第十四話 残念なデート
「会長、ここ何処っすか……」
学校を出ると、まず駅に向かった。
駅から電車に乗り、降りた駅で今度はバスに乗った。
華四季園があるのは交通の便もいい都会だが、今は目の前に森が広がっている。
どこをどう見ても田舎だ。
風が吹くとザワザワと揺れる木々の音は心地よいが、こんなに景色が変わるところまで来る事になるとは……。
「さあ、行くぞ!」
既に疲労困憊の僕を置き去りにする勢いで、会長は進んでいく。
見失ってしまいそうなので、渋々後を追いかける。
「待ってくださいよ。ああもう、ここはどこなんだよ……」
学校に鞄を置いたままなのだが、帰りも一時間以上時間がかかることを考えたら、今日取りに行くのは諦めた方がよさそうだ。
財布も鞄にあるため、運賃は全て会長が払ってくれている。
持っていても全部出してくれそうだが、払い続けて貰うのは気を使う。
……というか帰りたい。
お金も時間も使いたくないし、帰ろうよ。
口に出してみると、視線で殺されそうになった。
バス停から道なりに進んで行くと、石造りの立派な塀が見えてきた。
塀沿いの道には、お洒落な造りの街灯が等間隔に並び、何処となくヨーロッパ辺りの雰囲気がする。
塀越しに見える敷地の中にも、背の高い木々が見える。
木々の間から見える高台になった場所には、大きな建物があった。
規模は華四季園の校舎と同じくらいだ。
塀と同じような石造りで、こちらもヨーロッパ風の『城』に見える。
年季の入った石や、城壁を這う蔓。
尖った屋根に、大きな硝子窓――。
今は空が明るいので「お洒落だな」と思うが、夜見ると「ドラキュラ城だ!」と思いそうだ。
「あれはお城? 観光地か何かですか?」
「そうだ。石材のテーマパークで人気の観光スポットだ」
「へえ、古城って感じですね。兄ちゃんが好きそう」
昔から海外の建造物が好きだったし、推理小説の舞台となっている古城に行ってみたいとよく言っていた。
もしかして、兄と来るつもりだったのだろうか。
会長に視線を向けると、考えが伝わったようで肯いていた。
「あの城は、真が行きたいと言っていたイギリスの古城を再現しているんだ」
「へえ……そうなんだ!」
再現した城があるということより、会長のリサーチ力に驚きだ。
妙な感動すら覚える。
人に『好きになってもらおう』というより、『完全掌握』みたいなタイプなのに……。
「ここにも載っている」
立ち止まったかと思うと、スマホを渡された。
そこには口コミサイトのデートスポットランキングが表示されていた。
堂々一位がこの場所だった。
なんでも市に『恋人達の聖地』と公認されているとか。
大きく書かれた見出しにはこう書かれてある。
『落ち着いた雰囲気で、急接近確実! キス出来ちゃうこと間違いなし!』
したかったのか……。
寒い、なんて寒い人なんだ。
「今度、兄ちゃんを誘うつもりなんですか? 今日は視察?」
「……真と来るつもりはない。誘ったら、あの馬鹿も来るだろうからな」
「馬鹿』って春兄のことだろうなあ。
確かに、春兄が会長と兄ちゃんを二人きりにすることはないと思う。
「今日は気分転換だ」
「そうですか。それなら夏緋先輩と来れば良かったのに」
兄弟で出掛け、仲を深めて『会長×夏緋先輩』に進化して欲しい。
「何故わざわざ調べた場所に弟と来なければいけないのだ」
「いいじゃないですか。お似合いですよ」
一番しっくりくるし、バランスも良さそうだ。
俺様な兄に振り回されて迷惑そうにしているが、実は兄にぞっこんな弟。
イイ……ベタだが、ベタゆえにグッとくるものがある。
「わけの分からんことを言うな。まあ、お前ぐらいがちょうど良い。……黙っていれば顔は似ているしな」
「まさか……僕を兄ちゃんの代わりにするつもりですか!? 僕は『急接近』も『キス』もしませんよ!」
「ああ!? 何を言ってんだ? んなことするわけないだろう!」
「だって、さっきのランキングのところに書いてあったじゃないですか!」
「うるせえ! 調子に乗るな! お前ごときで真の代わりなど出来ん!」
それはそうだけど……!
