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「ちっちうえー、はっはうえー!」
白の石でできている建物。窓というものは存在せず、きらめく太陽の陽射しは、屋内と屋外を辛うじて仕切る列柱の間から降り込んできている。床は固められた土。
そして通路は、前方七十メートル先で開けている。
そんな、長細い空間で。
十三歳の彼はその姿を認めるなり、大声で両手をぶんぶん振っていた。
隣で真士は、つくづく恥ずかしい奴だと思う。
ここは、『三大陸世界』。三つの大陸の中で一番小さい土の大陸の、リル=ウォークという都市にある、王宮と呼ばれる土の大陸の政務一切を執り行う場所の、廊下。
人がいない場所ではない。
たくさん、ではないが、この廊下を通る人間はそこそこいる。
哲平が大声を出したその時だとて一体何人の人間が振り返り、視線を向け、くすくす笑っていることか。
真士も哲平も、この王宮では顔も名前も知られていた。その分、余計に恥ずかしいのだが、当の本人はおかまいなしだ。
万年夏のリル=ウォークの気候のために、ひらひらとして軽いつくりの服の裾をなびかせ、哲平は駆けていく。
その先には、二人の人。
一人は、哲平と同じ色の長い髪と長身でかなり美人の女性。
もう一人は、どたっとした、という形容の似合う、決していい男とは言えないような、男性。
そう、これが哲平の両親――リース夫妻である。
「よう。ゾフィー。元気でやっているか?」
そう声をかけるのは、父親の方。ゾフィーとは哲平の『三大陸世界』での名であり、生まれたときに付けられた本当の名でもある。
――つまり、事情に通じている者たちにも二つのパターンがあるのだ。
一つは、『三大陸世界』出身者。もう一つは『六大陸世界』出身者。
真士は六大陸出身者だが、哲平は三大陸出身者で、今は『六大陸世界』に居座る、やはり『三大陸世界』出身の伯父と共に、『六大陸世界』で暮らしている。
ちなみに、愛理と潤と瞳子は『六大陸世界』出身で、薫と律子は『三大陸世界』出身だ。
「おおー! 元気だぜ! にしてもさー、帰ってくるの早かったなー。予定では、十日後ぐらいじゃなかった?」
「思ったより早く事がすんじゃってね。ま、これといってやることもなかったし、じゃあ帰ろうかってことになったわけ」
そう言うのは、母親の方。
真士はその顔を見ると、どうしても哲平がこの母親だけから生まれてきた子供に思えてならない。哲平の女バージョンといってもおかしくないぐらい、二人はよく似ている。
初めて哲平の両親を見たとき、誰もが本当に哲平はこの父親の子なのかと疑うらしいが、実際問題、この二人は出会った瞬間から大恋愛を始め、未だに誰もが認めるおしどり夫婦なのだから、他の男の子供であるはずがないという結論に達してしまうのだ。
ちなみに、このような話題が三人の前で出されないこともないようだが、出た途端三人とも豪快に笑い飛ばすらしい。
どちらにしろ人が羨むほど仲のよい家族であるのは間違いない。
「それでどうだったの? 今回の旅は」
久々に会う両親に哲平は尋ねる。
「仕事内容自体は大したことなかったよな」
「そうね。結構単純だったわよね」
「『魔』の数が多かったってところで苦労したといえば苦労したか」
「見付け出すのがねぇ。私達が排除にきたと知ったとたん、それまでつるんでいた『魔』が散っちゃったのよね。その辺で時間取ったぐらいで」
「あれがなかったら、あと五日は早く帰ってこれたな」
「そうね」
リース夫妻は、土の大陸特有のやわらかい布の服をまとい、両手両足と体の急所を保護する役目を負う布を身につけ、そして剣を携えていた。
旅から帰ってきてすぐのため、肌も衣服も薄汚れている。剣にも鞘から抜いた形跡が見られる。
二人は、『魔』を排除する旅に出ていた。
