2-5
船が揺れようが揺れまいがふらついたであろう頭を無理におさえつけ、へりにしがみついて真士は立ち上がった。気持ち悪さにも、お得意の無視を決め込んだ。
利き手の左手には、哲平同様ペンダントが自分の波長に呼応し変容した、銀の剣。体の周りには『水の精霊』による『結界』。
「しゃらくせぇ……」
突然のように目の前で繰り広げられることとなった地獄絵図に向かって言葉を吐く。
数人の船員に、次々に『魔』が取りついていっていた。このままほうっておくと、取りつかれた人間は力という力を吸い取られてしまう。
こうなった以上、なすすべは、取りついた『魔』を完全に『浄化』してしまうか、『精霊』と戦わせて力を削ぎ追い払うかのどちらかしかない。
「しゃらくせえ……っ!」
もう一度口にすると同時に駆け出す。
足場が大きく揺れる中で立ち止まり『魔』を相手にするのは不利だ。だったら足場の不安定さを感じ取る暇もないぐらいに動き回ればいい。
まずは、一人。
もうその肉体に自分の意識というものも残っていないと思われる若い船員。じっと蹲る格好を取っていたが、真士が迫ってきていることに気が付いて体勢をたてなおした。途端彼の正面から襲ってくるのは、水の固まり。
「『水の精霊』!」
真士も叫ぶ。相手向かって突き出す右手からは、迫ってくる水の固まりを粉砕する、水の槍が飛び出す。
相殺。
それを見届ける事無く、真士は真っすぐに走るのだ。
また来る水の固まりは左手の剣で砕く。そして、飛び散った水滴の間をぬって、『魔』の目の前に出る!
見開かれる両眼と、狂気に満ちた唸り声。
「殺しゃしねぇよ」
どこかにあるであろう彼自身の意識に語りかけ、
「『水』!」
『魔』が迫り繰る真士の剣に意識を奪われた瞬間、『水の精霊』がその身を覆った。内部向かって攻撃を仕掛ける。彼の中から必死に追い出そうとする。
「!」
絶叫。『魔』が逃げ出した。色の薄くなった黒い霧が遊離していく。真士はその一瞬を見逃さない。デッキを蹴り、両手で剣を振り上げ、叫ぶ。
「『浄化』!」
銀の刀身がきらめき、黒い霧を両断した。
そうして、その『魔』は存在をなくすのだ。
「……重労働だな、マジに」
暑い。太陽は陰りというものを知らない。頭上から容赦なく陽射しは降り注いでいる。
全身を駆け巡る汗。とりあえず目にかかるものだけを拭い、真士はデッキの上に伏している船員を見る。今、『魔』から開放されたばかりだ。体力も喰われているだろう。当分目を覚まさないかもしれない。
「『水の精霊』。保護、頼んだぞ」
短く告げ、その場を立ち去ろうとした。それを呼び止めたのは、その『水の精霊』。
真士は耳を傾け、いらだたしく声を張り上げる。
「分かったから! できるかぎりでいいから! 俺もすぐに片付けて戻って来るから!」
今度こそその場を立ち去る。再び駆け出す。
走りだすと、状況が変化した。『魔』がやっと自分を脅威、と認識したようだ。『魔』の方も真士を排除しようと迫ってくる。
それを剣で薙ぎ払って進んだ。『魔』を掠めたとしても完全に『浄化』はなされていない。それでも真士は進む。
前方に行く手を遮るものがやっと現われた。
人。中に『魔』を宿した人。
目の輝きが常人とは違う。大きくあけられた口が常人とは違う。
狂っていると、分かる。
『魔』にほとんど力を喰われたのだと理解できる。
瀕死というやつだ。『魔』の意識が、喰うことでなく、自分を排除することに向いている間は死が進行することはないのであるが。
「やっかいだなぁ……」
その彼の状況を見て、知ってしまうこともある。こんな短時間で人間に取りつき、ここまで力を喰ったということは、それだけ『魔』自身に力があるということになるのだ。
先程のようにはいかないのだろう。
ならば、てっとり早くすませるにはどうするか。
