第十八話 腐女子
照明が落とされた薄暗い個室。
仄かに灯る明かりもネオン街を彷彿とさせる蛍光の桃色。
部屋の中にいるのは制服を着た若い男女。
壁に沿うように置かれているL字型ソファの一辺に、身を寄せて座っている。
一見すると高校生のカップルが『良い雰囲気』になっている場面だ。
だが、そうではない。
二人を結ぶのは恋愛感情ではない。
二人の共通点、それは『腐』だ。
時には固い絆を生み、時には深い溝を作る『腐った心』だ。
「私、ジュースのおかわりを注文するけど、天地君はいる?」
「いらない。ってか、よく喋るな……」
僕は今、以前楓達と来た商業施設の中にあるカラオケの一室に拘束されている。
拘束犯は、処刑人・佐々木風子だ。
佐々木さんに見つかり全力疾走で逃亡した僕だったが、別のルートから先回りされあっさりと捕まってしまったのだ。
『誰にも話を聞かれないところで話そう』、そう言われ頷くしかなかった。
『断ったらこの場で大声で話す』という脅迫が、頭上の吹き出しに出ていた。
場所を移したことで人に聞かれる可能性は無くなったわけだが、『腐男子だと認めて、BLトークをしよぜ!』という精神攻撃を受けている。
それだけは嫌だ!
元腐女子ではあるが、今は健全男子だと言い張る!
女子相手に腐話を繰り広げるなんて絶対嫌だ。
一切BL話に乗らない僕に構わず、佐々木さんはひたすらBL話を垂れ流している。
もう勘弁してくれ……!
「カラオケってお金のない学生がラブホ代わりに使っちゃうわよね。でも、扉の仕様によっては丸見えじゃない? BLカップルが勤しんでいるところを目撃しちゃったノンケが目覚める、なんてよくあるわよね」
「……」
「見ちゃったノンケは、ベタなのだと『クラスメイト』かしら。あ、もしくは『兄弟』かしら。そこでジェラシーを覚えて帰ってすぐに襲っちゃうのが自然な流れよね」
「知らねえよ」
「でも、私はジュースを間違えて運んできてしまった『バイト君』を押したいわ。そこからBLカップルのどちらかに恋をしてしまって、目出度くBL入りして……。でも恋は報われなくて、発展場に出て行ってしまってどんどん落ちていくの」
「発展場って……」
前世で読んだ激しい行為を売りにしているレーベルの漫画であるような展開だ。
今はそういった『物』には手を出さず全て脳内で済ませている。
手を出したい気持ちもあるし、話もしたいが、『今僕は健全男子なのだ!』と歯止めをかけている。
これは守らなければいけない、破ったら終わりだ。
表情を無くし、悟りを開けそうな佇まいで部屋の壁のシミに目を向けた。
集中しすぎて、念であのシミを消せるような気がしてきた。
「どうしたの? もっと来てよ! 私は腐男子との熱いトークを期待しているのに!」
すぐ隣に座っている佐々木さんが両手を開き、プロレスで煽っている時のようなジェスチャーで僕の参加を求めている。
断固拒否だ。
「誰が腐男子だ」
「貴方」
「違う!」
このやりとりも何度目だ、飽きた。
段々否定するのも面倒になってきた。
かといって肯定して済ませておくわけにはいかないのが辛い。
「だって総受けの意味、分かっていたでしょ?」
「それは……」
「ちなみに楓君の場合は今は受けだけど、いつか下克上を起こして逆転して欲しいという願いを込めて『将来的な総受け』という意味で扱っているわ」
「そこの解説は別にいい」
自分が攻めだ受けだと言われているのはあまり聞きたくない。
というか『総受け』って、楓以外に誰を相手として想定しているんだ。
聞くのが恐ろしくて聞かないが。
「前からお兄さん達のことに気がついていたって言うし、凄く理解があるようじゃない。なんか怪しいと思っていたのよね。私達、仲良くなれそうね!」
「なりたくない……」
拒否反応で全身に蕁麻疹が出て来そうなほど嫌だ。
「認めるしかないと思うけど? じゃないと私、雛ちゃんに相談しようかなあ。もしかしたら、天地君は腐男子じゃないかなあって」
「なっ!」
脅迫じゃないか!
僕は別に腐男子を否定しているわけではない。
兄や雛、周りの人達にそういう思考があるということを知られてしまうことが恥ずかしいのだ。
兄達に関しては、淀んだ目で貴方達を見ていますと自白するようなものだ。
それは絶対嫌だ!
