2-1
トーディ島に向かって真士、哲平、リオンの三人がリル=ウォークを――真士と哲平にとっては、『六大陸世界』を、と同義だ――旅立ってから四日が過ぎた。
そして今、三人は足元に身近な草が生えわたるステップの、岩場の陰にいた。
「かーごめかごめ。かーごのなーかのとぉりぃは~」
冷たい土の上に寝転がり天を虚ろな目で見つめ、哲平はそんな活気のない声で歌を口ずさむ。
ちなみに、今は紺色の空に白い星が輝く夜、である。
「辛気臭い歌うたってんじゃねーよ。俺が一生懸命になっているときにだなぁ!?」
哲平の脇でこうこうと焚かれているたきぎで昼間取った獣の肉を焼いている真士が、実に苛立たしげな口を開いた。
ちなみにちなみに、この獣を真士と哲平は子うさぎと呼んだ。
「えー、だめっすかー? じゃあ、こういうのなんかどうでしょう? ずいずいずっころばーしごまみそずいっ」
「やめろ! うたうな! うるせーんだよ!」
本気になって怒鳴りつけてきた真士に、哲平は聞こえないほどの大きさで「はいはい」とだけ言ってみた。
真士がなぜこれほどまでに苛立っているのかは分かっている。つまり、「うさぎ」をナイフでさばいたために、手に生臭さが移ってしまい、それが耐えきれないのだ。
そんなことだから、哲平もそれ以上は歌を口にしない。不毛なだけだ。
哲平は静かにただ天を仰いだ。リオン・ビィノは地面に腰をおろし片膝をたて、たきぎに視線を固定している。真士も肉と睨めっこを続けていた。
万年夏のリル=ウォーク。そこから三人は三日間歩き続けた。しかし気候はたいして変わらない。それに加え、これから向かう四季を持つトーディ島ですら今は夏のため、三人の旅の衣装は実に質素なものであった。
もともと土の大陸の服は、どこでもそれなりに暑いという土地柄のために単純なつくりである。露出も多めだ。そして、使われる布地は丈夫で、だが薄く柔らかいものである。
この服は旅にはふさわしくなかった。確かに、動きやすさは抜群である。が、もし戦いともなったとき、露出が多く布が薄いので体にすぐ傷をおってしまうからだ。
そのために、わざわざ体の保護もできるような服を着、旅に出る人もいなくはない。
けれど多くの旅人は、機能性にすぐれた土の大陸特有の服を着、両手両足、のような露出している部分には保護するための布を巻き付けるのである。
三人も例外ではなかった。少しだぼっとしたシンプルなデザインの上に足が目一杯開くほどに布をとってあるスカート。真士と哲平は膝丈だが、リオンは脇が割れふくらはぎが隠れるほどのスカートをまとっている。さすがに成人を迎えると膝丈はきついのだ。
そして欠かせないのが防寒と日差し避けの役目をはたすマントである。夏といっても夜は冷え込む。防寒着は必要だ。
持ち物はさほどない。それぞれがあまり大きくない布の袋一つである。
真士と睨めっこをしていた「うさぎ」が焼き色をつけると三人はそれにかじりついた。味はないが文句も言えない。食べれるだけましである。
それを食べ終え、ぐいっと獣の皮でできている水筒から水を飲み、ふうと一息ついたところで、リオンが二人に向かって話を始めた。
「たぶん明日の昼前にはマーカ=マウェイに着く。そこでだな。真士、ゾフィー。言っておきたいことがあるんだ」
「へ?」
真士と哲平が、自分たちの師、『水の司』リオン・ビィノの顔を見る。
もうリオンと二人は三年来の付き合いだ。三年前、真士と哲平が王宮にいるところ、リオンがその才能を見いだし、『司』の候補生として二人を弟子に向かえたところから始まる。
『司』の厳格な師匠と弟子という関係、それが表面上のものである。しかし、実際は――。
「俺が『司』だということを皆に悟られないようにしろ。もちろん、自分たちが『司』候補生だということも、だ」
リオンは至って真面目に弟子二人に告げていた。二人はしばらく師匠の顔をじっと見、
「大丈夫だって」
「誰もリオンのこと、『司』だなんて思いやしねぇよ」
眉一つ動かさずあっさりと言ってくれるのだ。
そこには敬意も何もない。
そうなのだ。この『水の司』は本来弟子に敬意を払われるところタメ口をたたかれ、しかもからかわれるのである。
リオンの顔が微かに感じる苛立ちによってぴくぴくと震えた。弟子二人はそれに気付きながらも何も言いはしない。
「なぜ俺が『司』だということがばれたらまずいのか、分かっていっているのか、お前ら」
真士と哲平が顔を見合わせる。沈黙で語り合った後、
「とりあえず、いつもどおりにしておけばリオンは『司』に見えねぇよ。どこからどう見たって、ちょっとガタイのいいふつーの人だもんな」
「そうそう。だって、リオンって威厳とかと無縁じゃん」
誰が無縁にしたんだこの馬鹿者、とリオンは心の中で言いながらも、とりあえず怒りを顕にすることだけはぐっと堪えた。