「――――」
しかし、真士が色々と頭の中でシュミレーションだてている間に『魔』は迫ってきた。
四肢をデッキにつき、飛び上がる。真上から襲ってきた。大きく開かれる口。
「!」
上半身を後に倒し、身軽に真士は跳び退いた。自分も右手をデッキの上につくと、反動をつけ、今着地したばかりの『魔』に向かう。
「でぇぁーっ!」
剣を間近で振りおろす。それは寸でのところでかわされた。
あからさまに舌打ちをし体勢をたてなおすと同時に視線を走らせた。自分の攻撃を避けながらも、『魔』は次の手を打ってくる。
「!?」
迫ってきたのは火。
とっさに両腕で顔をかばった。『結界』が弾け飛ぶと同時に体も吹き飛ばされる。
「つっ……!」
背中からデッキに叩きつけられた。
一瞬青空が視界に入ってくる。
「なんで、火なんだよ」
予想外だった。
この『魔』は海の水を蹴ってここまで来たのだから、水と風を操るものばかりだと思っていたのに。
手強い。
その時、視界を遮るものがあった。青い空に影。
勢い良く横に転がる。
飛び上がり両足でデッキをとらえると、先程まで自分の寝転んでいたところが黒い炭になっているのに気が付いた。
冗談じゃない。船が火事になるという可能性まで出てきたというのか?
「うざってぇ……っ!」
右手を突き出した。水が彼の体を覆う。が、先程のようにはいかない。すぐに『精霊』は吹き飛ばされてしまう。
しかし、それも分かった上でのこと。だから、真士はすでに『魔』の頭上に飛び上がっているのだ。
「はぁ……っ!」
剣を振り降ろす。
硬質な感触。
生身であるはずの腕で防がれる。
真士は剣をその腕に振り降ろしたまま、宙で体を捻り『魔』の背後に回った。
そして、銀の剣の腹を心臓の位置につよく押しあて、
「『浄化』っ!」
『魔』の、絶叫。
耳に付く。胸の奥に響いてくる。
それが徐々に弱まり、完全に消え去った頃、その船員の体は崩れ落ちた。
『水の精霊』に、またその身を預ける。
「――おいっ、真士!」
そんな時に、自分を呼ぶ声がした。視線を走らせると、炎の『結界』で自らと何人かの船員を守り、なおかつ目の前の二人の『魔』と対峙している哲平を見付けた。
「ずっと呼んでたんだぜ、さっさと気付よ!」
「こんな状況で、声がまともに届くと考えるほうが無茶だ!」
怒鳴り答えて真士はさっき砕け散った自分を守る『結界』を再び張りなおす。そして、無謀な状態にいる哲平の元に走り寄っていった。
霧の状態である『魔』の攻撃を避けながら、真士も哲平の『結界』の中に身を滑り込ませる。
「お前何バカなことやっているんだよ!」
状況を見て、理解できないこともない。だが、真士は開口するとそう吐き出すのだ。
「うるっせーなぁっ。真士が『結界』保たせなかったのがそもそもの原因だろーがっ!」
「仕方ないだろ!? 体調が万全じゃないんだから!」
「そういう言い訳ってあるのかよっ!? テストの時休むのは本人の管理が問題って言うだろ!?」
「テストと今じゃあ、問題が違うだろ!?」
「要は気のありようだろ!?」
「おい、哲平! んなことで喧嘩してる場合じゃないだろ、とにかく!」
「――お前、あの人間、ほうってきたのか?」
突然、真面目な口調で哲平は尋ねてきた。あの人間とは、さっき『魔』から開放されたばかりの奴のことだ。
「『水の精霊』に任せてある」
「お前お得意の、『精霊』との会話、か。なんで『精霊』とそんなに密なコミュニケーション取れるかなぁ。普通、いくら『精霊使い』といえどできないものだぜ?」
「うらやましかったらやってみることだな」
「『魔』の声が聞こえるって言うし、つくづく奇特な奴だよ、お前は」
「てめぇに言われたくないな」
「どういう意味かな、真士ちゃぁん?」
「――で、どうする気なんだよ」