佐々木さんから逃れるのは無理だろう。
この腐女子はどこまでも追ってくるに違いない。
だったら被害は最小限に止めるべきだ。
外部には腐った思考があると漏洩しないようにしなければ。
壁のシミから視線を外し、佐々木さんの方に向き直った。
目を見ると僕が態度を改めたからか、少し緊張した様子でこちらを見ていた。
話そう。
前世のことを。
佐々木さんに納得して貰えるように。
話さなくても納得して貰えるかもしれないがただの腐男子じゃないと、『前世の記憶』なんてものがあるから腐っているのだということを知って貰いたい。
「信じないと思うけど……」
初めてだな、このことを人に話すのは。
ぽつりぽつりと思い出しながら伝えた。
中学三年生の時、兄達の情事を目撃してしまったことをきっかけに、前世で腐女子であったことを思い出したこと。
この世界が腐女子時代にやっていたBLゲームの世界であること。
兄が主人公で、春兄や楓は攻略キャラであったこと。
思い出せることは全て偽りなく話した。
佐々木さんは始め兄達の情事を目撃したというくだりで興奮していたが、途中から眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
おかしなことを言っている奴だ、そう思ったのだろう。
話している僕ですら頭がおかしいのかと思ってしまった。
痛い人だと、怯えられるくらいを覚悟していたが……佐々木風子は違った。
途中から険しかった表情は変わり始め……今は目がキラキラと輝いている。
「素晴らしいわ! 正直、半信半疑だけど……そんなことはどうでもいい! ここがBLゲームの世界だなんて素敵! どうりで周りに綺麗なBLがいっぱいいるわけだ! こんなに恵まれた環境なんておかしいもの!」
「そこで納得!?」
予想の斜め上を行っていた。
怯えるどころか目が飛び出しそうなほど興奮していて『狂喜』と言っていいレベルだと思う。
むしろ僕が怯えている。
「ねえ、私って登場する!?」
「見覚えないなあ。僕だって出てこないし」
「そうなんだ? でも、天地君は知らないだけで続編とか出てたら攻略キャラでいるんじゃない? 案外主人公かもよ? だって天地君、モブって感じじゃないわよ?」
「続編!?」
その発想は無かったが……確かに続編が出ていても不思議ではないくらいの人気作だった。
続編じゃなくても、追加要素を加えた『ベスト版』みたいなのが出ていてもおかしくない。
それで攻略キャラが追加、なんてこともあるだろう。
自分がそうである可能性は考えたくないのでスルーするとして、夏緋先輩あたりが怪しい。
以前『ただのイケメンモブだ』なんて言ってしまったが、あの一際目を惹くイケメンがモブなんてありえない。
絶対そうだ……続編か……盲点だった。
自分が知っているゲームの世界だと思い込んでいた僕は、新たな可能性をみつけて混乱しているのだが、隣に座る腐女子は興奮しすぎてそんなことには気づいてくれるはずもなく、僕の腕をバシバシと叩きながら話し掛けてくる。
本当に煩い、落ち着いて考えたいんですけど……。
「あぁ、羨ましいわあ! BLの実体験が出来るなんてっ!」
「実体験なんかしたくないし、しないから!」
「どうして? 腐女子の記憶があるんでしょ? 勿体無い!」
「なるもんじゃない。見るもんだ」
「あら、体験に勝るものなんてないのに。是非体験して私にレポートを提出して欲しいわ」
「ごめん。僕はそこまで腐レベルが高くない」
再び壁のシミに目を戻し、念を飛ばした。
悟りを開くのだ、無我の境地だ。
動け、シミよ!
「ねえその話、いっぱい教えて!」
「もう全部話したよ」
「本当に? よく思い出して。記憶の全てを引き出して!」
そう言われても……攻略キャラ達の詳細についてはプライバシーの侵害になりそうだし、勝手に話すのは気が引ける。
「ねえ、提案があるんだけど」
「断る」
「まず、天地君と楓君が付き合うでしょ」
断ると言ったのに聞いていない。
というか、今なんて言った!?
