ねえ、知ってる? 昔って神様はいなかったんだよ
「ねえ、知ってる? 昔って神様が居なかったんだよ?」
ありふれた一日の始まりに理沙はそう言った。
幼馴染の言葉に康成は退屈そうに欠伸をする。
スマホから流れるお気に入りの音楽の再生速度が速く感じた。
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてるって。要するに当たり前がなかった時代の話だろ?」
理沙は眉を顰める。
聞いていないと思っていたらちゃんと聞かれていた。
ぶつけるはずの苛立ちが行き場をなくしているのだろう。
バス停の前にある幾つかの椅子に理沙は思い切り座り込む。
思ったより怒っている。
ここで機嫌を直しておかないと面倒な一日の始まりだ。
そう思った康成は理沙の隣に腰掛けながら話しかける。
「けどまぁ、信じられない話だよな。言ってみれば常識が存在しないってことだろ?」
「んー、まぁ、そうなるよね」
理沙ときたらスマホに目を移している。
もう私はそんな話題に興味なんてありませんみたいな顔をして。
「バスが来なけりゃ俺らはこうやってのんびりできないし」
「うん」
「ベンチがなけりゃ、こうやって座ることも出来ないし」
「うん」
「そもそも学校なんてなけりゃ、こうやって一緒に登校することも」
「うん」
「……流石に人の話を聞けよ」
そう言って理沙のスマホを奪う。
ちらりと見ると画面には神様の解説動画が流れていた。
Wi-Fiもとんでいないのに大胆なことをするものだ。
いや、それくらい興味があったってことか。
「へえ。昔は神様は居なかったけど概念としてはあったのか」
「返してよ。私のスマホ」
「存在しなかったものを愚直に信じていたってわけか?」
「返してってば」
スマホを奪い返される。
理沙はこちらを睨んでいた。
康成はバツが悪そうに俯き謝罪をする。
神様の目から見ずとも康成の方が悪いのは明らかだ。
確かに理沙の不貞腐れた態度は問題だったかもしれない。
だけど、そもそもの話として今回の『争い』は康成の欠伸から始まっているのだ。
神様は必ず白黒をつける。
どちらが悪いかしっかり審判してくれる。
古い時代の概念でしかなかった頃と違って――。
「神様に言う?」
「まさか」
康成の問いに理沙は笑う。
「始まりは康成だったけど、ぶっちゃけ私の態度も悪かったでしょ」
「かもな」
バスが来た。
移り変わる景色に目もくれず、普段と同じように話している内に直前の軽い喧嘩はもう終わっていた。
バスが止まる。
二人は降りる。
そして、歩く――その校門の前に。
「おはようございます。神様」
「おはよう。理沙。康成」
神様が居た。
正義と悪を審判してくれる人類の造った最高の発明。
「体の調子、どうですか?」
「ご心配ありがとう。理沙。日直の生徒がネジを巻いてくれたおかげで良い調子だよ」
神様は純粋で優しい。
神様は愛に満ちている。
神様は愛憎に囚われる善悪を判断する。
人間には決して出来ないことが出来る。
――だから、神様なんだ。
「神様。聞いてくださいよ。理沙が今、昔の時代の神様について調べていて……」
「ちょっと康成! 言わないでよ!」
「構いませんよ。理沙。過去を知ることは大切な事です」
機械で出来た体を器用に動かしながら神様は理沙に微笑む。
「人間は歴史と共に進化してきました。その中には愛もありました。憎しみもありました。争いも平和も……だけど、そこに神様だけはいなかったのです」
「概念として存在していたのに?」
「より正確には夢として存在していたのです」
「夢」
「はい。夢です」
神様の機械の身体を陽光が照らす。
人類が求め続けた最良の調停者は二人に語る。
「人間は実に素晴らしい選択をしたと私は思います。不確かな情の世界から、確かな数字の世界へと全てを委ねたのですから」
「数字?」
「理沙。善と悪の数字化だよ。それくらい分かれよ」
「ちょっと、何その言い方」
始まった言い争いを見つめ神様は双方の数字を計る。
果たして、どちらが悪いのか。
チャイムが鳴った。
理沙と康成の身体がびくりと震え、神様は優しく微笑んだ。
「遅刻してしまいますよ。二人共」
二人は慌てて走り出した。
神様に――正確な答えを出す機械に頼らずとも遅刻が悪いことくらいは流石に分かる。
「ねえ、康成」
「なに?」
「これで遅刻したらどっちが悪いと思う?」
「多分、二人共だろ」
「神様に聞いてみる?」
理沙の言葉に康成は言った。
「んな、面倒なことわざわざしなくていいだろ。それでうまく回るんだから」
理沙は笑顔で頷いた。
駆ける足音を教師が叱る声が響くまであと十秒――。
きょうもとじたせかいのなかで。
すうじがまわるよ。
くるくると。




