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呼称、家屋敷――新興住宅地の真ん中に位置する小高い山、望ヶ丘山の小さな尾根の上にある、洋風の大きな家。
緑生い茂る木々に何重にもわたって覆われ、ちょっとやそっとのことでは見付けることのできないその家は、けれど見付けてしまう近所の子供らにはおばけ屋敷と呼ばれている。
その家の実態は、人間のいわゆる力を糧とする精神体『魔』を、『魔』と同じく精神体で唯一『魔』に対抗できる力を有する『精霊』、そして人間内部の力で『魔』を土に返す効力のある『浄化』、の二つを以て排除する使命を帯びた者達の溜り場である。
しかしまた、家屋敷はちゃんと宍戸家という住居の顔も持つ。
その、家屋敷の若き主人である宍戸律子、彼女の私室に――彼らは、いた。
「あーっ! ひどいっ。そこで連打されたらやられるだろうがぁーっ! ……ああ、私のカール……」
「ふははははは。どうだ。ジャック様の強さを思い知ったか!」
「このー非道! 容赦ぐらいしろ!」
「なーに言ってんですか、律子さん。タタカイの世界に情けは無用ですよ」
「くっそーっ。ほら、真士、交替!」
「ういーっす」
Tシャツに単パンという実に簡単な格好をしているこの家の主人、宍戸律子二十一歳は、だんっと自分の持っていた1プレーヤーのコントローラーを絨毯の上に置くと、這いつくばってその場を譲る。
かわりにそのコントローラーを手にするのは、乾いた長めの金髪が目にかかっている野村真士中学二年。
「ちょっと手加減しろよな」
「なーんで真士がそんな弱気言うかなぁ」
「うちのゲーム機、今ぶっこわれてて、俺、ここんとこやってねーんだよ」
「おやおや。でも、やーだねー」
「お前絶対練習して来ただろ?」
「ふふふふふふ。クラスの友に感謝っ」
不敵な笑みをその見事に整った彫りの深い顔に浮かべるのは、下原哲平中学二年。
テレビ内蔵のスピーカーから、「ファイト!」という声が聞こえると同時に、画面上の左右にいるキャラクターが激しく動きだす。それぞれが得意技を繰り出していく。
「へえ。真士、ザキにしたんだ。こないだまでヨシトラじゃなかった?」
「あん……一回ヨシトラでクリアしちゃったからさー」
真士と哲平の間から画面をのぞく律子に、真士は気のない返事を返す。今は実際、二人ともそれどころではないのだ。
だが、早々に哲平に破れてしまった律子は容赦しない。
「あれー? 哲平さ、髪伸ばすわけ? 長いよね?」
そういって律子は、ちょこんとゴムで結ばれている哲平の後ろ髪を少しひっぱってみた。哲平は少々バランスを崩すが、対戦には影響なかったようだ。
「あー、のばそかなーって。やっぱりー、親の髪見ていると、伸ばしたくなったんですよぉ。ほら、うちのハハオヤの髪、キレイっしょ? それに、俺、長髪似合うと思いません?」
「そう、ねぇ」
哲平は、自分の顔立ちが綺麗なことを自ら認めている。そして、自分の母親が美人で、自分はその血ばかりを引き、父親からは黒い目だけを譲り受けたということも。
そう。哲平の少しくすんだ濃いブロンドの髪は母親に由来している。
「あ、そうだ律子さん。それで俺、律子さんにきくことあったんですけどー、律子さんの今の髪、もともとはどうだったんですかー?」
律子は今、肩の下辺りまで伸びている後ろ髪を一つで結んでいた。が、横も前もばらばらで後ろ髪も同様に揃って伸びてはいない。
これはただ単に律子の不精のせいだ。つまり、髪を切りにいくのが面倒で、でも長くなった髪はうっとうしくて、とりあえず前と横は自分でなんとかハサミで切り落としてみて、後ろはそのままにしてある、と。