「聞けよ、ってちょっと待て!!」
「で、そこに私が合流」
「はあ!? 意味が分からない! 待ち合わせみたいな感じで言ってるけど、相当おかしいこと言ってるから!」
「そう?」
本気だとは思えないが、正気なのだろうか。こいつ……。
「本当に楓が好きなのか?」
「好きよ! でもそこは、腐女子『あるある』じゃない。浮気相手が男なら許せるという……あれと同じ心理よ」
分かるけど、分かりたくない。
「そんなことより、帰って雛の誤解を解きたいんだけど」
「そういえば、中々理解を深めてきたと感心させられる台詞を残して走って行ったけど、何かあったの?」
「別に」
「ふうん?」
佐々木さんの見透かしているような視線に苛ついているとテーブルに置いていたスマホが光った。
マナーモードにしていたため、振動してカタカタと音を鳴らしている。
通知画面に出ている名前は春兄だ。
このタイミングだし雛関連のような気がする。
佐々木さんがいるし、出ることに躊躇してしまう。
「出ないの? 私は構わないわよ」
「いや、いい」
春兄に事情を話すとしても、楓と誤解されているという話題に食いつかれそうで嫌だ。
「ふうん? 雛ちゃん?」
「いや、その兄」
春兄であることを告げると、佐々木さんの目が輝いた。
それを見て答えてしまったことが失敗だと分かったのだが、時既に遅し。
「リアル攻め様! それは出なきゃ! はい、どうぞ」
スマホを僕からとりあげ、通話ボタンを押してから渡された。
こいつ……!
電話を取ってしまったからには、話さないわけにはいかない。
「はあ……もしもし」
『……央』
疲れた声で名前を呼ばれた。
どうしたのだろう、何かあったのだろうか。
雛のことじゃなくて、また兄とケンカでもしたのだろうか。
心配していると春兄がゆっくりと話し始めた。
『家に帰るなり、雛にBLなんて嫌い! って泣かれてさ……』
「……」
わあ、僕のせいでした。
僕のせいだけど、どうして春兄に被害がいくのだ、雛よ!
流れ弾が当たったにしては傷が深すぎる!
『心当たりはない、っていうか……あるにはあるが、それだとタイミングが今っていうのはおかしいし……。央、なんか分からないか?』
自分がBLだと負い目があるのか、春兄は随分深刻に捉えているようだ。
申し訳ない。
「ごめん。それ、僕のせいだ。雛が楓と僕のことを勘違いしていて……誤解だって言っておいて」
『お前と、楓を? ……そうだったのか。分かった』
何か考えているような間があった。
まさか春兄まで僕がBLだと疑っていたりしないよね?
「いずれ現実になるわよね! 近いうちに!」
春兄に声が届いてしまいそうな距離で腐女子が声を上げた。
参加してくるな!
思わず引き離すように肩を押したが、凄い力で押し戻してくる。
『ん? 誰かいるのか?』
「い、いないいない!」
「私も攻めヴォイスを聞きたい!」
スマホに耳を寄せて声を聞こうとしてくる。
邪魔だ!
「帰りにそっちに寄るよ! じゃあ!」
この状態で春兄と話を続けるのは苦痛だ。
要件は済んだし、少々強引だったが電話を終わらせた。
「あのなあ! 邪魔だから!」
腐女子に抗議しようとしていると手にしているスマホが光りだし、再び電話の着信を告げている。
今度は何だ!?
春兄にまだ話があったのだろうか。
画面を見ると、画面に表示されているのは楓の名前だった。
「あ、楓」
そう呟いた瞬間、僕の手からスマホが消えていた。
「もしもし、楓くん? あら、すぐ分かってくれるの? 嬉しいわ。 え? ごめんなさいねえ、天地君は私の相手で忙しいの。じゃあ」
ついさっき誰からの着信か答えて後悔したのに、学習しなかった僕が悪いのだろうか。
スマホを奪われた上に勝手に電話に出られ、切られてしまった。
よく見ると電源まで落とされている。
「勝手に切るなよ。電源まで落とすな!」
「楓君だからいいじゃない。それにまたすぐかかってくるでしょ?」
「まあ、そうだと思うけど……」
「今頃怒ってるだろうなあ、楓君。ふふっ」
「歪んでいる」
「会えない時間が、愛を育てるのよ」
懐メロの歌詞じゃないか。
お前のは絶対そんないいものじゃないぞ!
