第十五話 だから、BLにはなりません
まだ夜の静けさが残る早朝に目が覚めた。
肌寒さが心地良い。
早起きは三文の得というが、この気持ち良さと時間に余裕を持てるという点だけでも三文以上得した気分になれる。
会長に付き合わされ、疲れて帰って来た僕は何もせず熟睡してしまった。
雛に邪魔されるというアクシデントはあったが、いつの間にか雛はいないし、自分もベッドで寝ていた。
恐らく兄が運んでくれたのだろう。
布団が少し甘い香りがしたのは、雛の匂いなのだろうか。
自分の布団で女の子が寝ていたと思うとドキドキするが、その女の子が雛だから意識するような、しないような……。
ご飯も食べず、そのまま眠り続けて今に至っているので、とにかく風呂に入ることにした。
脱衣所にあった洗剤のパッケージにアヒルのイラストを発見し、葬り去りたい記憶が蘇って絶望したが汗を流してきた。
「央。オレはもう出るから、ご飯は昨夜の分ならテーブルの上にあるし、パンの方が良かったらいつものカゴに入れてあるから」
体を拭いていると、家を出る様子の兄に声を掛けられた。
そういえば今日は、三年生になってからは行っていなかったテニス部の朝練に出ると言っていた。
「はーい、行ってらっしゃい」
「あと、楓が来たよ。上がって貰ったから」
「え? こんな時間に?」
いつもの僕なら今が起床時間だ。
雛と競い合って早まった結果、こんなに早くなってしまったのか?
早すぎると思うが、帰らせるわけにもいかないし、一人で待たせるのも悪い気がする。
髪は濡れたままで首にタオルをかけ、急いでリビングに向かった。
「おはよう」
リビングでは、楓がソファに座ってテレビを見ていた。
「おはよ。今日こそは勝ったでしょ?」
「勝ったけどさあ。早すぎ!」
麦茶を入れ、飲みながら隣にドカッと座る。
一気に飲み干していると、楓がジーッとこちらを見ていた。
「何だよ」
「べ、別に、頭が濡れてるなって思っただけ!」
「そりゃ、風呂に入っていたからな」
楓の顔の血色が良くなった気がするし、そっぽを向かれたがこいつは何を照れているのだ。
「じゃあ……次、お前入れよ」な展開が待っているわけでもないのに。
そういう話でいうと、楓は順番で入るというより、相手が入っている間に乱入して誘惑するのが似合いそうだ。
まさに魔性の誘い受けである。
相手は柊がいい。あいつはエロが似合う。
「イケナイ子だ、お仕置きしよう」なんて言っているのが目に浮かぶ。
「ちょっと、また変な顔になってるよ? これ、持ってきてあげたから」
おっといけない、朝から腐の思考が絶好調で顔に出てしまったようだ。
気を引き締めつつ楓の横に目を向けると、学校に置いてきてしまった僕の鞄があった。
「持ってきてくれたのか」
「全部置いていったから、財布とかも入っているでしょ?」
「そうなんだよ。サンキュ!」
クラスに悪いことをするような奴はいないが、気にはなっていた。
楓が預かってくれていたなら安心だ。
「楓、コーヒーでも飲む?」
礼の代わりという程ではないが、楓にコーヒーを入れようとキッチンの方に足を向けた。
自分も腹が減っているし、ついでにテーブルに置かれていた昨日の夕飯をレンジで温める。
「うん。頂戴」
「ブラックだよな」
なんて言いながら、楓と仲良くなった時のことを思い出していた。
「お前なんか嫌いだ!」と泣かれたんだよなあ。
そんなに昔のことでもないのに、妙に懐かしい。
「……甘いのがいい。カフェオレにする」
「ん? 何で?」
「誰かさんのがうつったのかなあ」
「はあ?」
兄ちゃんがカフェオレを飲んでいると思っていたから、真似をして飲んでみたけど駄目だったんだろう?