……というか、冗談で言ったのに本気で怒鳴られた。
なんだよ、兄にはするつもりだったくせに。
「真の代わりが出来る奴などいないが……。まあ、弟のお前が一番マシと言えばマシか。いいか、無駄に喋るなよ」
「どういう扱いだよ」
塀が途切れたところで、鉄製の大きなアーチ型のゲートが見えた。
映画に出て来そうな立派な門構えで、門周辺の地面には色取り取りの鉱石が埋め込まれていた。
踏んでしまうのが勿体無い。
躊躇しながら進む。
会長を見ると地面の鉱石など全く気にすることなく、どかどか歩いてチケット売り場の方に進んでいた。
これだからイケメンゴリラは。
チケットを買って貰い、奢って貰っている金額が増えて胃を痛くしながら入場。
地図を見て、早速メインの城に向かうことにした。
両側に背の高い樹木が植えられた遊歩道をテクテク歩く。
ここの足元には光沢のある石が敷かれている。
「綺麗な石だなあ」
「大理石だぞ」
「!? お金持ちの家の玄関に使われる石!」
「玄関だけじゃないだろう」
「そうだけど、テレビの豪邸訪問とかって『玄関に大理石』から入るじゃないですか」
「知らん。テレビなど見ん。時間の無駄だ」
「はいはい、僕は無駄が多いですよ」
そんな雑談を交わしながら進んでいると、城の前まで到着した。
目の前に立つと迫力がある。
遠くから見ていた時には見えなかった細かい装飾も見える。
「資材は現地のものを取り寄せ、完全に再現されている。細かい装飾や彫刻は、現地の職人を呼んでやっているそうだ」
「へえ、ガイドまで完璧じゃないですか。そこまでしたのに一緒に来たのが僕で可哀想……痛っ」
会長のチョップが頭に落ちてきた。
「お前は一言余計なんだよ」
柄にもなく事前に調べたのが無駄になって可哀想だな、と思っただけだ。
まあ、ニヤニヤしながら言ったけどね。
「思っていたより凄いなあ。なんかわくわくする。でも……」
「……入れないとはな」
城の入り口は封鎖され、『内装修繕中の為、城内には入れません』と書かれてあった。
「詰めが甘い! ぎゃあ」
再び会長のチョップが落ちてきた。
さっきよりも痛い!
「だから余計なことを言うんじゃねえよ!」
「だって中を見られないとか! 残念過ぎるじゃないですか!」
他の客が少ないのは平日だからかと思っていたが、このせいかもしれない。
メインがこうなのだから当たり前だ。
「……城だけじゃなく教会や街並みも再現されている。折角だ。色々見てみようじゃないか」
「はーい」
城から逃げるように会長は歩き始めた。
兄ちゃんが来ていたら、さぞがっかりしただろう。
そういうところでも春兄に負けたのかもしれない。
「お前、何か失礼なことを考えているだろう」
「別に」
「じゃあ、その薄ら笑いをやめろ」
「言いがかりはやめてください。これが僕のデフォルトです」
「……お前と真の血の繋がりが不思議で仕方ない。どうしてこうも違うんだ」
なんか以前、誰かにも同じようなことを言われたなあ。
会長と並んで足を進めるが、たまにすれ違うのはカップルかお年寄りのグループだった。
僕達はどういう風に見られているのだろう。
サボっているにしてもこんなところにいるなんて、変わった奴らだと思われるだろうか。
遊歩道を道なり歩いていると前方に池が見えてきた。
近づくとヨーロッパの街並みにはあるはずのないものがあった。
目に星が散らばり、睫毛もフサフサで首にリボンを巻いた可愛い『アヒル』が池に浮いている。
アヒルボートというやつだった。
このテーマパークに何故これを取り入れた……。
折角お洒落で統一していたのに!