「ただの電話で愛が育つか?」
「たとえ声だけでも天地君を断たれれば、楓君にはモヤモヤが生まれ、葛藤から愛が進化するのよ」
「誰だってあんな切り方されて繋がらなくなったらモヤモヤするだろ」
「そうかしら?」
「そうだ」
そんなやり取りをしているとフロントから連絡が来た。
カラオケなのに歌は一曲も歌うことはなく終わってしまった。
まあ、歌うような気分じゃ無いけど。
楓には後で電話しておくか。
「楽しかったわ。明日も話を聞かせてね!」
「もう全部話したって」
「足りないわ」
本当に話してしまって良かったのだろうか。
もしかすると、選択を間違えたかもしれない、そう思った。
※※※
商業施設から出ると外は日が落ちて暗くなり、夕ご飯の時間になっていた。
道沿いの家からは美味しそうな匂いが流れてきている。
あ、この家はカレーだな。
早くしないと雛の家でもご飯を食べる時間になってしまう。
「久しぶりだな」
早足で進み、辿り着いたのは櫻井家だ。
和風テイストで二階建ての立派な一軒家。
雛にしても春兄にしても天地家に来てくれることが殆どで、僕の方から出向いたのは何時ぶりだろう。
インターホンを押すと、すぐに扉が開いた。
開けてくれたのは春兄だった。
「ごめん春兄、ご飯時に来て」
「大丈夫だ。雛は部屋に篭ってるから、行ってやれ」
「うん。お邪魔します」
挨拶も短く済ませて階段を上がり、二階の雛の部屋を目指した。
上に着くと花のコサージュやレースで縁取られた女の子らしいハンドメイドのネームプレートがすぐに目に付いた。
それが掛けられた扉をコンコンと二回ノックをして呼び掛けた。
「雛」
返事がない。
もう一度同じ動作を繰り返す。
だが返事が無い。
本当にいるのだろうか。
春兄が部屋で篭っていると言っていたから、いるとは思うが……無視ですか?
「雛! いるんだろ? 返事しろよ!」
「なによ! BLのくせに!」
……どういう返しだよ。
BLだとノックをすることも許されないのか?
呆れてしまって力が抜ける。
「あのなあ……違うって言ってんだろ。人の話を聞けよ。春兄から聞いてると思うけど、勘違いしてるからさ」
「見たもん! ほっぺにチューしてたもん!」
「あれは……楓のスキンシップ? みたいなもんだろ」
「そんなの変! 絶対BLだ!」
確かにスキンシップにしては過剰だし、楓は僕のことが好きで雛の言う通りBLではある。
でも僕はBLじゃないし、話くらい聞いて欲しい。
そして何よりこの態度に腹が立つ!
前に違うって言ったのに全然信用してないな!
「もういい。じゃあ、そう思ってろよ」
説得を諦め玄関に戻ると春兄が壁に凭れて待っていた。
ただ立っているだけなのに格好良い。
これが兄の彼氏だと思うととても癒される。
枯れ果てた砂漠の大地に恵みの雨が降り注いでいるような癒しを感じる。
慈悲深い天使様、ありがとうございます。
「もう帰るのか? 早いな」
「話を聞く気が無いみたいだから、もういいや。お邪魔しました」
そのまま帰ろうとしたのだが、春兄が前に立ちふさがった。
「もうちょっとゆっくりしていけよ。こっちに来たのは久しぶりだろ? 母さんもご飯食べていけって言ってるしさ」
おばさんのご飯は美味しいし、久しぶりに話をしたい気持ちはあるが疲れたし、早く帰りたい。
「でも、ご飯は家で兄ちゃんが作ってくれているし」
「真には俺から連絡しておく」
「今はあんまりお腹空いてないから」
「じゃあ、コーヒー一杯でも飲んでいけよ」
妙に引き止めようとするなあ。
「ううん。もう帰る」
春兄の横を通り、靴を履く。
「そ、そうか」
「お邪魔しました」
春兄が二階を見ているが雛が降りてくる気配はない。
もう、知らん!
春兄に見送られ、櫻井家を後にした。
家に帰ると、さっき何処かの家から漂ってきていたあの良い匂いが迎えてくれた。
今日は我が家もカレーだ!
「ただいま、良い匂いがする」
「おかえり。カレーだよ」
エプロン姿の兄を見ると心の底から安心する。
尊い……一拝みしておこう。
まだ先の話だが、僕も兄もこの家を出ることになるだろう。
僕は兄と離れることになるが、ずっと一緒に居ることが出来る春兄が羨ましい。
「はあ」
溜息とともに脱力し、ソファに雪崩れ込んだ。
「なんか疲れてるね」
「まあね」
「春樹が心配していたけど、何かあったの?」
すでに連絡が来ていたか。
それだけ二人の仲が良いということだな、感心である。
「んー、まあ大丈夫」
「そう?」
兄も気になってはいるが、深く追求してくるつもりはないようだ。
あ、そうだ。
楓を放置していたことを忘れていた。
このままだとソファに寝てしまいそうだし、自分の部屋で電話するか。
「ご飯、すぐ食べる?」
「うん。部屋で着替えてくる」
兄ちゃんみたいな嫁が欲しいな、そう思いながら自分の部屋へ向かった。
部屋に入るとまず制服を脱いだ。
スマホの電源を入れるとやっぱり楓からの着信が並んでいた。
怒っているのが分かるメッセージも入っている。
うわあ……電話をかけるのが嫌だなあ。
恐る恐る発信ボタンを押し、コール音が聞こえるとすぐに通話画面になった。
早っ! 怖いんですけど!
