泥に足もつれる日々の中。
暮れの有馬記念で彼女の激走を見てから、俺は本格的に騎手として復帰するべく足搔き始めた。
鍼治療・スポーツマッサージ・パーソナルトレーニング……出来得る限りの事は全てやった。身体を少し動かすだけでも激痛が走るような時もあったが、そんな時には競馬の映像を見て、少しでも自分がそこで乗っているイメージを脳内でシミュレートした。
こんな事を重ねても何の意味があるんだろう? と思う時もあった。だけどそれを支えてくれたのは、否定的な言葉は何も言わずにただ見守ってくれた妻が居たおかげだ。
そしてあの大怪我から1年と1カ月後の6月。中京競馬場。
俺はようやく、競馬場に戻ってくる事が出来た。復帰には多くのファンが詰めかけてくれて、レース後にはたくさんの騎手仲間が復帰をお祝いしてくれた。
だが、復帰できたからと言って元通り、というわけにはいかなかった。
競馬において追い出しのタイミングからラストスパートまでというのは、弓を引き絞ってたった一点の隙間に向けて、一本だけしかない矢を打ち放つようなものだ。
それが1年以上、勝負の世界から離れていた事で追い出しのタイミングをうかがうレース勘は失われ、ここぞというタイミングと身体の動きがズレる事で勝負どころを逃し、勝てると見込まれたレースを落とす事も少なくなかった。
問題はそれだけではない。馬が馬群(集団)を避けた位置で勝負出来て、馬群の外側からでも戦える場合には良かった。だが、馬群の中を割った先でしか勝利を手にできない状況となると……どうしてもあの事故の状況が脳裏をよぎって、加速する事を躊躇してしまう自分が居た。
結果、事故の前と比べて思い通りに乗れたレースは数えるほどしかなくて、なかなか感覚を取り戻す事が出来ない日々は長く続いた。
そして復帰から1年と少しが経った7月。函館での夏の重賞・函館スプリントステークス。
小回りの競馬場で芝1200メートル。1分少しで勝負が決まってしまう一瞬のスプリント勝負で、俺は先頭集団をインコース寄りで追走していた。
猛然と先頭争いをする馬たちによってペースがどんどんと上がる中、さらに死力を尽くした一瞬の加速でそれらよりも早く、ゴールにたどり着かなければならない。コーナーの外側には同じ目論見の人馬がひしめき、進路は分からないままだ。
「内側はダメだ、外を回れ!」
誰かがそうして後ろから声を掛けてくるのが聴こえる。
レース中も騎手同志で危険を回避するためにこうして展開を見ながら話しかける事があった。その中には『自分の進路を邪魔されないために怒鳴って威嚇する』ベテランも居るので、全ての声が聴き入れる必要のあるものとは限らないのだけれど。
その直後のことだ。コーナーを回り切った先行集団が外に膨らみ、並走する3、4頭の間に1頭だけならこじ開けて通れそうな間隔が開いたのを、俺は見逃さなかった。
(いける! というか、ソコしか現状、進路は無いッ!)
馬の手綱をぎゅっと握り、前傾姿勢を深くして更なる加速を始める。後ろで誰かが怒鳴り声をあげた気がしていたが、風の音で聞き取れなかった。
しかし、次の瞬間――――
「壁ェ! 外だ!!」
ここまで無理なペースで走ってきた先行集団の脚色が一気に悪くなり、数頭横並びで壁のようになったまま、失速して目の前に迫ってくる! スパートを駆け始める前は空いていたように見えた隙間は、馬同士が近付いてギュッと狭まり、通るのは難しくなっていた。
このままでは、ぶつかる!!
咄嗟にアウトコース側へと進路を取って、紙一重のところで併走していた【馬の壁】を躱す。だがそこは、別の誰かの進路だったワケで……
「ユースケぇ! 内はダメだっつったよな!? どういうつもりだ!?」
ゴールラインを越えて減速し始めた中で振り返った先では、1番人気の馬に乗っていた川原先輩が馬から立ち上がり、鬼の形相でこちらを睨みつけていた。