何故こんなところで再チャレンジをするのだ。
「今の、気がついてもいい所だと思うけど?」
「あ?」
「なんでもない。早く淹れてよ」
「はいはい。仰せのままに」
本当にブラックじゃなくてもいいのかと思いつつ、甘さは控えめにしたカフェオレを出してやった。
大丈夫か見守っていると、「おいしい」と言って飲み始めた。
長い袖から指だけ出ている状態でカップを持ち、熱そうにちびちび飲んでいる姿が小動物のように可愛い。
この愛らしさは一般女子が束になっても太刀打ち出来ない。恐ろしい奴だ。
「ねえ、アキラ。昨日、会長と何処行ってたんだよ」
「あれ? なんで会長と出掛けたことを知ってんの?」
温め終えたご飯をキッチンのテーブルに置き、食べ始めながら話す。
楓はソファからカフェオレを持って僕の前に移動してきた。
「クラスの奴が言ってたよ。会長に引き摺られていたって」
「うわあ……」
会長が行動するとやはり目立つ。
下っ端にヤキを入れるために引き摺り回していたとか噂されるのだろうか。
「で、何処行ってたの」
「んー……遊びに?」
「えー! ボクも行きたい! 釣りの時に『ボクも連れて行って』って頼んだじゃん!」
「そういえば言っていたな。まあ、昨日のは強制連行されたし、お前に声を掛けている余裕はなかったよ。……んじゃあ、代わりに、明日土曜だしどこかに行くか?」
「行く! この前行ったゲーセンと観覧車に行きたい」
「そうだな。あそこなら一日遊べるし、そうするか」
「約束だからね! 二人だけだからね! 変更はなしだからね!」
「あいよ」
約束したところで再びインターホンが鳴った。
恐らく雛だろう。
食べているので動くのが面倒だが、無視するわけにはいかない。
玄関のドアを開けると思ったとおり雛が現れた。
そして楓の靴があるのを見てがっくりと肩を落とした。
「負けたあ」
「そこは競うなって。今でも十分早い時間なんだから。僕はまだ食ってるし、上がって待ってくれ」
雛を引き連れてキッチンに戻り、食事を再開させた。
雛はまるで自分の家のようにカップを取り出し、紅茶を入れて僕の隣に座った。
「おはよう楓君。明日は負けないからね!」
「明日は土曜日だし」
「あっ! げ、月曜日は負けないもん!」
「だからそこを競うなって! これからは七時半より前に来ても開けないからな。我が家の開門は七時半だ。いいな?」
二人揃って抗議の声をあげたが受け付けない。
これ以上早くなったら確実に寝ている間に来られてしまう。
楓と雛で勝敗について騒々しく話をしているが、無視をして黙々と箸を進めた。
「あ、そうだ。アキ、昨日はごめんね。ベッドで寝ちゃって……」
「はあ!? ベッドって何!?」
僕が反応するより楓が先に反応した。
耳が痛くなる程の大声でびっくりした。
何か勘違いをしているようなので説明してやる。
「雛がさ、僕が寝ている部屋に勝手に入った揚げ句、寝ちゃってたんだよ。だから、仕方なくベッドを譲ってやったんだ」
「ごめんね、寝るつもりはなかったんだけど……。アキがベッドに運んでくれたの?」
「そうだけど、セクハラとか言うなよ」
「言わないもん!」
雛は何故か誇らしげに楓をチラチラ見しているし、楓の方は悔しそうな顔をしている。
おい、また何かの勝負をしているのか?
「ボクもアキラのベッドで寝たい!」
「はあ?」
やはり何かの勝負だったようだ。
こんなことまで対象になるなんて、こいつらの競争精神はなんなのだ。
「ねえ、アキラ。今日はここに泊まりに来ていい?」
「ええ!? 駄目よ!!」
「アンタに聞いてない!」
「駄目よね!?」
雛が鬼気迫る表情で詰め寄ってくる。
楓は友達だし、泊りに来るくらい構わない。
「別にいいけど。明日土曜日だし、遊びに行くから丁度いいかもな」
「ええ!? じゃあ私も一緒に泊まって遊びに行きたい!」
「お前は駄目だろ」
「なんで!?」
「なんでって……一応女子だろうが。男ばかりの家に、女の子一人で泊まりに来るのはどうかと思うぞ?」
いくら幼馴染だといってもお互い高校生だし、子供じゃないんだからまずいだろう。
「うー……。じゃあ、遊びに行くのは一緒に……」
「駄目! 絶対駄目!」
「楓君に聞いてないもん!」
「ボクが駄目って言ったら駄目!」
朝から煩い奴らだ。
みんなで仲良くすればいいじゃないかと思うが、今回は楓と約束したから雛には我慢して貰おう。
「まあ、明日は楓様のご機嫌取りだから。雛はまた今度な」
「ええええ!?」
「ふふ~ん」
今度は楓が勝ち誇っていた。お前たちは何歳だ、子供か。
元気な二人を放置して食事を終え、僕は身支度を始めた。
※※※
学校の授業が終わり、家に帰った僕は現在寛ぎ中だ。
兄に楓が泊まりに来ることを知らせておいたのでご飯の心配はないし、部屋はそんなに散らかっていなかったら、改めて掃除をする必要もない。
楓は一旦家に帰って着替えを取ってくるそうだ。
少し昼寝でもして、楓が来るのを待っていようかと思っていると、インターホンが鳴った。
思っていたよりも早く楓が来たのかもしれない。
「やっほー!」
「こんにちは」
――パタン
開けた扉をすぐに閉めた。
てっきり楓だと思い、気軽に開けたドアの向こうにはスカート姿のJKが二体。
雛に……佐々木さん!? 何故ここに来た!
