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深遠に在る呟き  作者: 望月あさら
■ 3 ■
26/42

3-9

 夜風が心地よかった。

 トーディ島の夏は湿気が多く過ごしにくい。湿気の多さは陽が落ち夜になってもあまり変わりはしない。

 だが、今夜は心地よかった。

 風があるのだ。

 弱すぎず強すぎず、そよいでいる。

 星は高く、半月はこうこうと下界を照らし出している。

 心地のよい、夜。

 こんな夜に何をするでもなく家の中にいるのはもったいなかった。外に目を向けるたびに居心地が悪くなっていった。

 だから、ダルナは外に出た。

 ゆっくりと足を運び、集落の中をまわった。

 そして今、彼は立ち止まり、地を見つめている。

 夜風が心地よかった。

 ダルナをやさしく包み、なでていった。

 足元の雑草の頭の上をもまた、通り過ぎていく。

「…………」

 地を見つめた。

 そこはダルナに分け与えられている土地だった。

 芋をそだてている畑。

 ダルナの生活はこの畑に左右されていた。日々畑の状態を気に掛け、そのたびに一喜一憂し、全てのことは畑につながった。

 一日中畑にいる日も少なくなかった。天気のいい日に何をするでもなくこの畑の中にいることが好きだった。

 今の季節、畑は鮮やかな緑に覆われる。

 陽射しは強く、緑は目に眩しく映る。

 そんな畑の脇にある大木の下で、ダルナはよく、一人佇んでいた。

 そう。ちょうど一年前も。



 ――ダルナぁ。風吹かして。ねぇ、風――。



 一人佇んでいた所に来たのは集落の子供たちだった。暑さにも負けず集落中を飛び回っていた子達が、ダルナを見付けると『精霊』による風を吹かせてほしいと言ってきたのだ。

 五人ほど来ただろうか。その子たち全員が目を輝かせ、期待に胸を躍らせ、ダルナを無邪気に見上げていた。



 ――分かった。でもこれっきりだぞ――。



 いつもダルナはそう言っていた。

 そう言いながら『精霊』を呼び、そよ風を子供たちの顔の辺りに吹かせてやった。すると子供たちは声を上げて喜んだ。そしてそのあとしばらくダルナの周りを飛び回った。

 昨年のその時にはそんな所に女が一人、やってきた。同じ集落の若い女性。昨夜生んだ子を抱いて、まだ思うように動かない体でダルナの元にやってきた。



 ――ダルナ。この子に『精霊』の祝福を与えてあげて――。



 最初にダルナが赤子に『精霊』の祝福を与えたのは十年近くも前のことだった。隣の家に住んでいた人の所に子供が生まれ、その子を初めて見にいった時、赤子の母親が『精霊』にも祝福してもらいたいと言い出したのだ。

 最初は戸惑った。『精霊』の祝福といって自分がどうすればいいのか分からなかったから。それに何より、自分のような一介の『精霊使い』にそんなことをする資格があるのか分からなかったから。

 しかし、困惑を顕にするダルナに彼女は言った。気休めでいい、と。

 ダルナは彼女の両親が『魔』に殺されたことを知っていた。ダルナも彼女自身も『魔』に遭遇したことはなかったが、ダルナより彼女の方が『魔』に脅えているのは明らかだった。

 ダルナは赤子に祝福を与えた。

 いつか大きな町に寄った時に見た光景を真似した。その時は偉い宗教者が信者に祝福を与えていた。それを思い出していた。

 それからだ。ダルナの元に『精霊』の祝福を得ようとして人が集まりだしたのは。わざわざ違う町や村からやってくる人もいた。

 最初に感じた強烈な戸惑いは次第になくなっていった。いい加減な祝福であっても、与えれば人々はとても安らいだ顔を見せてくれたから。笑顔を惜しみなく自分に向けてくれたから。

