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『魔』を土に返す『浄化』の力を持つ『浄化者』、自然を操ることのできる『精霊』と契約を結ぶ『精霊使い』、その両の力を有し、『魔』を排除することを使命として負う者――それが、『司』。
一代につき十人前後しか存在しない、『精霊』の王に愛され認められたその者達は、とりあえず、土の大陸の王宮の組織に組み込まれている。
彼らは他の『浄化者』、『精霊使い』よりも特別な存在であった。
『司』は、『浄化者』、『精霊使い』その両の力を持つ『両有者』であれば誰もがなれるというわけではない。たとえなったとしても、なるべき人でなければ耐えてなどいけない。それは精神的にも物理的にも。
人々は憧れるのだ。
彼らの有する、常人にはありえない絶対的な力。だれもが望む、『魔』を排除する力。また、その気高さ。
人が『魔』の手を逃れ生きていくための砦、といっても過言ではないかもしれない。
『司』を有する土の大陸より離れた所などでは、伝説とさえされている。
そのためか、土の大陸の王宮も、『司』を自身の組織としながら、その行動を縛ることは一切ない。
『司』は自ら必要とする規則を定め、必要としたとき事を起こし、『魔』を排除していく。
そんな存在なのだ。
そして、土の大陸の都市、リル=ウォークの王宮内の会議室の、一つ。
二百十九代目の『司』たちは白い粘土質の壁と、その壁にぽっかりと空いただけの一つの窓をようするそこにいた。
王宮には会議室と呼ばれところがいくつかあるが、この部屋はもっぱら『司』専用になっている。
そのため、本来整然と並べられるはずの木の机と椅子はばらけられ、そこに秩序は見られない。
そうして今、二百十九代目の、つまりは現在の『司』たち七名は、その自分たち専用の――というより、そうしてしまった――部屋でくつろいでいた。
「次は真士と哲平、ねぇ」
椅子に腰掛けながら知らされたことを改めて口にするのは、たった今一人遅れてこの場に到着した『創造の司』、宍戸律子――三大陸名リーツェ・ラヴィスである。
「そう。どう思う?」
一番奥の椅子にやはり座り律子にそう尋ねるのは、『霧の司』松山有喜だ。
「まあ、いいんじゃない? 組み方にしても特に問題ないでしょ。それに、みんなだってそう思っているんでしょ?」
言って、部屋の中を見渡した。七人の『司』がここには集っている。
「まあねぇ。先にあの四人で組まれたら、あとは組み方なんて見えているようなものだし」
と応えるのは、机の上に腰かけている、ふわふわの赤毛とぱっちりとした茶色の目が印象的な女、『伝令の司』フィル・ユイカ。
「ただ一人不満に思っている奴がここにいるようではあるのだけどな」
笑顔を浮かべながら、からかいの声を発するのは、壁に背を任せ立つ、褐色の肌と黒い目と髪の長身の女、『夜の司』ヌース・マイレス。
そして彼女の言うところのただ一人が、その脇の椅子に腰掛け、筋肉質の体に似合わずさっぱりとしたつくりの顔に不満を表している焦茶色の髪の男、『水の司』リオン・ビィノ。
「どうしてあの馬鹿弟子二人が、よりによって……」
彼は惚けた顔で天上に視線を向けていたが、大きなため息と共に両目を閉じる。そう。真士と哲平の師匠はこのリオンなのである。
「なんでリオンがそんなに疲れ切った顔しているの? 要はあの二人の問題なんだから、そこまであんたが気負うことはないじゃない」
軽い口調でフィルは言うが、やはりリオンの顔色はすぐれない。もう一度、ため息なんかをついてしまうのだ。
「確かにね、ただの傍観者っていうのも、結構辛いんだけどね」
一人優しさの込められた言葉を口にするのは、『花の司』橋本美央だ。彼女はお茶をいれた器を律子に手渡し、自分はそのすぐそばにあった椅子に座る。
律子は器を手にすると軽くお茶を喉に流し込んだ。
「そうよねぇ。ただの傍観者って、思っているより、辛いのよね」
「まあその点、リオンはただの傍観者じゃないんだから、俺たちよりかは気が楽だと思うんだけどな」
「え? ただの傍観者じゃないって……何? 今回、あの二人にどんな仕事与えるの?」
有喜の言葉に律子だけが反応した。他の者たちが特にうろたえなかったところを見ると、どうやら遅れてきた律子だけが知らないことらしい。それを分かっているから、有喜は少し笑うのだ。
「ちょっとな、さっき、とあるところで不穏な動きがあるという報告があって、な。そこに旅立ってもらおうか、と」
「旅立つ……?」
「出した案で大丈夫だなんだろ? ネレウス」
有喜が問い掛けるのは、一人沈黙を守り、出入口の木の扉の脇に佇んでいる中性的な雰囲気を醸し出す男、『知恵の司』ネレウス・ルーインだ。
彼はゆっくりと有喜に視線を向ける。
「おそらくは」
そしてただそうとだけ応えるのだ。
そのあまりにもあっさりとした応答に一瞬律子は閉口してしまう。
そのために、強引にもその話題はそこで打ち切られることになってしまった。それは、ネレウスが口を開いたついでといわんばかりに、突然こんなことを言いだすからだ。