雛はいいとして、佐々木さんには腐男子疑惑を持たれているようなので警戒してしまう。
恐らく腐女子である彼女を僕のテリトリーであり、兄達の愛の巣であるこの家に入れるのは危険だ。
「勧誘なら結構です」
そう言って鍵をしめた。
「アキ!? ちょっと待って、勧誘じゃないよ! 今見たよね!?」
「水晶なら間にあっています。霊道も通っていません」
「何の話!?」
寧ろ開けてしまうと恐ろしいことになりそうだ。
霊の方が無害かもしれない。
「天地央君! 私達、あなたとお話がしたいの! お願い開けて!」
無視をして離れようと思っていたところに、佐々木さんの大声が響いた。
「開けてくれないなんて、やっぱり私達は弄ばれていたのね!」
ご近所にまで響きそうな大声で何を言っているのだ!
フルネームで呼ばれているし、妙な噂がたったらどうしてくれる!
急いで鍵を開けて玄関に引き込んだ。
「あら強引。どきどきしちゃう」
「なんの嫌がらせだよ! おい、雛!」
佐々木さんに抗議してもこの様子だと埒が明かない。
雛に抗議をしたが、「えへへ」と困ったように笑うだけだった。
「ったく。何の用だ?」
「近くまで来たから寄らせて貰ったわ」
「そ、そうなの。近くまで来たから!」
「はあ?」
腐女子だから、街灯に群がる蛾のように、この家を包む腐の香りに誘われてやって来たのだろうか。
駄目だ、分けてやらんぞ。
この家でのBL充は僕の既得特権だ!
「僕は忙しいから、用が無いなら帰ってくれ」
「ええ!? 今来たばかりなのに! 楓君だけずるい!」
「楓は今いないよ。着替えを取りに帰っているから」
「天地君のを貸してあげないの?」
「別に貸してもいいけど。取りに帰るって言っていたから」
「あら、残念。好きな人の服を着て、ハアハアしちゃう楓君を期待していたのに……」
聞き取れない声で残念そうに何かボソッと呟いた。
どうせ禄でもないことを考えているのだろう。
腐の海に沈んでいる時の僕と同じ匂いがする。
「ところで天地君、この家の空気って美味しいわね」
そりゃ天使が住む家だからな。
腐女子にとっては空気だってご馳走だろう。
僕はこの空気を吸って毎日生きているのだ。
羨ましいだろう!
……なんてことは声には出して言えないが。
「空気清浄機がいい仕事しているんじゃないかな」
「そうかしら。どこかで素敵な香りが発生しているんじゃない?」
ええ、二階の兄の部屋から発生していますよ。
僕にとっては最高の癒やし、BLの香りです。
「空気清浄機にそういう機能がついてるんだよ」
「へえ、良い空気清浄機持っているのね」
「そうなんだ」
「ふふふ」
「ははは」
お互い白々しい笑いを浮かべる。
やはり、この悪徳同業者を入れてはならない。
僕のシマが荒らされてしまう!
「天地君の部屋を見たいなあ」
「絶対嫌」
「二階?」
「そうだけど……駄目だからな」
女の子に冷たくするのは心苦しいが、ここで折れてはいけない。
佐々木さんはニコニコと楽しそうな笑みを浮かべているが、僕は一切笑っていない。
氷だ。心の兄貴――夏緋先輩のように氷使いになるのだ。
僕の普段と違う空気を察してか雛がおろおろしている。
「アキ、ごめ……」
「お邪魔しますっ! ごめんなさい!」
無理やりにでも二人を追い出そうかと考えていた、その時――。
佐々木さんが素早く靴を脱ぎ、階段を駆け上がって行った。
「ええええ!? ちょっと待てええええ!」
急いで後を追う。僕の聖域を穢させてなるものか!
二階に着くと、佐々木さんは兄の部屋のドアの前に立っていた。
一応開けることは思い留まってくれていたようだ。
それでも十分な不法侵入だがな!