けれど、この事実を哲平に言ってやるのも癪だった。だから、
「……とりあえず、最初は段の入ったショートだったけど」
と言うことになる。
一体、段の入ったショートカットはどのくらい前の話か。
「げーっ、そうくるかよ!」
突然響くのは真士の悲鳴。
画面上には、無残にも破れたヨシトラと、勝利を喜んでいるジャック。
つまり哲平の連勝だ。
「だーもう。むかつくなー。お前やり方が卑怯だぞ」
「勝てば官軍!」
「哲平って、勝負にうるさいよねぇ」
「勝てば官軍っ!」
負けた真士はすごすごと引き下がる。
代わりに再び律子がコントローラーを手にしようとした。
その矢先に。
「律子さん」
開け放たれていた後ろの扉をノックする音と声がしてきた。
三人同時に振り返る。
そこには、黒く焼けた肌の少年が立っていた。真士、哲平の友でもあり仲間でもある松山潤だ。
「おー、潤じゃん。久しぶり!」
軽やかに手などあげたりして哲平が応えた。真士も「ういっす」という言葉と共に顎をしゃっくってみせる。
「報告会終わったの? ごくろーさん。どうだった?」
「んー、結構絞られた。無鉄砲すぎるってさ」
律子の言葉に応えながら潤は部屋の中に入ってくる。三人のすぐそばでその歩みを止める。
「あははは。やっぱりそっかー。だってあんたたち、無茶やりすぎだよぉ。話聞いただけでも鳥肌たったって」
「当人たちも結構びびってたんだけど」
「まあ、傍観者になってみないと分からない心境だわね。でも結果は誉められたでしょ?」
「経過も結果も駄目って言われたら、救いようないじゃん、俺達」
「そりゃそうだ」
真士と哲平の前で交わされる会話。内容はクリアには見えてこない。けれど、何となくは分かる。……噂は耳にしたのだ。
「この前、厄介な『魔』とやりやったっていう話か?」
真士が潤の顔を見上げながら尋ねた。
それは、一ヵ月程前にあったという話だ。
「ああ。俺と愛理と薫と瞳子で。陛下が出張に出ていたからさ、やっと今になって、その報告会やったのさ」
「それで瞳子ちゃんの姿が見えないわけだー」
相変わらずの間延びした声を返すのは哲平。
瞳子とは、仲間でもあり、また律子の妹でもあるここの住人のこと。
「で、潤。私に何か用事じゃなかったの?」
律子が見上げる。潤が思い出したように口を開く。
「みんなが今すぐ来てほしいって」
「……あっそ」
それは、律子が今日はこれ以上ゲームができないことを意味する伝言だった。
逆らうことはできない。絶対の強制力を持っているのだ。
律子は渋々腰を上げた。
百五十ほどのその身長。
「真士、哲平。ゲームはやっていていいけど、最後片付けといて。分かるよね、片付け方」
「大丈夫っ」
「じゃあご両人、勝負はまた後日だ!」
潤の脇をすり抜け、律子は部屋を出ていった。中学生男子三人を自分の部屋に残していってしまうあたり、普段から大雑把だとか、無頓着だとかいわれる所以だろう。
その小さな背を見て、真士は鼻から息を抜いた。これから哲平と二人でゲームをやるのか……いつもと変わらないじゃないか、と。 しかし、
「あれ!? ちょっと待て、潤。お前、またでかくなったろ!?」
叫ぶと共に哲平が立ち上がっていた。
テレビの方からはゲームのBGMが聞こえてくる。
「え? そうか?」
「だって今、律子さんがそば通ったとき、差が大きくなってた! 律子さんが縮んだわけじゃないだろ!?」
「……伸びたかな?」
「ちょっとならぼーぜ」
いやな展開になってきたな。
