3-4
「まあ、それが妥当な線かな」
「――あなた、私のこと信用してないわけ? ひどいわよねえ。先に偵察行けって言ったの、リオンでしょう?」
「だが、決定的な要素はない」
「たかが三日でどーしろと言うの。私、やることはやっているわよ。ちゃんとこうやって推測もしてあげているじゃない」
「だから俺だってそれに疑問を挟む気は全くないんだが?」
「……やな性格ねぇ」
「誰に培われたものだか」
「……私だって、言いたいわけね?」
所は宿のリオンの部屋。
時は哲平が「金をくれ」と部屋に殴込をかけてきてから半刻ほどが過ぎた頃。
リオンと先ほど不意に部屋にやってきたフィルは、この部屋の中唯一の調度品である木のベッドの上に並んで腰掛け、お互い呆れた顔をしていた。
真士と哲平の部屋と同じく、この集落の主要な道に面している窓からは、朝のすがすがしい光がさんさんと注ぎ込み、部屋を明るく満たしている。今日はとても気持ちのいい日だ。そんなことはすぐにリオンもフィルも感じ取ることが出来ていた。なのに、朝っぱらからなぜこんな話をしなければらならいのか。その辺りに釈然としないものを感じているのである。
今となってはどちらが先にこの話を持ち出したのか分からない。自ずと話題は仕事のことになっていた。
確か、フィルがなぜこの部屋にきたのかといえば、市でおいしそうな食物をたくさん見付け、あれもこれもと買っているうちに一人では到底食べきれないような量に膨れあがってしまい、何ならリオンと一緒に食べればいいか、という結論に達し実行に移したから、だったはずなのだが。
とりあえず、たった今リオンは、フィルが先にトーディ島に来て知った事実や集めた話などを聞いた。第一感想は「思ったとおり」である。昨晩リオンが食事屋で聞いた話から推測したことと、フィルが三日間この町で聞き知ったことから推測したことに大した差異はなかった。
やはりそれが真実、と言ったところか。
「……何でそうなったか、動機は分からんけどなあ……」
宙に視線を漂わせ、リオンは一人ぼんやりと呟いてみる。
隣ではフィルがひらひらのスカートをばたばたと両手ではためかせ、足に風を送っている。
「ただね、一つ気になったことはね、この町の人間みんながすっごく楽観しているってことかな」
「……楽観ねぇ……」
リオンはもう一度呟いてみた。それも薄々ながらフィル同様気が付いていたことだ。
「だってさ、あいつら、そんなに力弱いわけじゃなかったじゃない。そりゃあ、滅法強いってわけでもなかったけど、普通の人間が何の恐怖もなく生きていく相手っていうのには、力ありすぎなのよね。もうちょっと警戒強めても、、って思うのよね」
『魔』はむやみやたらに人間を襲い喰うわけではない。『魔』と人間にも相性というものがある。『魔』は人間の内部に入り力を喰うのであるが、『魔』と人間の波長が合わなければ、なかなか入り込むことも出来ないのだ。しかし、例外もある。例外の一つはその人間自ら『魔』を受け入れようとした場合。もう一つは、もうすでに『魔』を受け入れてしまった人や物に心を許している場合だ。また、『魔』自体に対する警戒心が弱い場合、『魔』はその人間の中に強引に入り込もうとすることがある。
だから普通、『魔』の脅威を与えられている者達は、もっと『魔』に対する警戒心が強くなっているはずなのだが、この町の人間たちからは、その警戒心があまり感じられないとリオンもフィルも思っているのだ。
「まあ、もうここまできてしまったら、口で言ってもどうしようもないんだろうな……」
それがリオンの結論である。
「『司』からのお言葉だとしても?」
フィルが隣でかすかに首を傾げてみせていた。まさか本気で言っているわけではないのだろうが、リオンは性格上、真面目くさって応えてしまう。
「俺たちに与えられた任務だったら、その手もありなんだろうけど」
「あの子たちがそういう手を思いついたら、どうするの?」
彼女の顔を見た。
その茶色の大きな目は自分を見ていないが完全にからかっているのだと雰囲気で分かった。だからリオンはきっぱり言ってやるのだ。
「張り倒してやる」
「……可愛がりなさいよね」
「……冗談……」
沈黙が二人の間に流れた。
リオンは窓から覗ける真白の雲を見、フィルは天井を仰いで口を閉ざしている。
そんな時に、かすかなざわめきは聞こえてくるのだ。二人はそれに気付きながら、しばらくは全く動かない。視線の先をそれぞれ固定したまま、沈黙に身を任せている。
「『魔』が現われたぞ!」
そのざわめきの内容はそのようなものだった。はっきりと言葉が耳に入ってきた。窓の下の雰囲気も徐々に変わりつつあるようだ。
おもむろにリオンは立ち上がった。窓に近付き下を覗き込む。
「なんとちょうどいいことで」
『魔』の恐怖にあわてている女たちがいる。少しでも加勢しようと走っていく男達がいる。
「のんびりと相手の出方うかがって無下に時間を費やすよりは、さっさと片付いちゃいそうでいい前兆なんじゃないの? それより、もうそろそろ耳飾りちょうだいよ」
リオンは自分の右耳にあるリング状の銀色のピアスを手に取った。それをまだベッドから立とうとはしないフィルに渡す。フィルは受け取ると、右手の薬指にすっとそれを通した。
フィルの有する特殊能力、瞬間移動は、本人が目的地の正確な位置を知っている場合なら、どこへでも瞬時にして移動が出来るという能力である。しかし、正確な位置を知らない場所の場合、そしてある特定の人物の元へ移動しようとする場合に限っては、その相手がいつも身につけている金属を持つことで瞬間移動することが可能になるのだ。その金属が帯びた持ち主の波長をたどって持ち主の元まで飛ぶことが出来るようになるのである。
リオンが渡したピアスもそのための物。今からは全くの別行動を取るので、リオンがどこにいるのかフィルには分からなくなってしまうからだ。
「まあ、なんかあったら呼んでね」
呼んでくれるまで遊んでいるからね、とフィルは言った。リオンはやっと立ち上がった彼女を見る。
「ああ、分かっているさ」
応えるとフィルは笑った。と同時に消え去る。
それを見送ってリオンは部屋を出た。階段を下り太陽の下にその身をさらす。
目の前を走っていく人。その背をしばし見つめるが、結論はたやすく出されてしまう。
だから彼を案内として、リオンもまた走って行くのだ。