君が仲良くなっていことに気がついていない様子だった。
ただ一度『複数の友人から受けた告白を、全て断る』なんてことがあったか、と質問さてたことがあった。
何故そんなことを知っているのかと焦ったが、よく考えたら手紙を貰っているところを見られていることを思い出した。
あまりこういうことを人に話すのは気が引けるし、『複数なんて、そんなにモテてないし』と濁しつつ返事をしたが、凄く難しい顔をしていた。
なんだったのだろう。
まあ、バレてはいないので、問題無いといえば問題無い。
白兎さんとの約束を破っているので、心苦しくはあるが……。
そんな日常を送っていた、ある日。
今日はウォーキングをする予定の日だったが、病院に薬を貰いに行かなければいけないということで僕もつきあい、待ち時間を勉強で潰していた。
深雪君自作のリングで綴じた英単語カードを捲って僕が出題、深雪君が答える。
たまに覚えるコツなんかを挟みながら、それを繰り返していると一時間くらいあった待ち時間もあっという間だった。
「あき兄と勉強してたら、時間が経つのが早いなあ」
「それだけ、深雪君が集中してるってことだよ」
深雪君は理解も早いし、問題が解けると可愛く喜んでくれるので教えていても楽しい。
幸せだ。
深雪君の家庭教師を定職にすることが出来たら、幸せな人生を送れること間違い無しだ。
「あき兄の顔ばかり見てるから、集中……出来てないんだけどなあ」
「ん?」
「な、なんでもないです」
処方箋を受け取り、病院を出ようと通りがかったロビー。
総合病院ということもあり、人の姿は多く見られ、ザワザワと忙しない音が一帯に広がっていた。
そこで、とうとう……。
前方から漂う、肌を切るような殺気。
周囲の喧騒から分離してコツコツと耳に響く足音。
視界に入る憤怒と闘志を纏った鍛え抜かれた肉体。
まるでラスボスのお出ましである。
……ああ、この時が来てしまった。
「ね、姉さん……」
「うわあ……」
僕らの足も自然と数歩後ろに下がった。
そして、目が合った瞬間悟った。
どうやら今日が僕の命日らしい。
思い残すことが……沢山あるぞ。
「深雪君、合格したら僕の墓に報告にきてくれるかい?」
「な、何言ってるんですか! 大丈夫です、おれがなんとかしますから!」
「深雪君!!」
自分よりも小さくて華奢なこの背中が逞しく見える。
勇者に守って貰う姫の気分だ。
守り抜いて貰った暁には嫁ぐしかないな。
って、そんなことを悠長に考えている場合ではなかった。
僕を庇うように深雪君が前に出たことにより、殺気が更に増していた。
「天地君……どういうこと?」
怒りを必死に抑えた、静かな声が耳に届いた。
「……ごめん」
もう謝るしかない。
自分が深雪君に害を及ぼしているとは思っていないが、白兎さんが嫌だという事をやってしまったし、約束をやぶってしまったのだから。
僕が百パーセント悪い。
「深雪、帰ろう。もう二度と、深雪に近づかないで」
深雪君には、悲しみを抑えたような視線を向け、僕には射殺すような視線を寄越してくる。
この違い……まあ、そうだろうけどね!
悲しいが、もうこの扱いを受けることには異論はない。
分かっていますとも!
これ以上白兎さんを怒らせないように、大人しく引き下がろうとした僕だったが、深雪君は違った。
「あき兄は悪くない!」
僕の腕に捕まって、『帰らない』というのを主張しながら反論を開始した。
「姉さんが何か勘違いしてるんだよ! あき兄は良い人だよ? 何が悪い……」
「深雪は黙ってなさい!」
深雪君の言葉を、白兎さんの鋭い声が遮った。
その声は空気をピリッとさせながら響き、ロビーにいた人の視線を集めることになった。
あれだけ騒がしかった場が静まり、まるで時間が停止ししてしまったようだ。
気まずい……!
「ちょっと、ここ病院だから!」
白兎姉弟の間に入り、とりあえず外に出るよう促そうとしたのだが……。
「やっぱり……聞いてもくれないじゃないか。意味分かんない。……あき兄、行こう!」
深雪君に引っ張られた。
僕の腕を掴んだまま、どんどん進み、白兎さんの横を通り過ぎた。
白兎さんの視線が怖い!
