最終話 楓END
『第十九話 最終分岐点』からの続きになります。
誰もいない静かなリビングに入り、ソファに寝転んだ。
登校はしたが授業も受けず帰ってきた。
家に人が居なかった時間は長く無いはずなのに空気が篭って気持ち悪い。
換気をしたいが動くのが億劫で窓を開ける気にもならない。
「はあ」
頭の中では、雛と楓が言い争っていた場面が再生されていた。
雛の気持ちは薄々感づいていた。
あれだけ楓と張り合っていたのだ、ヒントは沢山あった。
それでも自意識過剰かなあと、兄弟を取られたような親愛の意味での嫉妬かなと考えていたが違ったようだ。
「雛、か……」
雛は僕にとってどんな存在だろう。
家族、友達、それに……妹、かな。
僕の世話をしているつもりの雛からする『姉』の気分でいるかもしれないが。
やはり、雛に対して湧くのは親愛の情だ。
夏緋先輩には憧れを抱いているが、それも恋愛感情ではなく同性の理想像としてだ。
一見すると冷たい人にみえるけど本当は頼りになって、優しくて気が利く上に格好良い。
そんな人に好きだと言って貰えるのは嬉しいが……。
同じ感情を返せるかというと違うと思う。
楓は……。
楓の言っていた言葉を思い出す。
『ボクは頑張ってアキラに自分の気持ちを伝えた! 好きになって貰うように頑張ってる!』
楓は積極的に行動で、そして言葉で僕に好意を伝えてくれていた。
僕はそれに戸惑ってしまっているけれど。
僕の精神が幼稚で楓に追いついていないのだと思う。
結局は巡り巡って、僕が悪いというところに辿り付くのだなと乾いた笑いが出た。
楓の気持ちは分かっている……つもりでいた。
でも、いつも大胆不敵な楓があんなに余裕の無い表情で、僕への思いを叫んでいるのを聞いて胸が苦しくなった。
僕は楓の気持ちから目を背けていた。
ただ『僕はBLにならないから』、『楓は男だから』という理由で考えることさえ放棄していた。
無視だ。
僕がやっていたことは無視と同じだ。
「……最低だ」
それどころか『リアルBLだ!』と他人事のように面白がっていた節さえある。
「クズだ……僕はなんてクズなんだ」
贖罪の念にかられ、壁にゴンゴンと頭を打ち付けた。
二回目の人生なのに、楓よりも多く生きているはずなのにどうしてこうも馬鹿なのだ。
『馬鹿は死んでも治らない』というがその通りのようだ。
クラクラとする頭を休めていると、何か音が聞こえた。
インターホンが鳴っている。
まだ学校は終わっていない時間だ。
郵便か何かだろうと思い、躊躇い無く玄関の扉を開けた。
扉の向こうにいる人物と目が合った瞬間、体が止まった。
直前まで頭の中で登場し続けていた人物が、具現化して目の前に現れてしまった。
「楓……」
楓は少し俯き、心細そうな表情で僕を見た。
「お前、学校はどうしたんだよ」
「……アキラこそ、朝は来ていたのに。いつの間にかいなくなったじゃん」
やっぱり、登校していたことは知っていたようだ。
帰る時には見つからなかったが、それが余計に不自然になってしまったか。
「……ちょっと体調悪くてさ」
嘘をつくのは心苦しいが、『あの現場を見たから』なんて言えるわけがない。
「僕のせい?」
「ええ!?」
楓のせいかと言われれば……そうともいえる。
考えていたことを当てられたようで思わず反応してしまった。
「本当にアキラって分かりやすい」
呆れたように楓が笑った。
自分でも呆れてしまいそうだが嘘をつくのは苦手だ。
誤魔化すように視線をそらし、遠くを見ていると楓が近づいて来てポツリと零した。
「この前、うるさく言ったことまだ怒ってる?」
「……? ああ、電話の?」
あれは楓を放っておいた僕も悪いし、楓も謝ってくれた。
気にしてはいないが、楓を避けるように一人で登校を始めたのはあれがあってからだ。
だから楓はまだ気にしていたのかもしれない。
「怒ってないよ」
「本当に?」
「ああ」
笑って見せると、楓も安心したように顔を上げた。
「……じゃあ、家に入れて? ちょっと話したい」
一瞬迷った。
話というのは『僕への気持ち』のことか、『僕の気持ち』についてだと思う。
僕はまだ心の整理がついていない。
だから今聞いていいのか迷ったが……。
