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第1話 旅の始まり

「ヒュペリオン、何故この世にマッチがあると思いますか?」

馬車の揺れに身を任せながら、先生は手の中の小さな木片を見つめて問いかけた。

整った顔立ちに、冷静な鋭い瞳。いつも通り、隙のない敬語。

新緑色の髪が馬車の動きに合わせて小刻みに揺れる。

「えーっと……火をつけるため、かな?」

「ええ、その通り。正解です」

「……何が言いたいんだい? 先生」

「マッチがあるというのに、わざわざ魔法を使うのは如何なものか、という話です。先ほどの魔法使いたちを見ましたか? 仰々しく杖を振り、長ったらしい呪文を唱え、あんな小さな種火を作るのに、一体どれだけの時間をかけるつもりなのでしょうか。滑稽すぎて、このマッチで炙ってやろうかと思いましたよ」

先生──世界一の錬金術師を自称し、実際その通りであろうこの男、ノウィキウスは鼻で笑ってマッチを擦った。

シュッ、という乾いた音と共に、小さな火が灯る。魔法のような詠唱も、神秘的な予兆もそこにはない。ただの、物理現象だ。

「いいですか、ヒュペリオン。この世に奇跡なんてものは存在しません。魔法も自然災害も、全て説明できる現象でしかないんですよ」

そう言って、先生は薄ら笑いを浮かべながらマッチの火を吹き消した。

相変わらず先生は言葉を選ばない。

どこか楽しげなその横顔を見て、僕はため息をついた。

本当なら今頃は家でゆっくり過ごせていたのに。

(まさかこんなことになるなんて…)

─事の顛末は数日前に遡る。



僕と先生は、小さな村で錬金術で物を直したり、子どもたちに読み書きや簡単な計算を教えたりして生計を立てていた。

そして、その日は少し足を延ばして、街に買い出しに出かけたのだ。


「こんなものですかね。まだ何かありました?」

高く積み上がった箱の隙間から、僕は必死に声を絞り出した。

「いや、メモにあるものは全部買ったよ。…それにしても買いすぎじゃないかい?」

僕の様子を横目に、先生はのんきに顎に手を当てる。

いくつもの箱を抱え、腕には袋や籠が鈴なりにぶら下がっている。ちなみに荷物を持っているのは僕だけで、先生は手ぶらだ。

このままだと前が見えないどころか、バランスを崩した瞬間に貴重な素材たちが街の石畳に散らばることになる。

「仕方ないでしょう。街には滅多に来ませんし、錬金術は何かと物入りなんです。それに、貴方を連れてきたのは荷物持ちのためですから」

「えぇ〜」

「文句言わない」

その時、ドンッと鈍い音がして、「おい!」という突き刺すような怒号も聞こえた。

反射的に振り返ると、そこには尻もちをついて震える小さな子供と、深い藍色のローブを纏った男たちが数人、立ちはだかっていた。

「先生」

思わずそう声をかけると、先生は苦虫を噛み潰したような顔で、目の前の光景を見ていた。

「街の偵察に来た魔法使いでしょうね。ローブに紋章がある」

おそらく、彼らに子供がぶつかってしまったのだろう。本来なら謝罪一つで済むはずの些細な事故だ。だが、相手が最悪だった。

国直属の魔法使い──その多くは、実力ではなく血筋だけで地位を約束された世襲の役人たちだ。

特権階級という温室で甘やかされて育った上、世界でもそう多くはない魔法を使える者であるという自負から、傲慢で意地が悪い。

もちろん善人もいるはずだが、少数派であることは間違いないだろう。

「汚らわしい。せっかくのローブが台無しだ」

一人の魔法使いが、汚れの付着した裾を忌々しげに掲げる。その目には、子供への慈悲など微塵も浮かんでいなかった。

「ご、ごめんなさ……っ」

「謝って済むなら、この国に法はいらん。そうだろう?」

「我々がいなければ明日をも知れぬ平民の分際で。親の顔が見てみたいものだ」

容赦のない罵声が、震える子供の頭上に降り注ぐ。だが、立ち止まる通行人はいても、声を上げる者は誰一人としていない。

当然だ。彼らの機嫌を損ねれば、何らかの処罰がくだされることは避けられない。わざわざ自分の身を危険にしてまで、見ず知らずの他人は助けられない。不幸なことに、子供の親はそばにはいないようだった。

そんな中で、ただ一人、先生だけが彼らの方へ足を向ける。思わずその腕を掴んだ。

「何ですか」

先生は大人しそうに見えて、結構過激で無謀なところがある。長所でもあるそれだが、今の先生を放っておけば、事態は取り返しのつかない方向へ転がってしまうのは明らかだった。

「先生じゃ穏便に場を収めたり出来ないだろう!政府から目を付けられるのはまずいよ。自重して…」

「しません」

先生の声は、驚くほど平坦だった。掴んでいた僕の手を無造作に振り払い、迷いなく、傲慢な魔法使いたちの輪へと突き進んでいく。

「どうかしましたか」

「どうもこうもない。この薄汚い子供が私のローブを汚したんだ」

「相手は子供ですよ。そんな責めることはないでしょう」

「子供だからといって許す理由にはならない。お前たちにはわからないだろうが、このローブは大変由緒正しいものなんだぞ!」

先生は馬鹿にしたように鼻で笑った。

「由緒正しい?その古臭いローブが?お言葉ですが、色が暗いのでどこが汚れているかなんて誰もわかりませんよ」

「な…!」

(流れが変わってきたな)