「深雪、待ちなさい!」
すれ違った後制止する声が聞こえたが、深雪君は無視をして、そのまま病院の外へ出てしまった。
振り返って病院の出入り口を見たが、白兎さんの姿は見えない。
追いかけては来ないようだ。
ショックで動けないのだろうか。
「深雪君、駄目だよ。ちゃんと白兎さんに話しよう。約束を破っちゃったの僕だし」
「嫌です。駄目って言うだけで、どうせおれの話なんて聞かないし。今日は家にも帰りません!」
「ええ!?」
そこまで怒っているとは……。
大事になりそうで、狼狽えてしまう。
なんとか穏便に済ませたいのだが、深雪君は僕の腕を掴んだままどんどん進んで行く。
「前からそうなんです。姉さんは何も話してくれない。おれの話を聞いてもくれない。いい加減頭にきました! おれのためだかなんだか知らないですけど、もう知りません!」
深雪君の気持ちは凄く分かる。
僕だって理由も分からずばい菌扱いで辛いし、理由くらい教えてくれてもいいものだが、取り付く島もない。
ずっと変化もなく、嫌われ続けている。
ふと、深雪君のこの反抗で、何か良い方向へ向かうきっかけにならないかという考えが過ぎった。
あまり出しゃばるようなことはしたくないけど、何か出来ることがあればいいのだが……。
「どこか行くあてはあるの?」
「適当にブラブラして、どこかで野宿でもします」
「野宿!?」
絶対駄目だ!
深雪君が野宿だなんて、事件を呼んでいるのと同じだ。
僕だって絶対連れ去るぞ!
ちょうどいい、ゆっくり話が出来るように、うちに誘おう。
「じゃあ、うちに来る?」
「いいんですか!?」
ここからだと近いし、今の時間だと兄に連絡しておけばご飯も用意してくれる。
やっと腕を解放してくれた深雪君を連れて、家に帰った。
***
家に上がってもらい、一先ずリビングに落ち着くことにした。
自分が部屋着に着替えるついでに、制服に皺が付かないよう深雪君にも自分のジャージ上下を貸した。
深雪君は楓より少し背が低いくらいだ。
僕のジャージを着ると大きくて、袖からは指先がちょこんと出るくらいだった。
『わあ、おっきい……おれも背が高くなりたいなあ』なんて呟いた姿を見たときには、頭を鈍器で殴られたくらいの衝撃が走った。
くっそう……抱きつきたい……萌え殺される!
深雪君はあまり友達の家に行ったりすることがないらしく、そわそわしている。
僕しかいないのに、姿勢をビシッと正して、まるで志望企業の面接を受けている学生のようだ。
白兎さんの話をしても身が入らない。
もう少しリラックス出来てから話そう。
テレビをつけて、談笑をしていると兄が帰ってきた。
今日は彼氏はいないようで、一人だ。
あまり人数がいたら深雪君が緊張しそうなので、ちょうどいいかもしれない。
「ほら深雪君、長男だよ」
「は、はじめまして!」
「はじめまして。可愛らしい子だね。央、こんな子どこで捕まえたんだ?」
「最初はゲーセンでナンパしました」
深雪君を初めて見たのはゲーセンだった。
将来有望な美少年で驚いたのを覚えている。
深雪君は兄を見て緊張と照れで、顔を赤くしながらもじもじしている。
兄と深雪君、いいな……。
兄が自分好みに育つよう、何から何まで世話をして深雪君を愛でているところを想像すると胸が熱くなった。
たまに厳しく叱ったり、お仕置きなんかしていると尚良い。
「央、聞いてる?」
「え?」
「だから、育ち盛りの男の子だし、焼肉にしようかなって」
「おお、肉!」
腐っていて意識が飛んでいたようだ。
兄が肉のパックを手に、こちらを見ていた。
いつもより、脂の乗った肉に目が行く。
兄ちゃん、奮発してちょっと良い肉買ってるな?
「お肉……」
深雪君が下を向いてポツリと呟いた。
「焼肉、嫌いだった?」
「あ、いえ、大好きです!」
「そう? それならいいけど、嫌だったら遠慮しないで言ってね」
俯く様子を見て兄が心配したが大丈夫そうだ。
もしかして、『肉』というワードで白兎さんを思い出したのだろうか。
そういえば『焼けた肉があればいい』とか言ってたみたいだし、肉が主食だったのかな。
女子高生を思い出すワードとしては如何なものかと思うが、白兎さんらしくて笑ってしまう。
……白兎さん、大丈夫だろうか。
きっと心配しているだろうな。
あんなに逞しいボディをしているが、中身はやっぱり女の子だ。
隠そうとしていたが、弱い部分が垣間見えたときもあった。
やっぱり、ちゃんと話をしよう。
そう思い、スマホを取り出した。
「……よし」
スマホの操作を終わらせ、テーブルに置くと、目の前にいたはずの深雪君がいない。
あれ、何処行った?