「分かった。入れよ」
僕は楓から逃げてばかりだった。
ここで話を聞かず、耳を塞ぐのはまた逃げることになる。
聞こうと決めた今も迷いがあるが、向き合うことから始めることにした。
リビングに行こうとしたのだが、楓が僕の部屋で話をしたいと言ったので二階に上がった。
この時間に兄が帰ってくることはないが、気にせず話をするには部屋の方がいいかもしれない。
飲みものを持っていこうかと聞いたがいらないと言われ、何もせず部屋に入った。
「泊りにきた時、ここに寝たかったな」
部屋に入るとすぐに楓が呟いた。
「でも、兄ちゃんがいて楽しかっただろう?」
「うん。楽しかったけどボクはアキラが好きだから、アキラと二人きりだともっと良かった」
「……」
そう言われても、どう返事をしたらいいのか分からない。
曖昧に流し、適当に腰を下ろそうかと思っていると楓が動いた。
何をするのだろうと目で追うと、ベッドに飛び込むようにして倒れた。
うつ伏せに寝転がり、リラックスしているように見える。
「……おい、何をやっているんだ」
「ここで寝られなかった分を回収してんの。……アキラの匂いがする」
「そんなに臭くないぞ」
僕の匂いとは何だ。
無臭なはずだぞ!
大体発言が変態臭い上に失礼だ。
「臭いなんて言ってないじゃん。良い匂いだよ。……安心する」
「……そうですか」
返答に困ることばかり言わないで欲しい。
「でもここが一回穢されたと思うと腹が立つ」
何を言っているのか分からず楓に目を向けると、俯せのままこちらを見ている顔に怒りの色が見えた。
「あの子がここで寝たんでしょ?」
「あー……雛か? まあ、ちょっとの間だけどな」
そういえば、それが原因で楓が泊まると言い始めたのだ。
「アキラも一緒に?」
「まさか。僕は下に転がって寝たよ」
「でも、一緒の空間で寝たんだ」
そう言われればそうだが、別に何かあったわけじゃない。
「アキラ」
呼ばれて顔を向けると楓は上体を起こし、手招きをしていた。
僕はまだ部屋の入り口付近で突っ立っていたので、近くに座れと言っているのだろう。
呼ばれるままに動き、近づいたその時……。
「おわっ!」
ベッドに上半身を起こした楓に両手を掴まれ、引っ張られた。
「なんだよ!?」
急に強い力で引かれ転びそうになった僕の手を掴んだまま、楓は起こしていた上半身をベッドに倒した。
そうなると僕は仰向けに寝転がった楓の上に倒れていくわけで……。
危ない、このままだと楓にぶつかる!
慌てて掴まれていた手を引きはがし、ベッドに手をついた。
なんとか衝突は免れたが……頭突きするところだったぞ!?
「危ないだろ!」
何をやっているのだと叱ってやるつもりで前を見ると、すぐ下に楓の顔があった。
僕は楓の顔の脇に両手をついて自分の体を支えている。
気がつけば楓を押し倒したような体勢だ。
「アキラに襲われちゃった」
楓は観覧車や教室で見た小悪魔のような表情で笑っていた。
「お前な……」
抗議の視線を向けた。
する今までのパターンでは最後まで強気な楓様だったはずなのに……今日は違った。
いつの間にか玄関で見た弱々しい表情に戻っていた。
「こういうことされるの、嫌?」
目の前の僕が映っている大きな瞳が揺れている。
聞かれている内容には答えられる。
『別に、嫌ではない』と。
男同士だが嫌悪感はないし、どちらかと言えばドキドキしている。
でも、その先にあるだろう質問にはまだ答えられない。
だから迷う、言葉が出ない。
「アキラが好きなんだ……止められない」
黙っていると楓の手が伸びてきた。
白くて綺麗な手がするりと僕の首に回り、楓の体重が首にかかった。
下からしがみつかれ、自分の体重を支えていた腕が下がりそうになる。
そうなると僕は楓を押しつぶすように覆いかぶさってしまう。
「楓、離せっ」
「嫌」
重さに耐え切れず、片腕は肘がついてしまった。
楓の体はベッドについた。
それで余裕が出来たのか、更にしがみついてくる腕に力が入った。
一気に距離が詰まり、体の間に空いていた空間が埋まる。
肩に顔を埋められくすぐったい。
顔にかかる髪もいい匂いだが、困る。
「アキラが好き。ずっと、ずっと前から」
「……え?」
『ずっと前』から?
