最終話 辿り着いた答え
制服のままベッドに飛び乗り、布団をかぶって丸まった。
楓や雛、夏緋先輩の言葉が頭の中でぐるぐる回っている。
嬉しい、恥ずかしい、申し訳ない、どうすればいいか分からない。
それらが混ざって、無性に叫びたい衝動に駆られる。
ただ声に出してしまうと、聞かれると恥ずかしいことを大声で言ってしまいそうなのでぐっと堪えた。
頭をガシガシと掻くことでその衝動を発散させているが、このままのペースでいくと確実に禿げそうだ。
それは絶対に駄目だ……でも我慢出来ない!
もういいや、禿げてしまったら髪の毛のお帽子を被るか植毛をしよう!
もしくは思い切って坊主にしよう。
そうだ、お洒落坊主を目指すのだ。
まずはサングラスを買い、形から入って……って、そんなことはどうでもいいのだ!
こんな大事なことを考えている時まで、思考が逸れて行く自分にがっかりだ。
なんて馬鹿なのだろう
こんな奴のどこを好きになってくれたのだろう。
不思議で仕方が無い。
本当なのかと疑いたくなるが、それはやってはいけないことか。
真剣に考えてくれている人達の想いを、否定するようなものだろう。
皆が皆、真剣なのかは分からないけれど……。
いや、『真剣なのかどうか』なんて、どうでもいいことなのかもしれない。
手紙をくれた子達の中には僕が知らない子がいたし、向こうだってそんなに僕のことを知らないかもしれない。
知らないのだから、『お前の想いは偽物だ!』なんて否定をする気はないけれど。
想いの深さなんて測れないし、分からない。
例え『ちょっといいな』という程度だったとしても、好意を伝えるということは勇気がいることだし、軽いことではない。
僕はそう思う。
だから想いの比重なんか気にせず、伝えてくれたのだからちゃんと考えて返事をする。
それは僕が『しっかりとやらなければいけないこと』だと思った。
「ちゃんとしなきゃな」
気合を入れるため、両手でバチンと頬を叩き起き上がった。
『好き』ってなんだろう。
好きにも種類は色々ある。
家族として、友人として、恋人として……。
雛も、楓も、夏緋先輩も、嫌いじゃない。好きだ。
雛は気を使うことも無く、ちょっと面倒くさい奴だけど、そこが良いところでもある可愛い女の子で、一緒にいると穏やかな気持ちになる。
楓も面倒くさいところがあるけど、好意が伝わってくるし、許してしまう。
一生懸命で、強気で、意志の強いところは好感もあるし、見習いたいなという憧れもある。
夏緋先輩は本当に格好いい。
普段そっけないけど本当は気が利いて、優しくて、頼りになるところに憧れる。
夏緋先輩のようになりたい。
手紙をくれた子達のことはあまり知らないので、申し訳ないけれどやっぱり断ろうと思う。
此処まで考えて、しみじみ思った。
兄はこんなに労力を使うことを何度もこなしていたのか、と。
改めて兄の凄さを知った。
あの人凄いや。
知恵熱が出そうなほど頭を使ったが、答えが出ない。
受験の時より頭を使った気がする。
ベッドの上に胡坐をかいて座っていたが、上半身が前に倒れて足首と顔がくっつきそうなよく分からない体勢になっていた。
なんの修行だよ、これ。
もう、ゲシュタルト崩壊を起こして『感情ってなんだっけ?』と言い出しそうだ。
「……少し休もう」
気を詰めて、焦ってはいけないのかもしれない。
一時間ほど眠って、頭をリセットしよう。
体をベッドに倒して広げ、目を閉じた。
夢を見た。
子供の頃の夢だ。
僕は黄色い帽子をかぶり、水色の割烹着のような幼稚園の制服を着ている。
幼稚園に通っていた時の記憶だ。
砂場で楽しそうに山を作っている。
向かいには同じ格好の美幼女、雛がいる。
スコップで砂をすくっては、僕が作っている山の上にかけていた。
『ねえ、ひなちゃん』
『なあに?』
『おとなになったら、ぼくとけっこんしようよ』
小さな僕が言った言葉に、思わず目を見開いた。
……なんか僕、雛にプロポーズしていますけど!
