第十七話 厄日
日が登り、鳥の鳴き声が朝を告げる。
チュンチュンという鳴き声を聞いて、これが『本当の朝チュン……』なんて思っていると周りが段々騒々しくなってきた。
車の音も多くなったが、何より煩いのは元気な約二名の声だ。
天地家の開門時間として指定していた七時半になり、謎の競い合いをしている両者は揃って姿を現した。
ドアを開ける前から何やら言い争っている。
朝からうるせえ……開けるのやめようかな。
近所迷惑になるし、そういうわけにもいかないか。
渋々ドアに手をかけたが、完全に開く前に楓が飛びついて来た。
「アキラ、おはよ!」
「楓君!? ちょっと、何してるのよ!?」
想像通り、開けると更に煩くなった。
それより飛びつかれた時に楓の頭が顎にクリーンヒットした。
痛い。
顎を摩りながら楓を引き剥がした。
「朝から騒ぐなよ。っていうか揃って七時半ぴったりにくるなよ」
「だって七時半ならいいって言ったもん」
「そうだよ。アキラが言ったんだからね」
文句を言う時は揃うという、勘に障るこの現象。
溜息をつきながら、リビングでもう少し待つように頼んだ。
まだ、朝ご飯食べきってねえってーの。
キッチンの方に戻り、残りを食べてしまおうとしていると楓が小さな紙袋からお弁当サイズのバスケットを取り出した。
凄く良い匂いがする。
「これ、家でも作ってみた」
「おお、ホットサンド!」
バスケットから取り出した紙包みの中身は僕の好物だった。
だが残念ながら、ホットサンドを食べる程もう腹は減っていない。
「今食べてるからなあ。もっと早く分かってたらなあ」
「じゃあ、明日からもっと早く来て良い?」
「それは駄目。帰ってから食うよ」
舌打ちをしながら『作戦失敗かあ』なんて呟く楓。
これを餌にして早い時間に来る許可を取り、雛を出し抜くつもりだったのか?
策士め。
「……それ、何?」
雛が僕の手にあるホットサンドを睨んでいる。
「ホットサンド。僕の好物」
「真先輩に教わって、アキラの好みもちゃんと把握してるんだー」
『どうだ』と言わんばかりに楓が腰に手を当て、得意げに胸を張っている。
「……真兄」
雛の低い声が響き、リビングから気配を消して出て行こうとしていた兄の足が止まった。
登校しようとしていたようで鞄を持っている。
扉の方を向いているので兄がどんな表情をしているかは分からない。
でも、後頭部に雛の視線が刺さっているせいか動揺しているように見える。
「真兄」
雛が再び諌めるような声で兄を呼んだ。
どうしたのだ、雛が兄に対してこういう態度を取るのは珍しい。
何事だ。
「ひ、雛にも今度教えてあげるから。じゃあ、いってきます!」
振り向いた兄の顔には、貼り付けたような笑顔があった。
都合が悪いのかそそくさと去っていった。
あんな兄の様子も珍しい。
「兄ちゃん、どうしたんだ」
「真兄……許すまじ……」
黒いオーラを出す雛。
僕の部屋で寝てしまった時の邪悪な笑みを思い出した。
BL色欲にまみれたこの家は、雛に悪影響を及ぼしていそうで嫌だ。
この家に出入りした為に腐り神に目をつけられ、腐女子の友達が出来たのかもしれないとさえ思ってしまう。
きっと雛はこの家に長居しない方がいいのだ。
……とはいえ、兄にああいう態度をするのはブラコン弟として見逃せない。
「雛、兄ちゃん虐めたら怒るからな。出入り禁止にすんぞ」
雛に向けてジロリと視線を向けた。
すると雛は目を見開いて、ぎゅっと自分の手を握りしめた。
「ちっ違うもん! ……真兄が悪いんだもん」
そう反論すると俯いてしまった。
別に本気で怒ったわけじゃないのだが、異常に凹んだ様子の雛。
そこまで肩を落とさなくても……。
「いや、冗談だから」
真面目に受け取り過ぎだとフォローを入れたが、雛の表情は晴れない。
それどころかうっすら目に涙が溜まり始めている。
「……私、先に行ってる」
「え? 雛?」
どうしたのかと焦った。
更にフォローしようとしたが、その前に雛はスタスタとリビングを出て行った。
ソファに置いていた鞄も持って行ったし、本当に先に行ってしまうのだろう。
「あいつ、どうしたんだ?」
「さあ?」
僕のせいか?