華四季園に入ってからだとすると違和感のある表現だ。
どういうことか聞くためにも体を離そうと試みたが、楓を潰してしまいそうで下手に動けない。
でも話を聞くような体勢ではない。
なんとか逃げなければ……。
「駄目、このままで聞いて」
しっかりと首を固定され、止められてしまった。
暫くこの体勢を崩すつもりは無いようだ。
落ち着かないが、観念して大人しく話を聞くことにした。
「ボク、思い出したんだ。始めからアキラだったんだ。真先輩に一目惚れしたのだって、アキラのことが好きだったからなんだ」
「?」
何のことを言っているのかさっぱり分からない。
兄より前に僕のことが好きだった、と言っているように聞こえる。
だが楓は入学してからすぐに、兄を想うようになったはずだ。
だとしたら僕を好きだったというのはいつの話だ?
「ボクのこと覚えてない?」
混乱していると楓は腕の力を少し抜き、顔が見えるところまで体の距離を開けた。
何かを祈っているような真剣な瞳が、僕を写している。
聞かれていることが『大事なこと』だということは分かった。
答えたい、そう思うが……分からない。
「何のことだ?」
その言葉を聞いた瞬間、落胆したのが分かった。
僕から目を逸らし、諦めたような表情で遠くに目をやった。
「……そっか。やっぱりアキラの隣には女の子がいた方がいいのかもしれない」
楓にとって大事なことを忘れているのは申し訳ないが、何かヒントをくれたら思い出すかもしれない。
詳しいことを話して欲しいのだが、楓は自分の殻に篭ってしまったように僕の言葉に反応してくれなくなった。
「だから、何の話だ。ちゃんと話してくれなきゃ……」
「覚えてないくらい、どうでもよかったってことなんだろ!? 今だってボクが女の子じゃないから駄目なんだろ!?」
急に叫びだし、激昂した。
どうしたというのだ。
その変化に戸惑っていると、ぐるりと横向きに回転するように力を入れられて体が傾き、僕はベッドから落ちてしまった。
仰向けで落ちたため、背中が痛い。
「痛いだろ!」
突然怒り始めたかと思うとベッドから落とされ、意味が分からない。
「!?」
今度は起き上がろうとしているところに、楓が乗りかかってきた。
何をするのだと呆気にとられている間に上半身を押さえつけられ、再び床に逆戻り。
勢いよく押された結果後頭部が床にぶつかり、ゴツンと鈍い音が鳴った。
痛い……ぶつかった箇所がズキズキと痛む。
「お前な……いい加減にっ」
『いい加減しろ』と言うつもりだったのだが……最後まで言うことが出来なかった。
いつの間にか視界は楓にいっぱいになっていた。
近い……いや、近いどころではない。
距離は零だ。
息が出来ない。
口が塞がれえているからだ……楓の唇によって。
何が起こったか分からず固まっていたが、状況が理解出来始めパニックになった。
しかも苦しい。
「んっー!」
このままでは酸欠で死ぬ。
抗議をするが無視をされ、楓は中々離れてくれない。
頭の中では、『初めてがコレかよ』とか『相手は楓か』とか、意外に楓の力が強いことに驚いていたりするが、そろそろ考える余裕もなくなりそうな程苦しくなってきた。
これはやばい、力を振り絞り楓を押し上げた。
すると楓の体は離れていった。
「っは!!」
漸く取り込むことの出来た酸素を深く吸い、呼吸を整える。
今までの怒りは消え、ただただ驚きでいっぱいだ。
倒れたまま楓を見上げると、僕に跨っている状態でこちらを見下ろしていた。
楓も少し呼吸が乱れている様子だ。
口元が気になるのか、手の甲に口を当てて隠している。
目が合うと力なく微笑み、呟いた。
「これくらい許して。これだけしたら、記憶に残すくらいしてくれるでしょ?」
僕はまだ固まったままで、返事が出来ない。
景色のよう、楓を眺めている。
楓はそんな僕を見てクスリと笑い、立ち上がった。
そして扉を開け、ドアノブに手をかけ……。
「ばいばい、『あっくん』」
そう言うと、部屋を出て行った。
僕はまだ動けない。
少しして玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
……『あっくん』?