こんなことを言ったか? と記憶を掘り出してみると、あった気がしてきた。
すっかり忘れていたが、言ったような……言ったな。
そうだ、この頃園内で『誰と結婚する?』という話が流行っていて、相手が決まっていない奴は恥ずかしいという空気になっていたのだ。
それで僕は、迷わず雛にプロポーズしたのだ。
それで確か返事が……。
『ええー。ひな、まことにぃのほうがいいから、あっくんイヤ!』
そうだった。
僕は玉砕したのだ。
ああ、全部思い出した。
この頃は呼び方も違ったし、どちらかといえば僕が雛にべったり付き纏っていた。
この時の僕は凄くショックを受けて、暫く兄に八つ当たりをしたのだ。
雛にも、『けっこんしてくれないからあそばない!』とか言った覚えがある。
この後更に名前も覚えていないが、凄く可愛い子と結婚すると約束したのだが、実はその子は男の子だったという追い討ちがあったのだ。
こんな頃からBLの魔の手が近づいていたというのか?
やはり僕とBLは切っても切り離せない関係なのか!
って……違う、今はそんなことを考えている場合じゃない。
あんなにショックだったのに、どうして忘れていたのだろう。
ショック過ぎて、記憶から消去してしまったのだろうか。
今思えば、兄に対する劣等感はここから生まれたような気もする。
兄のことは何の迷いもなく心の底から大好きだが、『絶対に勝てない』という思いはずっとある。
それに『雛が僕のことを好きかもしれない』と思い至らなかったのは、はっきりと記憶は残っていなくても、心の何処かで残っていたのかもしれない。
「ははっ、雛にフラれてるじゃん」
笑いながら目が覚めた。
こんなタイミングで思い出すなんて。
いや、こんなタイミングだからこそ、恋愛感情に関係することばかり考えていた今だからこそ思い出したのかもしれない。
僕の初恋は雛にフラれて散ったはずなのに……それがどうして今こんなことになっているのだろう。
雛は覚えているのだろうか。
コンコンというノックの音と、兄の声が耳に入った。
一時間程寝るつもりだったのが、随分長く眠ってしまっていたらしい。
もう兄が帰宅するような時間になっていた。
返事をすると部屋のドアが開き、兄が顔を覗かせた。
「央、早く帰っていたみたいだけど、体調悪いの?」
「僕はいつも頭が悪い」
「……大丈夫そうだね」
呆れたような笑いに苦笑いを返すと、兄が部屋の中に入ってきてベッドの脇に腰掛けた。
「何かあったの?」
兄の耳にも僕の事情が少しは入っているのかもしれない。
入っていなかったとしても、何か察してくれているのだろう。
兄ならこういう状況も経験しているし、恋愛の先輩でもあり、家族だ。
少し話を聞いて貰おうかと、口を開いた。
「僕さ、空前のモテ期なんだ」
「そうなんだ」
僕と同じ造形なのに何倍も綺麗に見える顔が微笑を浮かべ、こちらを見ている。
小さい子供がお母さんに悩みを聞いて貰っている様で恥ずかしくなった。
「央の心の中に、決まった人はいるの?」
「……どうかな」
ぼんやりと見えているような気はする。
だけど手を伸ばしていいものか、一歩踏み出せない何かがあるような……。
「兄ちゃんは、どうして春兄と付き合うことにしたの?」
好き合っているだけではなく『付き合う』という、関係を変化させるに至った決定打はなんだったのだろう。
僕に今足りないのはそれだ。
兄は急に自分の話を聞かれて、戸惑っていた。
考えているのか照れているのか、少し間を空けて返事がきた。
「あいつが傍にいない未来が、考えられなかったからかな」
どうやら照れていたようだ。
顔の血色が良くなった兄が可愛らしい。
僕が微笑ましく見ていることに気がついたのかコホンと小さく咳払いをし、表情を引き締めながらこちらを向き直した。
「いっぱい悩むといいよ。それが想ってくれた人達に返せる誠意になるから。いっぱい悩んで答えを出して、誰かの手を取るといい。あと、悲しませてしまう結果になることも、ちゃんと伝えなきゃね」
「……うん」
自分でも考えていたことではあるけど、改めて兄に言われて、その通りだなと気を引き締めた。
「沢山の人に愛されて、央は幸せ者だね」
「兄ちゃんの方がそうだと思うけど」
僕はこんな体験初めてだが、兄は慣れたものだろう。
その上好きな人と相思相愛で、仲良く過ごせているのだから。
「そうだね、オレ達は恵まれているよ。だから返せること、出来ることはしっかりやらないと。央は面倒くさいと思ったら、後回しにしちゃうところがあるから。今回はそんなことはないように!」
「分かってるって」
自分の欠点は分かっている。
念を押されると辛くなるけど……その通りだから仕方ないか。
部屋を出て行く兄の背中を見送りながら、大きな溜息をついた。
そういえばまだ制服のままだ。
既に皺くちゃになっている。
急いで部屋着に着替えることにした。
制服をハンガーに掛け、ポケットからスマホを取り出す。
ふと、以前盗み撮り返しをした写真の存在を思い出した。
指で操作し、画面に表示を選択。
何度見ても、幸せそうな顔をして眠る雛の写真が表われた。
「『気づいて』って、このことだったのか」
僕は思い出していた。
子供の頃、雛に抱いていた感情を。
それは自分が目を背けることで眠らせていた感情だけれど、こうやって今向き合うことで目を覚ました。
『未来でも、傍にいて欲しい人』
兄が辿り着いた答え。
僕の場合だと、誰だ?
