4-11
六匹いた『魔』の最後の『魔』を哲平は『浄化』した。
胸に剣の腹をあてがわれたその男が力を失い、地に崩れ落ちていく。
静寂が辺りを包む。
「真士!?」
哲平はその男を暫らく見つめたあと、はっと気付き、声を上げた。振り返り、駆け出す。
蹲って動かないその体。
けれど真士は、地に横たわることだけは必死になってさけていた。
両膝をつき背をまるめ額を地面にこすりつけても、左手から剣を放すこともない。
「真士、大丈夫か!?」
近寄って自分も身を屈め声をかける。
頭が動く。
「……何とかな」
口調も意識もはっきりしていた。
哲平に安堵感が広がった。腕に巻いていた長布を強引に取ると真士の右肩に結びつけた。それで完全に止血できるとは思えない。が、何もしないよりは大分ましなはずだ。
それにうまくすればリオンが止血の薬草を持っているから、あとでそれを揉んで当てれば大丈夫だろう。
「立てるか? 治療するにしても、どこかで横になった方がいいだろ? ほら、肩かすから」
真士の左側に回り込み、哲平は自分の肩に彼の左腕をまわす。右手で脇を支えてやると、ゆっくりと立ち上がる。
「つらくないか?」
「平気」
気丈に答える声がすでにつらそうだった。
哲平の方が真士より背が高いため、哲平は前かがみになり歩こうとする。真士もそれになんとか付いていこうとする。
哲平は慎重になりながらも真士を横にする場所を頭の中で求めた。出来ればちゃんとしたベッドの上がいい。水や湯、それに何枚もの清潔な布がすぐ手に入るところがいい。
この集落に医者はいない。しかし、その役割を果たす人はいるはずだ。だから、その人の家に案内してもらえば。誰かに教えてもらえば。
「誰か……――」
そこで、哲平はやっと冷静になった。
真士の足元ばかり注意していた視線をあげ、辺りを見たのだ。
月明かりの下、集落の人間は相変わらず一ヶ所に留まり自分たちの方を見ていた。リオンもそこにいて『結界』を解いていない。
そして真士もまた、
「――真士。剣、もうしまっていいんじゃないのか?」
自分は真士に駆け寄った時点ですでに剣を『石』の形に戻している。今はそれをベルトの隙間に忍ばせている。
だが、真士の左手は相変わらず銀の剣を握ったままなのだ。
「……お前、何も分かっていないだろ」
弱々しい声ながらも、真士はそんなことを言ってのけてくれた。
哲平には、真士が何を言いたいのか、分からない。
「……何で、この町の人間が、こうも『魔』に狙われると思ってるんだ? 何で、たやすく体内に『魔』を入れてしまうと思ってるんだ……?」
――それが起こる原因として考えられることは、『魔』を自ら受け入れようとしたからか、それとも、もうすでに『魔』を受け入れてしまった物や人を受け入れているから――。
「……お、い?」
足を止めた。
あげていることすらつらそうな真士の顔を見る。
彼の口元が、微かに笑ったようだ。
「……おそらく、あいつは『魔』と契約を結んだんだ。そんで今、その契約の最後の約束が果たされようとしているんだよ。……裏切った? 誰が。誰もあいつを裏切ってなんかいねぇよ。ただ単に、あいつが『魔』の性格をちゃんと把握していなかっただけのこと。『魔』が人間と紳士に付き合うと思ったほうが、間違いって……言ってやってくんないか、哲平」
あいつとは誰なのか。
はっきりその名を聞かずとも分かった。
真士が話終えるのを待っていたかのように、哲平の耳に叫び声が届いたからだ。
その、彼の声が。
「ヤクソクガチガウ! ナゼウラギッタ!」
「――――」
最早、その声は半分人間のものではない。