「天地君の部屋、ここ?」
「違う! 勝手に上がるな! 雛、あいつ止めろよ!」
後を追ってきた雛に抗議する。
何をしにきたのか知らないが、この悪徳同業者を連れてきた雛の責任でもある。
「本当ごめん! ふうちゃん、やめて! どうしちゃったの!?」
「じゃあ、天地君の部屋はこっちね」
そう言うと、佐々木さんは僕の部屋のドアを開けて入って行った。
「おい! 人の話を聞け! 勝手に入るなよ」
慌てて自分も部屋に入ると、佐々木さんはしゃがんでベッドの下を漁っていた。
「ねえ、エロ本ってどこに隠してあるの?」
「そんなもんないって……」
佐々木さんの自由過ぎる行動に疲れてきた。
もう僕の部屋ならいいかと、投げやりになってきた。
だが、雛はまだ佐々木さんを止めようと必死だ。
「ふうちゃん! もう止まって!」
「ふうん? 天地君はあんまり女の子に興味ないのかな?」
「は?」
「ねえ、攻めの反対って何かしら」
「それ、前にも聞かれたけど……」
ここにきてその質問ってどういう意味だ。
女の子に興味がないからBLか腐男子だとでも言いたいのか。
「いい加減にしないと、本気で怒るよ?」
早く出て行って貰わないとボロが出そうだ。
圧力をかけるように追い出そうと試みるが、佐々木さんは飄々としていて気にしていない様子だ。
「ふうちゃん、お願いだからもうやめてっ!」
雛にばかり効果があるようで、必死に止めようとしている。
頑張れ雛、このシマ荒らしを国外追放してくれ。
雛に願いを託していると、再びインターホンが鳴った。
今度こそ楓だろう。
「もういいだろ? とりあえず部屋から出て。追い出さないから下に行ってくれ」
ここに二人を置いて行くのは嫌なので、リビングに移るよう頼んだ。
僕の言葉に納得した様子の佐々木さんと、ほっとした様子の雛を連れて部屋を出る。
佐々木さんは目を離すと何をするか分からないから、先を歩かせて僕は後に続いた。
そんなことをしていたので出るのが遅れ、待たされ苛々した楓を迎えたのは佐々木さんだった。
「楓君、いらっしゃい」
「…………は? なんでお前がいるんだよ!」
「あら、いてはいけないかしら?」
一緒に観覧車に乗った仲だというのに、この二人は仲良くなるどころか溝が深まった気がする。
そういえば観覧車に乗った頃は気がついていなかったが、腐女子とBL受け男子の組み合わせで、狩人と獲物みたいな関係だな。
「今日は天地君の家にお泊りして、明日二人で遊びに行くんだってね? 素敵ね!」
「アンタには関係ない」
こんな状態じゃ、楓に佐々木さんの好意は届かないだろうな。
……いや、その『好意』も本当なのだろうか。
恋愛感情というより、獲物としての好意のような気がしてきた。
僕は楓を守ってやった方がいいのだろうか。
でも、同業者としては、あまり独占してしまうのも気が引ける。
BL独占禁止法に引っかかってしまう。
「ねえ、アキ。やっぱり私も明日一緒に行きたいよう。駄目?」
「駄目だって言ってるだろ! 明日はボクとアキラの二人きりで遊ぶの! しつこいよ!」
「楓君に聞いてないもん!」
「ああ、もうお前ら煩いなあ!」
佐々木さんの存在はやっかいだが、朝からこのやりとりばかりしている二人も面倒くさい。
ちょっと大人しくしていてくれ!
「ただいまー」
そろそろ本気で叱ってやろうかと思っていると、玄関から兄の声が聞こえた。
激しくストレスを感じていたが、兄の声で瞬時に癒された。
「真先輩! ねえ、天地君。攻めの反対って何かしら」
「それ、何回聞くんだよ……」
受けの兄が来たとでも言いたいのだろうか。
この質問にこんなに圧力をかける効果があったとは……。
危険しか感じない。
兄を腐った魔の手から守らなければ!
「わあ、人がいっぱいだね? ご飯、人数分あるかな」
姿を現した兄は、主婦のようなことを呟きながらリビングに入って来た。
更に癒された。兄ちゃん大好き!
兄はリビングを通ってキッチンに行くと、買ってきた野菜を冷蔵庫に入れ始めた。
「主婦のよう」じゃなかった、完全に主婦だった。
いや、そんなことより!
ご飯を食べるほど遅い時間まで、佐々木さんをこの場に居座らせるのは危険だ。
どう追い出すか考えていると、佐々木さんが立ち上がった。
「私、雛ちゃんと帰ります。ね、雛ちゃん?」
帰ってくれるのか、良かった。さようなら!