「じゃあ、野菜洗ってもらえる? あ、ピーマンは大丈夫?」
「はい、ザルを借りますね。ピーマンは大丈夫です!」
「そうなんだ、偉いね。央はあんまり好きじゃないんだよ。こっそり隠して捨てたりしてるんだよ。駄目だよねえ。見習わせたいなあ。あ、シメで焼きそばにする?」
「食べたいです!」
……ちょっと目を離した隙に馴染んでるし!
気がつけばキッチンで二人並んで夕飯の準備中だ。
キャッキャッと女子のように楽しそうにしている。
ちょっと人見知りな深雪君がもうこんなに懐いているなんて、やはり兄は恐ろしい。
そしてずるい、深雪君は僕の弟なんだぞ!
「二人で楽しそうに、僕のこと忘れてない?」
「さあ? 手伝わない次男のことなんて知らないなあ。よく出来た三男と一緒にする夕飯の準備は楽しいなあ」
こちらには視線すら寄越さず、チクリと嫌味を言いながら微笑む姑のような兄の横で深雪君が笑っている。
まあ、深雪君が楽しそうならそれでいいけど。
……これなら大丈夫そうだな。
「ちょっとコンビニに行ってくる」
少し拗ねたフリをしながら深雪君を兄に任せて、スマホを手に外に出た。
向かう先はコンビニではなく、深雪君ともよく来ていた公園。
さっき白兎さんに会おう連絡を取ったところ、指定された場所だ。
待たせないように小走りで行ったが、公園に着くと既にその姿はあった。
ベンチにも腰掛けず、街頭の下で腕を組んで佇んでいた。
外はもう少しで完全に日が落ちる頃で暗く、街頭の灯りがスポットライトのように白兎さんを照らしていた。
「白兎さん」
声を掛けると、顔をこちらに向けた。
険しさは消えていて、代わりに絶望したような重い空気が白兎さんを包んでいた。
「ごめん、約束やぶって」
「いいんです。信用した私が馬鹿でした」
申し訳なさで一杯になる。
僕だって、言いたいことはたくさんあるけど、やっぱり約束した以上は守るべきだった。
「ごめん……」
許してもらえるとは思っていないが、自然と同じ台詞が口から零れた。
「深雪を返してください」
瞬きもせず、じいっとこちらを見据えるように言われた。
鋭さはないが、強い意志を感じるような目だ。
深雪君を大事に思っていることが分かったが……苛立ちを覚えた。
返せといわれても、僕は奪ったわけでもないし、深雪君の意思を無視したような物言いに聞こえる。
こういうところに、深雪君は反抗しているのだ。
このままじゃ何も解決しない。
「白兎さんさ、深雪君が大事なのは分かるけど、深雪君の話も聞いてあげて欲しいんだ」
「天地君に関することであれば、聞く必要はありません 」
いつもの通り、門前払いだ。
今までは流していたが、こうやって深雪君が行動を起こしているのに聞く耳さえ持たない態度は許せない。
間違った教育ママの『押し付け』に似たものを感じて、嫌悪感さえ沸いてきた。
大体、根本的な原因となっている『僕が害』というところが意味不明だ。
ただ『嫌いだから』というだけで、こんなに煙たがられるのもおかしい。
「なんでそんなに信用してくれないんだ? 僕、何かやった!?」
苛々を抑えられず、つい強い口調で言ってしまった。
僕がこういう態度をしたのは初めてだからか、白兎さんは少し戸惑ったように見える。
目を見開いた後、眉間に皺をよせ、俯いてしまった。
「言っても分からない……」
僕に向けて言ったのではないかもしれない。
吐き捨てるように、小さな声で呟いた。
「言ってみてよ」
聞いてみなければ分からない。
分からなくても、僕が悪いことをしていたのであれば謝るし、何か解決できる方法があるかもしれない。
そう思ったのだが……。
「言っても無駄」