確か小さい頃そう呼ばれていたが。
その頃に楓と出会っていたのだろうか。
何か思い出しそうな気もする。
はっきりとは見えないが、頭の中にぼんやりとした輪郭が浮かび上がってきた。
でも、そこまでだ。
そんなことより、今は楓を追いかけた方がいい。
分かっているのに……足が動かない。
追いついたところで何を言っていいか分からない。
そもそも僕は楓をどう思っているのだ。
雛、夏緋先輩、手紙をくれた子達には応えられないと決めた。
でも、楓については答えが出せない。
どうしてだ?
寝転んだまま、腕で視界を塞ぎ考える。
このまま楓とはもう『終り』だろう。
さっきの『さよなら』はきっと本物だ。
楓から僕に何か言ってくることはもうないのだろう。
だからこそ、こんなことをしたのだと思う。
さよならを言っていた時の楓の顔が、脳裏に浮かんだ。
「このまま『さよなら』なんて嫌だな」
きっと、答えはずっと前から出ているのだ。
でも、それを簡単には受け入れられない躊躇させる壁がある。
やっぱり『性別』だろう。
僕は何が一番大事なのだろう。
何を失いたくないのだろう。
動けないまま、楓の後を追えないまま頭を抱えて床に転がり続けた。
※※※
どれくらい時間が流れたのか分からない。
頭も回っているような、いないような……。
楓のことを考えてはいるが、同じような考えがグルグル回っているだけでただ時間を消費しているだけだ。
時計の音をぼんやり聞いているとインターホンがなり、驚いてビクッとしてしまった。
情けない。
楓が戻ってきたのだろうか。
その可能性は低いがどこか期待している自分がいる。
それならば会いに行けばいいのに、自分から動けない自分が情けない。
期待と不安を感じながら扉を開けると、そこには手に紙袋を持った女子高生が立っていた。
楓ではなかった。
「雛?」
泣いていたのか目元を赤くして少し疲れたような様子の雛が僕を見て微笑んだ。
精一杯の笑顔、という感じだ。
どこか痛々しく感じる。
「お腹空いてない?」
紙袋を持ち上げて僕に見せた。
中には何か食べ物が入っているのだろう、良い匂いがする。
いつの間にか昼ご飯の時間になっていたようでお腹が空いていることに気がついた。
「……空いてる」
「一緒に食べよ」
「学校は?」
「サボっちゃった」
腹は減ったが楓のことで頭がいっぱいで、今は雛に対応している余裕がない。
断ろうか考えていると雛はグイグイと家に入り、リビングの方に行ってしまった。
仕方ないと諦め、扉を閉めて後に続いた。
リビングに行くとソファの前のテーブルに紙袋が置いてあった。
雛はキッチンに行き、飲み物を二人分準備しているようだ。
この家のことは熟知している雛に任せ、僕はソファに座りながら紙袋を覗いた。
袋を開けた瞬間の食欲をそそる良い匂いでそれが何かすぐに分かった。
僕の好物のホットサンドだ。
「これ、どうしたんだ? 売り物?」
「手作りだよ」
「お前が作ったのか?」
「……。……うん」
以前楓が作ってくれた時に意識していたし、わざわざ挑戦してくれたのだろうか。
見た目も綺麗だし、よく出来ている。
「ねえ、アキ。朝、学校に来ていたでしょ? すぐに帰ってどうしたの?」
「え? まあちょっと体調悪い気がして」
「『悪い」じゃなくて『気がする』? 嘘でしょ」
誤魔化そうとしたがまたバレてしまった。
雛にまで笑われてしまう始末。
自分用のミルクティーと僕用のカフェオレを持って来た雛がそれをテーブルに起き、隣に腰掛けた。
紙袋からホットサンドを取り出し、一つを雛に渡す。
匂いに刺激され、本格的に空きだしたお腹を満たすためにガブリと勢い良くかぶりついた。
「美味いな」
お世辞抜きで美味かった。
チーズのとけ具合といい、味の濃さといい、焼き加減といい僕好みの美味しさだった。
「?」
美味しいことに妙な違和感があった。
雛は料理が下手というわけではないが、特別上手というわけでもない。
そんな雛がホットサンドを作ってくれたのは初めてなのに、僕の好みを掴みすぎているような……。