高校生になって、異性関係に興味を持ち始めて、『とりあえず付き合ってみる』なんてことはしたくない。
ちゃんと一緒に歩んで行けるような関係がいい。
これから先、遠い未来も一緒にいたい。
『終り』があるだろう、なんて想定した関係は嫌だ。
そう思った時、隣にいて欲しいと思ったのは……。
思い浮かんだのは、僕の名前を呼びながら微笑んでいる雛の姿だった。
「ちゃんと言おう」
雛にちゃんと想いを伝えよう。
それに楓や夏緋先輩、手紙をくれた人達。
すっかり窓の外は暗くなっていた。
昼ご飯も食べていなし、お腹が空いてきたが雛に会いたい。
家まで行って話をしよう。
階段を下り、兄に声を掛けて出ようとリビングを覗くと兄は電話をしていた。
僕の姿を捉えるとスマホを耳から離し、声を掛けてきた。
「央、春樹から電話で、雛がまだ帰ってないらしいんだけど心当たりない?」
「え?」
時計を見れば、二十時を過ぎている。
「連絡もなく夕ご飯の時間までに帰って来ないなんて今まで無かったから、探しているらしくて……」
「心当たりは……これっていうのはない。でも、探してくる」
雛に何かあったのかもしれない。
不安になり、急いで家を飛び出た。
雛がいそうな場所にいくつか心当たりはあるが、まずは通学路を辿ってみよう。
そう思った時だった。
隣の家との隙間で影が動き、僕から逃げるように身を隠した。
すぐにその影の正体は察することが出来た。
……探すまでもなかった。
ゆっくりと近寄って覗くと、そこには思った通りの姿があった。
「……雛。こんなところで何をしてんだよ」
ビクッと雛の肩が跳ねた。
自分の鞄を両手で抱きしめながら、何かを必死に堪えているように見える。
顔は俯いたままで、こちらを見ようとしない。
「春兄も心配してるぞ」
そう言いながら近づこうとすると、雛が一歩下がり……。
「……ごめんなさいっ」
勢い良く後方に走り始めた。
逃げられては駄目だ、このままで別れてはいけない。
今ちゃんと話をしなければ。
そう思い、すぐに後を追った。
必死に走った雛だったが、男の僕を振り切ることなど出来るはずがなく、すぐに捕まえることが出来た。
「待てって! 何処に行くんだよ」
逃げないように腕を掴んだ。
様子がおかしいような気がして雛を見ると、制服と手が汚れていることに気がついた。
「お前、これ……どうしたんだよ。何かあったのか?」
何かトラブルに巻き込まれたりしたのかと心配になった。
雛のような可愛い子がまだ八時とはいえ、一人で暗い中をウロウロしているのは危ない。
両腕を掴んで正面を向かせ怪我がないか確認したが、少し汚れているだけのようだ。
「……どこにも無いの」
「何が?」
「ここペリん」
「ゲーセンで取ったアレ?」
そういえば雛は鞄に、紐でここペリんをぶら下げてつけていた。
だが今鞄にはその姿はない。
どこかで紐が切れてしまったのだろうか。
「それで、探していたのか?」
コクンと頷き、下を向いてしまった。
汚れながらこんな時間まで探していたなんて……。
「あんなもの探すより、家に帰れよ。皆心配したんだぞ」
「あれがないと駄目なんだもん!」
勢い良く顔を上げ、僕の腕を掴み返し、必死に訴えてくる雛。
その剣幕に圧倒されてしまった。
「アキがとってくれたものだし、おまじないしてるんだもん!」
「はあ?」
「あれがないと、アキを取られちゃう……」
段々声が小さくなり、途中から雛の目からは涙が溢れていた。
「昨日は折角家まで来てくれたのに、ちゃんと話を聞かなくてごめんなさい」
僅かに耳に届くような、消え入りそうな声で呟いた。
僕の腕を掴んでいる手の力も弱くなっていく。
何か言ってやりたいのに言葉が出ない。
「ねえ、アキ……私……」
再び手に力が篭りだした。
その様子で何かを伝えたいのだということが分かった。