そんなに怒ったフリをされたのが嫌だったのだろうか。
出入り禁止と言われたことに、腹が立ったのだろうか。
まあ……学校でまた会うかもしれないし、会わなかったらラインで様子を伺えばいいか。
「二人っきりになったから、ボクはラッキー」
「あっそ」
そういえば、こいつに『好きになって』などと言われていたのだった。
これから何をされるのだろう、恐ろしい……。
ノーマルの神様、僕を腐り神の使徒からお守りください。
※※※
「白兎さん、おはよう!」
「……おはようございます」
登校して賑やかになっていた教室に入ると、既に席についていた白兎さんと目が合った。
以前に比べると鼻息じゃなく、こうやってちゃんと言葉が返ってくるだけ仲良くなれたと思う。
『死ね』って言われるけどね。
大丈夫、泣いてない。
どこかに『好感度』って売ってないかなあ。
あ、目から汗が。
昨日の今日なので流石に外見に変化は無いが、雰囲気が柔らかくなったような気がする。
「鍛えてない? 苺味のプロテインは止めた?」
「どうしてそれを……!?」
「深雪君が言ってた」
『余計なことを……』と顔に書いてある。
話されたくないことだったのだろうか。
「深雪が普通の苺ミルクを買ってきてくれたので、それで我慢してます」
……我慢してるのか。
プロテイン中毒ですか?
恐ろしい……深雪君のサポートが素晴らしいな。
同じ苺でもプロテインからミルクに変わるだけで、女子力数値は大幅に上がるだろう。
白兎さんの劇的ビフォアアフターの期待値も上がる。
「なあ、また深雪君と話がした……」
「用件は」
「特にあるわけじゃないけど……」
「却下」
明確な用件が無いと取り次いで貰えないのか。
雑談は許してもらえないこの世知辛さ。
あ、やっぱり目から心の汗が流れている。
とぼとぼと肩を落としながら自分の席についたのだった。
※※※
「面倒くさいなあ」
午前最後の授業だった『体育』を終わらせ、今僕は一人で『体育準備室』に足を向けている。
そこは体育で使う道具があったり、体育担当の先生達が事務所代りに使ったりしている場所だ。
以前会長に連行されたため、サボった授業は体育だった。
その時に測るはずだった八百メートル走のタイムを今日計測した。
記入した紙を、体育準備室に置いておけと言われたので向かっている。
本当に面倒くさい。
会長のせいで今日は一人で走らされて辛い思いをしてしまった……クソッ。
走っている間も会長と出掛けた時の封印したい記憶が蘇り、二重苦だった。
辛い。
「ん?」
花壇脇の車が通る通路に、七人乗りの大きなワンボックスカーが止まっていた。
あれは学校の車で、柊が体験活動に出る際に生徒を乗せてたり、校内の用具を運んでいたりする。
用務員だけではなく先生が外出する際にも使われているが、今は花壇脇に停車しているから、柊が花壇に使う道具等を運んでいる可能性が高い。
今はあまり柊に遭遇したくない。
楓に告白されたことにより、自分がBL対象に成りうることを知ったからだ。
柊のスキンシップはふざけていたにしては過剰だったのではないかと、今更ながら思い始めた。
楓の場合は違うと言っていたが、柊は僕を『兄の代わり』にしようとしている可能性だってある。
なにせあれだけ病んでいたのだから。
なるべく近くを通りたくないが、僕が目指している体育準備室は車の横を通らないと行けない。
嫌な予感がしたが、辺りや車の様子を見る限り誰もいない。
車を置いてどこかに行っているのだろう。
今のうちだ。
車の後方から近づき、横を通り過ぎようとしたその時だった。
車体中央のスライドドアが急に開き、中から伸びてきた長い手に掴まれ、引っ張られた。
「ちょ、なに!?」
抵抗したが強い力に負け、車内の座席に引きずりこまれる。
腕は痛いし、視界が激しく動いて何が起こったのか分からない。
怖い! 車の中に引きずり込まれるなんて事件だ。
気づけば中央部のシートに仰向けに倒れていて、目の前には封印が解けた財宝、金の瞳の怪物が僕を見下ろしていた。
……やっぱり、お前か。
「やあ」
「やあ、じゃねえよ!」
『出先で偶然会って、気軽に挨拶』な感じだが、今の状況からするとこちらは『やあ、どうもどうも』なんて返事を返せるわけが無い。
「何をしてるんですか。怖かったじゃないですか! 人攫いかと思いましたよ」
「いいね、攫いたいよ。このまま俺の家に来る?」
「絶対嫌」
僕の中で柊は、変態BLとして確立している。
柊の家になんて連れて行かれたら鎖に繋がれて監禁されるに違いない。
調教なんて受けたくない。
二次元だとご馳走だが、三次元だとただの事件だから!