今度はちゃんと僕に向けて発せられた。
俯いたまま、上目でこちらを睨んでいる。
目が合っているのだから、僕に言っているのだろう。
「無駄かどうかは、聞いてみなきゃ分からないだろ?」
「言わなくても分かる。無駄。私にしか分からない。誰も分からない」
「……そうだとしても、言って見てよ。無駄かどうかの判断なんて、その後からでもいいじゃないか」
お互いに苛々が溜まり、熱くなってきているのが分かる。
段々語気も荒々しくなってきた。
だが今日は、深雪君のためにもここで引き下がるつもりはない。
「そうやって理由も分からず押し付けられたら、僕だって深雪君だって納得出来ないだろ?」
「納得なんかしなくていい! 深雪は私が守る!」
「何から守ってるかもわけが分からない。ちゃんと話してくれよ」
「断る!」
「もうその『断る』は聞き飽きた!」
強い口調で吐き捨てると、白兎さんの口が止まった。
怖がらせてしまったのだろうか。
女の子相手に大きな声を出して、自分は駄目な奴だと思うが、あまりにも頑固で我慢出来なかった。
「……この言い争いも時間の無駄です。深雪は、家にいるんですね?」
僕との言い争いが不毛と感じたのか、切り上げて去るような動きを見せた。
まずい、このままで分かれると何もいいことがない。
この問題も解決しない上、白兎さんとは険悪な関係になってしまいそうだ。
それは絶対に駄目だ。
この場で、お互い納得出来るまで話はつけておきたい。
背を向けて去ろうとする白兎さんの腕を慌てて掴んだ。
「待ってよ、話は終わってな……」
「触るなBL!」
僕の手を叩き落とすように、強い力で打ち払われた。
手がジンジンと痛い…………でもそれより、今なんて言った?
「……え? 何?」
幻聴なのだろうか。
腐りすぎて、こんなシリアスな場面でもBLなんて単語が脳内に浮かぶようになってしまったのだろうか。
「ごめん、もっかい言っ……」
「喋るな! BLがうつる!」
「え? ええ!?」
やっぱり言ってる、言ってるよ!
何が起こったというのだ、まさか白兎さんの口からその単語が出てくるとは……。
僕の知っている『BL』だよな、believeを略して『BL』とかじゃないよな!?
それだと格好いいけど!
僕の混乱を余所に、白兎さんは興奮しているのか、何かのスイッチが入ったように涙目で捲くし立てた。
「他の攻略キャラの告白を全部断って、深雪ルートに入ってるのは分かってるんだらな! しかも深雪のイベント場所になる病院にいるなんて、確実じゃないか! 深雪は本当に天使なんだ! お前らみたいに腐った天使じゃないんだ! こんな腐った世界に屈したりするものか! お前に深雪を穢させたりはしない!』
「はいいいぃ!?」
僕の知っている『BL』で間違いないことは今ので分かった。
分かったが……ちょっと、待て、今の台詞は情報量が多いぞ!?
気になることが沢山あった。
まず僕が深雪君を狙っていると思われていることが分かった。
そういう意味で嫌われ、深雪君を守ると言っていたことも分かった。
そしてもっと驚く、重要なワードが聞こえた。
『攻略キャラ』『深雪ルート』『腐った世界』、何かを連想させる……。
ある一つの考えに思い至り、手が震えるような、心臓が飛び出しそうな、落ち着かなくて叫びだしたいような……表現の難しい状態に陥った。
これは『期待』だろうか。
あるはずの無いものが見つかりそうで、緊張しているのは確かだ。
「ちょっと待って……」
「触るなって言ってるでしょ! BL主人公なんかに触られたく無い!」
やっぱり、そうだ……僕と『同じ』なんだ。
僕には分からないことも聞こえるが、きっと……同じ境遇なんだ!