確かに、遊び要素は少ないかもしれないが、もっと他になかったのだろうか。
通り過ぎるものだろうと思い足を進めていたのだが、気がつけば横に会長がいない。
振り返ると立ち止まって池を見ていた。
会長の視線がアヒルボートに釘付けだ。
「…………。乗りたいとか言わないですよね?」
ありえないと思いつつも一応聞いてみる。
「行くぞ」
「え、ええ!?」
まさかの答えが返ってきた。
幻聴だろうか。
近くで見るだけだろうかと考えていたら会長は既に券売機の前に立っていた。
そして千円札を投入。
こいつ、乗る気だ……!
「一人でどうぞ」と言おうと思っていたのに、会長の指は明らかに乗車人数『二人』のボタンを押している。
どこかに拒否権の券売機はないのだろうか。
もう少し冷静になって考えて欲しい。
制服を着た男子高校生二人が仲良くお目目がキラキラなアヒルボートを漕いでいる絵面が、どれだけシュールなのかということを。
「まじか……」
「さっさと来い」
受付スタッフのおじさんは既にスタンバイ済みで、僕達を待ち構えていた。
熱心に仕事をしなくていいのに。
「これはやめましょうよ! イタイですよ! 駄目なやつです。絶対やっちゃ駄目なやつです!」
「無駄に喋るなと言った筈だ!」
駄目だ、僕の言う事を聞く筈がない。
アヒルボートが会長の視界に入ってしまった時点でデッドエンドは決まっていたのだ。
ああ、知り合いに目撃されていたら嫌だなあ。
知り合いがいなくても、写メを取られてSNSに流されたら!
「乗りますけど、終わったら僕あもうこの記憶は消去しますからね」
「勝手にしろ」
会長がおじさんに券を渡し、二人乗りのアヒルボートまで案内を受ける。
せめて四人乗りだったら後ろの漕がなくてもいい席でこっそり座っていられたのにと心の中でぼやきながら準備されたアヒルに乗り込んだ。
「じゃあ、三十分経ったらお声掛けしますので」
見送りの時に告げられた。
「三十分!?」
そんなに長い時間、この羞恥プレイに耐えなくてはいけないなんて!
「土日は二十分なんだけど平日は暇なんでねえ。もう少しゆっくりして頂けますよ」
「ほう、それは気が利く」
二十分でいいのに……余計なことを……!
アヒルの中は広くもなく、狭くもなく、大人二人が普通に座れる空間があった。
圧迫感はそれ程無ない。
足元には足漕ぎのペダルがあった。
ペダルは一続きになっていて、左を漕げば一緒に右も回るような構造だ。
方向操作のハンドルは会長の席についている。
「面白そうじゃないか」
会長がペダルに足を乗せ、ハンドルを握った。
僕は羞恥に耐えることに専念し、操作も漕ぐのも会長に任せようと思ったのだが……。
「サボるなよ。お前も漕げ」
「ええ……」
二人で漕ぐなんて更にシュールだと思うのだが、会長は僕がペダルに足を乗せるまで動き出すつもりは無さそうだ。
係りのおじさんは、早く出発しないのかとこちらを見ている。
やるしかないのか……!
