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「哲平――来た」
寝床について、半刻ほどが過ぎた頃だった。
今日の朝早くリオンはドゥゼに向かって出立したが、その弟子二人はやはり一日特にすることがなく、夜横になっても眠気を感じず逆に頭は冴えていくばかりだったために、真士はその異変に気が付いた。
飛び起き、開け放たれていた窓から身を乗り出した。
今真士と哲平がいる部屋は二階である。真士の頭上では半分の月が煌々と照っている。
「どのくらいか、分かるか?」
隣に哲平が並んだ。彼も床に就いてはいたが寝てはいなかったのだろう。はっきりとした口調で尋ねてくる。
「いや。感じるだけだ。けど、今までの様子からいって……それなりに、だろうな」
「それなりに……多くて強いって?」
「――やばい。もう襲ってる!」
先に『魔』を感じ取った真士よりも哲平の方が早く動いた。彼は真士が言い終わるのを待たずに部屋を飛び出していく。階段を駆け下りていく。
「哲平!」
真士もすかさず後に続いた。
急な階段を下り、そのまま外に出ようとする――が。
「!?」
だんっという音と共に足元に転がってくるものがあった。蹴躓く前に足を止めた。ものが何かを認識すると、思わず声を上げてしまう。
「哲平!?」
彼が淡い濁った光を纏い床の上で蹲っていた。多分、家を飛び出したところで『魔』に激突したのだろう。
真士は胸のペンダントを引き千切る。左手に銀の剣を具現させると哲平に取りついている光に添わせ、
「『浄化』!」
一瞬にして『魔』は消し去られた。
哲平が暗闇の中体勢をたてなおそうとする。
「出た途端に『魔』がいやがったっ」
苦しそうに言いながら彼は徐々に体を起こした。しかし、視線は外に向けている。
「『結界』ぐらい張っていけよ」
「んな余裕がどこにあるんだよ」
「頭悪すぎだろ?」
「うっせーな。それよりよ、真士。もしかしてリオンはこんなことになるって分かっていて、俺たちをここに置いていったのか?」
哲平の抱いた疑問に真士は一瞬言葉をなくした。
何か思惑がある……薄々感付いていたことだ。だが、この状況を全て見越して自分たちを置いていったとなると……自分たちだけにしたとなると……。
「試験、だろ?」
『司』になるための。
この旅の目的の。
「最終ってわけか?」
「多分な」
「――だったら、やることは一つ、だな」
哲平は真士を振り返らない。
真士ももう、哲平の後頭部を見ない。
二人は唱える。『精霊』を呼ぶ。『結界』をはる。
「よし、行くぜ!」
月明かりの下に飛び出していった。
『魔』の衝撃はない。
けれど、哲平にも感じ取ることが出来るほどの『魔』がいた。この集落の中に、それほどの『魔』がいた。
どこかで人間が絶叫している。
声がする。人々の声。
聞き知った声さえも闇に響いている。
二人の目には、淡く濁った光が――『魔』が映らない。
だから二人は耳を澄ました。音を聞こうとした。
「――ダルナ――」
「――ダルナ――」
人々が口々に唱える名はそれ。
この集落の高名な『精霊使い』に助けを求めている。誰もが彼に救ってもらおうとしている。
現状二人に分かるのはそれだけで、それだけで充分であった。
「あの男のいるところだ」
ダルナの家は集落の中央に位置していた。真士と哲平は集落の中央に向かって駆けだした。
途中、『魔』が現われたことに気付いた人間を何人か見かけたが、やはりどれも同じ方向に足は向いていた。人々は身近に他の『精霊使い』が存在することなど全く眼中にないぐらいに一目散にダルナだけに助けを求めるのだ。
「なんか悔しい状況でもあるな」
哲平がぼそりと呟いた。その気持ちは真士にしても同じだ。けれど、そんなことを口にしていてもしかたない。必要なのは結果。それでやっと信頼もついてくるというものだ。
「……それに、あの男だってどれほどの力があるかは知らないが、腐っても『精霊使い』なんだろ? 『結界』張ってみんなを守るぐらいできるだろ?」
「つまり、完全に守備にまわして手出しさせないって?」
「予想外にもあいつが強かったら話は別だがな」
「予想外なら、だな」
一つの光が二人の目についた。
濁った淡い光。
昼間なら黒い霧として目に見えるそれが、二人の前を走っていた人間を包みこんだ。
すっと中に入り込み、光は薄い膜となってその人を形どる。
「俺、先な」
哲平が跳んだ。目の前の『魔』の傍らで着地し、間髪入れずすでに空中で右手にあった剣をその人の胸に押し当て、
「『浄化』!」
光は消えていく。人はその場に力なく倒れこむ。
「このぐらいならすぐに意識も戻るだろう」
そう少し離れたところで呟く真士の背後からは、違う『魔』が迫っていた。
身を翻し、真士はそのまだ霧の状態の『魔』をかわした。『魔』の横に出ると足元を確保していない状態にもかかわらず剣を光の中心向かって振り降ろす。
「『浄化』!」
剣が光を突き抜けると共にそれは音もなく失せていた。
「強い『魔』ばかりってわけでもなさそうだな」