「うん……帰るけど……」
雛も帰るなら楓を刺激しなくなるからなお良い。
雛は兄に用があるのかキッチンに行くと、兄に顔を寄せてこそこそと話始めた。
「真兄、楓君からアキを守ってね」
「? ……ふふ、分かったよ」
「お願いね。ちゃーんと見ててね!」
終始穏やかに微笑んでいた佐々木さんに引き摺られ、雛は去っていった。
なんなのだ、あの女子達は……。
※※※
それからは楓と兄で、楽しい時間を過ごした。
楓が兄の手料理を緊張しながら食べている姿は可愛かった。
出来ればキッチンの外から二人が食べている様子を見たかった。
今日こそ、壁になれたらよかったのに……!
兄が春兄ではなく楓を選んでいれば、こういう光景が日常になっていたのかもしれないと、ふと思った。
夕食を済ませて順番に風呂に入った後は、僕の部屋で楓とゲームをした。
パズルゲームで白熱した対戦をしていると、パジャマ姿の兄が部屋を訪ねてきた。
「折角だからリビングに布団を敷いて皆で寝ない? オレも入れて欲しいな」
僕は勿論賛成だ。
人数が多い方が楽しいし、楓も憧れている兄がいたら嬉しいだろう。
楓を見ると動揺した様子だったが、首を縦に振っていた。
ゲームを片付けてリビングに行くと、兄が支度を済ませてくれていた。
布団が一列に三つ並んでいる。
修学旅行のような気分になってテンションが上がった。
「楓は真ん中な」
「いいけど……。なんで?」
「川の字になって寝るんだから、一番短い棒は一番背が低い楓に決まっているだろ?」
「また央は妙なこと言って。楓、好きな所でいいよ」
兄から変な奴扱いされる辛さ。
拗ねてさっさと左端の布団に潜ってやった。
これで二択だ。
「……ボク、真ん中にします」
「やっぱりそうだろ? 天地兄弟に挟まれるなんてレアなんだからな!」
楓は兄と並んで寝たいだろうけど、緊張するかもしれない。
でも僕も隣にいたら多少緩和出来ると思う。
この心遣いとおもてなしの精神が素晴らしいだろう。
オリンピックだって招致出来るぞ。
「はいはい。分かったから。二人は明日、遊びに行くんでしょ? だったら、そろそろ寝た方がいいよ。電気消すよ」
「はい」
軽く流されるこの扱いって……。
やっぱり拗ねよう。布団をかぶって不貞寝だ。
隣の布団に楓が寝転がった気配がすると電気は消え、暗闇に包まれた。
ベッドではない、久しぶりの布団が心地良い。
すぐに眠るには勿体ない気がするが、瞼はもう開きそうにない。
おやすみなさい。
――チッチッチ
時計の針の音が大きく響く。
天地家のリビングから灯りが無くなり、十分ほど時間が経過していた。
光と音が無くなり、壁掛け時計が存在を誇示しているような空間が広がっていたが、その中で一つの影が動きをみせた。
右端で休んでいた年長者は左端の規則正しい寝息を確認すると、隣で眠る後輩に静かに声をかけた。
「楓、起きてる?」
声をかけられた後輩はうとうとしていたようで、少しの間を空けて返事をした。
「…………? はい、起きてます」
年長者は起こしてしまったことを謝りながら、後輩に対して『気になっていたこと』を質問した。
「ねえ、楓は……央のことが好き?」
「…………えっ」
頭がぼんやりとしているところに突如投げられた驚きの質問。
思考が追いつかないのか固まってしまう後輩。
「ごめんね、突然こんなこと聞いて」
「いえ、だいじょぶ、です……。えっと……」
急いで脳を起動させる。
起動させたところで動揺するしかない質問内容だが、後輩は答えなければいけないと感じた。
左で眠る彼が目を覚ましていないことを確認。
落ち着くために一旦深呼吸。
酸素を取り込んだ後、意を決して口を開いた。
「好き、です」
どう思われるのだろう。
話し相手は前に好きだった人であり、今好きな人の兄である。
反対されるかもしれない。
戦々恐々としながら待った返事は、あっけないものだった。
「そっか」
意外な反応に驚き、ちらりと右を盗み見ると穏やかな表情をしていた。
好きだった綺麗な横顔を見ていると、それがこちらに向けられた。
目が合って見つめ合うことになり、胸の音が少し早くなった。
「ごめん、意地悪なことを言うよ」
年長者の表情が曇り、後輩は身構えた。
「央を、オレの代わりにしてない?」
問われた内容を理解した瞬間に、時が止まったかのように体が動かなくなった。
それは後輩が、自分自身にも問いかけていた疑問だった。
恋敗れた憧れの人にそっくりな友人に、心の傷を癒すため、恋心を抱いているつもりになっているだけではないのかと。