体内の『魔』が彼の力を喰い始めているのだ。
彼に宿り、彼を信じる町の人々の心に隙を作り、そこに眷属を送り込んで思う存分喰わせ、自分も喰い、そして満足が一通りいった今、媒介にした彼自身を喰っている――総仕上げにかかっている。
「……だから、俺はあいつを許せねぇんだよ。あいつが何を思って、どうして『魔』と契約を結んだのか、そんな事情は知らない。けど、あいつは多分、『魔』の力を借りる代わりに、『精霊使い』であったはずの自分を信頼してくれる町の人間の力を、『魔』にくれてやったんだろ? 今まで死んだ奴がいないことからすると、殺さない程度なら喰ってもいいとか言ってさ。変な病気も結局、『魔』が知らない間に人間の中に入り込んで殺さない程度に力を喰っていただけのこと。……けどよ、『魔』がそんなことで満足するかよ。その裏に思惑があるって……何で分かんないんだよ。何で町の人間の命を危険にさらしてまで『魔』なんかと契約しようと思ったんだよ。なんで自分のことしか考えられなかったんだよ……っ!」
「真士」
真士は哲平の顔を見ない。
視線を固定したまま、彼は言い切るのだ。
「援護する。お前が『浄化』しろ。いいな」
「……分かってる。当たり前だろ」
「当たり前だよな」
「――リオン! そいつだけ『結界』から放り出してくれ。俺たちで排除する!」
地に蹲り人間の声ではないものを吐き続ける彼の周りから異変に気が付いた人々が去った。それを見計らい、リオンは『結界』を張りなおし、彼――ダルナだけを『結界』外に出すのだ。
哲平は真士をその場に座らせた。
もたれる場所すらないが、立っていてもらうよりかはましなはずだ。
「援護、期待しているからな」
「もちろん。お前一人の力だけであいつを『浄化』できるなんて、思ってもみねぇよ」
「くたばるなよ」
「だぁれが」
「じゃあ、これが正真正銘、最後っ!」
哲平は剣を再び手にしてダルナに突進していく。それと同時に真士は痛みを堪えながら、名を唱えるのだ。
「わが名はマコト! 我が名を刻印す『水の精霊』よ、わが声を聞け。その力を以て、わが意に従え!」
まだ哲平の存在に気付いていなかった『魔』を分厚い水が覆った。真士は自分の周りに『結界』を張っていない。その分の水も『魔』の動きを制するのだ。
「哲平、『炎』!」
真士の合図。哲平は足を止めることなく唱える。
「わが名はゾフィー! 我が名を刻印す『炎の精霊』よ、わが声を聞け。その力を以て、わが意に従え!」
水の上から今度は炎が覆いつくす。
『魔』は身を捩りもがき、まずは水を飛ばした。その次にやってくる炎。それも同様、弾き返そうとする。
「でぇやゃゃゃっ!」
哲平は剣を振りかざし、剣の腹をダルナの肩に叩きつけようとした。が、真正面から剣を手に哲平が来ているのを知ると、作戦をとっさにかえ、『魔』は炎を振り払うことを止めて風をぶつけてくるのだ。
「!」
「哲平っ!」
間一髪のところで哲平は左に跳んだ。右脇を風が抜けていく。
途端、右脇に鈍痛。
風がぶつかったわけじゃない。
四日前の完治していなかった傷がうずいたのだ。
「……っ!」
砂に足を取られ横滑りするところを堪えた。その間に『魔』は炎を弾く。
見開かれる両眼。身体を覆う光。全てが人間のものではない。
「真士!」
「分かってる!」
水が『魔』の足元の地中から吹き上げてきた。『魔』の足の裏をすくい上げ、彼を仰向けに倒す。
と同時に哲平が天に向かって跳んだ。上から左手を突き出して『魔』の真正面に炎を放つ。
「『炎』!」
火柱が『魔』を襲う。
『魔』はとっさに身を小さくし、その炎を受ける。
