9 反逆者
泰鴬の言葉に、鳳明が反応した。蒼龍は、何がどういうことなのかを理解できていないようだ。
「愚帝…? それは、どういう…」
蒼龍が口に出すと、これまで大人しくしていた泰鴬が、荒々しい口調で話し始めた。
「お前、知らないのか。じゃあ教えてやるよ」
ーー俺が文官を目指したのは、鴬氏の格を落とされたからだ。母上が罪で北国へ飛ばされて、あの愚帝はそれを理由に父上を宮廷から追放したんだ。文官主義の制度を作ってまで! 母上と父上個人が落ちぶれたことはどうでもいい。俺は当主を狙ってたからな。だが、鴬氏全体が悪役という風に見られたのが、俺には都合が悪かった。しかも、母上の件は冤罪だぞ?ーー
泰鴬が「ふざけるな!」と叫んだ。
「俺の将来を潰しやがって、どう責任をとってくれる!」
泰鴬は、鳳明に視線を向ける。鳳明の方は、泰鴬を睨みつけていた。至極当然の反応だろう。冤罪は皇族が悪いが、抗議する理由が私利私欲とは、聞いて呆れる。泰鴬は自身が狂ったことを言っているとも自覚せず、まだ話を続けていった。
「俺はあの愚図の帝を殺したい。だが、まずはお前からだ、
紅 鳳明。よくも綺麗事ばかりの政策で俺の邪魔をしてくれたな。反逆者の一人も抑えられないなら、皇太子としての面子は丸潰れだろう?」
鳳明は黙っている。皇族には、一つたりとも傷などついてはいけない。もしついたならば、臣下や他国の者からも笑いものにされる。皇族にとって傷とは、弱者の象徴なのだ。
(ならば)
「私が受けよう。私ごときが倒せないのなら、お前に殿下と戦う資格はないだろう」
全員が目を見開く。眉間に皺を寄せていた鳳明は、明らかに動揺していた。文官が刀を持って戦うなど、考えもしなかったのだろう。鳳明は意を決した様子で蒼龍の肩
に手を伸ばした。
「蒼」
「殿下は後ろへ。貴方様は一国の皇太子です」
皇太子の言を遮った。許されぬ行為だ。だが、鳳明は後方へ下がる。やはりどんなことがあっても、皇族は戦ってはいけないのだ。
「お前が戦うとは…やめた方がいいんじゃないか? お前は華奢なんだ。俺と互角に戦えるとは思えないが」
「そうですよ! それに貴女は…」
「「響江!!」」
蒼龍と泰鴬の声が重なった。二人は今、「蒼龍」と「泰鴬」として対面している。それは、国を守る者と、反逆者としての面構えだった。
「…はい…」
響江は驚いた表情で返事をする。二人は構え、互いのこと以外見ていない。蒼龍は左手に力を入れる。
(左肩を中心に感覚がない…辛うじて足は大丈夫だが、戦えて小半刻だ。…!)
蒼龍は左に避けた。
(急に走ってくんのかよ! 危ない、左腕丸ごと切り捨てられるところだった。あ、背中空いてる)
「ちっ!」
泰鴬が刀を前に押し出し、二つの刀が交差する。
(このまま一突き脇腹にでも入れれば…!)
ゲホッ
(よし! …!)
泰鴬の右手を躱せずに、蒼龍は背中に一太刀受けてしまった。蒼龍の腹が地に着く。
(い、たい。苦しい、こきゅ、う、が…っ)
蒼龍は地面を蹴り上げた。後少し遅れていたら、首なし人間になっていたからだ。天地が逆さになりながらも受け身をとる。今は何よりも、視線の先にいる人間を倒さなければならない。
(…)
もう一度構える。左半身に加え、右側も痛んでしまった。
(これを使えばなんとか…)
蒼龍は右手を左袖に突っ込んで何かを取り出し、泰鴬に投げつける。泰鴬が刀で何かを切ると、大きな破裂音と共に閃光が泰鴬の視界を奪った。
「なんだこれは!」
(おらっ!)
泰鴬の背中を切りつけると、泰鴬がそのまま前に倒れる。泰鴬は何かを口にしているが、小さくて聞こえない。
「このっ!」
叫んだ泰鴬の首に、蒼龍は刀を当てた。
「琉 泰鴬。今この場を持って、陽の光を浴びることを禁ずる。期間は皇帝・紅 鳳凰が決められよう」
泰鴬はうつ伏せになりながら、刀を握り直した。その表情は傍若無人な怒りに満ち、何か一つでも隙を作ってしまえば暴れそうな状況だ。
「俺は認めないからな! 鴬氏の格を下げやがって!」
暴言を吐きながら武官に拘束された泰鴬を見届けると、響江が蒼龍に近づいてきた。
「蒼…」
「まだだ」
「えっ?」
またしても何かあるということに驚きを隠せない響江と、一緒に静観していた鳳明に蒼龍は問いかける。
「楊 鴒秋はどこだ」
全員が辺りを見回す。すると、響江が声を上げた。
「あれだ!」
響江が指差す先に、弓を構えた鴒秋がいる。先ほど蒼龍達に向けて放たれた矢が刺さっている箇所のちょうど上だ。五間程の崖上にいる。
(とてもではないが、今の私にあれを登ることはできない)
鴒秋が矢を放つ。向きからして鳳明を狙っているが、鳳明は刀で矢を弾いた。
「くそっ!」
鴒秋が逃げ出す。鳳明が壁を登ろうとするが、その横から響江が岩を伝い登っていく。
「待て!」
鳳明が大声を出すが、響江はお構いなしに追いかけていく。蒼龍は響江を見て、全身の力が抜けたように地に倒れた。それを視界の隅に捉えた響江は、口角を少し上げた。
「…たぞ! 捕え…!」
(…?)