「むこうも総攻撃ってか?」
その哲平の推理を裏付けするかのように、また『魔』は現われた。それはもうすでに人間に取りついている。
「真士、あっちもだ」
哲平が左手を指差していた。
同じように人間にすでに取り付いた『魔』。
『魔』は両方ともゆらゆらと歩いていた。向かう場所は、集落の中心。
「とりあえず、食い止めるぞ」
さっとわかれ、真士は『魔』の正面に出る。『魔』はすぐに攻撃を仕掛けてこないが、剣を構え真士が戦いの意志を見せるとその表情をかえた。
口を大きく開き、本来あるはずのない上下四本の牙と、両手の鋭く長い爪を光らせ身を低くする。
「――!」
たっと『魔』は飛び上がっていた。真士が反応する暇もなく、頭上を飛び越えるのだ。
「!?」
振り返る。『魔』の背中。
進行方向をかえることなく『魔』は駆けていく。
「哲平!」
横にいた哲平に声をかけた。哲平の注意が真士に向いた瞬間に、やはり彼が相手をしていた『魔』も駆け出していく。
二人は『魔』を追った。途中、霧状の『魔』も合流してきた。すぐ傍にくる霧状の『魔』を手早く『浄化』しつつも大半は無視をして二人も遅れないように走っていく。
集落の中心の広場には集落の人間がほぼ全員いた。しかし、彼らは一ヶ所にたまっているわけでなく、その辺りを必死になって走り回っていた。
淡い濁った光が彼らの目に映るとは思えない。ただ、恐怖のみを感じて逃げ回るのだろう。
真士と哲平は広場の中心に辿り着くよりも早く先ほど逃がした『魔』をそれぞれとらえていた。
剣を構え、『魔』の機敏な動きに対処しながら二人は逃げ惑う人々の中に視線を走らせていた。
求める姿はただ一つ。
ダルナという『精霊使い』、だ。
「――ダルナ――!」
「――ダルナ――!」
「――ダルナ――!」
「――ダルナ――!」
人々はその名を口にする。なのに、彼の姿はとらえられない。二人は必死になって視線を走らせた。すぐに見つかるはずだった。彼が『精霊使い』で人々が彼に助けを求めている以上、なんらかのリアクションがあるはずだから。
なのに、大きな動きは、――いや、『精霊』の微かな動きすら感じ取れないのだ。
「……っ」
真士の目の前から『魔』が迫ってきていた。長く鋭い爪は真士の首筋を狙っていた。その右手を剣で払い除け、真士は後ろに宙返りする。地に降り立つと同時に低い姿勢を保ったまま飛び出した。剣を突出し右太ももを切り付ける。
赤い鮮血が飛び散った。これは『魔』にとらえられた人間のもの。だから真士は人の急所を狙えない。足を軽く傷つけ、その動きを制限するのが精一杯だ。
しかし案の定、その傷により『魔』の動きは鈍くなった。再び鋭い爪を真士に向けるが、足が動いていないのでたやすくそれはかわすことが出来る。
真士は持ち前のスピードを生かし、背後に回り込んだ。剣の腹を『魔』の背中の心臓の部分に強く押し当てる。
「『浄化』!」
その人の体が地面に落ちた。右太ももからは血が流れ出ている。それを止めようと、真士も血に膝をつく。腕の保護のために巻かれていた布を取り、その人の右太ももに巻き付けようとした。
「――『魔』よ、去るがいい!」
その時にそんな声がやっと真士の耳に入ってきた。視線を走らせると、いた。
広場の中心にその男が、ダルナが。
しかし、様子がおかしかった。ダルナの声はこれほど響いたが、『魔』の勢いは留まるところを知らず、人々も逃げることをやめず、それに何よりダルナ自身、震えている……?
「『魔』よ、去れ! 去れといっているのがわからないのか!?」
声が震えていた。この前聞いたものとは比べものにならないほどにその声は張りを失っていた。自信というものを全く欠いていた。
ずっと、ダルナはその場で『魔』に叫んでいたのだろう。いつものとおりに『魔』に対していたのだろう。なのに、『魔』がいつもと違った。全くダルナの声に反応しない。
「――きゃゃあああっ!」
女の絶叫が響いた。目を向ける。彼女の目の前では、一人少年が横たわっている。
「ねえっ、目を開けてぇぇっ!」
死んだ……のか?
とうとう犠牲者が、出たというのか……?
「『魔』よ! どうして私の声を聞かない!? もういい! 去ってくれ! 戻ってくれ! これ以上、みんなを苦しませないでくれ!」
何を言っているのか。
真士には理解が出来ない。
なぜ『精霊』を使って戦うではなく、それほどまでにダルナは『魔』に語りかけるのか。なぜそれほどまでに『魔』に声が届くと信じているのか。
「……『魔』に、声が届く……?」
疑心、疑問。
不意の、一致。
合点が、いった?
なぞが、解けた?
からくりが、見えた……?
「真士、あいつ様子が変だ」
対していた『魔』を『浄化』した哲平がそう言った。
様子が、変。
「『魔』よ! 俺の声を聞いてくれ! もう、これ以上苦しませないでくれっ! もう、やめてくれ……っ!」
失意のためにダルナの膝が折れる。地に両手を付く。蹲り、それでもなお、彼は叫ぶ。
「約束が、違うじゃないかっ……!?」
――からくりが、見えた。