仕方ないので、渋々ペダルに足を乗せた。
「よし、出航だ!」
イケメン海賊船長の誕生である、愛船はアヒルボート。
乗車人数二名。
波は無し。
……池だからね。
「あいあいさー」
船長を気取ったのかは分からないが一応それなりのノリを、低テンションで返した。
すると会長は満足したのかニヤリと笑い、嬉しそうに漕ぎ始めた。
……なんだかなあ。
「ふむ、中々面白い」
僕は足を乗せているだけだ。
繋がっているので乗せている足は動いているが、力は入れていない。
サボっているが会長はご機嫌な様子で気がついていない。
僕は項垂れながらぼうっと池を見ていた。
広さは野球が出来るくらいで動き回っても余裕がる。
水の色は緑だ。
藻が多いのか、あまり綺麗な池ではない。
落ちたら嫌だなあ、なんて考えていた。
アヒルボートに乗っているのは、僕らとあと一組だけだった。
幸い遠い位置にいるので、お互いの姿が目に入ることはない。
「よし、アイツを抜くぞ!」
「は?」
よく見ればもう一組のアヒルボートは、端をぐるりと周回しているようだった。
え、それをコースと捉えて、追い抜くってこと!?
「うおおおお!!」
考えているうちに、会長は猛スピードで漕ぎ始めてしまった。
やめて、僕の足も高速で回るから!
怖いし、激しく上下する足が恥ずかしい!
やだ、なにこれ、死にたい!
アヒルも尻尾から凄い水しぶきを出して、高速で動き始めた。
「早い! アヒル特攻になるからやめて! 危ないし! あっちのアヒルもびっくりするから! 迷惑!」
一気に距離は詰まり、相手の顔が見えるようになっていた。
乗っていたのはお母さんと小さな女の子の親子連れだった。
女の子はきゃっきゃと騒ぎながらこちらを見ていたが、お母さんは迷惑そうにこちらを見ているのが分かった。
ああ、ごめんなさい!
「ほら、ちっちゃい子が乗っているし、迷惑だからやめましょう!」
「そうか? なら、止めよう」
会長にしてはすんなり引いてくれた。
まだ少し距離のあるところで離れることが出来た。
猪が止まって本当に良かった。
ただ、高速で回していたペダルはすぐに止まることはなく、速度は落ちなかった。
会長が離れるため、Uターンするようにハンドルを切った時、ボートが大きく揺れた。
「うわっ」
体勢を崩してしまい、会長の方に倒れてしまった。
……温かい。
「「…………」」
気がつけば体がくっつき、顔が近くにあるわけである。
目が合ってしまい、数秒見つめ合った。
「……すいません」
「……おう」
そして、訪れる静寂。
なんなのだ……こんなドキドキハプニングとかいらないからっ!!
こういうことは兄ちゃんとやってくれ!
無駄に妙な空気が流れてしまった。
僕のせいじゃない、会長のせいだからな!
ああ、記憶を消去したい!
「あと五分ですよ!」
そんなことをやっているうちに三十分が近づいたようで、係りのおじさんに声を掛けられた。
もう少し時間はあるが、もういい。
すぐに切り上げ、おじさんのところに戻ったのだった。
はあ……乗り切った、なんとか羞恥プレイを乗り切った。
だけど、何かを失った気がする……。
ボートを降り、遊歩道に戻ったが会長は機嫌が良さそうだった。
アクシデントはあったがアヒルボートを満喫したようだ。
僕は精神的に疲れたというのに……この笑顔にイラッとしてしまう。
「ボートって『デートで乗ると別れる』ってジンクス多いですよ。兄ちゃんと乗らなくてよかったですね。あ、それ以前に付き合えないか」
腹いせに嫌なことを言ってやった。
「そうか、それは良いこと聞いた。真と馬鹿を乗せれば上手くいくわけだな」
今、会長の脳はポジティブモードらしい。つまらん。
「あの二人なら、ジンクスなんて関係なく、楽しく乗って終わりそうですけどね」
今度は眉間に皺を寄せ、顔を顰めた。
ふはは、愉快じゃ。
再び足を進めていたが足も疲れてきたし、喉が渇いてきた。
どこかで休憩しようと話していると、開けた場所でカフェワゴンが止まっているのをみつけた。
水色のワゴンに小鳥や花のシルエットが描かれ、カウンターにはカラフルなフラッグガーランドがつけられていて女子が好きそうな可愛いカフェだった。
店員も可愛らしいお姉さんが一人でやっていた。
「いらっしゃいませ」
女子力の高いカフェに少し尻込みしながらも、黒板に丸文字で書かれたメニューに目を向けた。