「……美味しい」
雛に視線を向けるとホットサンドを凝視しながら、寂しそうな表情で口を動かしていた。
「これ、本当にお前が作ったのか?」
この様子を見ても、雛が作ったというには違和感がある。
「……バレちゃった?」
笑っているが、やはり表情はどこか寂しそうだ。
すぐに作った人物に察しがついた。
「楓か」
「分かっちゃうんだ?」
なんとなくだが、食べてすぐに分かってしまった。
こんなに僕の好みを再現出来るなんて、兄か楓しかいない。
「楓が作ったコレを何でお前が持っているんだ?」
「この家の前で会ったの」
雛がここに来た時、楓が紙袋を持ってこの前に立っていたらしい。
雛を見ると立ち去ろうとしたが一瞬躊躇った後、僕が腹を空かせているだろうから食べさせてやってくれと言って去ったそうだ。
雛が作ったことにしてくれ、と言い残して。
「なんで……」
「私の方がアキを幸せに出来るから、って」
それを聞いた瞬間、足が動いていた。
どうしたいのかも分からない。
でも、楓に会いたい。
「アキ! どこに行くの!?」
「楓を探してくる」
「待って!」
リビングを出ようとしていた僕の背中に雛がしがみついてきた。
「私、私ね……ずっと前から……ずっとずっと前から……アキのことが好きなの!」
「雛……」
雛の言葉を聞いて朝の場面が蘇ってきた。
雛は雛なりに頑張って、僕に想いを告げようと今まで頑張ってきてくれたのだろう。
そして今、こうやって言葉ではっきりと伝えてくれた。
僕には想像出来ない位、勇気を振り絞って伝えてくれているに違いない。
でも……その想いに応えてあげることが出来ないのが辛い。
けど、ちゃんと言わなければならない。
「ごめん」
背中にしがみつかれているので、顔を見ることは出来ないが言葉を続ける。
「雛のことは好きだし、大切だけどそれは恋愛感情じゃないんだ」
「やだ……聞きたくないっ」
背中に感じる体温が熱を帯びてきている。
泣き始めてしまったのかもしれない。
声も震えて聞こえる。
「雛」
ちゃんと目を見て話そうと振り向くと、そこには涙に濡れた雛の顔があった。
「ごめん。お前の気持ちには応えられない」
そう告げると、更に目からは涙が溢れ出してきた。
我慢出来なくなったのか、声を出して子供のように泣き始めてしまった。
慰めてやりたいが、中途半端に優しくすることは出来ない。
雛が泣きながら胸に飛び込んできたが、腕を回して抱きしめるなんてことも出来ないしどうすることも出来ない。
可哀想だが腕を掴んで体を離し、もう一度『ごめん』と応えられないことを謝った。
見つめ合う瞳からは大粒の涙が溢れ出ているが、僕に応える意志がないことを理解したのか、その場に崩れるように座りこんだ。
「もう、いいよ。どこでも行って」
感情の無い声で雛が呟いた。
怒っているのだろうか。
これだけ傷つけてしまったのだから嫌われても当然だろう。
こんな状態の雛をおいて行くのは忍びないが今は楓に会いたい。
もう何度目か分からない謝罪を零しながら、雛に背を向けた。
「……敵わないなあ」
背後で雛が何か呟いていた。
だが、振り返ることはしない。
雛を残したまま、楓を探すために家を出た。
※※※
ホットサンドは作ってから時間が経っていないと感じた。
恐らく家で作って持ってきてくれたのだろう。
その後学校に戻っているかもしれないし、家に帰ったかもしれない。
家に帰った可能性の方が高そうだが、ふと以前に楓が泣いたためブラックコーヒーを買って渡したあのベンチを思い出した。
自然と足がそちらの方向に向かう。
なんとなくだが会える予感がする。
走って辿り着いた自動販売機近くのベンチ。
「……いた」
やはりそこには探していた姿があった。
だが顔は見えず輝く金の髪が見えるだけ。
ベンチに足を上げて膝を抱え俯いている。
「……楓」
声を掛けると反応したように丸まった体が微かに動いた。
だがこちらを見るつもりは無いらしくそれ以上は動かない。
近づくと嗚咽が聞こえてきた。
……泣いているようだ。