……始めはそうだったのかもしれない。
彼を『代わり』にしていたのかもしれない。
そっくりな笑顔を向けられて、欲しかった笑顔を得たような錯覚を起こしていたのかもしれない。
……でも。
日に日にただ似ているだけで、別人であることを認識していった。
それが悲しい、なんてことはなく……
気がつけば見た目なんてどうでもよく、彼で無ければならなくなっていた。
だから自信を持って、かつての想い人に返事をした。
「してません」
目は合ったままだ。
でも、後輩の視線は力強いものに変わっていた。
それを見て年長者は納得し、微笑んだ。
「そっか。央を見てくれているなら、それでいいんだ」
「……はい」
「ごめんね、オレは自意識過剰だったかな?」
「そんなこと……! ボク、本当に真先輩が好きでした」
「過去形になったんだね」
「……はい」
「央は色んな意味で手強いよ?」
「ふふっ、そうですね。分かってます」
「そっか。……おやすみ」
「おやすみなさい」
お互いに思うことはあり、すぐに眠ることは出来ないだろう。
それでもこれ以上話をすることはない。
色々な想いを胸にしまい、目を閉じた。
そうして時間は流れ、いつしか二人は眠りについたのだった。
……だが実は、すぐに眠れなかったのは、『二人』ではなく、『三人』だった。
「……えっと、ばっちり聞いてしまったのですが」
左端で寝息を立てていた渦中の人物は、実は眠ってはいなかったのだった。
※※※
久しぶりに寝た布団は、始めは寝心地がよかったのだが段々寝苦しさを感じるようになっていた。
それが原因かは分らないが、体の痛さを感じながら目を覚ました。
朝が弱い僕は、普段から寝起きは不機嫌なことが多い。
でも、今日は一層黒い靄に包まれていた。
苛立ちの原因は布団だけではない。むしろ布団なんて関係ない。
兄と楓の会話の内容が気になって中々寝つけなかった。
どう考えても、あの会話は、「楓は僕のことが好き」という内容だった。
好かれているのは分かっていたが、恋愛相手としての好意だとは全く思っていなかった。
僕は今まで誰かから好意を受けたことなんてなかったし、好かれるような要素が自分にあるとは思えない。
あるとすれば外見だが、それだと兄の方を好きなった方が自然なわけで、楓も兄が好きだったわけで……。
それがどうして僕に?
兄の代わりにということなのかと邪推してしまうが、そうじゃないと話していたし。
分からん……さっぱり分からん!
それに、どうすればいいのかも分からない。
いや、別に告白されたわけでもないし、何かしなければいけない、というわけではないが……。
楓の気持ちが変わることもあるかもしれないし、昨日聞いた話は何かの勘違いかもしれない。
……なんてことをぐだぐだ考えていても仕方ない。
どう接していいのか分からないが、急によそよそしくなってもおかしい。
あまり意識しないよう。
起き上がると、苛々を忘れてしまうような良い匂いがした。
キッチンからは賑やかな声が聞こえる。
どうやら兄と楓が朝食を作っているようだ。
というか、この匂いは……。
期待に胸躍らせてキッチンを覗くと、テーブルのお皿の上には期待通りのものが乗っていた。
「ホットサンド!!」
「あ、アキラおはよう」
「おはよう。楓が作ったんだよ」
そう言われ、改めて皿を見た。
さすが女子力の高い楓様。
兄が作ったときと変わらない僕好みの綺麗な焼き色のついたホットサンドだった。
「美味しそう!」
「真先輩に教わったんだ。アキラの好みも聞いたから、美味しいはずだよ」
「へえ。なんかお前、姑に料理教わっている新妻みたいだな」
兄と二人並んでエプロンをつけ、僕の好みを聞きながら調理しているところを想像したが、どう考えても『嫁姑の図』だ。
「よ、嫁じゃないし……」
そう言いながらも照れているようで顔が赤い。
昨夜の話しを聞いてしまったから、『嫁』とかあまり言わないほうが良いのだろうか、なんて考えてしまう。
「オレ、やっちゃったかな……。雛に怒られそうだな……」
兄が何か呟いていた。
お腹が空いていたので、顔を洗ってから早速楓が作ったホットサンドを食べた。
腹が立つほど美味かった。
兄が作った時と全く遜色なかった。
絶対良い嫁になるよ、こいつ……。
※※※
「楓、機嫌が良いな」
楓の作った朝食を食べ、家を出た。
以前雛達と四人で行ったアミューズメント施設に歩いて向かっている。
楓はスキップしそうな程上機嫌で、並んで歩いていたはずなのに今は少し前に出ている。
「アキラは体調でも悪いの? なんか静かだけど」