また会長に払ってもらうことになるし、あまり高いものはやめよう、なんて考えていると、会長がまた妙なものに目を奪われていた。
南国フルーツのトロピカルなジュース、グラスの縁にはオレンジや花の飾り、刺さっているストローは二本。
所謂『恋人飲み』をするジュースだ。
「お願いですから、やめてください」
「……まだ何も言って無いだろう」
「またガン見してるじゃないですか!」
「美味そうだなと見ていただけだ」
「そうですか、飲むんだったら一人で飲んでくださいね!」
舌打ちしているのが聞こえる。
絶対飲むつもりだったな。
好奇心旺盛なのはいいが、僕で試してみるのは止めて欲しい。
「お友達で飲まれる方もいますよ。もちろん、お一人でもいらっしゃいますし」
「ほう、そうなのか」
折角会長が諦めモードに入っていたのに、お姉さんが素晴らしいお仕事をしてきた。
やめてください、その気にさせないでください!
「だ、そうだ」
何故か勝ち誇ったような顔で、会長がこちらを見ている。
うぜえ……。
「お好きにどうぞ」
そう返すと満足したようにニヤリと笑い、意気揚々と注文していた。
結局こうなるのだ。
「はあ」
「どうした、溜息なんかついて」
ワゴンの近くにあるテーブル席で、ゆっくりすることにした。
僕は買って貰ったコーラを飲みながら、ここでのことを思い返していた。
「僕は今、何をやっているのだろうと思って」
こんな遠くまで来てメインの城の中は見られないし、アヒルボートという羞恥プレイに耐え、今は会長が目の前で恋人飲みするはずのジュースを一人で飲んでいる。
「不満か?」
「授業よりは楽しい、かな」
「ならいいじゃないか」
「まあ……そうですね」
中には入れなかったが城を見ることが出来たし、自然の中は気持ちが良いしいい気分転換にはなった。
会長も来る前はドラゴンゾンビ状態だったが、今は楽しそうだ。
「会長もいい気分転換になりました?」
「多少はな」
「それは良かった」
「お前といると真面目に考えるのが馬鹿らしくなるのが良いな」
「それ、どういう意味だ」
褒められているのか、貶されているのか分からない。
その時、ポケットに入れていたスマホが鳴った。
「あ、兄ちゃんだ」
兄からの電話だった。
会長が少しこちらを気にしているが、出ても大丈夫だろう。
通話ボタンを押す。
『央、大丈夫?』
「あんまり大丈夫じゃない」
僕の言葉が気になったのか、会長の眉毛がピクリと動いた。
『今どこ』
「田舎」
『田舎? 何をしているんだ?』
「会長とデート?」
『デート!?』
アヒルボートに恋人飲みのジュースだなんて、デートっぽいじゃないか。
まあ、冗談だけど。
半分は会長に対しての嫌がらせも入っている。
兄に僕とデートしているなんて言われたら嫌だろう。
実際に今、会長は顔を顰めている。
「真に妙なことを言うな!」
思った通りでニヤニヤしていると、電話の向こうでざわついている音がした。
『央、大丈夫か! 何もされてないか!?』
「あ、春兄」
春兄の声は本当に僕を心配しているようで焦っていた。
会長、随分変態扱いされているな。
理解出来るけど。
「いっぱい無理を強要されています。僕は恥ずかしいです」
『はあ!!?』
記憶から消したいけど消せないだろうな。
これからアヒルが出てくる保険のCMを見る度に僕の心は痛むだろう。
「あ」
「邪魔すんな」
春兄と話していたのに会長にスマホを取り上げられ、電話を切られた。
電源まで落とされているし。
「つくづく邪魔な奴だ」
本当に仲が悪いな。
ライバルだったのだから仕方ないが。
会長が新しい恋でもしない限り、和解することはないかもしれない。
「街並みを通って帰るか」
いつの間にかあの大量のジュースを飲み干した会長が立ち上がった。
「そうですね」
もう結構時間が経っていたし、あまり遅いと帰りが遅くなってしまう。
地図では街並みを通ると出口付近に出るようになっていたし、ちょうどいい。
三十分程でバス停まで辿り付けるだろう、そう思っていたのだが……。
それからも恋人達の鐘を除夜の鐘のようにならしたり、願いが叶うという噴水に小銭を全て投入したり、教会で男なのにブーケトス体験をしたりと会長の奇行が続いた。
すぐに帰るつもりだったのに、更に二時間ほど経過してしまった。
何故だ、解せん。
すっかり日も暮れてしまい、学校の鞄はやはり諦めるしかなかった。
ああ、疲れた……!