 それが何より嬉しかったのだ。



 ――いいか、ダルナ。力に頼ってはいけない。『精霊』に頼ってはいけない――。



 その頃、自分の親代わりの長老にそんなことを言われた。

 ダルナは幼い頃に両親を病気で亡くしていた。母が父の跡を追う様にして死んだときのことを覚えている。ダルナは長老が泣き声に気付いて訪れるまで一人、真っ暗闇の部屋の中でただ泣き叫んだのだ。それが一番昔の記憶であり、その時から長老がダルナの親となった。

 長老は優しかった。ダルナに限らず誰に対しても優しかった。だが同時に厳しい面も兼ね備えていた。親代わりとして、時折ダルナに厳しい言葉を与えた。

 この時も、言葉はやわらかかったが、口調が強く厳しかった。長老はダルナに有無を言わせなかった。



 ――誓うといい。力に、『精霊』に頼った生き方は決してしないと――。



 ――分かりました。誓います。『精霊』に誓いをたてます。決して『精霊』の力に固執しないと――。



 決して力に固執しない、と。

「…………」

 夜風が少し強く吹き過ぎていった。

 足元で雑草が揺れる。

 身を屈め、その草を抜き取った。

 すぐ隣にも草。その隣にもその隣にも。暗闇の中目を懲らすともっと見える。たくさんの雑草。畑であるならばあってはならないほどの、雑草。

「…………」

 隣の草に手をのばす。

 指先に力をいれ、それをからめ取る。

「――――」

 火の、匂い。



 ――助けて――。



 炎の、匂い。

「ああ、ダルナさん。こんな所でどうしました?」

 振り返った。上を見た。深紅の光。

「松明――」

 松明を手に、『司』が立っていた。

 口にしてやっと状況が見えた。自分の両眼に力がこもっていたこと、心臓が高鳴ったこと、松明を見て肩の力が抜けていったこと、そんな自分を『司』が見下ろしているということ。

 立ち上がった。それでもまだ『司』の目線の方が高かった。

 ダルナは体付きでもこの『司』に負けていた。決してダルナの体は貧弱な方ではない。この『司』の体格が良すぎるのだ。絞り込まれ鍛えぬかれた体だと服の上からでも知ることが出来る。

「松明……ですか? これは長老の家を出るときに長が渡してくれたものですが……それが何か?」

 松明の明かりのせいで『司』の顔には深い影が落ちていた。それでも彼が自分を不思議そうな目の光で見ているということが分かった。

 ダルナは平静を装う。

「火の匂いに敏感なだけです。まさか後ろに人がいるとは思ってもみませんでしたから」

「ああ、驚かせてしまって済みません。こっそり忍び寄ったつもりはないのですが。それにしてもこの畑はひどいですね。雑草だらけじゃないですか」

 そう言って『司』は松明をかかげた。光はより一層遠くまで届く。

「『魔』が現われたとの連絡を受けたらそこにとんでいってしまうので、なかなかこまめに世話ができないでいるんです」

「あ、ここダルナさんの畑だったんですか? 申し訳ないです。えっと……」

「別に構いませんよ。我ながらひどい有様だと思いますし」

 本当にひどい有様だと思う。自分の本業をまともにこなせないなんて。

「しかし、畑の手入れの時間を取られてしまうほどに『魔』は現われているということなんですね?」

「そうですね、回数としてはそれほどではないと思いますが、一度現われると同じ所にもう一度現われることが多いもので、だから、すぐに自分が出向けるところだったらいいのですが、そうでなく少し離れたところだったらそのまま数日そこに留まるようにしているんです。私には完全に『魔』を消し去れるほどの力がないので」

「完全に消し去ることが出来なくても、『魔』の脅威となることは出来るんですね」

「…………」

 『司』は自分の調子を崩さなかった。先ほど長老の家で会った時もそう思った。この『司』は口調も表情も崩しはしなかった。ずっと堅いわけではない。逆にやわらかいわけでもない。表面上はいくらでも変化する。だが、心の奥底では全てを見据え見透かそうとしているようなのだ。全ての動作が計算された上でなされているようにダルナには思えて仕方ないのだ。