自分は二人を指導する立場にあるのだ。好きなように遊ばれてたまるか。
「別に俺が『司』に見えるとか見えないとか、そういう問題じゃない。問題なのは、俺のことを『司』と知って利用しようとする輩が絶対に出てくるということだ。分かるか? 『司』という名がどれほどの効力を持つのかは」
「…………」
「…………」
『司』とは絶対の安らぎである。
全能の神のように思う人さえいる。
それをリオンは言いたいのだ。けれど、弟子二人は、「でもリオンだぜ?」と呟くだけでまともに取り合おうとはしない。
まあいい、と、とりあえずリオンは決着を付ける。どうせこれからこの感情は二人が体験するものになるのだ、絶対に。
一度軽く息をつくと、リオンはそこでその話題を打ち切った。
体勢を崩し、背後にあった自分の荷物の中からいくつかに折り畳まれた紙を取り出す。
「ゾフィー」
それを真士より近い位置にいる哲平に手渡した。哲平は紙を広げる。
「……地図?」
「そうだ。それは土の大陸の地図だ。けれど、左上を見てみろ。辛うじてトーディ島がのっているだろう?」
トーディ島は水の大陸に属する。水の大陸は『三大陸世界』の北半球を覆うように東西に広くある。土の大陸は赤道をまたぎ南北に長く、どちらかといえば、水の大陸の東側寄り。そしてトーディ島は水の大陸の東のはしにある小島である。
哲平は地図を地面に置くと、トーディ島を探し出し指で示した。真士はそれを覗き込む。
「今俺達がいる位置も分かるな。港町マーカ=マウェイの東側だ」
このへん、と哲平は大体の現在地を指差した。
王宮のあるリル=ウォークは土の大陸の真ん中より南側、マーカ=マウェイはその西の海に面したところだ。
「さっきも言ったが、明日にはマーカ=マウェイに着く。それで、目的地はトーディ島だ」
「……それが、どうしたって?」
地図から視線をあげ、真士がたきぎの炎の向こう側にいるリオンに尋ねた。リオンは二人をじっと見ると、告げる。
「どうやって行くかは、お前らで考えろ」
「……は?」
「本来、この旅はお前たち二人で行くものだったんだ。そこを二人だけだと極めて不安なために俺が同行することになった。あくまで俺はおまけなんだ。分かるか? だからこっちで全てお膳立てしたら、この旅の意味がなくなるだろう? トーディ島までの道程だけじゃない。基本的にある局面になったとき、判断はお前たちに任せる。俺はおまけ、だからな」
それを忘れるな、と念を押してリオンは口をつぐんだ。真士も哲平も閉口したままじっとリオンの顔を見ていた。
「…………」
が、それも束の間。
「――はぁ……」
まず、真士が大きくため息なんぞをついて視線を地図に戻した。哲平にいたっては、
「せめてねぇ。同行者、女の人がよかったなー。美央さんにしろ、ヌースにしろ、フィルにしろ、律子さんにしろ、……。美人相手のほうが俄然やる気になるのに……何でよりによって……」
などと、十分聞こえる大きさで呟いてくれるのだ。
リオンにしてみれば冗談じゃない。
自ずと表情は強ばる。そのあっさりとした顔も色をなす。
そうだ。今まで自分がどれほど寛容に対していたことか。
しかも自分はこの二人の師匠なのだ。
今まで育て鍛えてきてやったのだ。
なのに、何という言い草!
冗談じゃない!
「そうか。そんなに嫌だったのか。この俺ができの悪い弟子のために頑張ってやっているというのにそういうことを言うわけだな!? ああ、いいさ。やる気がないなら別にいい! お前等がどうなろうともう俺の知ったこっちゃない。好きにするがいい。幸いなことに次代の『司』は優秀な人材ばかりだし人数も足りているしな。お前等なんかいなくなってもどうって事はない。勝手にするんだな! 俺はもうお前等に関与しない!」
一気に怒りを吐きだした。心のおもむくまま口にしていた。
二人はただじっと、視線を下に落としている。
しばしの、静寂。火の弾ける音だけが耳に届く。
「…………」
――しかしやはり、それも束の間。
目先をかえることなく、弟子の一人、真士はゆっくりとリオンに口を開くのだ。
「……で、帰ったりしないわけ?」
「――――」
「こういうルートでいいんじゃない?」
「ずっと航路か」
「でも歩くのよりは早いじゃん」
「確かに陸路より早いけど……」
「どうせ旅費は経費で落ちるし。あ、そういえば真士、船弱いんだっけ?」
「うるせぇなぁっ。弱かねぇよっ」
「じゃ、決定。いいね?」
「ああ。かまわないぜ」
「……と、いうことで、道程決まったんだけど。リオン帰るの?」
「――――」
いつか絶対絞め殺してやる。
あどけなさがまだまだ残る十三歳の二人の少年を見てやってリオンは心に誓う。
結局、夜明けから、三人でマーカ=マウェイに向けて再び旅立ったのだ。