※※※
家に着いた時には既に辺りは真っ暗で、玄関の電灯がついていた。
扉を開けると、もう夕飯時も過ぎているというのに、靴がいくつも並んでいた。
仲良く並んでいる兄と春兄の大きな靴と更にもう一足。
女性のものの可愛らしい通学シューズは雛のものだ。
会長の相手をして精神的に疲れたし、結構な距離を歩いて肉体的にも疲れた。
冬眠できそうなほど眠い!
ボソッと『ただいま』を告げたがリビングには寄らず、自分の部屋で休むことにした。
呼び止められた気がするが、まあいいか。
「やっと僕のテリトリーだあ」
制服のままベッドにダイブした。
このまま寝ようかなと思ったが、また兄に皺が付くと言われるのが目に見えているので、渋々部屋着に着替えることにした。
寝たままの体勢で。
ああ、重力が重い。
瀕死の黒光りしているGのように仰向きでもぞもぞ動いて服を脱いでいると、ドアをノックする音が響いた。
「アキ?」
雛か、と思っているとドアが開いた。
「あ」
「え? ……え、ひゃああ!!!」
まだ開けていいと言っていないのに開けるから、脱皮していてパンツ一丁になっているところを見られてしまった。
しかも靴下だけは履いているから結構キモい。
僕は見られても平気だが、雛のような美少女に逆ラッキースケベをさせてしまって申し訳ない。
雛は一瞬で顔を真っ赤にし、凄い勢いでドアを閉めた。
あいつ、結構乙女なんだな。
それにしては閉め方が破壊的というか、粉砕系かと思うほど荒々しかった。
ドアが壊れていないか心配だ。
「だるぅ……」
着替えを取るにもナメクジのように床を這って動いた。
ジャージとTシャツを取り、脱いだ時と同じように寝たまま着た。
これで完全体、最終形態だ。
よし、寝よう。
ベッドによじ登っておやすみなさい。
目を閉じたところに再び、コンコンと控えめなノックの音が響いた。
「アキ? さっきはごめんね? わざとじゃないの! 話がしたくって……。もう着替えは終わった?」
下に行ったと思ったのに、雛はまだドアの前にいたようだ。
話ってなんだろう。
面倒な話だったら嫌だな。
今はとりあえず眠りたい、眠気の勝利だ。
ここは居留守を使おう。
「アーキー?」
「ぐー」
ごめんよ雛、明日聞いてやるから。
心の中で謝罪をした。
何度かノックされたが答えず、段々意識を手放していく。
そろそろ眠れる……最高に気持ち良い瞬間が訪れた、その時……。
――カチャ
ドアが開いた音が耳に入り、意識が引き戻されてしまった。
至福の時が台無しだ。
……雛め、開けやがったな。
「……おじゃましまあす」
小さな呟きと共に、部屋の中に気配が入ってきた。
不法侵入だぞ、訴えてやる。
勝手に男の部屋に入るなんてけしからん。
明日話を聞くついでに説教もしてやらねばならない。
『明日』、な。
今は寝る、意地でも僕は寝るんだ。
「……アキ? 寝てるの?」
「ぐー」
狸寝入りをしていると雛の気配が近寄ってきた。
僕の顔の辺りにしゃがんだのも分かった。
視線も感じる。
見ている……凄く見ている。
どれだけ見るんだ! って程見ている。
『見られている』と意識すると、妙な動きをしてしまいそうで緊張する。
「アキ? ほんとに寝てる?」
「ぐー」
しつこい!