「哲平ナイス!」
哲平には聞こえないが、真士には『魔』の絶叫が聞こえたのだろう。
炎が効いているのだ。
哲平は地面におりると土を蹴りあげる。姿勢を低くし、なおも『魔』との距離を短くしようとする。
『魔』は身を焼いていた炎を吹き飛ばすと反動を付けて立ち上がった。
哲平はすでにその目前。
「もらったぁっ!」
確信があった。
手応えがあるものだと思った。
「『炎』!」
赤い火柱にぶつかってくるのは風。
「……なっ!?」
哲平は思い切り炎を放っていた。
だからこれで最後だと思っていた。
『魔』は先程の炎に焼かれ、力をいくらかは失ったはず。だから余裕だと思った。
なのに、風は勢いを増し、鋭利な凶器となって哲平の肌を切り裂く。その上炎をも押し返そうとする。
「哲平、避けろ! 焼かれる!」
背後で真士が叫んだ。
かといって、どこにどう避けろというのか。
自らの炎に焼かれるからといって炎を止めたらそれこそ風に切り刻まれてしまう。炎を放ちつつ避けようとしても風は追ってくるはずだ。
だったら、一体どうすれば……。
「真士ぉっ!?」
なんとかしろ、と言ってやろうとした。頭使うのはお前の役目だろう、と。
名を呼んだだけで真士にその意志は伝わったらしい。背後から指示が来る。
「とにかく堪えてろ!」
堪える!?
いつまで。
先が見えているならまだ堪え甲斐もあろうが、先が見えていないというのに堪えろなど無茶というものではないのか!? 第一、堪えろといわれても限度というものがある。現にもう風の壁が目の前までやってきているのだ。弾かれた火の粉が顔に降り掛かってきているのだ。
「まぁことぉっ」
その時、再び地中から水が吹き上げた。
その水は、炎と風を相殺してしまうほどのもの。炎と風を上に弾いてしまうほどのもの。
「哲平、上だ!」
真士の合図と共に哲平は跳んだ。
視界には炎と水と風の渦。
だがそれは次第に水柱だけになる。その水柱の先端が方向をかえて『魔』を襲う。
「乗れ!」
宙で背を押された。
水だ。
それが哲平を『魔』に向かう水柱の上に導くのだ。
水に動きを封じられている『魔』。
「『炎』っ!」
特大級の火の塊を放った。
それは真士の水すらも弾き、『魔』の体を包みこむ。
《ギャャァァァッッ!!》
哲平にも聞こえた。その絶叫。
「本当に、ラストぉっ!」
水柱から飛び降りる。
炎に包まれるダルナ。
彼の心臓の所に哲平は剣の腹を押しあてる。
炎は熱くない。
「哲平!」
「『浄化』ぁっ!!」
《――――!!》
ダルナが妖しい光を宿す両眼で顔を覗き込んだ。
両腕が哲平の両肩をつかんだ。皮膚を焼いた。
口は大きく開かれていたが、そこから声が漏れることもない。
唇が動いても、言葉は決して発されない。
彼は、体に纏った炎と淡く濁った光を散らし、哲平の体にすがるようにしながらゆっくりと地に崩れ落ちていく。
――力なく横たわる音だけが、夜の静寂の中、虚しく響いた――。
* * * * *
「…………」
リオンは、無言のまま『結界』を解いた。
哲平は、しばしダルナを見下ろしたあと、やはり何も言わず踵を返した。
二人は真士のもとに足を進める。
「――――」
人々は、口を開かず、ただ、彼を見つめた。
彼に寄ろうとする者は誰一人としていなかった。
老人も子供も、男も女も、声なく視線だけを向けた。
表情すら、動かしはしない。
その場を淡く照らしだす月光の下、たった一人、長老だけが、ゆるりと言葉を紡ぐのだ。
「――誓いを、破ったか……。お前はなぜ、それほどまでに力が欲しかったのだ……?」
月だけが、人々に語りかける。