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深遠に在る呟き  作者: 望月あさら
■ 1 ■
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1-1

 夏。

 太陽が頭上でこれでもかときらめき、セミが木でここぞとばかりわめいている。

 夏。

 肌を熱くする空気。じっとしていても汗はじんわりと浮かんでくる。

 夏。

 開放的な気分を人々にもたらす。何かをせねばと思わせる。

 夏。

 冷たいものが恋しくなる。水に身を沈めたい衝動にかられる。

 夏。

 そう、夏。

 そんな気候の中、涼しげな音が広がる場所がある。

 数日前、夏期長期休暇に入ったばかりの柴岡中学校内の屋外プール。そこでは同中学の水泳部が活動を行なっていた。

 今は自主練習の時間。総勢十五名ほどの水泳部員が順々にプールに入っていく。

 ざんっ、という音と共に水しぶきが上がる。コンクリートのプールサイドに水滴が落ち、斑模様を描きだす。が、強烈な日差しのためにその模様はすぐに蒸発してしまう。

 だから、水の中から上がりたくなどない。プールサイドは日に焼け、とてつもない温度になっているのだ。

 そんな所に誰が好き好んで足を付けようか。

「…………」

 恨めしそうに彼はプールの中からプールサイドを見てやっていた。

 彼はたった今、五十メートルをクロールで泳ぎ切ったばかりだった。

 第二のコース。

 二十五メートルプールのために、自分の次に第二コースで泳ぐ人間は自分の頭上にいる。

「野村。さっさと上がらないか。次がつかえているんだぞ」

 顔にかかる水しぶきを払って上を見上げた。

 照りつける日差しの為に目の前がちかちかしているが、それが誰なのか、何となく分かった。

 学年が一つ上の男子部員だ。

 得意種目はクロールと公言してはばからないが、実際は自分よりは遅いという奴。

 あまり好きな奴ではない。

「俺、壁に張りついていますから、飛びこんじゃっていいですよ」

 腐ってもセンパイ。

 敬意も何もありはしないが、とりあえず丁寧語。無用ないざこざは出来るだけ避けたい。

「馬鹿言うな。危ないだろ。さっさと上がれ」

 馬鹿を言ったつもりは毛頭ないが、自分がどれだけ身の安全を述べたところで、この人は聴く耳持たないんだろうなあと思う。

「仕方ない。上がるか」

 本人向かって聞こえていてもかまいはしなかった。それを耳にして苛立つなら、ただ一言、「ガキ」、と自分は言ってやるだけだし。

 水中で反動をつけ、よいしょと上がる。途端、そのセンパイは水の中に飛び込んでいた。一体何が危なくて何が危なくないのか。

「……三コース、空いてるじゃん」

 ちらり、と見てやるのはすぐ隣のコース。先程までここで泳ぐ人間がいたはずだが……ああ、いた。プールサイドで休んでいる。

 と、いうことは。

「ラッキー」

 ざんっ。

 すぐさま、彼はその身を宙に踊らせていた。しばらくは水中でそのたゆたう流れに身を任せ、体が浮いてくるとのんびりとクロールを始める。

 大して力は入れていないが、すいすいと体は水面を行く。二十五メートルなんてあっという間だ。

 百ぐらい、いくか。

 この際だから。

 のんびりゆったり、思うがままに。

「おー、いいねぇ。プールだ、プール。気持ちよさそー。あ、おねーさん、こんちはー」

 突然、上から何か変な声が聞こえてきたような気がした。五十メートルのところでクイックターンをしながら考える。

 気のせいか?

