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第十九話 最終分岐点

 不覚にも腐女子トークに花を咲かせてしまった翌日、佐々木さんとの遭遇も避けるため更に十五分早く家を出た。

 コンビニに行こうかと思ったが、誰かに会いそうな気がしたのでやめた。


「早く学校についても暇だしなあ」


 コンビニは避けたが、遠回りで散歩をしながら登校することにした。

 時間に余裕があると心にも余裕が生まれるのか、なんだか清々しい。

 朝の冷たい空気も気持ちが良い。


 学生の姿はまだ殆ど見かけないが、公園の近くだからか散歩をしているお年寄りの姿をよく見かける。

 元気なおじいちゃん、おばあちゃんとすれ違いざまに挨拶をしながら軽快に足を進めていると、公園の遊具が置かれた一角に見覚えのあるシルエットを見つけた。

 華四季園の女子の制服を纏った逞しい後ろ姿、思い当たるのは一人しかいない。

 白兎さんだ。


 白兎さんはジャンプしないと手が届かない、一番高い鉄棒の前に直立不動で立っていた。

 どうしたのだ。

 気になったので立ち止まり、こっそりと様子を見ることにした。


 しばらく固まっていたが、手が鉄棒に伸びると足はタンッと華麗に跳ね上がった。

 掌はがっしりと鉄棒を掴み取り、白兎さんの足は中に浮いている状態に。

 もしや、これは……。


 嫌な予感がしつつ見守っていると、白兎さんの上腕二頭筋が出番を喜んでいるように盛り上がり、ゆっくりと体が上昇していった。

 顎と鉄棒の高さが同じになると今度はゆっくりと下降していき、腕が伸びきると再び上昇、この繰り返しが始まった。


 やっぱり……こいつ、懸垂してやがる!

 トレーニングするなって言ったのに!


「ゴホンッ」


 わざとらしく咳払いをした。

 すると顎と鉄棒の高さを揃えたまま白兎さんの首が静かに回り、こちらを見た。


「おはよう」

「……おはようございます」


 目が合ったところで挨拶をしたのだが、彼女は何故か鋭い視線を寄越してきた。

 今悪いのは、どちらかと言えばあなたですよ?

 というか、今もまだ体を持ち上げている状態だ。

 止まっていられる腕力が恐ろしい。


 鍛えるのが悪いなんておかしな話だが、可愛い弟深雪君のために心を鬼にして断罪せねばなるまい。


「今、鍛えていたよね」

「鍛えていません。これはぶら下がり健康法です」


 顔は真顔で真剣だけど、嘘ですよね。

 しらっと嘘をつくな!


「それにしては筋肉が使われていたようだけど?」

「気のせいです」


 真顔は崩れていないし、相変わらず鋭い視線が僕を貫いている。

 逆ギレか?

 鍛えているのが見つかってバツが悪いのかもしれないが、僕を迷惑がっている空気にイラっとした。


「深雪君に言っちゃおうかな」

「深雪は天地君に限り面会謝絶です」

「そんな……横暴だ!」


 頑なに深雪君と僕の接触を許さないのは何故なのだろう。

 そんなに僕はバイ菌ですか?

 白兎王子と同じ場所に立つことも許されない下賎な民ですか!?


「鍛えるのを我慢するって約束だっただろ!? 破るんだったら、僕だって深雪君に近づかないって約束守らないからな!」


 我慢した分あちこち連れ回してやる。

 なんなら今から探しに行ってやる!


 白兎さんは一瞬目を見開いた後、苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。


「申し訳ありませんでした。……以後、気をつけます」

「よろしい」


 ふっ、勝った。

 勝てたことは嬉しいが、これは白兎さんのためにもなると思う。

 鍛えるのをやめてから表情や雰囲気が柔らかくなり、良い傾向が見えてきたのに戻ってしまうのは勿体無い。


「折角可愛くなったんだから継続させなきゃ」


 白兎さんの背中をパンッと叩いて笑いかけた。

 すると僕を悲しみのどん底に突き落とすあの言葉が再び聞こえてきた。


「……ちっ、死ね」

「聞こえたからね!」


 今日は舌打ちまでプラスされていた。

 僕が何をしたって言うのだ……。


 爽やかな朝だったのに、気がつけばダークサイドに落ちている。

 辛い。

 これから学校に向かうと言うので一緒に行こうと誘ったが、いつもの『断る』の一言でバッサリ斬られ更に沈んだ。


 だが今日は負けない。

 まだ時間に余裕がある。

 ということは心にもまだ余裕がある。

 さっき一勝しているし頑張れる!