『放置されたんだけど。ボクのこと忘れてたでしょ?』
案の定、怒気をはらんだ声が聞こえてきた。
妙に落ち着いているのが怖い。
「忘れてはないけど……ごめん」
こういう時は謝罪押しが一番だ。
『なんでアイツが電話に出るの』
「佐々木さんのことか? なんでって一緒にいたから」
『なんで』
食い気味に攻めるように繰り出された『なんで』。
言葉を覚えたての二歳児じゃあるまいし、そんなに繰り返されても……。
「話をしてたから……」
『ボクを放っておいて?』
「だから、悪かったって」
『アキラって前からいつの間にか消えて、ボクを放っておくことあるよね? そういうのやめてって言ってるじゃん! いい加減にしてよ!』
怒鳴ったかと思うと、次々に僕への不満を並べ始めた。
『大体、アキラはふらふらし過ぎなんだよね! 気がついたら誰かに連れて行かれているしさ! 隙があり過ぎなんじゃないの!? ぼうっとしているからそんなことになるんだよ! 前から注意していることだってすぐ忘れちゃうし!』
放っておいたのは悪いと思うし、こっそり逃げたり抜け出したりするのも申し訳なく思っていた。
でも、そんなに四六時中拘束されるのは辛いし、こんなに叱られるのも嫌だ。
ああもう、雛といい楓といい……文句ばかり言いやがって!
「ああ、うるさい! 謝っただろう!? お前は僕の彼女か!? 保護者か!? 面倒くせえなあ!」
返事も聞かず電話を切った。
そのまま電源もオフにした。
「なんて面倒臭い奴らなんだ!」
僕が悪かったけど、そんなに責められるようなことか!?
苛々する!
こうなったらカレーのやけ食いだ。
スマホをベッドに投げつけ、天使の兄が作ったカレーを貪るべくキッチンに向かった。
※※※
翌日の朝。
カレーを食べ過ぎたのか、少し痛む胃を押さえながら家を出た。
時間はまだ七時を回ったところだ。
何故こんなに早いかというと楓と雛に会うのが嫌だったからだ。
雛は来るかどうかも分からないし、来ても何も無かったように『よう!』と声を掛ける気にはなれない。
楓も電話を一方的に切ってしまったし、楽しく話せないだろう。
そんな二人に挟まれ、朝から過ごすのは辛い。
真っ直ぐ学校に向かうと時間を持て余しそうなので、コンビニに寄っていくことにした。
以前は雛と合流していた地点に差し掛かり、『あの頃は平和だったなあ』なんて思い出していると、正面から華四季園の制服を着た女子生徒が歩いてくるのが見えた。
学校は向こうだから登校するには逆方向になる。
不思議に思って見ていると、目が合った。
その瞬間全てを理解して、胃が更に痛み出した。
「あ、ま、ち、くーん。ぐーてんもるげ~んっ!」
「うわあ……」
鼻歌を歌いながら上機嫌でやってくる腐女子。
腐っているのに爽やかだ。
でも歌っている鼻歌がアニソンという辺りに安定感がある。
「何故ここにいる」
「お話したくって。良かったわ、GPSつけておいて。行き違いになら無くてすんだわ」
「はあ!?」
昨日カラオケでつけられたのだろうか!?
制服のポケットやつけられそうなところを慌てて探した。
「嘘よ」
「……」
にっこりと微笑んでいるが、本当かどうか分からない。
『こいつならやりかねない』という疑念が拭えない。
「早く来たら、偶然会えただけよ」
女子の笑顔がこんなに胡散臭いなんて、ある意味才能だ。
「二人は?」
「……来ないうちに出てきた」
「ふうん?」
この澄ました顔が癇に障る。
何か察しているだろうに知らない振りをしようということか?