無理矢理意味のない会話を打ち切った。そうだ。自分勝手にやるのが好きな哲平がわざわざ自分を呼び付けるということは、何か伝えたいことがあるはずなのだ。それに、自信のある目をしている。何か策を思いついたと考えて間違いないのだろう。
その推理を裏付けるかのように、哲平はその顔を見上げる真士に視線をぶつけてきた。
そして、にっと笑うのだ。
「…………」
「まあとりあえず、この人たちの保護、かわりに頼むわ」
「……おい?」
脳裏を遮っていく嫌な予感は気のせいか。
その真意を確かめる暇すら与えず、哲平は歩みだした。『結界』を張った人間が動けば『結界』も共に動く。だから、真士はいそいで『水の精霊』で『結界』を張り直す。背後の人たちに変化がないのを確認すると、胸を撫で下ろし、新たに自分専用の『結界』を張った哲平の背中を見つめた。
「あとさ、真士。いざって時の処理も頼むからな」
「……おい?」
さらりと言ってのけられた。どういうことだと思考を巡らす間もなく、哲平の策の片鱗は現われるのだ。
哲平が『結界』から出ると同時にいくつかの『魔』はその身に襲いかかっていた。右手にあった剣をペンダントの形に戻すと、それを握り締めたまま、彼は『精霊』に命を下す――。
「わが名はゾフィー! 我が名を刻印す『炎の精霊』よ、わが声をきけ! その力を以て、この場の『魔』を全て薙ぎ払えっ!」
正気とは思えないような声が響いた。
真士が目を見開くより早く、哲平の身の周りには炎の渦ができる。渦は仲間を呼び、益々大きくなり、哲平の全身をも包みこんでしまう。
「おい、哲平……!」
あまりにも無謀なやり方を真士は止めようと声を上げた。だが、自らもそのようなことをしている場合ではないとすぐに気付くのだ。水の『結界』が、炎に負けそうになっている……!
「『水の精霊』! なんとしてでも食い止めろ!」
冗談ではなかった。
何が地獄絵図というのだろう。これこそ、まさにそうではないのか!?
炎は哲平を中心にして驚異的な勢いで広がっていく。『魔』はなおも立ち向かおうとしていたが、自分の力では逆にこの圧倒的な炎に飲み込まれてしまうことを知ると、今度は逃げ出していくのだ。取りつかれた人間ごと『魔』は逃げようとた。しかし、それが不効率だと気付くと、『魔』は人間をそこに放置していってしまう。
「! おい! 哲平!」
投げ出され、デッキの上に横たわるしかない人間までもが哲平の起こす炎にのまれようとしている。だが、哲平がこの炎の勢いを止めようとする気配はない。
「これが俺の仕事なのかよ……!」
悪態をつきつつ、真士は『精霊』に命じる。『精霊』も辛い仕事に渋るが、自分だとて、その辛さにかわりはない。いくつの場に『精霊』を置いてきたことだろう。真士はそれら全てに神経を向けていないといけないのだから……!
「哲平っ! 哲平っ!」
声の限りに怒鳴り散らすが効果はない。
もうほとんど船の揺れというものがなくなっていることに真士は気付いていた。つまり、『魔』は去ったのだ。
自分たちの仕事はこれで一段落ついたはずだ。なのに炎は勢いを弱めはしない。
全くこの状況を知らないのだ。だから、今だに炎の勢いを強めようとさえする!
「バカ野郎! 自分たちで火事にしてどーする気なんだよっ!」
猶予はなくなった。このままほうっておくと、本当に船は黒焦げになってしまうだろう。だから、真士は気力を振り絞って、『精霊』を呼ぶのだ。
「わが名はマコト。我が名を刻印す『水の精霊』よ、わが声をきけ! ――いいか! あのバカの真上から、思いっきり海水を浴びせてやれっ!」
とたん、
どっしゃーっ!
「――――」
一瞬にして、炎はおさまった。
大きく安堵の息をつき両肩の力を抜くと、真士は『結界』を解く。
そうしてようやく、船上に静寂は訪れるのだ。