 白兎さんと仲良くなったら、深雪君と仲良く出来る道も開ける!

 すでに出発してしまった白兎さんを追いかけ、無視をされても隣で延々と話し掛けてやった。


 一方的に話していると、あっという間に学校に到着。

 門を通り昇降口に入った。

 白兎さんとは同じクラスなので同じ下駄箱に向かう。


 まだまだ不屈の精神で白兎さんに話し掛けながらいつもの通りに自分の下駄箱の扉を開けると、ボトボトと何かが落ちた。


「ん? なんだこれ……」


 追いかけるように落ちたものに視線を落とすと、それは便箋だった。

 その瞬間兄へのアレかと理解した。

 兄宛なら兄の下駄箱に直接入れればよいものを、何故か僕のところに入れて『渡してくれ』という輩がいるのだ。

 大体が一年生だ。

 恐らく三年生の下駄箱に行って、手紙を入れているところを三年生の女子に見つかるのが怖いのだと思う。

 『一年生のくせに、天地真に告白するなんて生意気だ』なんて、忠告を受けた子もいるらしい。

 女子にはよく分からないヒエラルキーがあるようだ。

 僕も前世は女子だったが、そういったことは全く覚えていない。


 大体恋心を書いた手紙を、臭い靴箱に入れることが僕には理解出来ない。

 いや、『靴が臭い』ということは『僕の足が臭い』と告白しているわけではない。

 一般的に不衛生な場所と言いたいのだ。


 今日はそんな理解出来ないラブレターが五通も入っていた。

 多いな……昨日兄が活躍したテニスの試合でもあったのだろうか。

 何気なく手紙を裏返しにすると、そこには更に理解できないことが書かれてあった。

 驚いてもう一つの手紙も確認したが、同じことが起こっていた。

 信じられないと残りの全てを確認したが、間違いなかった。


「全部僕宛じゃないか……」


 どうした、僕。

 何、この突如起こった空前のモテ期。


 そうか、罠ですか。

 誰かが悪戯をして、僕のリアクションを楽しもうとしているんだな!?

 今までこんなもの貰ったことがないのに一気に五通もなんて信じられない。


 犯人を捜して辺りを見回したが……あれ、見当たらない。

 それよりも手紙を持っているところをチラチラと周りから見られている。

 なんだか恥ずかしい。


 そういえばアクシデントで忘れていたが、白兎さんと一緒にいるということを忘れていた。

 慌てて白兎さんに目を向けると、彼女も僕が手にしている便箋を凝視していた。


「……それ、あの子だ」


 視線の先を追うと、そこには差出人らしき女子の名前が書かれてあった。

 僕の知らない子だった。


「知っている人?」

「この前の、桃色ツインテールの……」


 桃色ツインテールというワードで脳内を検索したがすぐには出てこなかった。

 白兎さん関連で最近の出来事といえば……。


「ああ、あの感じ悪かった子? え?」


 誰かは分かったが……手紙をくれたということは、あの子は僕のことが好きなのか?

 中身を読んでみないと分からないが、わざわざ手紙を寄越すなんてそういう内容しか思い浮かばない。


「だから私みたいなのが天地君と話していると気に入らない」


 そう零すと白兎さんは先に行ってしまった。


 今の台詞からすると、やっぱり僕に好意があるということなのだろう。

 そして白兎さんが嫌な態度を取られていたのは、僕のせいってこと?