「でもさ、なんか出遅れている感じがするし、この辺りで我慢するのをやめてもいいかなあ、なんて思うんだよ」
「何の話だよ」
「一応我慢しようとしているんだよ? せめて、君が卒業するまでは……って。でも、まだ二年以上待たなきゃいけないなんて無理だよね。うかうかしていると他の奴に持っていかれそうだしさ」
「だから、なんの話だ」
なんとなく、何の我慢か察することが出来て怖い。
やっぱりこいつは、僕を兄の代わりにしようとしているに違いない!
「僕は兄ちゃんじゃないからな!」
「そんなこと、言われなくても分かっているよ。見れば分かる」
「そういうことじゃない!」
単なる人違いということではなく『代わりを出来ない』と言いたいのだが、こんな状況じゃ落ち着いて話も出来ない。
兎に角、この危機から脱出したい。
腕で押し返すが相手は大人で、身長も僕より高くビクともしない。
いや、女子の白兎さんにも勝てなかったけど……会長にも勝てないけど……。
あれ、ひょっとして僕って弱い?
そんな馬鹿な……。
「もしかして、俺が君を『真の代わり』にしているって言いたいのか?」
「そう! それ!」
思考が反れそうだったが、伝えたかったことを柊が勝手に理解してくれたので良かった。
僕は嬉しくなったのだが……何故か対照的に柊の顔が険しくなっていく。
「そんな風に思っていたのか。仕方無いことかもしれないけど、心外だなあ」
「ひっ」
険しかった顔が一転、胡散臭くて眩しい笑顔になった。
怖い、何を考えているか分からない恐ろしい笑みだ。
逃げたいが動けない。
近くに何か使えそうなもの、武器になりそうなものを探したが車内には何もない。
「!? 痛っ!?」
辺りに目を向けていると、突然耳に謎の痛みが走った。
痛みといっても強い痛みではない。
甘噛みされたような……。
「何をして……」
目の前には口角を上げ、にやりと笑う柊の顔。
その瞬間、何が起こったか理解した。
……こいつ、噛みやがった……耳、噛まれた!
耳カプしやがったっ!!
「ぎやああああああ!! PTA!!」
保護者会の皆様、是非次の総会でこいつの素行を取り上げてください!
そして処分を……!
あ……でもそれだと、このことを広く知られてしまうことになる。
それは駄目だ。
「不吉なアルファベットの羅列を口にされると、もっと言えなくしてやろうかなって思っちゃうよね」
「ご、ごごっごめんなさい!」
二度とPTAなどとは口にしません。
今後この三つのアルファベットは使わない人生を歩きます、だから許して!
「……そんな顔で見られると余計に我慢出来なくなるなあ」
そんな顔ってどんな顔だ。
怯えているのがいいのか?
やはり変態だ。
よし、口を半開きにして鼻の穴を開き、馬鹿な顔をしていたらそんな気も起こらないな?
……と全力で変顔をする準備をしていたのに、再び柊の顔が降りてきた。
まただよ!
もうこのシチュエーションにはお腹いっぱいなのだが!
「汗の匂いがする」
「は、走ったからね!」
僕の首もとに顔を埋めて、匂いを嗅いでいる……変態ぶりが絶好調だな。
顔にかかる髪がくすぐったいし意外に良い匂いがするが、そんなことよりもまず危機感が勝つ。
逃げなければ!
楓に柊は危険だと言われていたが、確かに危険だった!
後悔先に立たず!
そんなことを考えていると、今度は首に湿ったような感触が当たった。
「塩辛い」
「ひぃっ」
舐めた……!