寝ているアピールをするため、違和感が無いように寝息を立てたが気配が動く様子は無い。
早く出て行ってくれ、今日の僕は疲れているのだ。
「えいっ」
立ち去るどころか、僕の頬を指でツンツンし始める始末。
雛サン……地味に苛々するから止めなさい。
更に何かしようとしているようで、ガサガサと音を立て始めた。
――カシャ
明らかにシャッター音が聞こえた。
てめぇ、写真まで撮りやがったな。
後で絶対消してやるからな!
「ふふっ」
何を楽しそうにしやがって。
今度絶対雛の寝顔も撮ってやる。
そして、雛ファンに拡散してやるのだ。
心の中で誓いを立てていると、雛の気配が更に近づいてきた。
どうやらベッド脇、僕の顔に近いところでコロンと頭を乗せているようだ。
休んでんじゃねえよ。
「ねえ、なんで電話に出てくれないの?」
小さな声で呟いた。電話?
そういえば会長に電源を切られた後、しばらくスマホの存在を忘れていた。
一人になってから再び電源を入れたら、兄や雛から何度も着信が入っていた。
どうせもうすぐ着くし、掛け直さなくてもいいかと思って放置していたが、心配を掛けてしまっただろうか。
すぐに掛けなおせばよかったな。
それも『明日』謝ろう。
「ねえ、いつになったら気がついてくれるの……」
……?
何のことだ?
髪でも切ったのだろうか?
それにしては声のトーンが本気というか、深刻そうな感じだったが……。
溜息をついているのも聞こえた。
何か大事なことなのだろうけど心当たりが全く無い。
まだ雛が何か言うか暫く待ってみたが、喋る気配は無い。
なんだろう……なんだろう!?
考えていると目が覚めてきてしまった。
ならいっそ聞いてみよう。
「何の話だ?」
「ぐー」
「……は?」
目を開けると、思った通りすぐ近くに雛の顔があった。
それは予想通りなのだが……。
「寝てるし! 嘘だろ……この一瞬で普通寝るか!?」
雛は気持ち良さそうに寝息を立てて眠っていた。
僕が眠りたかったのに、気になる事言って起こしておいて自分は寝るとか無い!
絶対許さないからな!
「雛! 寝かさんぞコラァ!!」
両肩を掴み、大きく揺すって起こす。
僕の聖域に踏み込んだ上眠りを妨げるなど、何人たりとも許しはせぬぞ!!