目の前には川が広がっている。ということは、金央州の国境沿いまで来たらしい。
「鴒秋は…」
辺りを見て探していると、響江が鴒秋に水をかけているのが見えた。
「起きたか。楊 鴒秋だが、突然体が燃え始めた。天罰なのかもしれないが、罪人は逃したくないからな。水をかけて始末している。…なぜか響江も手伝っているが」
鳳明はそういうと、泰鴬と響江のところに歩いていく。そして、刀を向けて言った。
「凰国皇太子・紅 鳳明より言を出す。楊 鴒秋および響江。地下牢に入ることを命ずる。期間は、皇帝・紅 鳳凰が決めるだろう」
「…っ!」
鴒秋が響江を振り払い、森へ走っていく。他の官が動く前に、響江が鴒秋の右肩に小刀を投げた。
「ぐぁっ!」
転びかけた隙に、鴒秋は響江に取り押さえられていく。暴れる鴒秋を見て、すぐさま武官が替わった。鳳明は不思議そうな表情で響江に問いかける。
「なぜ鴒秋を捕らえた?」
響江は鳳明の後方でおぶられている蒼龍を見た後、率直に言ってのけた。
「心替わりしました」
「……?」
鳳明はよく分かっていないようだ。「そうか」というと、官達を集めた。
「皆に申す。反逆者・楊 鴒秋、琉 泰鴬、響江の三者は捕らえた。これより帰城する」
「「はっ!」」
武官達がそれぞれ馬に乗り出すと、東の空から陽が昇ってきた。鴒秋がよほど長い時間逃げ続けたらしい。
「蒼龍、其方はよくやってくれた。何か一つ望むものを与えよう」
蒼龍は少し考えてから、罪人用の馬車に乗ろうとしている響江のところへ走った。そして響江を連れてくると、鳳明に向かって拱手をする。
「…大変突飛なことを願いますが、この者…響江を、私の専属医にしてはいただけないでしょうか」
「「は?」」
鳳明と響江の声が被った。
「もちろん、この傷が治るまででございます」
響江は口を開けたまま蒼龍を見ている。鳳明も同じ様子だ。
「本当にそれでいいのか…? 罪人だぞ?」
鳳明が問う。
「響江に専属医になってほしいんです」
「…」
鳳明が少し考えて出した答えは意外なものだった。
「許可しよう」
響江は唖然としていた。
「皇帝・紅 鳳凰より命ずる。反逆者の三名は、無期懲役とする。」
五日後、本宮にて、鴒秋たちの刑が言い渡された。蒼龍も腕の傷を隠しながらその場に居合わせていた。
(許可してもらえてよかった。女だと知られてはいけないからな。そして、やることはもう一つある)
「異論はあるか」
その言葉に、蒼龍は鳳凰の視界に入る位置まで歩み出る。拱手をし、口を開いた。
「響江の罪状に関して異議を申し上げます」
「…許可する」
若干、鳳凰の声が震えている。
「懲役期間の短縮を提案します。響江は罪人ですが、心変わりしました。それだけとは申しません。証拠に、花仁を逃がしております。反逆に加担しましたが、楊 鴒秋を捕えることができたのもまた、響江のお陰です。それに、すでに言い分はお聞きかと思いますが、私達臣下の意見ばかり聞いていた陛下にも非はあるのでは?」
鳳凰の表情が詰まる。大臣に目を向け、それを受け取った大臣が動こうとするが、それを阻止するように、蒼龍は再度口を開く。
「ぜひとも、皇帝陛下のご英断をお受けしたく存じます」
皇帝陛下の、ということは鳳凰自身の、と言う意味だ。臣下に頼ることは蒼龍が許していない。鳳凰は少し考えた後、震えた声で話し始めた。
「…響江は、一年半の懲役とする」
響江の表情が明るくなる。それは、袖で顔が見えない蒼龍も同じだった。
「他に申し開きのある者はいるか」
「ある!」
声の主は泰鴬だ。
「鴬氏を貶めたこと、忘れてないからな! それに、俺はお前がやらかしたことを知っている! お前は、金 鴒明を殺した!」
(金 鴒明…?)
蒼龍の脳内に古い記憶が浮かぶ。金 鴒明とは。現帝とは。
(ああ、そうだ。思い出した)
ご高覧いただきありがとうございました!