「それは素晴らしいわ、話がいっぱい出来るわね!」
「朝からあのマシンガントークを聞かなきゃいけないのか」
「大丈夫、天地君も話せば私の話量は減るわ」
確かにその通りだが喋りたくないし、喋られたくもない。
かといって、この人には何を言っても無駄なのは分かっている。
早々に諦め、一緒に登校することにした。
「コンビニ寄って行くから」
すぐ近くにあるコンビニに入り、飲み物を買う。
佐々木さんも飲み物を買うようで二人でレジに並び、順番を待った。
僕らの前にはノートを買おうとしているピンクのランドセルを背負った小学生がいた。
おさげが可愛い三年生くらいの女の子だ。
手には二百円が握られているが、レジに表示されている金額はそれよりも上だ。
表紙が可愛くてページも多い、他よりも高いノートだったようだ。
普通のシンプルなノートに換えればいいのだが、このノートが欲しいのだろう。
戸惑ってはいるが動こうとしない。
足りない分を出してあげようと考えていると、僕よりも早く佐々木さんが百円玉を出して女の子の手の平に置いた。
女の子はどうしていいか分からず佐々木さんと店員さんをきょろきょろと見ていたが、佐々木さんに『どうぞ』と促されトレーにお金を置いた。
店員さんも一応佐々木さんに確認を取り、会計を済ませた。
女の子はぺこりと小さく頭を下げると元気よく走っていった。
「可愛いわね」
そう呟きながら、自分の会計を済ませる佐々木さん。
特別美人というわけではないけれど、落ち着きがあって優しそうで素敵な女の子に見えるのに……腐っていることが残念でならない。
「何?」
「優しいなと思って。……腐ってるけど」
最近は歩く天災ぐらいに思っていたが、意外な一面を見て少し安心した。
「腐っているのは仕方ないわ。ノートはとても重要よ。授業中に絵を描き始め、マンガを描き始め……気がつけばオタクになり、いつの間にか腐属性がついている。そういう未来を開けるアイテムなの」
「おい」
「未来への先行投資ね。あの少女が私と同じ道を辿り、私を楽しませてくれるようなBL作家になることを楽しみにしているわ」
「ブレないなあ」
折角感心していたのに台無しだ。
でも、今の腐発言は照れ隠しだったようで少し顔が赤い。
真の腐女子はテレも腐で隠すものなのか、天晴れ。
「ねえ、天地君。私のこのストレートティと天地君のカフェオレ。どっちが攻めだと思う?」
「は?」
また突拍子もない事を言い始めた。
佐々木さんの手には、英国風デザインのお洒落なペットボトルが握られている。
僕の手にはシンプルだけどポップなイラストが描かれたカフェオレのペットボトルがある。
腐った話をするのは抵抗があるが、これくらいの雑談ならつきあうか。
「そっちの紅茶じゃない?」
「そうよね。メガネのインテリスーツっぽくない?」
確かに英国風というところで英国紳士、エリートっぽい感じがする。
「するな」
「でしょ? でもね、この二人が『同い年の高校新入生で、寮で同室になった』と設定すると、カフェオレがワンコ系攻めでストレートティはツンデレ受け美少年にも思えない?」
「! ……確かに!」
自然とインテリスーツが年上だと考えていたが、そう設定されると背の高い大型ワンコのような甘えたがりのカフェオレ男子と、人付き合いが苦手でいつもツンツンしている紅茶男子の構図が見えてくる。
きっと最初、紅茶男子はカフェオレ男子が苦手なのだ。
でも懐かれてるうちに……という展開だ。
「素晴らしいな」
「でしょ? 擬人化で攻め受けを想像すると楽しいわよね」
「あんまり考えたこと無かったけど……凄いなあ」
目から鱗だ。
身近に兄達カップルという大輪の花があるせいで、足元に咲いた小さな花に気づいていなかったようだ。
「私、文房具とかでもいつも考えているわ。『このペンは、攻めだな』とか。両側で太いと細いを選べるなんてテクニシャンだと思わない? シャーペンなんて、芯をいっぱい入れられちゃうのよ? 大変よ」
「馬鹿じゃねーの! 頭悪いな! あははっ」
気づけば声を上げて笑っていた。
多分考えていることは馬鹿馬鹿しいことばかりなのだが、くだらなくて凄く面白い。
なんだろう、久しぶりに感じるこの楽しさ。
鞄からシャーペンを取り出し、『この子は、何本まで入るかしら……』なんて呟いている。
こいつ本当に馬鹿だな!