「え、別に?」
体調が悪いわけではないが、やっぱり楓に好かれているということが気になるわけで……。
何を話していいのかも良く分からなくなってきた。
戸惑いながらも適当に返事をしながら歩いていると、目的地のゲームセンターについた。
土曜日ということもあり、前回来た時よりも混んでいた。
若者のグループが多く見られるが、家族連れや子供の姿も多く見られる。
「こっち!」
何か目当てのものがあるのか、僕の腕を引いて人の間をぐいぐい進んで行く。
辿り着いた先はUFOキャッチャーのコーナーだった。
「あれ? ない……」
楓が見つめている先には、兎のぬいぐるみがあった。
確かここは、雛に頼まれてアレをとった所だ。
「ここぺりん?」
「うん。あの子と同んなじのが欲しかった」
やっぱり欲しかったのかよ。
雛が欲しがっていたくらいだし、人気が高かったのだろう。
「なくなって、新しい景品になったんだろうな」
「そうかもね」
見るからに肩を落としてがっかりしている。
そんなにしょげなくても……。
そんなに欲しかったのなら、何故あの時言わなかったんだ。
「しゃーないなあ」
兎のUFOキャッチャーに百円を投入。
「アキラ?」
狙いを定めた兎は斜めになっていて少し取りにくいが、あれくらいなら大丈夫だ。
UFOキャッチャー名人の動画を見て研究したことがあるし、これは結構得意なのだ。
「よし!」
狙った通り、兎が取れて落ちてきた。
ピンクの兎で、ハートの肩掛け鞄をかけている兎だ。
受け取り口から取り出し、楓にひょいと投げた。
「ほれ、ここペリんじゃないけど。これが一番色合とか近いし。ここペリんと同じ台だから、ちょっとくらいは効果が移ってるかもよ?」
雛のは恋愛効果と言っていたから、効いてしまうと僕がBLになるので困るけどね!
ここペリんじゃないと我が儘を言うかと思いきや、顔を覗くと嬉しそうに笑っていた。
「仕方ないから、我慢してあげる」
言葉は偉そうだが喜んでいるのが分かる。
可愛いなあ、こいつ。
しかし、兎のぬいぐるみが似合うなあ。
機嫌が良くなった楓に言われるまま景品をとったり、ゲームをしたり、あっという間に時間が過ぎた。
それからフードコートでご飯を食べ、色んなところを歩き回っているうちに帰る時間が近づいてきた。
「観覧車行こ。今度こそアキラと乗るんだから!」
「はいはい」
楓に引っ張られるようにして観覧車に行くと、こちらも前回より混んでいた。
待つことになるが、楓は乗る気満々で帰る気はなさそうだ。
並んでいるのはカップルと親子に、女の子のグループばかりだ。
僕らのように男二人の組み合わせは見かけない。
少々居心地が悪いが我慢しよう。
十五分くらい話ながら並んでいると、僕達の番が回ってきた。
足取りが軽い楓が先に入り、僕は後に続いた。
観覧車の中は、当たり前だが以前と同じだった。
二人用の向かい合う座席にそれぞれ腰をかけた。
ガヤガヤと人が多くて騒々しかった所から急に静かな空間に変わり、少し戸惑ってしまう。
僕に好意を持っているという楓と二人きりだから尚更だ。
今更だが、何を話したらいいのか分からない。
観覧車のモーター音だけが響く、静かな時間が流れた。
「ねえ、アキラ」
「んー?」
黙っていると楓が声を掛けてきた。
「夜、ボクが真先輩と話してた時、起きてた?」
「…………え?」
予想外の質問にドキリとした。
「寝ていた」と嘘をつくのも気が引けるし、「起きていた」とはっきり言ってしまうと、それからどうすればいいのか分からない。
どう返事をするものかと焦っていると、楓が声を出して笑った。
「アキラって本当に分かりやすい。まあ、そういうところも好きなんだけど」
「え」
好き、という言葉を直接投げられて、どきりとしてしまった。
今まで似たようなことを言われたことはあった。
でもそれは友達としての好意だと思っていたので、特別意識する様なこともなく、引っかかるものはなかった。
今は恋愛感情で言われていることが分かっているので戸惑ってしまう。
「そっちに行こっと」
楓はそう呟くと、僕の隣に移動してきた。
一人しか座れない座席に二人で座るのは窮屈だし、体が当たるから更に気まずくなる。
「狭いだろ。片一方に寄ると傾くし」
妙に恥ずかしくて居心地が悪い。
向かいの席に逃げようとしたのだが……。
「駄目」
腕を両手でギュッと掴まれてしまい、動けなくなってしまった。
「お前な……」
僕の腕にしがみつき、肩に頭を置いている。
付き合いたてのカップルか!