「今日はもうこれ以上ないってほどのプール日和だよねー。おねーさん達、ここの中学の人? これ、水泳部だったりするー?」

 間延びした声。泳いでいる最中のためよく聞きとれはしないが、男だ。そう年も変わらない。変声期は過ぎているのだろうが、まだ幼い。

「うわぉ。おねーさん美人だねぇ。あ、こっちのおねぇさんもかっわいいー。えー、柴岡中の水泳部って粒揃いじゃん。いいなー。俺、毎日通っちゃおうかなー」

 七十五メートルを過ぎる。

 まわりが少し騒めき始めたことを知る。

 顧問の教師が現われたのだ。自分の頭上の空気が少し張り詰めたようだ。

「おい、お前。うちの中学の奴か? 何をやってるんだ。覗き込んじゃ駄目じゃないか」

 教師の太い声。それが聞こえてくると、その教師のくどい顔と大きなお腹を思い出す。

 やはりあまり好きではない。

 百を泳ぎ切って、底に足をつけ立ち上がった。顔の水を手で払い除ける。

 すると、真上から声。今度は女のものだ。

「野村くん、どうして三コースで泳いでいるの? 野村くんは二コースでしょ? それに百も泳いで。みんな順番待っているんだからね」

 言葉はそれほどきつくないが、眼が明らかに好戦的だ。

 休んでいたのはどこのどいつだ、とも思うが、口に出す気にはなれない。

 ああ。全く、うっとうしい。

「あ、せんせーですか? こんちはー。俺、下原(しもはら)哲平っていいます。中二です。でもここのガッコじゃないんであしからず。どこかって言うと、何か学校から呼び出しかかりそうだからやめときますねー」

 声のするほうに目を向けると、二メートルはあろうという、プールと公道を仕切るコンクリートの塀の上から上半身をのぞかせている男がいた。

 自転車でも踏み台にしているのだろう。そんなことはすぐに分かる。

 そしてそんな輩は、絶えることない笑顔でもって、苛立ちを顕にする教師に話し続けるのだ。

「これ、水泳部ですよね。授業の補習じゃないですよね。あのですね、俺、この水泳部の約一名に用事があってきてるんですけどね、」

 馬鹿な奴だ、思う。

 奴はあまりにも目立ちすぎる。その気になれば、奴の中学などすぐに分かるというのに。

 それは、その髪の色のせい。少しくすんだ、濃いブロンド。

 誰だって目がひかれるその色。

 しかも顔がそれに似合っていて、口さえ開かなければかなりイイ男なのだから。

「本当のバカだな」

 呟いて、プールから出た。

 すぐ脇には、さっき自分に文句を言った女子部員がいる。

 彼女は、一言もないのか、という表情で自分を見ている。しかし、一瞥するだけでわざわざ何も言いはしない。

 プールサイドに足をつけ、一歩目を踏み出すと同時にうっとうしいゴムの水泳帽を頭か退かした。見事なまでに脱色された金色の髪が現われる。

「今日来ているはずなんですけど。二年の野村真士(まこと)っていう、手のつけれない性悪猫、いますよねぇ?」

「何の用だよ、哲平」

 近くまで寄る途中に声をかけた。

 すぐそこでは、教師が真士を恨めしそうな目で見、今にも何かを言いだしそうだが、完全に無視する。

「いやーん、真士ちゃん。いるならいるって言ってほしーよねー。ま、おかげで俺もおねーさん達と仲良くなれたけどー」

「ナンパならほかでやれ。それより、なんで俺が性悪猫なんだ?」

「だって真士って、犬って感じじゃないしさー」

「手の付けられない性悪かよ」

「思いどおりに動く性善、ではないと思うけど?」

「……で、用は? 緊急招集でもかかったのか?」

「んー、近いものはあるね。さっき律子さんから電話あってさ、新しいゲームを入手したからやりにこないかって。どお? 行かない? ほら、ずっと律子さんがやりたがってた格闘技ゲームだってー」

「…………」

 セミの声が耳につく。

 足の裏もそろそろ限界だ。

「……先生」

 どうせ教師の出現で自主練はここで終わる。まわりとはいつも以上にうまくいかない。いいかげん色々と考えるのも、うっとうしい。

 そして野村真士は、ちらりともその水泳部顧問に視線を向ける事無く、ただきっぱりと告げるのだ。

「俺、早退します」


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