「なんで来ちゃうかな」
震える声で心底迷惑そうに呟いた。
その様子がおかしいような、痛々しいような。
逃げられないか不安を感じつつ、ゆっくりとベンチの隣に腰掛けた。
「……思い出したよ。『あきちゃん』」
それは幼い日、幼稚園児の時の話だ。
園児たちの中で結婚の話が流行り、パートナーがいない奴はダサいという風潮になっていた。
当時の僕は雛のことが好きで、当然雛に告白したのだが『まことにぃのほうがすき』とフラれてしまった。
玉砕して自暴自棄になって砂場を荒らしているところに一人の女の子が現れ、僕に言った。
『ボクがおよめさんになってあげてもいいよ!』
雛ばかりを見ていたからか知らなかったが、金の髪を一つに束ねた可愛い子だった。
僕はその場でその子と結婚することを約束した。
だが僕は知らなかったのだ。
その子が『男の子』であるということを。
後日それを知り、僕は怒った。
だったら結婚出来ないじゃないか、と。
出来ないのに言うなと文句を言ってその子との記憶はそれっきりで終わっている。
その子を僕は『あきちゃん』と呼んでいた。
『楓秋人』だから『あきちゃん』か。
「思い出さなくて良かったのに」
「そんなこというなよ」
「ボクには辛い記憶だよ。男だってことを怒られて、それからアキラは話さえしてくれなくなった。いつの間にかあの子と仲直りしているし。ボクが忘れていたのは辛すぎて記憶を消したのかもしれない。覚えていたらこんな思いをせずにすんだのに。『女の子じゃないから』なんて思いながらまた泣くことになるなんてちっとも学習してない」
幼い僕が楓の心を深く傷つけていたようだ。
ある意味『女の子じゃない』というワードが楓のトラウマになってしまっているのかもしれない。
だからさっきもあんなに傷ついた様子だったのだろう。
「もう、放っておいてよ」
「放っておけないから困っているんだろ」
「だったら受け入れてよ! はっきりして! 中途半端に優しくしないでよ!」
朝のような余裕の無い叫びだった。
「また子供の頃みたいに『女の子じゃないくせに』って無視すればいいじゃないか……」
そう言うと再び抱えた膝に顔を埋めて泣き始めてしまった。
改めて楓の心の傷の深さが見えた気がした。
どうして子供の頃の僕は楓に冷たい仕打ちをしてしまったのだろう。
子供の頃の自分を殴ってやりたい。
「子供の頃のこと……ごめんな。僕が馬鹿だったんだ」
「アキラのそういうところ、嫌い」
「……ごめん」
謝ったからと言って簡単に許せたりしないだろうし、すぐに傷が癒えるわけもない。
それに謝られたら『許さない』とは中々言えないものだ。
謝罪って謝った者の方が楽になる儀式かもしれない。
そう思うと、簡単に謝ってしまったことも後悔した。
どうするべきか悩む。
何も言葉が出ない。
暫く黙っていたが、一つ大事なことを思い出した。
「ホットサンド、美味かった」
お礼をまだ言っていなかった。
楓のホットサンドは本当に美味かった。
「……ほんと、嫌い」
さっきはいきなりキスをされたのに、今度は二回も嫌いと言われてしまった。
どっちなんだ、忙しい奴だと閉じた貝のような状態の楓を見て少し笑ってしまった。
少し笑って肩の力が抜けると、色々なことが話せそうな気がしてきた。
頭の中はまだ纏まっていないし覚悟も出来ていない。
けれど、話しているうちに何か変化があるかもしれない。
楓に分かってもらえることもあるかもしれない。
聞いて貰えなくてもいい。
独り言のように呟くことにした。
「僕は楓ほどしっかりしていないんだ。だから楓の真っ直ぐな気持ちを受け止められる器が無かったんだ。でも、分かったことがある」
隣の貝を見るが未だ閉じたままだ。
でも恐らく、話は聞いてくれているだろう。
「楓が僕のそばからいなくなるのは嫌だ」
自分から距離を開けたときも言いようの無い喪失感があった。
さっき『さよなら』を言われたときは頭が真っ白になった。
「それに、楓が他の人のところに行ってしまうのも嫌だ」
例えば兄のところだ。