静かに宥めてようとしていた先生の言葉に、少しずつ棘が混じる。こちらの方が本心なのだろう。生き生きとしだした先生を少し呆れながら見つめる。

「それに、汚れたならさっさと洗えばいいでしょう。…それこそお得意の『魔法』で綺麗にしてみてはどうですか?その方が…」

この言葉に彼らの怒りは完全に最高潮へ達したようだった。

先生の言葉を遮って、

「黙れ!魔法がなければ何も出来ん愚民どもが!お前らは一生俺たちにへりくだって生きていれば良いんだ!」

(うわ)

魔法使いが1番口にしてはいけないことだ。それに先生の逆鱗そのものでもある。

その瞬間、目が据わり、先生が腰のあたりに手を伸ばす。何をしようとしているのか理解して、冷や汗が背中を伝った。

「先生!それは…!」

まずい、と言う前に、先生は銃を取り出し引き金を引いてしまった。

バンッという銃声が響き渡った後、辺りは静寂に包まれる。

─先生お手製の錬金銃は、適当に物、例えば石ころなんかを入れたら銃弾へと即座に変えてくれる優れものだ。まさか、こんなところで使うことになるとは。

銃弾は幸いなことに魔法使いには当たらず(というかそもそも当てる気はなかったのだろう)、耳の横スレスレを通ったようだった。

皆が目を見開き、固まっている中、先生だけが平然と、優雅な仕草で銃を仕舞う。

「人の話は最後まで聞きましょう。子供にだって出来ることですよ」

魔法使いはわなわなと震えた。

「な…!こ、こんなことをして許されると思っているのか!?」

「思っていませんよ?ですが、貴方がたのような人間はこうでもしないとわからないでしょう」

「馬鹿にするな!」

「いいえ、馬鹿にします。魔法という強大な力を盾に横暴を繰り返す貴方のことなど、爪の先ほども尊敬出来ませんから。魔法もさぞかし悲しんでいるでしょう。貴方のような無能に使われることになって」

「まだ言うか、この反逆者め!」

「なんとでも言ってください」

何を言われてもどこ吹く風な先生の態度に魔法使いの怒りは増すばかり。

周りの人々も足を止めて見つめている。辺りには人だかりが出来ていた。

しかし、一人の魔法使いが集団の中心的存在の魔法使いに耳打ちし、それによって悔しそうに歯ぎしりしながらも、ローブを翻す。

「ただで済むと思うなよ…!」

去り際にそう捨て台詞を吐いて、魔法使いたちはあっという間に姿を消した。

固唾を飲んで見つめていた民衆も、再び動き始め、辺りには喧騒が戻る。

「ノウィス先生…」

そばに走り寄ると、先生は子供の頭を撫で、送り出したところだった。

「ヒュペリオン。何してたんですか」

「何してたもなにもないよ!まさか魔法使いに喧嘩を売るなんてさ…」

「売ってませんけど」

「いいや、売ってたよ。完全に向こうは怒ってるし」

ため息をつき、ぐしゃりと前髪をかき上げる。

「どうするんだよ。あいつらが言ってた通り、ただじゃ済まない」

「別にいいでしょう。さ、帰りますよ。遅くなってしまいました」

「もう、先生!」

スタスタと歩き始める先生の背中を慌てて追いかけた。


…魔法使いの言葉が現実となるまで、一晩もかからなかった。

次の日には役人が踏み込み、先生は首都へと引き立てられた。

牢屋での拘束と裁判を何日か繰り返した(先生はずっと悪態をついていて、すこぶる元気そうだった)。

その間に、先生には魔法使いへ反発した以外にも色々な罪状がでっち上げられ、ついに「国外追放」との判決が下されたのだ。

でっち上げられた分を考えても重すぎる刑罰だったが、異論を唱える者は誰一人としていなかった。

この国の上層部はずいぶん腐っているらしい。



そして今。

僕たちは国境へ向かう馬車に揺られている。

「自重してって言ったのにさ」

恨み言をこぼすと、向かい側に座る先生は、窓の外を眺めたまま平然と言ってのけた。

「無理だったので仕方ないですね。それに、魔法使いたちがあの様子じゃあ、この国はもう駄目です。さっさと抜け出しましょう」

呆れて言葉も出ない。なんでこうも変に思い切りが良いのか。

「そうは言っても、これからどうするんだ?」

「何も考えてません」

「ちょっと」

身を乗り出して非難する僕に、先生は悪びれもせずにこりと微笑んだ。

「いいじゃないですか。せっかくですし、各地を巡ってみましょう。冒険ですよ、冒険」

「適当なことばっか言って…」

はあ、とため息をついて背もたれに体を預ける。

すると今度は先生が眉をひそめた。

「というか、追放されたのは私だけですよ。嫌なら残れば良かったでしょうに」

「えー、それはさあ…」

「なんだかんだ言って貴方も楽しんでること、知ってますからね」

指摘され、ぎくりとする。確かに図星だった。

先生といれば、間違いなく厄介事に巻き込まれる。けれど、退屈することだけは絶対にない。

それに─また一人になるのは、もうごめんだ。

「…はいはい。もう異論は言わないよ」

手を挙げて、降参だというポーズをする。

僕の降参を確認すると、先生は満足げに唇の端を吊り上げた。


──こうして僕たちの旅が幕を開けたのだった。




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