 だから僕は白兎さんに嫌われているのだろうか。


 好かれているから嫌われる、なんだろうこのモヤモヤは。


「大人気ね、天地君」


 手紙に向けていた視線を上げると、いつの間にか目の前に佐々木さんがいた。

 今登校してきたところのようで肩に鞄をかけていた。

 危ない、この感じだと昨日と同じ時間に出ていたら確実に遭遇して捕まっていたな。


 佐々木さんは興味深そうに僕の手にある手紙を覗きに来た。

 こら、プライバシーの侵害だぞ。


「ちなみに私も大人気よ。構われちゃって大変」

「は?」


 『何を言っているんだ?』という視線を投げると、人差し指を自分の足元の方に向けて微笑んだ。

 そちらに目を向けると、更によくわからないことが起きていた。


「どうなってんの、それ」


 佐々木さんの上履きが明らかに水浸し状態だった。

 歩くとグチョっと水しぶきが飛んでいる。

 何故こんなことになったのだ。

 わざとか?


「そういうプレイ?」

「自分の足を水攻め? いいわね。そういう発想好きよ」

「僕は佐々木さんのそういう所に引いてる」

「あら、照れるわ」

「照れるところじゃねえよ。じゃなくて、なんでそんなことになってるんだよ」


 この人と話すと、すぐにおかしな方向に話が逸れる。

 これだから腐女子は。

 あれ、そういえば僕もすぐに思考が腐った方向に逸れるな。

 所詮、同じ穴の狢ということなのか?

 凄く嫌だ!

 この思考はよそう。


「天地君ファンの嫌がらせよ。よく分からないけど、私と天地君が付き合いだしたと思われているみたい。雛ちゃんは許せても、私は許せないそうよ?」

「はあ? いや、ちょっと待て。ツッコミたいところがいっぱいあるのだが」

「『突っ込む』なら楓く……」

「黙れ!」


 だからすぐに話を逸らすな!

 隙在らば腐るんだから、どうしようもないな!