「いつ『精霊』とは契約を結んだのですか?」

 『司』が隣で尋ねてきた。

 ダルナは畑に視線を向けたまま答える。

「はっきりとは覚えていません。物心ついた頃には『精霊』がすぐ側にいたので、みんなの周りにも『精霊』がいて自分の言葉に応じて動いてくれるものだとずっと思っていたのです。その状態が特別なものだと気付いたのは十数年前のことです」

「契約している『精霊』は何ですか?」

「風です」

 それが何か? と尋ね返そうかとも思った。だがそれは思い止まる。その代わり、違う質問をぶつけてみることにする。

「『司』殿が『精霊』と契約を結んだのはいつなのですか? やはり、何か切っかけがあったのですか?」

 自分の周りに『精霊使い』は他にはいない。そのため『精霊使い』が本来どのようなものであるのかを知る手段をダルナは今まで持ち合わせていなかった。

「俺ですか? 俺の場合は……そう、孤児でしてね」

「――孤児?」

「ええ。どういう経緯があったのかは知りませんが、産まれて間もない頃に『土の大陸』の……えっと、なんていうところだったかな? まあ、孤児院に預けられたらしいんですよ。でも、俺の場合も幼い頃から『精霊使い』の力が見つかっていましてね、五歳になると同時に学校に……あ、『土の大陸』の王宮って知ってます? そこには『精霊使い』や『浄化者』を育てる学校という教育機関があるんですけど、そこに預けられましてね。まあ、体のいい厄介払いですよ。王宮の学校は、『精霊使い』と『浄化者』には広く門戸を開けています。預かっていた孤児がどちらかの力を持ち合わせているとなれば、少しでも負担を減らすためにどの孤児院でも同じようなことをするようです。子供してみれば、たまったもんじゃない話ですけどね」

「『司』に孤児は多いんですか?」

「そうですね。孤児の多い学校出身者から『司』になる例が一番多いわけですから、割合は当然多くなってしまいますね」

 もちろん親兄弟親戚健在という『司』もいるんですけど、と彼は続けていた。さらりとその言葉を言いのけていた。

 孤児というものは決して少なくない。この集落にも幼い頃に両親を亡くした者がダルナをはじめ何人もいる。しかしこの集落には慈悲深い長老がいた。また、集落中が温かかった。だからみんな幸せであった。ダルナも幸せを充分に噛み締めて暮らすことが出来ていた。

 それはこの集落だから可能なのだとダルナは思っていた。港に出たときなどみずぼらしい風貌のかわいそうな子供を何人も見かけたから。そんな子供の話をいくつも聞いたから。

 けれど、違うのか? ……いや、そうではなく、王宮というところでも幸せに暮らしていけるのか? あっさりと自分は孤児だと口にし、それに対して何の負い目を感じることもなく生きていくことが出来るのか?

 その上……『精霊使い』? 『浄化者』? 『司』……?

 誰からも認められる存在。その肩書きだけで人々の信頼を得ることの出来る存在。

 特別な人達――『司』。

 風が強く吹いた。

 火の匂いがダルナの鼻をくすぐっていった。

 視線を松明にながす。その明るさに両眼を細める。

 その向こうに、『司』がいる。

「――じゃあ、ダルナさん。俺はもうそろそろ休ませてもらいます。そういえば済みません、草抜きを邪魔してしまって」

 言い置いて『司』は去っていこうと足を動かした。

 土の擦れる音がする。

「ああ、それと」

 彼が振り返る。

 深紅の炎の向こう側、両眼がダルナの視線にぶつかる。

「集落の人達と、それに何より長老のたっての願いということもあって、私たち三人、しばらくここに滞在することにしました。どうぞよろしくお願いします、ダルナさん」

 彼の目が笑っているように見えた。

 彼の言葉に対する自分の反応を楽しんでいるかのように思われた。

 ダルナの心が震撼した。

 一人の男の背中にダルナはしっかりと見たのだ。威厳と、自信と、絶対的な力――。

 松明の炎は徐々に小さくなり、いつの間にかダルナの視界から消え去っていた。


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