何を言いたいのか、それも分かる。
男として僕から言うべきなのだろうか、雛の言葉を遮るか迷う。
でも雛が自分の言葉で必死に伝えようとしているのが分かる。
根は真面目な雛だから、佐々木さんや楓に言われた言葉で自分のことを責めて頑張ろうとしているんだろう。
だったら止めたりせず、ちゃんと受け止めて聞いてやろう。
「……何だよ」
痛いくらいに僕の腕を掴んでいる手をはがし、俯いて見えない顔を上げるよう前髪を指ですくってやると、一瞬逃げるような素振りを見せたが涙を手で拭ってこちらを見た。
既に赤くなってしまった雛の目に自分が映っているのが見える。
中々言い出せないようで止まったままだ。
黙ってその様子を見守る。
暫くの間、僕から目を逸らしたり視線を戻したりと落ち着かない様子で口を閉じていたが、意を決したような強い視線になるとゆっくりと口を開いた。
「……私…………私ね、ずっと前からアキのことが好きなの」
言い終わると拭っていた涙が再び流れ出した。
「……やっと、やっと言えたあ」
泣くのを堪えていたのか、栓が抜けたように涙が溢れ出して止まらなくなった雛。
拭っても拭っても流れだし、話す声にも嗚咽が混じりだした。
「言うのが怖かった。本当は気づいているのに、私のことが好きじゃないから気づかない振りしてるんじゃないかって。好きだって言って駄目だったら、もう一緒にいられなくなるんじゃないかって思ったし。アキの隣は私の場所なの。ずーっと私だけの場所なの! 楓君と、ふうちゃんには……ううん、誰にもあげたくないの!」
とうとう小さな子供のように泣き始めてしまった。
ずっと心の中に閉じ込めていたものを外に出して、感情をコントロール出来ないのだろう。
こんなになるまで、雛がここまで追い込まれるまで気づいてやれなかった自分が不甲斐ない。
「ごめん、もっと早く気づいてやれなくて」
無意識に体が動き、気づけば雛を抱きしめていた。
僕よりもこんなに背が低くて、か弱い女の子をずっと苦しめていたのかと思うと辛くなった。
抱きしめている腕にも力が入ってしまう。
僕の胸に顔が埋まっている雛が動揺しているのが分かる。
でも今は離したくない。
腕に閉じ込めたまま、雛に話しかける。
「ここぺりんとか、あんなもん無くたっていいんだよ」
「で、でも、おまじないが……」
下から聞こえる声が、まだ必死に訴えてくる。
「だから無くったっていいって言ってるだろ。お前は人の話を聞けよ」
こんな状況なのに分かってないな、こいつ。
そんなもの無くったって、お前の恋愛は成就しているんだという僕の意図が伝わっていないようだ。
長年雛の想いに気がつかなかった鈍感な僕が言えたことではないか。
雛が頑張って自分の言葉で伝えてくれたのだ。
僕もはっきりと伝えよう。
「一回しか言わないからな」
「う、うん」
顔を見て話せるよう、少し体を離した。
雛の目を見ると、何を言われるのかと緊張しているのが分かった。
僕も段々緊張してきた。
改めて自分の気持ちを言葉にするということは、こんなに気心が知れた雛相手でもドキドキしてしまうものなんだな。
やっぱり告白って凄いことだと思う。
軽く深呼吸をして気持ちを整え、口を開いた。
「兄ちゃんが言っていたんだ。春兄を選んだのは、春兄がいない未来が考えられなかったからだって。僕の場合は誰だろうって考えたら……お前だったよ」
雛の目が大きく見開かれた。
口も少し開いている。
ちゃんと言っている意味が伝わったようだ。
でも、この言葉もはっきりと言おう。
「雛が好きだ」
雛は呆然とした様子で固まった。
まるで時間が止まったように動かない。
僕は雛の反応を待とうと黙って見ている。
「……絶対嘘だあ!」
「はあ?」
急に動き出したかと思うと、顔を顰めて叫び声を上げた。
どういうことだ、意味が分からない!