二人の動向を見上げながら、真士は密か思う。
哲平と潤は背中合わせで立っている。
「あー、ホントだ。ほとんどかわんねぇわ」
「俺、潤に追い付かれたってことかよ。えー、まだ俺の方が高いだろー?」
「そんなことねぇよ。同じだよ」
「えー? なあ真士。ちょっと見てくれよ」
ほら来た。
心の中で叫んでみた。
嫌だ。立ち上がりたくない、と。
なぜなら真士は……二人ほど身長がないからだ。
こんな状況下で、立って二人を見上げるのは御免こうむりたいのだ。
すると、真士の救いになるか否か、新たな人たちがそこにやってきたのだ。
「……何やってんの、あんたたち」
部屋の中を覗き込むなり冷ややかにそう呟いてくれるのは、長い黒髪が特徴の少女だった。橋本愛理。
「あ、愛理ちゃん、瞳子ちゃん、こんちはー」
「身長はかってんだよ。なあ、俺達、どっちが高い?」
笑顔で女子二人にあいさつをする哲平と、自分の頭上を指差す潤。
二人に近付き、その頭上を手の平で押さえ、答えるのは、童顔の宍戸瞳子。
「ほとんど変わらないわよ。どっちって言うわけでもないんじゃない?」
「ほらな。一緒じゃないか」
「げー。追いつかれたー」
「哲平、今身長いくつ?」
「学校の終了式に保健室行って計ったら百七十ジャストだった」
「じゃあ俺もそんぐらいか」
「…………」
真士は終始閉口。
ただし、心の中では、
「なーにが百七十ジャストだ。背が大きくってどうだっていうんだよ」
などとぶつぶつ呟いている。
ちなみに、真士の身長は、現在百五十五だ。
「身長、気になるんだ?」
「愛理ちゃんは今いくつ?」
「私は、春計ったときで百六十二だったけど」
「…………」
――真士は、終始閉口。
「瞳子ちゃんは?」
「私? 私は百五十六よ。もうほとんど成長とまっちゃって、ほぼ確定ね。でも、男の子ってこれから伸びるんでしょ? まだまだよね」
そう。まだまだ……。
心の中でそう自身を慰めたら少し悲しくなりさえもする。
もう、考えないことにした。
「おい哲平。ゲームやんないのかよ」
「あー、悪い悪い」
「あ、俺もやりたい」
「じゃあ哲平、潤と替われ」
「なんで俺が!?」
「お前ずっとやり続けてるだろ!?」
ぽいっと哲平をはじき出した。無理に潤を自分の隣に座らせ、コントローラーを渡す。
哲平の真士を見る目が少し拗ねていたが、真士は無視をしてゲームを始めてしまう。
だから仕方なく、哲平は後ろに控える少女二人に話かけ始めた。
「そういえば薫は? 一緒だったんでしょ?」
先ほどの潤の話によればこの三人と一緒にいるはずのもう一人、小山薫――彼、もとい、彼女の姿が見えなかった。哲平が首を傾げると、愛理と瞳子はいったん顔を見合わせる。
「……それがね、びっくりしたことに、今日の報告会にフィロス・ネレウスが来ててさ」
「えっ!?」
「えっ!?」
声をあげたのは哲平と真士だ。
おかげで真士の佐助は投げ技をくらい、大きなダメージを受けてしまった。
「報告会にネレウス・ルーインが!? 本当にあの人間嫌いが!?」
「そこまでびっくりしなくても……」
「だってびっくりするじゃないか! あの人、ここんとこずぅーっと、基本的には絶対参加の報告会に姿見せないどころか、王宮にもいつかないんだから! でもどうして!? 何かあったわけ!?」
「一説によると、今日薫が報告会にくること知って、久々に弟子の顔をみにきた、とか」
結局真士に一本取られた潤が口を開いていた。哲平は相変わらず唖然としている。
「久々に弟子の顔って、あの人、自分から久々にしてるんじゃないか」