「ゲームの世界!」
落ち着かず、不満をぶちまけていた白兎さんだったが、僕の言葉を聞いて動きが止まった。
その様子を見て、予想が確信に変わった。
目を合わせ、あまり刺激しないよう、ゆっくりと尋ねた。
「前世を覚えていて……ここがBLゲームの世界だって知ってる、とか?」
白兎さんの目が、コレ以上ないくらいに見開かれた。
「どうして…………まさか……」
白兎さんは察したようだ。
その目を見て、僕は頷いた。
「僕は、ここがBLゲームの世界だって知ってる。前世で、ゲームをプレイしてたから。その記憶がある」
「そんな……馬鹿な……」
「話を聞かせて?」
落ち着いて話そうと、ベンチを指差しながら話し掛けた。
さっきまで言い争いをしていたが、もう大丈夫だろう。
白兎さんは大きく息を吸い込み、呼吸を整えた後、頷いた。
「分かった」
***
すっかり日は落ち、辺りは完全に暗くなってしまった。
街灯に虫が集りはじめた。
視界に入ると気持ち悪いが、そんなことが吹き飛んでしまうくらい僕の頭は真っ白になっていた。
「僕が主人公……」
白兎さんから聞いた話は衝撃的だった。
この世界の元となっているゲーム『FS』には続編、移植版が出ていてそれでは僕が主人公だという。
そういえば佐々木さんに前世を話したときにそんな話も出たが……まさかそれが当たっていたなんて……。
夏緋先輩もやっぱりただのモブではなく攻略キャラだった。
そして深雪君は移植版での攻略キャラの一人で、僕が他の攻略キャラからの告白を断るというのは深雪君ルートの条件の一つだということ。
更に白兎さんは、深雪君ルートの病院での一場面を鮮明に覚えていたらしく、そのため病院で僕らを見かけた時に過剰に反応してしまったということだった。
なるほど、今までの疑問がどんどん解消されていく。
白兎さんの境遇でいうと、小さい頃に前世を思い出し、深雪君をBLから守るために精神と肉体を鍛えていたということだった。
そりゃあ、僕は『ばい菌』だな。
「本当に、天地君はBLじゃないんですね?」
僕の方も白兎さんに事情を説明した。
白兎さんよりは最近になるが、前世を思い出したこと。
前世ではゲームをプレイしていた腐女子だったので、今もそういう思考はあるが、自分の恋愛に関してはノーマル思考であること。
「本当だって。深雪君に手を出したりしないって、安心してよ」
それでもまだ心配そうな顔をしている。
「でも、深雪の方が天地君を好きになる可能性がありますし……」
「兄としては慕ってくれてるけど、それはないんじゃない?」
「ここはBLゲームの世界なんです。実際に攻略キャラ達は皆、天地君を好きになったのでしょう?」
事実ではあるが……そう言われると凄く複雑だ。
確かにその通りだと納得してしまう自分と、自分を好きだと言ってくれた人達の気持ちが、まるで『システムだから』と否定されたような気がして悲しくなる自分がいる。
決められた運命で辿りついたのではなく、自分達の意思で進んだ結果の『今』であることを願わずにはいられないが……。
自分達の想いで辿り着いたのか、運命だからそうなったのか。
考えれば考えるほど、ど壷にはまりそうだ。
でも、運命があると思っている白兎さんの気持ちも理解できる。
それは少し寂しい気もするけれど。
「じゃあ、白兎さんがずっと見張っててよ。それなら安心でしょ?」
「……分かりました」
全てを納得したわけでは無さそうだが、話は纏まったと思う。
どうなることかと思ったけど、予想外の展開で分かり合うことが出来て良かった。
何より、白兎さんに嫌われてる原因が分かってすっきりした。
思わず、魂が抜けてしまいそうなくらい、大きな息を吐いた。
「はあ、僕が主人公かあ。しかも深雪君ルートがあるなんて……」
「ちなみに、深雪は成長すると背が高いイケメンになるので、立場が逆になると邪神が騒いでいました」
「下克上ってこと!? まじか……」
さっきは袖から指をちょこんと出して、大きくなりたいと言っていた天使が、『攻め』に転身か……。
相手が僕じゃなければかなりのご馳走なのだが……残念だ。
「ってか、邪神って?」
「前世の天地君と同じ、忌むべき存在です」
「はは……」
さっき聞いた、腐女子のお姉さんのことか。
相当嫌な思いをさせられたんだろうな
じゃあ、佐々木さんも『邪神』だな。
いや、他人事じゃないか、僕も中身は邪神と思われてたり?