「まずファンって何? それに付き合ってるってなんで?」

「知らないわ。でもいいじゃない、素敵ね。私、腐男子の彼氏が欲しかったの」

「よかねえよ」


 腐った話ばかりしているカップルなんて嫌だ。

 結婚して子供が出来て、腐ったサラブレッドが生まれる未来しか想像出来ない。

 女の子なら幼女の時点で他の子達が少女アニメで盛り上がっている中、戦隊モノの好きなカップリングを語りだしたりして絶望しそうだ。


 しかし、ファンなんて聞いたことがないし、どうして僕と佐々木さんが付き合っているなんて突飛な話が出るんだろう。

 そんな勘違いをされる心当たりが全くない。

 まだ楓と噂される方が納得出来る。


 僕がこうやって考えている間も、佐々木さんが動くと上履きがグチョグチョいっている。

 気持ち悪い、汚い。

 大体なんでこの人は、履く前に水浸しにされていることが分かっただろうに、わざわざ履いてしまったのだ。


「体育館用のシューズでも履いておけば?」

「今週は使わないから、昨日持って帰って洗って今は家で干しているの」


 なんというタイミングの悪さだ。


「僕のシューズを貸そうか? あ、でも、サイズが合わないだろうから雛のでも借りたら?」

「是非、天地君のを借りたいわ」

「いいけど、ブカブカになると思うぞ?」

「それがいいのよ。男子のを借りてサイズが合わない、ノーマルだけど萌えるわ」

「はいはい」


 一気に貸したくなくなったが、貸すと言ってしまったのでしょうがない。

 僕の体育館シューズを渡すと濡れてしまった靴下を脱ぎ、鞄から取り出したハンドタオルで足を拭いてから履いた。

 素足で直履きしやがって、臭くなるじゃないか。

 まあ足は白いし細くて無駄に綺麗だったから、そんなことはないと思うが。


「やっぱり大きいわね!」


 案の定サイズが全然合っていなくて、歩くとすぐに脱げてしまいそうだ。

 でも確かに女の子が僕の靴を履いたけど、大きすぎてダボッとしているのは可愛い。

 これが佐々木さんじゃなかったらもっと素直にきゅんとしていただろう。


「水攻め犯、私が天地君の靴を履く結果になって、さぞや悔しがるでしょうね……くっくっく。さあ、行きましょう」


 流し目で微笑を浮かべながら、教室に向かって足を進め出した。

 なんか一緒に行きたくないな。

 同じ方向だから行くけど。


「あいつ、強いな」


 こんないじめみたいなことされたら、普通は凹むだろう。

 だが前を行く腐女子は楽しそうだ。

 理解出来ない。

 こいつは同じ腐女子でも奇行種かもしれない。


 あ、靴脱げた。




 ※※※




 時の流れとは残酷なものである。

 長年積み上げてきたものが、たった一日で崩れるのだから……。


 学校を一日休んだ。

 仮病、というかサボりだ。

 どうしても学校に行く気になれず、一日中自分の部屋のベッドの上でダラダラと過ごした。


 頭の中は同じ思考で埋め尽くされている。

 想い人のアキについてだ。


 昨日は家まで来てくれたのに怒らせてしまい、すぐに帰ってしまった。

 その時のことを考えると涙が出てくる。

 本当は嬉しかったのに『来てくれてありがとう』と素直に言えず、拗ねてしまった自分の愚かさに腹が立つ。

 でも昨日はどうしても我慢出来なかった。


 ここ最近の楓君は、まるでアキの彼女のようだった。

 常にアキにべったりくっついているし、アキの好みのご飯を作ったり……。

 子供の頃からの自分の居場所を奪われたような気がしていた。


 それなのにアキは気にしてくれない。

 それどころか私にばかり冷たくした。

 おまけにあんなことまで……。


 アキが喜んでいるようには見えなかったが、拒んでいないということに腹が立った。

 自分も悪かったが、怒鳴られたことも悲しかった。

 一日経って漸く感情を落ち着かせることが出来たのだが……。


 まず一緒に登校しようとアキの家に迎えに行ったがいなかった。

 随分と早い時間に出てしまったらしい。

 避けられているのではと不安になりながら登校した矢先、普段から仲の良い友達が駆け寄ってきた。


「雛ちゃん! ……大丈夫?」


 一日休んだので体の心配をしてくれているのかと思ったが、どうも様子が違う。

 なんのことか分からず、話を聞いてもお茶を濁すようにはっきりと答えてくれない。

 妙に胸騒ぎがして教えて欲しいとしつこく頼み、話してくれた内容に絶句した。


 本当かどうか確かめるべく、先に登校して来ていたというクラスメイトを探した。


「ふうちゃん!」


 探していた姿は、廊下の端でみつけることが出来た。

 窓を開け、窓枠に手を置いて外を眺めていた。


「あら雛ちゃん。おはよう。体調はもういいのかしら?」


 いつもと変わらない様子だった。

 聞いた話がただの噂なのかもしれない。


「なんか今、変なこと聞かれたんだけど……」

「変なこと?」

「ふうちゃんとアキが、仲いいって……」


 どういう風に切り出すかも分からず、あやふやな感じで聞いてしまった。

 すると聞きたくなかった言葉が返ってきた。


「いいわよ? とっても。昨日は二人で登校したし、今もここで話していたの。この体育館シューズも天地君のを借りているし」

「え……なんで?」


 私が休んだ昨日、二人で登校したなんて……。

 どうしてこんな人のいない場所にいるのかと疑問に思っていたけれど、それは二人で話すためだった、ということ?