やっぱり兄の方が良かった、と言われてしまったら……。
焦りのような怒りのような、黒くモヤモヤしたものが湧き出てきてしまう。
「今まで僕にくれた言葉や行動を兄ちゃんとか、他の人にあげてしまうのは……嫌だな」
横を見るといつからか貝は開いていた。
目を見開き、戸惑った様子でこちらを見ている。
その反応を見ると自分の言っていることが恥ずかしくなってきて、思わず話す声も萎んでいってしまう。
「それが答えなのかなって、僕は思うのですが……」
気まずくなり、何故か敬語になってしまった。
どう纏めるか頭を掻いて考えていると、横から衝撃が入った。
楓がタックルするような勢いで抱きついてきていた。
ぎゅっと力を込めて抱きつかれ、苦しいくらいだ。
「気持ち悪いでしょ? 引き離してよ」
何度聞かれても、気持ち悪いなんてことはない。
楓にベタベタされて気持ち悪いと思ったことは一度もなかった。
「出来ないの?」
どうしようか考えていると、抱きついていて顔の見えない楓が次々と言葉を零していく。
「じゃあ抱きしめて。引き離すか、どっちかにして」
これが楓からの最終選択なのだろう。
楓らしいやり方だと思う。
そう思うと心の中にかかった靄が晴れていくような気配がした。
僕は難しく考えすぎていたのかもしれない。
いや、そういうことでもないか。
頭で考えすぎていた、ということだろうか。
もっとシンプルに気持ちに素直になれば良かったのだ。
ここではっきりさせよう。
「強引な奴。でも……そういうところがいいのかもしれない」
そう呟き、抱きついてきている楓の背に腕を回して力を入れた。
「負けたよ。僕は楓のことが好きらしい」
『自分はBLにならない』、今思えば自分を鎖に縛ったようなものだ。
馬鹿らしい。
そんなこと考えていなければもっと自分も素直になれたし、楓を苦しめることもなかったのにと後悔の念が浮かぶ。
「アキラ……!」
謝罪も込めて、もう一度楓を抱きしめている腕に力を込めた。
「聞いたからね! もう取り消せないからね!」
必死に詰め寄ってくる楓を宥めつつ、涙で汚れた顔を服の袖で拭いてやる。
すると、持っていたハンカチを僕に差し出してきた。
これで拭いて、ということらしい。
すぐにハンカチがすぐ出てくるなんてやっぱり女子力が高い。
何故こいつはこんなに女子力も高くて可愛いのに女子じゃないのだ。
神様の過ちだ。
って……男とか女とかどっちでもいいか。
それよりも、重要なことに気がついた。
「ここ、移動しない?」
「なんで?」
気持ちに余裕が出来ると、ここが公共の場であることを思い出した。
まだ午後の授業が残っているようで学生の姿はないが、もうすぐ溢れるだろうし、今も通行人のおばあちゃんが凄くこちらを見ている。
足を止めて凝視している。
「凄く見られています。僕は気まずいです」
あれはひょっとして佐々木さんの未来の姿か?
見すぎです、おばあさん。
楓を好きになって結果BLとなることは許容したが、オープンBLになるにはレベルが足りなさ過ぎる。
「帰ってさっきの続きしよっか?」
まだ目元の腫れた楓が、嬉しそうに微笑む。
さっきの続きというと……それは展開が早すぎるのではないだろうか。
だから僕はまだBLレベル一だってば。
それに……。
「駄目だ、家では雛が泣いてる」
楓にホットサンドを届けてくれた雛に告白され、断ったことを話した。
すると楓はニヤリと悪い笑顔を見せた。
「お前、性格悪いな」
「散々苦い思いをさせられたからね!」
人の失恋を喜ぶものじゃないぞと注意したが、全く聞いていないようだ。
とにかく、ベタベタするのはいいが人前では恥ずかしい。
今は人がいないという楓の家に向かうことになった。
ベンチを立ち上がると自動販売機が目に入った。
喉も渇いたし、何か買っていこう。
自分はカフェオレを買い、楓の方を見る。
「楓はブラック?」
ベンチから立ち上がり、僕の腕を掴んだ楓が笑う。
「アキラの半分貰う」
「甘いけど?」
「飲めるようになった。っていうか今はそっちの方が好き」
まさか兄と同じ現象か?