誰かに見られているわけではないが、流石にこれは恥ずかしい。
「離れろよ」
「嫌だね」
言うことを聞くつもりはないのか、更にぎゅっと力を入れて腕を掴まれた上、猫のように頭を擦り寄せられた。
天使のような金髪が目の前で光って綺麗だ。
肌も白くて、常人離れしているというか……本当に天界に住んでいそうだ。
そんなことを考えながら髪を見ていると、楓がこちらを向いた。
僕も条件反射で顔を向けると目が合った。近い。
近距離で見つめ合っている。
会長とも似たようなシチュエーションになったが、あの時はなんとも言えない寒々しさがあって笑えたが今は違う。
楓の宝石のような赤い瞳は揺れているし、少し色づいた頬と化粧をしていなくても仄かに色づいた唇が近づいてきて……。
近づいてる!?
困惑している間に、楓の顔はもう息が掛かる距離に――。
あ、やばい。
何が起こるか頭で予測し、思わず耐えるようにギュッと目を瞑った。
次の瞬間、予想していた暖かい感触がした。
……頬に。
「アキラ……好き」
耳元で呟かれた言葉に、大きく心臓が跳ねた。
思わず目を開けると、まだ間近にある楓の顔は、悪戯が成功した子供のようになった。
「口にすると思った?」
……思いました。
今の流れだと、絶対口にされると思っていた。
それに耐えようと狼狽えていた自分が恥ずかしい。
顔が赤くなるのが分かる。
「お前なあ…! 離れろ!」
「ははっ」
いい様に弄ばれて腹が立つ。
乱暴に引き剥がし、向かいの席に避難した。
なんという質の悪い猫だ!
「口にしてもいいんだったらしちゃうけど?」
「駄目だ! 絶対に!」
「うん、まだ我慢してあげる」
「『まだ』って……」
僕の方が狼狽えて、楓様の方が堂々としているのは何故だ。
今、告白されている場面なはずなのだが……普通はする方がドキドキするものじゃないのか!?
「ねえ、気持ち悪かった?」
「はあ? 何が!」
僕ばかりがあたふたさせられて、段々腹が立ってきた。
怒ったように答えたのだが、なぜか楓はきょとんとした後に笑い出した。
「ははっ! 『何が!』だって。いいや。……良かった」
何が良かったのだ。僕は何一つ良くない。
遊ばれて面白く無いし、人生初の告白を受けたのがこれだなんてあんまりだ。
拗ねる権利はあると思う。
そう思いながら外の景色を睨んでいると、楓が静かに話し始めた。
「……前回この観覧車に乗ったときに、色んなことを考えたんだ。アキラとあの子は幼馴染だし、似合ってるし……女の子だし。自分の気持ちを言って嫌われるくらいなら、今のままでいいかなとも思ったし……」
僕はどう返事をしたらいいのか分らず、黙って耳を傾けている。
それでも構わないようで、楓はぽつぽつと話し続ける。
「でもボク、我慢するのは嫌いなんだよね。後悔したくないし」
楓らしい考えだな、と思った。
でも僕は、やっぱりどう反応すればいいのか分からず……黙るしかない。
「アキラ、困ってるね」
景色を見ている僕の顔を覗き込んで楓が笑った。
「そりゃ、困る……っていうか、困惑はするだろ。普通」
「そうだね。アキラがボクのことを意識していないのは分かってる。でも、これからしちゃうでしょ? 僕頑張るから……」
折角離れて避難していたのにまた隣に座られ、狭い状態に戻ってしまった。
逃げようと反対側に移ろうとしたが、さっきと同じように腕を掴まれ……。
「だから、ボクを好きになってね」
間近で微笑を向けられ、不覚にもときめいてしまった。
なんという恐ろしいやつ……!
僕はBLになるつもりはないわけで……絶対ならないぞ!
「それは……返事していいのかどうか……」
「してよ。まあ、今はいいけど? 覚悟しててね!」
……なんて言いながら、楽しそうに笑う姿も可愛くて困る。
いや、だからBLにはならない、ならないってば!
心の中で叫びながら観覧車を降りたのだった。