今度は首を舐められた。
あわわ……全身に鳥肌が立った。
これは駄目だ、完全にアウトなやつだ!
頭も身体も全てフリーズしてしまった。
「可愛い」
笑っている柊と目が合う。
……これって本格的にやばい?
今まで騒いでいても『まさか、実際にすることはないだろう』と侮っていた。
ここは学校だし、そもそもこの僕相手に本気でそんなことをしようとするなんて……と思っていた。
普通に生活しすぎて忘れていたが、ここはBLゲームの世界なのだ。
そういう展開が『必然』な世界と言ってもいいかもしれない。
BL展開は『兄』だけに限られることではなく、弟の僕に起きたっておかしくない。
実際、楓から好意を受けているし、柊だって攻略キャラだ。
僕の周りには『BL』を肯定するもので溢れている。
あれあれ、考えれば考えるほどやっぱり拙い!
NOTBLを目指すなら、僕はもっとしっかりしなければいけない。
今更かもしれないけど……まだ間に合って!
ノーマルの神様、信仰するから助けてください!
「アキラー!?」
「!」
少し離れたところから、楓の声が聞こえた。
僕を探しているようだ。
楓よここだー!
お前はBLの刺客だが、今は救世主だ!
起き上がり叫ぼうとしたが手で口を塞がれ、抑え込まれてしまった。
「んーー!」
「駄目」
柊が顔を近づけ、『シーッ』と人差し指を口元で立てた。
「騒いだら、お仕置きするよ?」
「!?」
柊が言いそうな台詞として予想していたワードの『お仕置き』が出てきた。
予想が的中して少し嬉しくなったが、お仕置き相手は楓が望ましいのだ。
僕じゃない!
そんなやり取りをしているうちに、楓の声はどんどん遠ざかり……聞こえなくなってしまった。
柊も楓が離れたと判断したのか、僕の口から手を離した。
しっかりと塞がれていたから、息が出来なかったじゃないか、死ぬ!
「苦しっ……お前、こんなことしてないで仕事しろよ!」
「今いいところなのに、仕事なんてやっていられないよ」
「お前はやっぱり駄目な大人だ!」
「駄目ついでに、やっぱ連れて帰ろうかな」
「誰かあああ! ここに誘拐犯がいます!」
柊からは、変態と犯罪の香りがする。
この美貌に誤魔化されそうになるが、確実に危険人物だ。
「誘拐だなんて人聞きの悪い。合意があれば問題ない。君が俺と一緒にいたかった、そういうことだろ?」
「違う! 断じて違う!」
――バンッ
僕の叫びと同時に、勢いよく車のスライドドアが開いた。
暗かった車内に日差しが入った。
太陽をバックに現れたのは、離れてしまったと思っていた楓だった。
僕を押し倒している柊越しに、驚いた楓の顔が見える。
助けて、王子様!
「何してるんだ!」
鬼の形相の楓が、車の脇に置いてあった大きなシャベルを取った。
流石にその武器は攻撃力が高すぎでは!?
事件の匂いがしたので止めようとしたが、既に楓はシャベルを振りかぶっていて――。
「許さないからな! 変態用務員!」
ドアを開けられることにより無防備になっていた柊の尻を思い切りぶっ叩いた。
ケツバットならぬ、ケツシャベルだ。
「ぐああああ!!」
『バシィィィィッ!』と、凄く痛そうな音が車内に響いた。
尻をシバかれた柊は悲鳴を上げて僕の上に崩れてきた。
あわわ……流石に脂肪がある尻とはいえあれは痛い。
でも……逃げるなら今のうちだ!