「……まあね。事情ってもんが、あるんだろうけど……」
「それで薫、話し込んじゃって一緒じゃなかったのよ」
「へぇ……」
「あー、なんでだよ、なんでだよっ」
「潤さー、防御ってもの、やったら?」
「え!? 何だよ、それ」
ゲーム画面に食い付く二人の声につられ、他の三人も口を閉じ、視線を移した。
潤のトーヤが真士のヨシトラに一方的にやられている。
それはどうやら、潤が全く防御をしないかららしい。ヨシトラが放つ攻撃という攻撃を全てその身にうけているのだ。それじゃあ勝てるはずはない。やはりあっさりと負けてしまった。
「うーん」
「次私やる! 潤よりは強いよ」
「本当かよ、愛理」
「だって、この前、他のゲームで律子さんと暇なときに散々やったから」
「じゃあ勝負だ」
真士と愛理が交替した。正座をして、愛理は画面にむかう。
「……二人とも、これから部活があるって言っていたけど、いいのかしら……?」
時計の針は午後二時をさしていた。
夏の日はまだ十分に高い。
家屋敷を取り囲む木々からはたえまなく泣き続ける蝉の声が聞こえてくる。
そして、十畳ほどの広さの部屋に、健全な中学生四人と、高校生一人がゲーム画面にかじりついていた。
いまどきの日本の夏、だろうか。
すると、またしばらくして、その部屋を訪れるものが一人。
一見、男に見えてしまう、小山薫中学三年、だ。
気配に気付いた愛理と潤以外の三人が振り返る。
「お、薫じゃん。お帰り」
「ああ。何だ。みんなここなのか」
「うん。そうよ」
「どうだった? 久々に会った師匠は」
「お元気そうだったよ」
さらり、と、アルトの声は告げていた。
その態度に違和感を感じ、よくよく薫の顔を見てみると、活気が感じられない。
薫にとって、ネレウス・ルーインという師はかけがえのないもののはずだった。その人と久々にあって話をしたというのに、なぜそんな浮かない顔をしているのか。
それを口に出し尋ねるより先に、薫は口を開く。
「ところで、真士、ゾフィー」
真士と哲平が注目する。
「お前たちに招集がかかった。半刻後に王宮に来いとのことだ。覚悟して行くんだな」
一刻は二時間、つまり、半刻とは一時間だ。
真士と哲平は顔を見合わせた。お互い、身に覚えがないという表情をしている。
「それと、ゾフィー。ご両親が帰ってらしたぞ。まだしばらくは王宮にいるらしい」
「え!? 本当か!? 何だ、予定より早いじゃん」
「伝言以上。じゃ、瞳子。私は部屋で休む。何かあったら呼んでくれ」
「……あ、分かった」
それだけで薫は去っていった。終始淡々としていた。確かに普段から感情をあまり表に出すことはない。けれど、それにしても静かすぎると真士も哲平も感じるのだ。
それに、「覚悟して行け」とは一体何事なのだろうか?
「おい、真士。すぐ王宮いくぞ!」
哲平が立ち上がって真士を見下ろしていた。
目が、なぜかやる気に燃えている。
「半刻後だろ? 後三十分してからで間に合うじゃん。なんでこんなに早く行くんだよ?」
「親が帰ってきてるらしいから! 会うんだよ」
「俺、関係ないじゃん」
「あーっ、なんで、どーして!? 俺と真士くん、トモダチでしょう!?」
「…………」
どーしてそうなる? と真士は心の中でつぶやき呆れ果てたが、哲平はおかまいなしに真士の襟首を掴むのだ。
「じゃ、ゲームの片付けよろしく。行ってきまーす」
「ます」
哲平が真士を引きずるようなかたちで、二人は律子の部屋を去っていった。
部屋に残った三人はそれぞれが二人に向かって「まあせいぜい頑張れ」と、やはり言っていたのだが、二人はそれを知る由もない。