哲平の父親が、『魔』を土に返す『浄化』という力を有する『浄化者』、母親が、『魔』と唯一対抗できる力を持ち自然を操ることのできる『精霊』と契約を結ぶ『精霊使い』だ。
土の大陸は『精霊』が生まれると言われるアカ=ラシャの砂漠を抱えている。そのために土の大陸には他の大陸より『精霊使い』が多く存在し、土の大陸の政務を執り行う王宮では、人間を害する『魔』の排除に力を入れ、世界各国に『魔』を排除しに出向く『浄化者』と『精霊使い』を雇っている。
リース夫妻は、その王宮に仕える敏腕の『浄化者』と『精霊使い』なのだ。
「…………」
家族の会話を少し離れたところから見ていた真士だったが、痺れを切らし、つつつ、と哲平のそばまで歩んでいった。
確かに、全くの他人というわけでもないのだ。あいさつがないのも変だろう。それが真士の判断である。
「こんにちは」
声をかけると、二人の視線が自分に向いた。変わらぬ笑顔を二人はくれる。
「おう、真士か。久しぶりだな」
「あら、どうしちゃったの、この子。髪の毛の色、違うわよ? なんで黄色になっちゃったの? 突然変異?」
真面目な顔をして哲平の母親は自分向かってそんなことを言ってくれた。
仕方がない。二人は『六大陸世界』の存在は知っていも、それがどのような世界なのかは全く知らないのだから。
「突然変異じゃなくって。自分でこうしたんだよ」
「……六大じゃ、そんなこともできるんだ」
『六大陸世界』、通称六大。同様に、『三大陸世界』、通称三大、である。
「もっと変な色にしてる奴、いるぜ? 赤とか、青とか、一部分だけ違う色とか」
「生れつきじゃなくって?」
「うん」
「変装して、どうするの?」
「変装でもなくって、お洒落でさ」
「……変なトコねぇ」
母親の方がしみじみと呟いてくれたが、それは正直な感想なのだろう。第一、こっちの世界では、生れつき赤や青の髪の人間がいてもなんら不思議ではないのだ。
「ところでゾフィー。俺達はしばらく休みをもらって家にいるが、どうだ。少しの間でも帰ってこないか?」
父親がそう尋ねた。
話によると、ゾフィーが家を出、六大の伯父のもとで暮らし始めたのが六歳の時。その時から両親とはこのようにちょくちょく会っていても、一度も家に長く帰ってはいないらしい。
哲平はしばし、うーんと考えた。
まさか両親は今が夏休み――長期休暇中ということを知っていたわけではないだろうが、確かに時期はいい。だが、哲平が考えるには理由があるのだ。
「うん。いいけど、さ。実は俺達に今、招集かかっててさ」
「招集? 『司』殿からか?」
「そう。で、どういう用件か分からないし、ちょっと、まわりの他の奴らのこと見てると、やっかいそうかな、という気もするから」
それは真士も同感だった。
招集というものは、普段からちょくちょくかかる。そのたびに色々なことを告げられる。しかし、今回は様子がいつもと違うのだ。
一つは、『司』の面々、全員から呼び出されたということ。もう一つは、すでに愛理、潤、薫、瞳子の四人が、四人だけで大きな『魔』に対したということ。
「だからさ、別にどおってことない用事だったら別にいいんだけど、……まだ何とも言えないや。うん」
「そう……」
「でも、今晩は帰るよ。母上の手料理、食べるから」
いとも簡単に哲平は、落胆する両親の前でそんな言葉を口にしてしまう。そして両親は息子に向かって笑ってみせるのだ。
それだから多分この家族は、ずっと離れていても家族でいられるのだと真士は思う。
「分かったわ。家でご飯作って待っているから」
「真士もよかったら一緒においで。六大でのゾフィーの話もききたいしね」
「そうね。じゃあ、招集、いってらっしゃい。『司』候補生のお二人さん」
手を振って、背を向けた。笑顔ままで夫妻は去っていった。
「んじゃまあ、行きましょうか、真士」
ひとしきり両親の背に両手を振ってから哲平はあっさり言う。
真士はその顔を見上げ、応える。
「ああ」
その場で二人はきびすを返した。