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最終話 お笑い好きな、君が好き


 五月のゴールデンウィーク明け。羽田空港の出発ロビー。  保安検査場の前で、僕たちは向き合っていた。

「……じゃあ、行きますね」

 キャリーケースのハンドルを握り、西野さんが言った。  泣かないと決めていたのだろう。その目は少し赤いけれど、口元には精一杯の笑みを浮かべている。

「うん。気をつけて」 「原田さんも。……ちゃんとご飯食べて、部屋の掃除してくださいよ?」 「善処します。西野さんも、飲みすぎて変な博多弁覚えないように」 「ふふ、何ですかそれ」

 軽口を叩き合う。湿っぽい別れにはしたくなかった。  彼女がくるりと背を向け、ゲートへと歩き出す。  その背中が少しずつ小さくなっていく。  一年前なら、このまま見送って、それきりになっていたかもしれない。  でも、今の僕は違う。

「あ、そうだ西野さん!」

 僕は声を張り上げた。周囲の人が少し驚いて振り返るが、構わなかった。  彼女が振り返る。

「二週間後の土曜日! 十九時の便、もう予約したから!」

 僕はスマホの画面を掲げて見せた。  福岡行きの航空券の予約画面だ。

「えっ……早っ!」

 彼女が目を丸くし、次の瞬間、ゲートの向こうで吹き出した。  そして、大きく手を振り返してくれた。

「待ってます! 美味しいお店、予約しときますから!」

 彼女の姿が見えなくなるまで、僕はスマホを掲げ続けていた。  手の中にあるのは、「次に会うためのチケット」。  それが、僕たちの新しい日常のパスポートだった。

             *

 それから、一年が過ぎた。

 博多の街は、どんたく祭りの賑わいが去り、少し早い初夏の風が吹いていた。  那珂川沿いのマンションの一室。  窓からは中洲のネオンが見える。

「あはは! やっぱりスニーカーズ最高!」

 リビングのソファで、西野さんが身をよじって笑っていた。  テーブルには、明太子のアヒージョと、空になったワインのボトル。  テレビの中では、すっかり売れっ子になった『スニーカーズ』が、ゴールデン番組のMCを相手に堂々と漫才を披露している。

「あそこの『間』が上手くなったよね。余裕が出てきたっていうか」 「原田さん、すっかり評論家ですね」 「伊達に一年間、毎月通って見てますから」

 僕はソファの隣で、グラスを傾けながら言った。

 この一年。僕は約束通り、月に一回、多い時は二回、週末に飛行機に乗ってここへ通った。  交通費は嵩んだし、移動でヘトヘトになる日もあった。  でも、金曜の夜に仕事を終えて空港へ走り、最終便に飛び乗る時の高揚感は、何にも代え難かった。  到着ロビーで彼女の顔を見つけた瞬間の安堵感は、僕の灰色の日常を完全に塗り替えてくれた。

「……ねえ、原田さん」

 番組がCMに入り、西野さんが不意にこちらを向いた。  少し酔いが回っているのか、瞳が潤んでいる。

「一年、経ちましたね」 「経ちましたね。あっという間でした」 「大変じゃなかったですか? お金もかかるし、疲れるし」

 彼女は少し不安そうに聞いてきた。  遠距離恋愛の負担を、ずっと気にしていたのだろう。  僕はワイングラスを置き、彼女の肩を引き寄せた。

「大変でしたよ。マイルは貯まるけど、貯金は減るし」 「もー、正直すぎ」 「でもね」

 僕は彼女の目を見て言った。

「一年前、一人でコンビニ弁当を食べていた頃より、百倍楽しいです。……君がいない週末の方が、よっぽど疲れますから」

 嘘偽りのない本音だった。  誰かのために時間を使い、誰かのために移動し、誰かと笑い合う。  それがこんなにも人生を豊かにするなんて、三十過ぎまで知らなかった。

 西野さんは嬉しそうに微笑むと、僕の肩に頭を預けてきた。  彼女の髪から、ふわりと良い香りがした。

「……私ね、あと二年こっちにいる予定でしたけど」 「うん」 「来年度から、東京の本社に戻れるように申請出そうかなって。……今度は私が、原田さんの近くに行こうかなって」

 その言葉に、胸が熱くなった。  それは、彼女なりの「次のチケット」の提示だった。  飛行機のチケットではなく、同じ屋根の下で暮らすための、未来へのチケット。

「……待ってます。その時は、僕が一番いい席を用意して待ってますから」 「ふふ、ハードル上げますねえ」

 テレビの中で、番組がエンディングを迎える。  『スニーカーズ』の二人が、カメラに向かって手を振っている。彼らもまた、走り続けている。

「ねえ原田さん。このネタ、もう一回見直しません?」 「いいですね。さっきのボケ、伏線回収が凄かったし」

 僕たちは録画リストを操作し、また最初から再生する。  部屋に、二人の笑い声が響く。

 窓の外の夜景も、テレビの明かりも綺麗だ。  でも、僕にとって一番美しい景色は、隣でくしゃくしゃな顔をして笑っている彼女の横顔だ。

 かつて「灰色」だった僕の毎日は、今、鮮やかな色彩に満ちている。  人生は、笑えるかどうかだ。  そして、誰と笑うかだ。

 僕は彼女の手をぎゅっと握った。彼女も握り返してくる。

 お笑い好きな、君が好き。 そして、君と笑いあう時間が幸せだ。

 そう心から思える夜が、これからもずっと続いていく。

(完)




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