 足元に目を向ければ、確かにサイズが大きい男子用のシューズだということも分かった。


「なんでって、何が? 靴は上履きが濡れていたから借りたのよ」

「なんでアキのを借りたの? 私の貸すよ?」

「ううん、天地君のがいいの」


 サイズが合わないアキのシューズの方がいいなんておかしい。

 納得出来る理由は、自分が一番恐れていること以外にない。

 駄目だ……一日休んで落ち着きを取り戻していたのに、感情が高ぶってしまう。

 必死に押し殺しながら、言葉を発した。


「……なんで?」

「……全く、今日の雛ちゃんは『なんで』ばかりね」

「いいから答えてよ!」


 気づけば叫んでいた。

 聞いた内容には答えず嘲笑っている様な態度に、我慢など一瞬で消し飛んでしまった。


「急に大きな声を出してどうしたの? カルシウムが足りてないんじゃない?」


 風ちゃんは私の変化を特に気にすることもなく、飄々とした態度のままだ。

 それが更に私の神経を逆撫でる。


「ちゃんと答えてよ! ふうちゃん、私がアキを好きなこと知ってるでしょ!? 協力してくれるって言ったのに! なんでアキのこと構うの!? アキのこと好きなの!?」

「そうだと言ったら?」

「……え」


 ふうちゃんはBLにしか興味がないと思っていた。

 だから否定の言葉が返ってくると思っていたのに違った。

 動揺で言葉が詰まってしまう。


「例え私が天地君のことを好きになったとしても、雛ちゃんが頑張って天地君の心を掴めばいいだけでしょ?」


 それはそうかもしれないが友達なら応援して欲しいし、協力すると言ってくれたのだからライバルになるなんて裏切りのようなものだ。

 そう思うが、言葉に出来ず黙ってしまう。


「側で見ていたけど、雛ちゃんは受け身になり過ぎじゃないかしら。こうやって私に文句を言っている暇があったら、素直に天地君に思いの丈を伝えればいいのよ」


 心臓の真ん中を突き刺されたようだった。

 言い返せない。

 言い訳をして考えないようにしていたが、自分でも駄目だと思っていたところを突かれてしまった。


 私を一瞥すると、ふうちゃんは何事もなかったように涼しい顔をして教室に戻っていった。

 私はその場で動けず立ち尽くしていた。


「アイツのことは嫌いだけど、今のは言う通りだと思うな」


 背後の階段の方から声が聞こえた。

 驚きと、今の話を聞かれていた羞恥で飛び跳ねるように振り向くと、そこには今一番会いたくない人の姿があった。


「楓君……」


 アキを探していたのだろうか、上の階から降りて来ていたところだった。


「待って!」


 そのまま私の横を通り過ぎようとしたところを引き止める。

 この際だから、楓君とも話をしたい。

 今まではお互いにアキが好きなことは分かっていたが、直接それについて言い合うことは無かった。


「楓君、アキのことが好き……だよね?」

「アンタに関係ない」


 冷たい視線を向けられ少し怖くなったが、ここで負けるわけにはいかない。


「関係あるよ! 私だってアキが好きだもん! 楓君は男の子だよ? アキに近づかないで!」


 楓君が男の子だというところを責めるのは卑怯だと思う、でも……。

 嫌な奴だと自分でも思うけど、勝てると思うところがそこしかない。

 アキを奪われたくない。


 私の言葉を聞くと、楓君の表情が一気に厳しいものに変わった。

 空気で伝わりそうなほど怒っているのが分かる。


「そんなの関係ない! 女だからって偉そうにするな! ボクは頑張ってアキラに自分の気持ちを伝えた! 好きになって貰うように頑張ってる! 小さい頃から一緒にいたからって、何もしない奴がずっとそばにいたら迷惑だ!」


