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第7話 深夜2時のシンクロ



 八月。お盆を過ぎても、東京の熱帯夜は終わる気配を見せなかった。

 金曜日の深夜二時。

 僕はベッドの上で、ぬるくなった缶チューハイを片手に、ぼんやりと天井を見上げていた。

 エアコンの室外機が唸る音だけが、静寂な部屋に響いている。

 七月の再会から一ヶ月。僕と西野さんは、二週間に一度くらいのペースで会うようになっていた。

 『スニーカーズ』のライブに行き、そのあと居酒屋で感想戦をする。それが僕たちのルーティンになりつつあった。

 けれど、それ以上の進展はない。

 手をつなぐわけでも、甘い言葉を囁くわけでもない。ただ、「お笑い」という緩衝材を挟んで、心地よい距離感を保っているだけだ。あかりさんの素敵な笑顔はいつしか原田にとって必要不可欠な栄養剤になっていた。

(……これでいいんだよな)

 三十過ぎの男女だ。焦って距離を詰める必要なんてない。この居心地の良さが壊れるくらいなら、現状維持でいい。

 そう自分に言い聞かせながら、僕はスマホのアプリでラジオを再生した。

 今夜は、僕たちが好きなベテラン芸人がパーソナリティを務める『深夜の馬鹿騒ぎラジオ』の生放送がある日だ。

『はい、どーもー! 先週ね、相方が遅刻しましてね――』

 イヤホンから、馴染みのあるダミ声が流れてくる。

 クスクスとひとりで笑う。

 深夜、世界中の人が寝静まったこの時間に、くだらない話を聞いて笑っている背徳感。これが僕の密かな楽しみだ。

 その時。

 画面の上部に、通知がポップアップした。

『LINE:あかり』

 心臓が跳ねた。こんな時間に?

 慌ててトークルームを開く。

『原田さん、起きてますか? 今、ラジオ聞いてます?』

 驚いた。彼女も今、同じ電波を受信しているのか。

 僕はすぐに返信を打つ。

『起きてますよ。聞いてます。オープニングの遅刻の話、酷いですね(笑)』

 すぐに既読がつく。

『ですよね! あれ絶対、嘘の言い訳ですよww』

 文字の後ろに、彼女の笑い声が聞こえるようだった。

 そこからは、ラジオの実況中継が始まった。

 ラジオの中の芸人がボケる。

『今の例え、古すぎ!ww』(あかり)

『昭和生まれにしか伝わらないやつですね』(原田)

 ラジオでハプニングが起きる。

『あ、噛んだ』(あかり)

『噛みましたね。大事なところで』(原田)

 僕の住む街と、彼女の住む街は電車で三十分以上離れている。

 部屋の景色も、着ている服も違う。

 けれど今、僕たちは間違いなく「同じ時間」を共有していた。

 

 物理的な距離なんて関係ない。

 イヤホンから流れる声と、この小さな液晶画面を通して、僕の隣には彼女がいるような錯覚に陥る。

『あはは! 今のリスナーからの投稿、最高でしたね』

 彼女からのメッセージを見て、僕も自然と笑みがこぼれる。

 ひとりの部屋で笑っているのに、まったく「ひとり」だと感じない。

 今まで感じていた、週末の夜のあの重たい孤独感はどこへ行ったのだろう。

 ラジオがエンディングを迎え、少しセンチメンタルな曲が流れる頃、会話も落ち着いてきた。

『面白かったですね。やっぱり生放送はいいなあ』(あかり)

『ええ。一人で聞いてるより、三倍くらい面白かったです』(原田)

 送信してから、少しキザだったかと後悔する。

 でも、嘘ではなかった。

 数十秒の沈黙の後、彼女から返信が来た。スタンプではなく、テキストで。

『私もです。原田さんがいてくれてよかった。……じゃあ、そろそろ寝ますね。おやすみなさい』

『おやすみなさい。良い夢を』

 画面を閉じ、部屋の電気を消す。

 暗闇の中で、スマホの充電ランプだけが小さく赤く光っている。

 目を閉じると、まだ耳の奥に彼女との会話の余韻が残っていた。

 ただの友達。趣味の仲間。

 言葉で定義すればそれまでだ。

 でも、こんな風に深夜二時に同じ周波数で笑い合える相手が、人生にどれだけいるだろうか。

「……好きだなあ」

 ふと、口をついて出た言葉に、自分自身で驚いた。

 それはラジオの芸人に対してなのか、それとも。

 

 答えを出さないまま、僕は深い眠りに落ちていった。

 久しぶりに、翌朝の虚しさを恐れずに眠れる夜だった。


(第8話へ続く)




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