柊を押しのけて車外に避難した。
「汚いケツ向けてんじゃねえよ。まったく、アキラはボクのなの!」
ふんっと鼻をならし、勇ましくシャベルを担ぐ姿が勇ましい。
普段は乙女な楓の『男の部分』を見てしまった。
何故だろう……僕の身体は震えている。
楓は怒らせてはいけない、深く胸に刻んだ。
「アキラも気をつけてって言ったのに!」
「はい! 真に申し訳ありませんでしたっ!」
思わず畏まり、敬語で返事をした。
呆れたように溜息をつく楓に手を引かれ、車から離れる。
振り返って柊の様子をちらりと覗くと、まだ尻に手を当て悶絶していた。
あの衝撃音は尾骶骨が粉砕骨折していても不思議じゃない。
あーあ……ご愁傷様です、合掌。
楓にまだ体育準備室に行っていないことを告げ、再度呆れられながら二人で一緒に向かった。
用事を済ませ、教室に戻りながら話をする。
「大丈夫だった? 変なことされなかった?」
「終始変だった」
「はあ!? だからアイツは危ないって言ったでしょ!」
「そう言われても、急に車に引きずり込まれたから回避不可だった。しかし、焦った。耳噛まれたし、流石に身の危険を感じたよ」
「ええっ、耳!? どこ!? どこっ!?」
異常なテンションで腕を掴まれた。
気圧されながらも柊に耳カプされたところを指差した。
「汚い! アキラの耳が腐っちゃう!」
腐るって……柊はどれだけ嫌われているんだ。
それに僕は元から腐っているから今更耳くらい腐ったところでなんともないぞ。
「まあ、別に死ぬわけじゃないからいいけど」
「良くないよ!」
取り出したハンカチでゴシゴシと耳を乱暴に拭かれた。
『常にハンカチを持っているなんて、さすが女子力高い!』なんて軽口を叩く余裕が無いくらい痛い。
「痛い、痛いって!」
「じっとしてよ!」
腕をがっしりと掴まれ、乱暴に拭かれ続ける。
痛い、血が出るって!
傷害事件だぞ、この野郎。
――ガブっ
「痛!?」
摩擦とは別の痛みが耳に走った。
ついさっきも感じた、甘噛みされたようなこの痛みは、まさか……。
驚いて楓を見た。
実に涼しい、しれっとした表情をしていた。
「お前……今、噛んだだろ……」
「うん、消毒」
「はあ!? 何やってんだ! お前、馬鹿じゃねーの!」
おかしいのは僕の方だと言いたげな視線を送ってくるが、どう考えてもおかしいのは楓の方だ。
学校の……こんな誰に見られるか分からないような場所で耳カプするなんて頭がおかしい!
男女のカップルでも、そんな場面を見かけたら『余所でやれ』と思ってしまう。
でも僕の耳を通して柊と楓が間接キスだと思えば、『まあいいか』と許せてしまう自分も何処かに居る。
救いようが無い、これだから僕は駄目なんだ。
一回生まれ変わったくらいでは治らないのだ。
「ん!?」
背筋が凍るような、冷たい視線を遠くから感じた。
今までに何度も体験したあの視線だ。
元を辿ると……そこには思った通り、氷の使い手夏緋先輩がいた。
能面のような、心の読めない顔で僕をじーっと見ていた。
わあ……どこから見ていたのだろう。
耳カプも見られていたのだろうか。
『やっぱりお前もBLじゃねえか』とか『これだからBLは』と思われていそうだ。
それでなくても夏緋先輩には壁ドンを目撃された経緯がある。
壁ドンからの耳カプ、否定しても説得力がゼロだな。
だが弁明したい!