ああ懐かしい、落ち着く……。
「私いつも寝るときに思うんだけど、布団って凄くない?」
「何が?」
「だって『敷布団』と『掛け布団』よ!? 常に敷き布団は掛け布団に乗られているのよ!?」
「ははっ!!」
言いたいことが分かって思わず笑ってしまった。
「万年床だなんていけないわ、ふしだらだわ」
「くだらねえ」
憂鬱になっていた気分も吹き飛ぶくらい笑った。
だが尚、佐々木風子のくだらない話は続いている。
「例えば敷き布団は万年床でいつも敷かれっぱなし。その上にはタオルケットがあるけど、それは簡単に洗えるからいつも洗濯に出されている、とするじゃない?」
「うん」
「だとすると敷布団は監禁された『受け』、タオルケットは『受け』を可愛がった後、平然と外に出て行く『鬼畜攻め』にならないかしら?」
「おお……」
布団が監禁モノになるなんて……こいつ凄いな……。
頭がおかしい。
妙に感心してしまう。
「敷布団『受け』は監禁されているけど、本当は逃げ出せるの。足の鎖は抜くことが出来るし、扉の鍵が開いていることも分かっているの! でも……逃げることが出来ないの」
「調教済みということか……」
「ええ、完全に仕上がっているのよ……」
学校を目指して歩きながら話していたが腐話に夢中になり、いつの間にか足が止まっていた。
くそ、楽しすぎる……。
「あれ、結構時間経ってる?」
長い間話していたようで、気がつくと少なかった人の姿が一気に増えていた。
「本当ね、時を忘れる程夢中になっちゃった。急ぎましょう、続きを話しながら!」
「止めはしないんだな」
「当たり前でしょ!」
意気揚々と歩き始めた佐々木さんの横に並んだ。
擬人化トークはまだまだストックがあるようで次々と飛び出してくる。
駄目だ、楽しい。
もっと聞きたくなってしまっている。
結局学校に着くまで佐々木風子トークショーに夢中になってしまったのだった。
周りに聞かれてしまうと生き辛くなってしまうので、肩を寄せて話しが漏れないように気をつけながら歩いた。
その様子を多くの華四季園の生徒からチラチラと見られていたなんて、気がつくはずもなく……。
※※※
楓はHRギリギリになって教室に入ってきた。
僕の隣に来て『ごめん』と呟いて席に座った。
それからはいつも通り近くにはいるが、ベタベタ触れてきたりはしなかった。
遠慮しているように見える。
昨日についての話は出ていないが、僕から話すこともしない。
普通の話はするし一緒にいるので、周りから見て様子がおかしいと思われることもないと思う。
雛の姿はまだ見ていない。
連絡もしていないし、向こうからもないのでどんな様子かも分からない。
なんだろう……この息苦しさ。
昼休憩。
いつも通り楓とホールで食べ終わった後、逃げるように生徒会室に向かった。
来るのが嫌で仕方なかった生徒会室。
だが今日は癒しの風が吹いているヒールポイントに見える。
扉を開けると、会長は今日も孤高の狼のように一人で定位置にふんぞり返って座っていた。
気楽で良さそうだ、羨ましい。
軽く挨拶をしながら中に入り、会長の近くの椅子に腰を下ろしながら聞いた。
「会長、どうやったら会長みたいにボッチになれますか?」
その瞬間、弓から放たれた矢のような何かが顔の横を高速で通過していった。
それは後ろの壁に激突すると床に転がった。
ボールぺンだった。
怖い!
ふざけたつもりは無かったのだが、怒りを買ってしまったようだ。
いや、嘘です。
弄りました。
ごめんなさい。
「拾え」
「はい!」
これ以上怒らせないよう素早く拾い、殿に献上する家来のように跪いてボールペンを渡した。
「なんだ、一人になりたいのか?」
怒られて終わりだと思っていたが、一応話は聞いてくれるようだ。
そこで僕は具体的なことは話さないが、最近不満に感じていることを話した。
「ふむ……構われ過ぎていて困る、と」
「冷たいかもしれないけど、ちょっと放っておいて欲しいんですよね。適度に逃げたりはしているんですけど。なんか疲れるな」
「それはお前がなめられているからだ。はっきり意思を伝え、毅然たる態度をとればいい」
「なるほど、わかりました。会長に連れまわされるのも迷惑です!」
「……お前な」
凶器のボールペンの先端が僕に向けられている。
怖い、やめて!
「はっきり言えって言ったじゃん!」
「俺が迷惑だっていうのか!? ああ!?」
「そうなんです、迷惑です! ぎゃあ!」
ボールペンミサイルが僕のおでこに着弾した。
横向きに当たったが、相当痛い!
「危ないなあ! 目に刺さったらどうするんですか!」
「刺さらなかっただろうが」
「結果論で言うな!」
「いいから拾え!」
拾わすなら投げるなよ、自分で拾えよ。
ブツブツ文句を言いながら、殿の元にボールペンを再献上した。
謀反を起こされて討ち死にすればいいのに。
「ところで、夏緋先輩はいないんですか」
「今日はいない」
夏緋先輩とまだ話を出来ていない。
電話も繋がらないし、掛けてきてくれることもない。
ちょっと寂しい。
これだけ掛けているんだから、夏緋先輩から掛けてきてくれたっていいじゃないか!