「すまないが有喜。私はもう場を外してもよいだろうか?」
かたいが穏やかな口調。場が一瞬凍った。
有喜は口に運ぼうとしていた器を膝の上に降ろすと、少し間をおいてから応える。
「……あ、ああ。別に、いいけど……」
何も言い置かず、ネレウスは静かに退室した。
その背をじっと見送ったあと、最初に動いたのはフィルだった。彼女は深々とため息をつくのだ。
「相変わらずね、あの男。十年近くこうして付き合っているっていうのに、全然何考えているのか分かんないんだから。久々に集まりにも顔見せたんだから、もう少し愛想っていうものふりまいてもいいんじゃない?」
「そうだな。今日にしたって、クァロがかわいそうで仕方がなかった」
そう口にするのはヌースだ。クァロとは小山薫の三大陸名だ。ヌースは今日、薫が久しぶりに会う師匠――ネレウスのことだ――に色々と話しかけていたのに、全くネレウスが相手にしていなかったのを目撃しているのである。ヌースは別にみんなにその目撃事実を話そうとはしない。だが、ここにいる者にはなんとなく何があったのか察しがついていた。
だから、天井に視線を向けひたすら惚けていたリオンも口を開くのだ。
「あいつは祝いごととかにも絶対顔見せない奴だよなぁ」
何気ない一言。
だがしかし、その一言が、この場の嫌な空気を払拭しようと試みたヌースに、ある話題を思い起させた。
それがまた、問題の元になるとは知らずに――。
「そうだ。祝いごとといえば、結婚、とうとう本決まりしたらしいな」
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
「……何なんだ、この沈黙は」
目を丸くしてヌースはその場にいる五人をうかがった。
二人はあからさまに驚き、二人はただ単に言葉をなくしているらしく、そして残りの一人の顔は、引きつっていた。
結婚の二文字は禁句だったのだろうかとヌースが考える間に、騒音は、やってくる。
「いいいったい何よ、それぇぇっっ! 知らないわよ聞いてないわよ何なんよっ。そういうことはさっさと知らせなさいよっ!」
と、床の上に立ち有喜に詰め寄り耳元で怒鳴り散らしているのはフィル。
「そいつはまた、驚かせてくれるなあ。へえ、そうか。とうとう有喜と美央も結婚かぁ。長かったなぁ。そうだよなぁ。もう俺たち、そんな年だもんなぁ」
リオンは驚きの表情をあらわにしながらも冷静にそんなコメントを述べ、感慨に耽っている。
有喜同様話題の中心である美央は、すばらしく居心地が悪そうにそわそわとし、そして、一人顔をひきつらせていた律子はそおっとその場を立ち去ろうとしていた。
それを、フィルに迫られ体勢を崩しかけながらも有喜が見逃すことはない。
「おい、律子! お前だろ!? まだ口に出すなとあれほど言ったのに、お前ぇっ!」
律子は小さくなりながら「ひぇ~、ごめんなさーい」と情けない声を出していた。
確かに有喜と美央の結婚のことをヌースに言ってしまったのは律子である。だが、その律子に言ってしまったのは妹の瞳子であり、その瞳子に言ってしまったのは、愛理と潤だったりもする。有喜は律子まで話が伝わったことを知って口止めしたにすぎないのだが。
「ちょっと有喜! そこでリーツェに責任転嫁しない! なんでそういう大事なことを真っ先に私たちに教えてくれないわけ!? 式はいつなの!? ご両親は六大の人だから向こうでやるの!? でもこっちでももちろんやるわよねっ、私たちちゃんと呼んでくれるわよねぇっ!?」
「いや、だからフィル……」
「なぁに!? 呼ぶの嫌なわけ!?」
うろたえている有喜に恐る恐る律子が顔を向けると、彼は「覚えとけ」というような目で睨み返すのだ。「ひぃ~」と、わけの分からない声を出し、律子は有喜に背を向ける。
「とにかくフィル! まだ正確な時期は決定していないんだよ! だから……!」
「じゃあ何よ!? 先送りもあるってわけ!? あんたたち、今まで婚約の一つもしてなかったわけ!?」
「一つも二つもあるか!」
「二つしてどーすんのよ、この女ったらし!」
「誰が!!」
「あんたが、よ! 私知っているんだから。あんたに泣かされた女の話っ」
「……え!? な、……何だよ、それ!?」
「うろたえたわねぇっ。身に覚えあるのねぇっ!?」
二人は周りを気にもせず怒鳴りあっている。
もう他の者が口を閉ざしているというのに、部屋はいつになく騒々しいものとなってしまった。しかもよりによって、天下の『司』の使用する部屋が、であるのだ。
「ホント、長かったよなぁ……」
リオンがもう一度そう呟いたとき、出入口の木の扉が少し、開いた。
ヌースがそれを目ざとく見付けると、大声を出しあっている二人に向かってやっと静止の声を発するのだ。
「有喜、フィル。その辺にしておけ。どうやらあの二人がお前等の怒鳴り声のせいで入れなくてお困りのようだぞ」
ヌースの言葉と共に静かになる部屋に恐る恐る顔をのぞかせるのは、二人の少年――未来の『司』になる者達。
二百十九代目の『司』たちのくつろぎの一時は、そうして終りを告げたのだ。