夏緋先輩とはノーマル仲間であり、ブラコン仲間でもある。
それにちょっと乱暴だけれど、実は優しくて頼りになる夏緋先輩には誤解されたくない。
思わず駆け寄ろうとしたが……。
「どこ行くつもり?」
「楓! ちょっと話してくるから、離してくれ」
「駄目」
「すぐ戻るから!」
焦って楓の腕を解いたが……夏緋先輩の姿は消えていた。
「ごふっ……」
弁明出来なかった、辛い。
精神的ダメージがジワジワ入ってくる。
後で電話しようかな……。
※※※
昼休憩の間に夏緋先輩に何度か電話をかけてみたが、繋がらなかった。
ラインに『男好きじゃないですよ!』というメッセージを入れようかと思ったが、直接話した方がいいように思えてやめた。
視覚的に見る『男好き』という字の攻撃力が意外に高く、メッセージで入れるには抵抗があったし。
放課後、生徒会室に顔を出してみたが会長しかいなかった。
「会長一人ですか? そういえばここって生徒会室なのに、いつも会長一人ですよね。他の生徒会の人達には嫌われているんですか? 分かります」
「お前、一度本気で殴ってやろうか」
会長曰く、他のメンバーが集まるのは何かイベントがある時くらいで、普段は使われていないことをいいことに自由に使っているらしい。
「それでボッチ会長の私室と化しているわけですか」
「殺すぞ」
本気で怒り始めたオーラが出てきたので会長弄りはこの辺にしよう。
「夏緋先輩はどこにいるか知りませんか?」
「……。……さあ、連れといるんじゃないのか?」
質問をすると、何故か一瞬間を開けて返事が返ってきた。
「なるほど、ボッチ会長と違って友達がいるんですね。僕も会長より断然夏緋先輩が好きです」
深く頷きながらしみじみ呟いた。
その瞬間、静かに会長が立ち上がった。
ドラゴンゾンビ時のような暗黒オーラを纏っている。
あ、まずい。
「失礼しました!」
急いで生徒会室から脱出し、教室へ逃げたのだった。
実は生徒会室には、もう一人いたなんて気づくはずもなく……。
「俺よりお前の方がいいとさ。良かったなあ?」
小馬鹿にしたような笑いを含んだ物言いを兄から投げられ、ロッカーの影に潜んでいた弟は苦虫を噛み潰したような表情で姿を現し、身近にあったパイプ椅子に腰掛けた。
「なんで隠れたんだよ。お前をおいて、あいつと出かけたことをまだ根に持っているのか?」
「そんなことは気にしていない」
それにしては面白くなさそうな顔をしているし、あの日から弟は妙に突っ掛かってくる。
その理由に本人は気づいているのかどうか知らないが、兄としては面白くて仕方が無い。
つい冷やかしたくなってしまう。
「何が気に入らないんだ? お前に用があったようだが?」
「オレは無い」
何かあの愉快な一年生のことで、気に入らないことがあったのは確かなようだ。
「そうか。……なあ、そんなにスマホが気になるか?」
用が無いといいながらも、この様子では『誰か』からの連絡を待ち望んでいるようにしか見えない。
「時間を確認していただけだ。……帰る」
子供の頃から欲しいものがあっても言い出せない、我慢をするのが弟の悪い癖だと思っていた。
だが半分は一切我慢などしない自分のせいではないか、と申し訳なく思う部分もある。
自分に何か出来ることがあれば背中を押したり、力になってやりたいとは思っているが……。
「まずは自覚することか」
分かりやすく口を尖らせながら去る弟を見送りながら、面白いことになりそうな予感を感じている兄だった。
※※※
「もう、アキラ! どこに行ってたんだよ」
一瞬、『お前のいない所だよ』と毒づきたくなったのは気のせいだろうか。
楓は人前ではあまりベタつかないが、人目がないとくっついてくる。
告白されてからはスキンシップが激しくなる一方で戸惑ってしまう。
「ちょっと用事」
「一緒に行くのに」
「別について来てくれなくて大丈夫だ」
「ボクが行きたいの」
「はいはい」
トイレも一人で行けるし、用事も一人で済ませられるもん! と、心の中で戸惑いを紛らわせるようにふざけていたのだが……。
廊下に人がいないのをいいことに、横に並んで歩いている楓が腕を絡ませてきた。
ジロリと視線を向けたがニッコリと微笑まれるだけだった。
お前はブレないなあ。
教室の扉を開けると人の姿は一つも無かった。
窓が開いていて、部活をしている声が外から入ってきている。
鞄を置いている席は幾つかあるので、戻ってくる人はいるのだろう。
楓の腕を解きながら、自分の席に向かう。
そういえば雛の様子がおかしかったが、今日は学校で顔を見ていない。
「雛はもう帰ったかな。ちょっと教室を覗いて帰ろうかな」
「別にいいんじゃない? どうせ明日の朝はいるんだし」