照れるような、嬉しいような……誤魔化すように笑うと楓が良く見る小悪魔な表情でこちらを見ていた。
こいつめ……。
そう言えば、はっきりさせておかなければいけないことがある。
「楓」
周りに人がいないこと、おばあさんも立ち去ったことを確認し、一歩前に出た。
歩き出そうとしていた楓を呼び止める。
振り向く途中、腕を掴み、引き寄せた。
色の白い整った顔を捕まえ、さっき楓にやられたことをやり返した。
今度は楓が窒息する番だ。
「んんっ!」
暫くして、離してやると目を見開いて僕を見ていた。
みるみる顔が赤くなっていく。
それを見ると仕返しが成功したような、悪戯が成功したような感じがして思わず口角が上がった。
「僕はされるよりする方がいいから。分かった?」
そういうと楓が更に顔を赤くして、コクンと頷いた。
「よろしい」
大事なことを理解頂けたようでなによりだ。
僕の心の中はすっきりしたのだが楓が顔を赤くしたまま固まり、動かなくなってしまった。
女子力だけじゃなく乙女度も高かったようだ。
そんなことをしている間に、学校のチャイムが鳴ってしまった。
こんなところを見られるのは流石にまずい。
楓の腕を引っ張りながら急いで逃亡したのだった。
※※※
「素晴らしいわ」
楓と二人で登校していると後ろから声が飛んできた。
誰か分かるので僕と楓は無視だ。
「三十分、いえ三分でいいから今の二人についてインタビューさせてくれない?」
相手にしていないのに一人で楽しそうに喋る腐女子。
「こいつにボク達のこと話したの?」
「話すわけないだろ。雛から聞いたか勝手に思っているだけだ。無視だ、無視」
楓とコソコソと話し、振り向くことも視線を向けることもせず黙々と足を進めた。
すると楓と僕の間に後ろから掻き分けるように手が伸びてきて、強引に佐々木さんが入り込んできた。
「ところで私はいつ合流させて貰えるのかしら? 絶賛正座待機中よ。今?」
期待に胸を膨らませたように、目を輝かせて僕と楓の顔を交互に見る。
凄くうざい。
「永遠に正座していろ」
「アキラ、喋ったら駄目じゃん。っていうか邪魔! 消えてよ!」
「ええ~私も入れてよ」
後ろに押し戻そうとする楓と、邪険にされていることも楽しそうな佐々木さんが横で騒ぐ。
煩いなあ。
でもこの騒々しい感じも少し懐かしくて良い。
以前の面子は佐々木さんじゃなくて雛だったが。
雛は今朝、姿を現さなかった。
当然といえば当然だ。
昨日、楓と別れて家に帰ると雛の姿は無かった。
心配になり春兄に電話をすると、家には帰っているようだった。
部屋に篭って様子がおかしいと春兄が心配していたので、事情を説明しようか迷ったが僕が電話をかけて雛の心配をしていることで察してくれたようで、何も聞かず『様子を見ておくから心配するな』と言ってくれた。
さすが兄の彼氏は頼りになるし格好良い。
「あ、雛ちゃん」
声に驚き佐々木さんの視線の先を見ると、そこには言ったとおりの雛の姿があった。
向こうもこちらに気がついたようで、俯いていた顔を上げた。
わあ……。
目は腫れ、隈が出来ていてひどい有様だった。
確実に僕のせいだ。
あまりにも痛々しくてどう声を掛けたらいいか分からず黙っていると、雛は僕達の横を通り過ぎて行った。
「BLなんて大嫌い。滅べばいいのに」
すれ違いざまに、こんな言葉を吐き捨てて行った。
「雛ちゃんがグレたわ」
「ははは……」
佐々木さんは『滅んだら私も死んじゃう』なんて言いながら笑っているが、僕は泣きそうだ。
雛、本当にごめん。
雛は春兄にも『BLは嫌い』と冷たくなったらしく途方に暮れたそうだ。
春兄、ごめん……。
『BL』の意味が分からない楓はきょとんとしているが、不吉なことを言われたことは察したらしい。
「ボクがあの子の分も幸せにしてあげるよ」
にっこりと可愛い笑顔で微笑んできた。
抱きしめたい衝動に駆られ、思わず楓に手が伸びそうになったが……。
――ニヤア
腐った目が僕と楓を見て笑っていた。
恐ろしい。
しかし……見る側から見られる側になるなんて。
でも、楓がそばにいて笑っていて……凄く幸せだ。
間違っていなかったと思う。
BLゲームの主人公の弟は、どうやら兄と同じ運命を辿ることになりそうです。
 