 楓君の心からの叫びをぶつけられ、思わず後ろに下がった。

 でも、ここで負けてしまったら駄目だ。


「わ、私だって頑張ってるもん!」

「どこが!? ちゃんとアキラに言った? 女だからって自分からは言えないの? 気づいてくれるのを待ってるだけ!? そんな奴に負けたくない!」


 そう言い放つと、怒りをあらわにしたまま楓君は去っていった。

 また私は取り残された。

 ふうちゃんと楓君の言葉が胸に突き刺さっている。


「私だって……頑張ってるもん」


 アキが綺麗だと言ってくれた髪は伸ばして手入れを欠かさないし、同じ学校に行けるよう勉強だって必死にやった。


 気づけば涙が流れていた。

 我慢しようとするが、どんどん溢れてきて止まらない。


「……ひっく」


 駄目だ、こんな状態じゃ授業は受けられない。

 私は逃げるように、屋上を目指した。






「う、うああ……」


 ここは学校で『公共の場』である。

 ひと気はなくても誰でも通ることが出来るし、通らない可能性がないわけでもない。

 例えば話題の当人が通ることもあるわけで……。


「また聞いちゃったよ……」


 話を聞いてしまった本人は気まずい思いをしながら、逃げ場所を求めてトイレの個室に篭ったのだった。




 ※※※




 二階の実習室が並ぶ一角にあるトイレ。

 ここは実習がある時以外は人がいないため、いつもひと気がない。

 誰にも会わず、静かに頭を使うにはちょうどいい。


「はあ」


 便座に座り、溜息をついた。


「なんで僕なんかを好きになってくれたんだろう」


 二階から降りて行くと聞き慣れた二人の声が聞こえてきた。

 声自体は聞き慣れているが、その状態は聞いたことが無い荒々しいもので驚いた。

 喧嘩をしているなら止めなければいけないと焦ったが、耳に入った内容に思わず足が止まって隠れた。


「僕は駄目な奴だ……!」


 今だってこうして逃げている。

 教室に戻れば楓がいるし、雛は上の階のどこかに行ってしまった。

 今はどんな顔をして二人と向き合えばいいのか分からないので会うのが怖い。


「だからって、いつまでもトイレに篭っているわけにはいかないよな」


 一時間目の授業は始まってしまったのでこのままサボるとして、次からどうしよう。

 帰りたい。

 今日は誰にも会わずゆっくり考えたい。

 一日サボっても単位には問題ない。


「よし決めた、帰ろう」


 一時間目の授業が終わった直後、席を立つクラスメイト達に紛れ、楓に見つかることなく鞄を回収。

 忍者のようにこそこそと隠れながら校舎を出た。


「誰にも会いたくないな」


 昇降口を背にして呟いた。

 校舎は出たが、校門を出るまではまだまだ安心出来ない。

 この付近だと柊がいそうだ。


 花壇の辺りを隠れながら見回すと、案の定柊が作業をしていた。

 しゃがんで土を弄っている背中が見える。

 今は作業着とタオルのスタイルだ。

 そういえば楓にケツシャベルされた傷は癒えたのだろうか。

 見ている限り大丈夫そうだ。

 見つからないようにこっそりと気配を消しながら柊の後ろを通り過ぎた。


「っはあ! もう大丈夫だろ!」


 門を抜け校外に出ると一気に気が抜けた。

 今会いたくない人達から離れることが出来たという安心感だと思う。

 そういうところでもつくづく自分は駄目な奴だと思う。


「おい」

「!?」


 明らかに自分に向けられた声に肩が跳ねた。

 先生に見つかったと思い、恐る恐る振り返ると……。


「こんなところでどうした?」


 同じ華四季園の制服を着た、氷使いのイケメンが立っていた。

 何故この声を先生だと思ってしまったのだろう。

 そこにいたのは夏緋先輩だった。


「もう、ビックリさせないでくださいよ!」

「お前が勝手に驚いたんだろうが」

「まあ、そうですけど……夏緋先輩は今来たんですか? 寝坊ですか?」


 鞄を持っているし、今登校してきたところのようだ。


「お前と一緒にするな。用があったんだ。お前は……帰るのか?」


 先生相手ではないが、サボろうとしているので少し気まずい。