「都合が良すぎるもん! 私、全然駄目なのに……。アキに好きって言って欲しくて、言わせようとずるいことばかり考えてた。楓君に勝てない。駄目駄目だもん!」
バリアを張るように掌をこちらに向け、一歩下がり、僕から離れた。
混乱して疑心暗鬼に陥っているようだ。
気持ちは分からないでもないが、緊張しながら告白したのに否定されてしまうと悲しいものがある。
でも今度は僕が頑張る番か。
「僕だって雛の気持ちや自分の気持ちに気づかなかったのは、きっと逃げていたからだ。駄目駄目だ。一緒じゃないか」
離れてしまった手を掴み、話を続ける。
混乱しているようだがもう僕を見る目から涙は流れていない。
黙って話を聞いている。
「こんな駄目な僕を好きだと言って貰えるのが不思議だよ。お前こそ、僕でいいのか?」
瞳には僕を映したままだが、固まったままで雛は動かない。
顔は涙でぐちゃぐちゃだし土がついた手で触ってしまったため汚れ、美人が台無しになってしまっている。
ハンカチなんてものは持っていないので、服の袖を伸ばして拭いてやった。
「汚ねえなあ」
子供のようで思わず笑ってしまった。
「駄目な者同士、ちょうどいいじゃないか。僕でいいだろ?」
僕が笑っていることで硬直が解けたのか、雛が動き始めた。
そして折角拭いてやったのにまた泣き始めて……。
「アキじゃなきゃ、駄目!」
雛が突進してきて僕にしがみついた。
今度は悲しみの涙ではなかったようだ。
顎が刺さって痛かったが、我慢して抱きとめてやった。
痛い、すごく痛いが!
……でもこの少し残念なところが雛らしくて可愛い。
小さい声で『やったあ』と呟いているのが聞こえた。
漸く実感してくれたらしい。
遅えよ。
そのまま、お互い何も話すこと無く、雛の涙が止まるまで抱き合った。
※※※
「アキがBLじゃなくて良かった」
すっかり復活した様子の雛が呟いた。
まだ言うか。
「お前な、僕のことを全く信用していないだろ」
「してるもん!」
「っていうか僕は子供の頃、お前にフラれてるんだぞ! 覚えて無いのか?」
「えええええ!? そんなの絶対嘘だ!」
顔を上げ『ありえない』といった表情でこちらを見ている。
やっぱり信用してないじゃないか!
「嘘じゃねえよ! あの時お前が素直に僕の嫁になるって言っていたら、こんな面倒なことにはなってなかったかもしれないんだぞ!」
「よ、よよ……嫁!?」
大袈裟なリアクションで驚く雛にイラッとしてしまった。
「アキが私にプロポーズしてくれたの?」
「そうだよ」
『本当に覚えていないんだな』と怒りを込めて返事を返したのだが、ひなの顔が一気に赤くなった。
泣いたり赤くなったり、忙しい奴だ。
「もう一回言って?」
「嫌」
「そんなあっ!!」
今度は赤い顔から、絶望に染まったような表情に様変わりした。
「なんで覚えていないの、私! 馬鹿じゃないの!」
自分の頭をペシペシ叩く、一人コントのようなことを繰り広げている姿を見て告白したことを後悔しそうになった。
「ま……その時が来たらな」
「え?」
告白直後にプロポーズとかおかしいだろ。
自然と言わなければいけない時が来るはずだ。
「うわああああん」
急に再び大声を出して泣き出したことに驚き、ビクッとしてしまった。
一体なんなのだ!