「雛あああ!!」
「うぅ?」
「起きろ! 寝るな!」
頬をむぎゅっと抓ってやると、薄っすら目を開けた。
「……アキだぁ」
「……」
「ぐー」
「だから寝るな! 起きろ!」
こいつは何なのだ。
一瞬起きたと思ったら、人の顔見てお花が飛んでるような笑顔を見せてまた寝やがった。
「ああもう!!」
凄く幸せそうな顔されてしまったから毒気が抜けた。
仕方無い。
寝かせてやろう……今回だけだからな。
そのまま寝かすのも首が痛くなりそうだし、風邪をひかれても困るからベッドを譲ってやることにした。
起こさないようにゆっくり抱き上げると、思っていた以上に軽くて驚いた。
こいつ、ちゃんと食っているのかな。
女の子の体重ってこんなものなのだろうか。
っていうか、制服だけどいいかな。
皺が付いたとか文句言われそうだけど、寝てしまった雛が悪いんだから仕方ないよな。
ブレザーだけでも脱がしてやろうかと思ったけど、セクハラだとか言われそうだしやめとくか。
「あ、そうだ」
自分のスマホを出す。
盗撮返しのチャンスではないか。
こんなにすぐ仕返しの機会がくるとは思っていなかったが。
カメラ機能を立ち上げ、ピントを合わる。
こうしてレンズ越しに見ても、やっぱり雛は美少女だった。
造形も整っているし、化粧をしていなくても鮮やかな桃色の唇が白い雪のような肌に映えて綺麗だ。
「幸せそうな顔して寝やがって……」
こっそりシャッターを切る。
画面に映った雛の寝顔を見ると妙に和んだ。
「保存、っと。鍵もかけておこう」
今度これを盾にして、僕の寝顔を消させよう。
よし、寝る。
妙な横槍が入ったし、今も絶賛邪魔され中だが寝よう。
ベッドで一緒に寝るのは流石にまずいし、床でクッションを枕にして寝ることにした。
寝心地は悪いが我慢するしかない。
「おのれ……えでめ」
「ん?」
雛が何か呟いたので身体を起こし覗いてみると、さっきと表情が一変していた。
「雛!?」
今まで見たことの無いような、邪悪な笑みを浮かべて眠る美少女。
これは果たして雛なのだろうか。
BL色欲や邪念が篭ったこの家の怨霊にとり憑かれてしまったのだろうか!
「都市伝説もここで終焉よ……ぐう」
「何の夢見てるんだよ!!」
やはり悪霊にとり憑かれてしまったようだ。
僕も楓という都市伝説にとり憑かれているし、ドラゴンゾンビの呪いもかかっているかもしれない。
二人で御祓いに行った方がいいかもしれないと本気で思った。
「これは……なんでこんなことになってんだ?」
帰宅しなければいけない時間になり、妹を呼びに来た兄は不可解な光景を目にして頭を悩ませた。
妹は話をするためにこの部屋に来たはずなのに、部屋の主は床で寝ているし、妹は主の寝床を占領して眠っている。
どうしてこうなったのか分からないが、帰らなくてはいけない。
気持ち良さそうに眠っている妹の肩を揺すり、起こした。
「雛! おい、帰るぞ!」
「ん……お兄ちゃん? 帰る?」
熟睡していたのか、完全に寝ぼけ顔の妹に呆れてしまった。
「お前はなんで央のベッドで寝てんだよ。話は出来たのか?」
「へ?」
目を擦りながら、きょろきょろと自分が寝ていた場所に目を向けた。
そして、床に転がっている部屋の主に目が止まった。
「え? ええええ!? なんで!?」
「知るかよ」
「私、なんでアキのベッドで寝てるの!?」
「だから知らねえよ」
妹は驚きと羞恥心で再び布団に潜ってしまった。
「アキの匂いがする」などという変態臭い発言が耳に入ったが聞こえなかったことにしつつ、早く帰るために布団を引っぺがし、帰るように促した。
「そろそろ帰らないと母さんがキレるぞ」
「う、うん」
床に転がった主のことは主の兄に任せ、混乱して挙動不審になっている妹を強引に連れて帰った。
外に出ると少し冷静になったようで話が出来た。
「で、央と話は出来なかったんだな?」
「うん。私が入ったときには寝ちゃってて、私もアキの顔見てたら寝ちゃって……。でも、ベッドでは寝てないの。ベッドで寝てたのはアキだもん。アキが運んでくれたのかなあ」
赤くなった顔を隠すように両手で包んでいる姿を見ると、妹ながら可愛いと思ってしまう。
「絶対、あの馬鹿会長には取られるなよ」
「うん! 絶対BLには負けない!!」
「お、おう」
妙に胸に突き刺さる決意を聞きながら、可愛い妹に幸せになって欲しいと願う兄であった。
 