……しかし、まさか前世について分かり合える人がいるなんて。
その上、それが白兎さんだなんて。
「なんか、嬉しいな」
「……何が?」
「転生仲間がいたなんてさ」
そう言うと、白兎さんも穏やかな顔をして頷いた。
「私も、少しほっとしました。自分の頭がおかしくて、前世があるなんて思い込んでるだけかもしれないと思うこともありましたから……」
そんなことを考えていたのか。
僕は前世を思い出したのは割と最近だし、楽しんでいた節がある。
でも白兎さんは子供の頃に思い出した上、BLが嫌いで、ずっと苦痛を感じてきていた。
孤独な戦いを続けてきていたのかもしれない。
でもこれからは、僕という話し相手が出来て、少しは楽になるはずだ……多分。
「白兎さんと仲良くなりたいな」
世界で二人だけしか共有出来ないことがあるのだから、ずっと仲良くやっていきたい。
佐々木さんにも話したが、信じているかは怪しいところだし、やはり実体験とは別のものだ。
笑って話しかけると、そっぽを向かれてしまった。
「お、お断りです」
でも、断るの二文字からは進化した。
少し仲良くなれたのだろうか。
「さっきは、大きな声出してごめん」
謝ると、再びこちらに顔を向けてくれた。
目が合っていたが、気まずそうに地面に視線を落として呟いた。
「……いえ、私も意地になりすぎていました」
気まずいというより、どうやら照れているらしい。
「本っ当に頑固だったなあ」
声を出して笑うとジロリと睨まれた。
調子に乗るなと言いたいのだろうか。
でももう遠慮しないぞ。
今まで気を使った分、調子に乗ってやる。
「あ!」
視線の先にある公園に設置された時計に目がいった。
気づけば家を出てから一時間が過ぎている。
焼肉だから準備なんてすぐ終わるし、待たせてしまっているかもしれない。
「そろそろ戻らなきゃな。白兎さんもうち来る?」
「いえ、深雪は泊まるつもりなのでしょう? 私はこのまま帰ります。深雪のこと、お願いします」
「え、いいの?」
うちに泊まるなんていいのだろうか。
自分でいうのもなんだが、兄と僕、『BL主人公の館』だぞ?
「深雪になにかあったら、天地君の家の敷地内で暴れます」
「はは……」
両親が帰ってきたら家が無くなっていた、なんてことになりそうだ。
「夕飯だけでも食べにくればいいのに。焼肉だよ? 『焼いた肉さえあればいい』でしょ?」
「どうしてそれを……!?」
「あはは」
知られたくなかったことなのか、顔を逸らして隠そうとしているが、赤くなっているのが分かる。
苺のプロテインも深雪君にバラされて怒っていたっけ。
白兎さんは食関係も濃いエピソードが満載だな。
拗ねてしまったのか、挨拶も手短に済ませ、白兎さんは去っていた。
ご飯、一緒に食べたかったな。
まあいい、これから仲良くやっていけそうだし、そういう機会もあるだろう。
安心するとお腹が空いてきた。
長男と次男が待つ家に帰ることにした。
家に帰ると、準備は終り、二人はソファでテレビも消して談笑していた。
更に打ち解けた様子に見える。
「随分遠くのコンビニに行ったんだね?」
「あはは……」
嫌味に聞こえるが、顔は優しそうに笑っている。
詳細は知らなくても、何となく兄は察しがついているのだろう。
深雪君の隣に座って、白兎さんに言付かったことを伝えることにした。
「深雪君、白兎さんが『明日帰って来なさい。話を聞くから』ってさ」
「え」
「今、話してきたんだ」
深雪君は信じられないようで、眉間に皺を寄せたまま難しい顔をしていた。
それもそうか、今まで頑なに説明せず『駄目』の一言で通していた白兎さんが急に『話を聞く』なんて。
「電話してみたら?」
直接話してみるのが一番だと思ったのだが、深雪君は首を横に振った。
「明日帰ってから話をします」
「そっか」
深雪君だって、いつまでも大好きなお姉ちゃんと喧嘩したような状態が続くのは辛いだろう。
家に帰らないと言い出した時は焦ったが、何とか穏便に済みそうで良かった。
「……やっぱり、あき兄は凄いな」
「ん?」
「なんでもないです。それより、お腹空きました!」
「あ、そうだな。ごめん、待たせて」
そんな話をしているうちに、キッチンのテーブルは完全にセッティングが完了していた。
ホットプレートも温まったようだ。
「ほら、おいで」
「はい!」
兄に呼ばれ、喜んで席についた深雪君の後を追って僕も席についた。
三人で食べた焼肉はいつもより美味しかった。
『良い肉だから』という理由だけじゃないだろう。
食べ終わった後は三人でボードゲームをしたり、遅くまで楽しんんだ。
その後、楓が泊まりに来た時のようにリビングに布団を敷いて、川の字になって寝た。
朝起きて朝食をとった後、深雪君は笑顔で帰って行った。
今度は、白兎さんと二人で遊びに来て欲しいものだ。
 