「何故泣く!?」
「幸せだよお」
「お前、面倒くせえな!」
泣いたり笑ったりと忙しい雛の手をとり歩き始めた。
そろそろ家に帰らないと、春兄や家族が心配している。
春兄に電話を入れ、送って行くことを伝えながら進んだ。
「こうやって手を繋いで歩くのも久しぶりだね。えへへー」
歩いているうちに雛は泣き止んだが今度はニヤニヤと笑い出し、気持ち悪い子になった。
頼むから情緒を安定させてくれ。
雛の家につくと家の前で春兄が待っていてくれた。
……春兄にこの状況をするのが恥ずかしい。
手を繋いでいるのが見えただろうし、すぐに分かるだろうとは思うが。
直接春兄と話すことは避け、少し離れたところで僕は戻ることにした。
雛が春兄の前まで行くところ見届けると、家に帰ろうと踵を返した。
「ありがと、ダーリン!」
「うるせえ!!」
付き合い始めたことをこの場で知られるのが恥ずかしくてこうしているのに、背後から雛の馬鹿が叫んできた。
反射的に言い返した時、春兄の姿が目に入った。
笑っている……バレたな……。
今度は僕が顔を赤くする番だった。
クソッ、雛め!
逃げるように走って家まで戻った。
羞恥心をかき消すように全力疾走してしまい、息が上がりながら家に戻ってきた。
少し呼吸を整えてから玄関の扉を開けると、兄がすぐにリビングから出てきた。
兄も雛のことを心配していたのだろう。
雛を見つけて送ってきたことを告げると『良かった』と頷いた。
あともう一つ、大事なことを報告しなければならない。
「兄ちゃん、えっとさ……その……雛と付き合うことに……なりました」
やっぱりこの話題は恥ずかしい。
よく考えれば二家族からカップルが二つとか、世界はどれだけ狭いんだとツッコミをいれたくなるような状況だ。
兄の顔をチラリと盗み見ると、にっこりと笑っていた。
「知ってる」
「へ?」
予想外の返事に、間抜けな顔をして返してしまった。
「春樹から連絡がきたから。雛に『私が孫を見せてあげるからお兄ちゃん達は安心して』って言われたんだって」
「あいつ……!」
またデリケートな問題を雑に扱うようなことをしやがって!
明日その辺をちゃんと指導しなければならない。
大体『孫』とか気が早すぎる!
恥ずかしいやら腹立たしいやらで顔を顰めていると、クスクス笑うような声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、何笑ってんだよ」
「いや、オレとしては助かるなあと思ってね」
「嘘だろ」
この笑みは面白がっているだけにしか見えない。
「本当だってば。それに嬉しいんだよ?……雛に怒られずに済んだしね」
「何の話?」
「央の好みの味付けを楓に教えたこと、怒られそうだったんだ」
そういえば兄が雛の視線から逃げるようにコソコソと逃げていったことがあったが、そういうことだったのか。
ということは……。
「兄ちゃんは雛が僕のことを好きだって知っていたの?」
「知らないのは央くらいだと思うけど?」
「そうなの!?」
そこまで僕は鈍感系だったのか?
周りからなんであいつは気がつかないんだ、単純に馬鹿か鈍感ぶっている馬鹿だと思われていたということか……!
なんということだ、穴があったら入りたい!
「雛、頑張ったなあ。大事にしてあげなよ」
「分かってるって!」
嫌味のようなことを兄から言われ、更に恥ずかしくなってきた。
今日の兄は調子に乗り過ぎじゃないかね!?
乗るのは春兄の上だけにしてくれ。
「いやあ、めでたいね。赤飯でも炊く?」
「絶対やめて」
兄が声を出して笑っている。
くそっ、腹が立つ!
僕だって春兄のことで遠慮なく弄ってやるからな!