「ちょっと具合が悪いかなあ、なんて………」

「頭の具合は元からおかしいが?」

「どういう意味だ!」

「元気じゃないか」

「あ……」


 氷の視線が痛い。

 サボりだと察しがついているだろうに、あえて追求するなんてなんというドSだ。


「兎に角、今日は帰るんです! さよなら!」


 今は夏緋先輩のバイオレンスに付き合うほど体力が無い。

 スタスタと自分の家を目指して歩き出した。

 すると夏緋先輩が何故か僕の後ろについて来た。


「なんですか?」


 何か用があるのかと振り返ると、僕の隣で足を止めた。


「具合が悪いんだろ? 送ってやる」

「え? 別に女子じゃないし、一人で帰れます」


 というか、具合が悪いというのは嘘だと分かっているはずだが……。

 予想外の展開で戸惑っている僕を放って、先に足を進め始める夏緋先輩。


「さっさと来い。動けないほど具合が悪いのか?」

「大丈夫ですけど……ああ、もう……はいはい」


 そういえばこの人は会長の弟だった。

 言い始めたら聞かないし、引かない。

 大人しく言う通りにしよう。

 小走りで追いつき、横に並んだ。


「お前、何かあったのか?」

「はい?」


 唐突な質問に対応出来ず夏緋先輩の顔を見たが、いつも通りの綺麗な顔が前を見ているだけだった。


「珍しく馬鹿が真剣な顔をして歩いていたじゃないか」

「はい?」

「さっきのお前のことだ」


 あれ……余計なワードが含まれているが、心配してくれているのだろうか。

 夏緋先輩はいつも言葉は乱暴だが気遣いが出来る人だ。

 兄と同じくらい頼りになるし、その優しさには何度も助けられた。

 困った時の夏緋先輩カードは間違いない。

 心配してくれているし今度も甘えて、相談してみようかな?


 ちらりと顔を盗み見ると、一瞬目が合った。

 僕が話すのを待ってくれているようだ。

 ……折角だし、聞いて貰おうかな。


「夏緋先輩は好きな人はいますか?」

「……。さあな。お前は?」


 間があったし、はっきり答えないということはいるのだろうか。

 夏緋先輩が好きになる人ってどんな人だろう。

 気になる。

 勝手なイメージだと『大和撫子』のような、礼儀作法がきっちりとしたどこかのご令嬢だ。


「僕は……分かりません。でも、僕を好きだと言ってくれる人がいるんです」

「この前、生徒会室に迎えに来ていた女子生徒か?」

「はい?」


 ああ、佐々木さんのことか。


「あれはどうでもいいです」

「は?」

「あれはおかまいなく」

「そ、そうか」


 あれを女子とカウントするのも怪しい。

 正確に言うと腐女子だ。


「じゃあ、男のくせにお前にくっついていた奴か?」


 ……多分、楓のことだろう。

 夏緋先輩らしい言い草に苦笑いだ。


「はあ、まあ……その……」

「でも、お前は男が好きなわけじゃないんだろ?」

「それはそうなんですけど」


 BLを毛嫌いしている人にする話では無かったかもしれない。

 どんどん夏緋先輩の顔つきが険しくなってきた。


「男とか女とかそういうことは関係なく、人としてちゃんと考えて応えたいというか……」


 どういうリアクションをされるのか恐る恐る盗み見ると、ジロリと横目で睨まれてしまった。

 ごめんなさい。


「夏緋先輩には気持ち悪い話かもしれないですけど……」

「そうだな」

「……すいません」


 選択を誤ってしまった。

 甘えて調子に乗ってしまったが、やっぱり夏緋先輩にする話ではなかった。反省だ。

 僕らの間に気まずい静寂が訪れた。


 話題を変えて他に何か話そうと思うが頭が回らない。

 夏緋先輩も黙っている。

 並んで黙々と足を進めるだけの時間が流れた。


「はあ」


 こっそりと溜息をついた。

 夏緋先輩もまだ険しい顔をしているし……居た堪れない。

 送って貰うのが申し訳なくなってきた。

 やっぱり一人で帰ると伝えようとしていたところで、夏緋先輩が口を開いた。


「……そうだったはずだが」

「え?」

「さっきの話の続きだ」


 さっきの?