「ドライだな」
「だってアキラと二人がいいもん」
そう言いながら再び腕に絡みついてくる楓。
動き辛いからやめなさい。
呆れた視線を投げたのだが、目が合うと今度もニッコリと微笑まれた。
……確かに、天使のように可愛い。
だが男だ。
楓が女の子だったら何も問題は無かったのだろうか。
「何? 見つめちゃって」
「別に」
そんなことを考えながら楓の顔を見ていたが自分の席に視線を戻し、後片付けを始めた。
すると、不意に楓の顔が近づいてきて……頬に何かが触れた。
顔はすぐに離れたが、何をされたかはすぐに分かった。
僕の動きは止まった。
「……」
視線だけ動かして楓を見たがさっきと同じ笑顔で、何事もなかったような様子だ。
だが僕の方は何事もあったわけで、落ち着いてなんていられない。
「お前……」
「アキラ、隙だらけだよ?」
「学校でこんなことすんなよ!」
「学校じゃなかったらいいの?」
「そういう問題じゃ……」
――ガタッ
教室の入り口付近で物音がした。
目を向けると閉めていたはずの扉が開いていて……そこには見慣れた幼馴染の姿があった。
まだ帰っていなかったのか。
教室まで様子を見に行こうと思っていたし、ちょうど良かった。
「今から行こうと……雛?」
様子がおかしい。
さっきの物音は雛が鞄を落とした音だったようで、足元に転がっている。
拾う様子はなく、こちらを見て固まっていた。
「BLじゃないって言ったのに……」
零すように小さく呟いた言葉がかろうじて耳に入った。
それで分かった。
さっきのほっぺにチューを目撃してしまったのだろう。
勘違いしているようだ。
「いや、違うって」
幼なじみに誤解されては困る。
近づいて説明しようとしたが、僕が一歩踏み出したところで雛は素早く鞄を拾い、走り去ってしまった。
話せないまま、間を開けるのは危険だ。
すぐに解決しなければ!
「アキラ!」
呼び止められたが今は雛が優先だ。
楓を置いて、雛を追いかけた。
廊下では雛に追いつくことは出来なかったが、靴を履き替えるために止まっていた昇降口で捕まえることが出来た。
逃げないように手を掴んで話す。
「ちょっと待てって!」
「離して!」
落ち着く様子はなく、手を離せと暴れる雛。
このままではまともに話も出来ないし、今は周りに人はいないが騒ぎを聞きつけて人目についても困る。
「話を聞けって!」
両肩を掴んで語気を荒げた。
驚いたのか、雛の肩がビクッと跳ねた。
大きな声をだして悪いとは思うが、こうでもしないと話せない。
漸く静かになった、と思ったら……。
顔を上げた雛の目には涙が溜まっていた。
「何よ……私には怒ってばっかり!」
「ごめん、悪かった。でも、話を聞かないからさ」
反論をしているうちに、雛の目からとうとう涙が零れてしまった。
泣かしているのは紛れもなく自分だ。
こうやって強引に捕まえているし、大きな声を出してしまった。
慣れ親しんだ雛といえど、女の子を泣かせるなんて最低だ。
バツは悪いし、申し訳ないし……でも誤解は解いておきたい。
どう説得するか考えていると、雛が泣きながら怒鳴り始めた。
「楓君とばかりイチャイチャして!」
「だからそれは誤解だって!」
「私、知ってるんだもん! きっとアキは攻めなんだ! うわあああんっ!」
「はあ!? ちょっと待てえええ!!」
動揺して手を離した隙に、雛が離れた。
すぐに手を伸ばしたが、既に靴を履き替えていた雛を捕まえることは出来ず……。
聞き捨てならない台詞を残して、雛は行ってしまった。
雛にあんなことを言われるなんて………ショックだ。
泣かせてしまったショックも重なり、自分の中で色んなショックが渋滞している。
混乱し過ぎて機能停止状態、僕は呆然と立ち尽くしていた。
そんな時だった。
「違うわよね、天地君は総受けよね」
「誰が総受けだ!」
……ん?
今の声、誰だ?
無意識に反応してしまったが、僕の心の声……なわけはなく。
嫌な予感がする。
振り向いたら死ぬ、そんな気配さえする。
首が錆びたように重い、回らない。
だが、動かさずにはいられない。
やめればいいのに、見なければいいのに、見たら死ぬのにそれでも動いてしまう。
それが人間というものだ。
首を軋ませながら振り向くと、そこには……。
――ニヤァ
かつての同胞……今は畏怖の対象となったあの人が邪悪な笑みを浮かべて立っていた。
「ひいっ」
もう誤魔化せないぞ、言い逃れなんてさせないぞと顔に書いてある。
『さあ、処刑タイムの始まりだ』、そう言っているように見えた。
「天地君、お話ししましょ」
おぞましい微笑みを見たその瞬間、僕は思考を放棄して……逃げた。