※※※
初めて彼女が出来て迎えた朝は……疲れていた。
色々あった興奮で目が冴えてしまったのか、中々寝付けなかった。
でも寝起きの機嫌は悪く無かったのは、幸福を感じているからかもしれない。
まだ少しニヤニヤしているように見えてしまう兄が用意してくれた朝食を食べ、仕返しに春兄と兄の関係を根掘り葉掘り聞き出しているとインターホンが鳴った。
きっと迎えが来たのだろう。
雛だと思いドアを開けた先には予想外の姿があった。
「アキラ、おはよ!」
「……楓?」
今日は来ないと思っていた楓だった。
楓には昨日のうちに気持ちを伝えた。
電話をしようかと思ったが、ちゃんと顔を見て伝えたい。
でも学校では話し辛いので家の近くまで行って外に出てきて貰い、話をした。
雛と付き合い始めたことも伝えた。
楓は返事もせず、無言で家に戻っていった。
その様子を見て今まで通りに話が出来るようになるのは少し時間がかかりそうだと、もう一緒に登校することもないかもしれないと思っていたのだが……。
きっちり七時半に姿を見せた楓は今日も綺麗な金髪を光らせにっこりと微笑み、いつも以上に天使だった。
予想外な様子にどういうことかと反応出来ずにいると、僕の戸惑いを察したのか楓が口を開いた。
「ボク、諦めたわけじゃないから」
「はい?」
昨日ちゃんと伝えたはずなのだが……。
「お前の気持ちには応えられないって、雛と付き合い始めたって言ったよな?」
「聞いたけど? それが何?」
「『それが何』ってお前……」
抗議をしようとしたのだが、下から覗き込むように楓の顔が急に近づいてきて、条件反射で話すのをやめてしまった。
息がかかりそうな程の距離で楓が小悪魔のような笑みを浮かべている。
「彼女が出来たからって、僕の気持ちや行動を規制する権利は無いからね」
耳元で囁かれ、ドキリとした。
確かにそうかもしれないがそこは諦めて欲しい。
楓に浮気をしたり心変わりすることなんて考えられないが、楓様の戦闘能力が高過ぎていつの間にか洗脳されてしまいそうな危機感がする。
「あああ!!?」
急いで離れようとしている、楓の背後から雄叫びが聞こえてきた。
非常に煩い。
朝から近所迷惑な大声を出しているのは可愛い僕の彼女だ。
「煩いなあ」
楓は振り向くこともせず、鬱陶しそうに吐き捨てた。
そうしている間に雛が駆け寄ってきて、僕と楓の間に割って入った。
「顔が近い! アキは私のなんだよ! 私の彼氏なんだから! 離れて! 今すぐ離れて! 楓君はアキの半径五メートル以内に入っちゃ駄目!」
「ああ、煩い。これだから女は。アキラも来年には女なんて面倒で嫌だってボクのところに来てるよ」
「そんなことないもん! 私、アキのお嫁さんになるんだもん!」
「付き合い始めて一日でもう結婚の話? 重たいなあ」
「お前ら煩い!」
……おかしいな。
関係には大きく変化があったのに状況は変わらない。
少し前は僕が二人を避け、気まずい状況が続いていたのでこうやって騒いでいるのも良く思えるが。
でも、以前と全く同じというのはいけないな。
「行くぞ」
靴を履き、鞄を持つ。
空いた方の手で雛の手を握り、歩き出した。
雛がこちらを見て驚いているのが分かる。
照れ臭いので無視をする。
雛と反対側から楓の舌打ちが聞こえてきた。
「でへへ」
僕の彼女が気持ちの悪い笑い方をしているのですが。
でも幸せそうだし僕も幸せだし、いいか。
登校途中、佐々木さんにも遭遇した。
手を繋いでいる僕達を見ると『一番つまらない結果になっちゃったのね』と、零した。
でもその目は優しく笑っていた。
『じゃあ楓君は私が貰うわね』と言っていたが、それはかなり難易度が高いと思うぞ?
楓には幸せになって欲しいので、佐々木さんを推すのは少々不安だ。
雛は上手くいくよう応援するらしいが。
校門に到着し、目の前に広がる校舎を見ていると入学してからのことが思い浮かんできた。
楓に出会い、柊に出会い、青桐兄弟に出会い、兄達カップルが喧嘩するという事件が起こったり。
腐女子の知り合いも出来たが、まあそれはいいか。
何より一番大きな出来事は手を繋いでいる幼馴染との関係が変わったこと。
BLゲームの世界で主人公の弟に転生しましたが、僕には彼女が出来ました。
此処まで読んでくださり、ありがとうございました。
央の「BLはやるものじゃない、見るもの!」という思いを初志貫徹させてあげたくて、webではこちらがノーマルエンドとなります。
次回からはBLルート、まずは楓エンドです。
全ルート書いていきますので、これからもお付き合い頂ければ幸いです。
※web、小説文庫書籍、コミカライズの内容は同じではありません。コミカライズのジャンルは【異世界BL】です。
それぞれの展開をお楽しみ頂けると幸いです。