 夏緋先輩が毛嫌いしている話をしてしまって僕が謝り……それで終わっていたはずだ。


「お前に限っては、あの嫌悪感が湧かない」

「どういう意味ですか?」

「別にお前が、そっちの類の奴でも構わない」

「そっちの類い? ああ……え? 僕がBLでもいいと?」

「そうだ」


 それはどう解釈すればいいのだろう。

 良い意味なのか悪い意味なのかもよく分からない。


「意味が分かりません。なんで?」

「知らん。こっちが聞きたい。ただし……相手はオレに限る」

「はい?」


 また訳の分からないことを……と思ったがひとつ可能性のある解釈に思い当たり、思わず足が止まった。

 でも、まさか……。


「ど、どういう意味ですか?」


 少し先で夏緋先輩の足も止まった。

 振り向いた顔は相変わらず綺麗で、無表情だった。


「解説しなきゃ分からないか?」

「分かりません! 全然っ分かりません!」


 すると表情を変えず、夏緋先輩が近寄ってきた。

 何をする気だと身構える僕に構わず、手が伸びてきて頬を触った。

 『まさか』な予感がしている中で、こんなことをされるなんて……どうしよう。


「!?」


 逃げようかと考えていると、急に頬が痛くなった。

 頬に触れているだけだった筈の手が、思い切り僕の頬を抓っていた。


「いひゃ、いひゃい!」

「だから、お前の相手の選択肢にオレも入れろって言ってんだ。馬鹿が」


 それだけ言うと摘まんでいた手を離し、腰に手を当てて優雅に澄ました。

 まるでモデルだ。

 ……なんなんだコイツ。


「それはまさか……告白ですか?」

「そうだ」


 やっぱりそうだった。

 でも夏緋先輩に限って、男の僕に告白だなんて信じられない。

 それに告白した人がこんなに落ち着き澄まして、優雅に立っていられるものなのだろうか。

 信じられない……全然信じられない!


「こういう冗談は、嫌いだって言ってましたよね!?」


 確か海で同じように『告白ですか?』と聞いたら海ドンされそうになったと記憶しているのだが……。


「冗談じゃないから言っているんだろうが、馬鹿。止まってないで行くぞ」

「え、ええ………ちょっと、通常運転過ぎません!? 本当なんですか? っていうか貴方誰ですか? 偽物だな!?」

「うるせえ! さっさと歩け! ったく……お前は本当に馬鹿だな。だが、そんなお前を好きだと思っているオレはもっと馬鹿だな。正気とは思えない」


 怒鳴り声は本物だが、きっと偽物だ。

 いや、でもこの素直じゃない一言多い感じは本物っぽい。

 どうなっているのだ。

 今、僕のことを好きだとか言っていたぞ……。

 顔が熱くなってきた。

 どんな態度を取れば良いのか分からなくなってきた。

 あれ、歩くってどうすれば良かった!?


「お前はまともに歩くことも出来ないのか?」

「夏緋先輩のせいでしょうが!!」


 こっちはこんなに混乱しているのに、何故こいつは普段と変わらないのだ。

 腹立たしくなりつつも先を進み出した夏緋先輩の後に続いた。


 横に並ぶのも妙に気恥ずかしく、後ろを歩きながら進む。

 暫く歩いたところで夏緋の足が止まった。

 気がつけば混乱しているうちに家の前まで到着していた。


 家に上がって貰った方が良いのだろうか。

 でも、こんな状態で二人きりは困る。

 迷っていると夏緋先輩が口を開いた。


「オレは学校に戻る」

「あ、はい。……ありがとうございました」


 この緊張が終わるのかとホッとした。

 家の前から見送っていると、学校の方へ戻ろうとしていた夏緋先輩が振り返り、僕の前まで戻ってきた。


「さっき言ったことだが」


 告白のことだろう、何を言われるのかと再び身構えた。


「その少ない脳みそ使って、しっかり考えろ。そんでオレのところに来い」


 そう言うと学校の方へ向き直り、通常運転な様子で戻って行った。

 だが、ちらりと見えてしまった。

 片方に流した長い前髪で隠れがちな夏緋先輩の顔が少し赤くなっていたのを……。


「あの人、怖ぁ……」


 なんなのだ、このツンデレ告白は。

 危なかった……男じゃなかったらイチコロだった……。

 男だけど、動悸が酷くて死にそうだ。


 何故こうなった。

 悩みを聞いて貰いたかっただけなのに……。


「そんな馬鹿な……悩みが……増えてる!!」


 早く一人になりたくて、急いで家の鍵を開けるがそれもおぼつかない。

 自分が思っている以上に動揺しているようだ。

 なんとか家に入り、扉を閉めた。


 ……死にそう。


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