不貞腐れそうになっていると生徒会室の扉が開いた。
目を向けると、そこには会いたかった氷使いのイケメンが立っていた。
「夏緋先輩!」
僕を見ると少し顔を顰めて固まったが、扉を閉めて入ってきた。
「ここ! ここに座ってください!」
自分の隣の席をバンバンと叩きながら夏緋先輩を呼んだ。
「うるせえ」
悪態をつきながらも、僕の隣に座ってくれた。
何故か目を合わせてくれないし、機嫌は悪そうだが話しておかなければ!
「僕は会長と違って男好きじゃないですよ!」
「一々俺に喧嘩を売るな!」
会長の怒鳴り声が怖い。
今は会長弄りをして遊んでいる場合ではなかった。
夏緋先輩を見ると表情が険しくなり、一層機嫌が悪そうになっていた。
「本当ですよ!」
「うるせえ!」
念を押して言うと怒られてしまった。
「でも、本当に違うんです!」
「分かった」
「本当に分かりました!? 大事なことなんですよ!」
「しつこい。何をそんなに必死なんだ」
「だって、夏緋先輩は男が好きとか嫌でしょ? 嫌われたくない!」
そう言うと、夏緋先輩は僕を見て固まった。
目を見開いて驚いているようだ。
そんなに意外なことなのだろうか。
あれ、BL嫌いだよなあ?
「あ、お兄さんが男好きでした」
そう口走った瞬間、頭に激痛が走った。
いつの間にか会長が僕の頭を片手で掴み、林檎を握りつぶすような勢いで僕の頭を鷲掴みにしていた。
「痛い! 痛いよ馬鹿! 馬鹿力! 夏緋先輩、助けて!」
夏緋先輩に助けを求めたが、今までも何度か見た可哀想な子に向ける視線を寄越してくるだけだった。
何で助けてくれないんだ!?
――コンコン
イケメンゴリラの馬鹿力攻撃に耐えていると、軽快に扉を叩く音が響いた。
会長の力を入れる手も止まった。
救世主だ!
「天地君」
扉を少し開け、隙間からひょっこり顔を出したのは佐々木さんだった。
「お前かよ!」
つい突っ込みを入れてしまうくらい救世主という言葉が似合わない人物だった。
僕に向かっておいでおいでと手招きをしている。
何故ここにいることが分かった。
「GPS、本当についてんじゃねえの」
「ふふ……」
妖しい含み笑いをしながら扉の向こうに姿を消していく。
「え、まじで? ちょっと待て、冗談だよな!?」
何度も言うが、こいつならやりかねないのだ。
今度はしっかりと問い詰めなければいけない。
見失わないように急いで生徒会室を飛び出し、後を追いかけた。
そんな様子を見送っていた兄弟は、顔を顰めながら目を合わせた。
二人は随分親しい様子だった。
わざわざここまで顔を出し、呼びに来たことも気になる。
一般の生徒が生徒会室の扉を開けることは稀だ。
こんなところまで探してでも会いたかった、ということなのだろうか。
櫻井春樹の妹とは幼馴染で仲がいいのは知っていたが、今の女生徒に見覚えは無い。
「今のは誰だ?」
「……知るか」
弟の方は更に顔を顰め、苛々した様子で生徒会室を出て行った。
荒々しくしまった扉の音を聞きながら、兄は呆れたように溜息をついた。
「妬くくらいならさっさと自分のものにしてしまえばいいものを……。何をウジウジしてんだ」
何を迷っているのかしらないが踏み切れず、家にいても内に篭る様子の弟に喝を入れてやった方がいいのかもしれないと思う兄だった。
※※※
櫻井雛が欠席していたその日、天地央と佐々木風子が仲良く登校。
昼休憩も一緒に過ごす姿が目撃されていた。
天地央と櫻井雛はとても目立つ存在である。
二人には更に目立つ兄がいるため、同学年の一年生の間だけではなく全学年を通して目立っている。
そんな二人の異変を周りは見逃さなかった。
『天地央が櫻井雛と別れて佐々木風子と付き合い始めた。そのショックで櫻井雛が学校を休んだ』
そんな噂が真しやかに囁かれ始めていた。
そんなことを知らない当の本人達は……。
「生徒会室まで呼びに来てなんだよ」
「素敵な気配を感じて。当たりだったわ。普段からああやって三人で楽しんでいるんでしょ?」
「お前が言うと全部いかがわしく聞こえる」
「ええ、いかがわしい意味で言っているわ。同時に二人を相手するなんて、タフね」
「ブレないなあ」
などという周りが予想していない会話を延々と続けていたのだった。




