7 金盞花
「!?」
響江と泰鴬は鴒秋を見つめている。蒼龍は静止した。そうだった。目の前に立っているのは、敵大将であるが、第一に叔父なのだ。そして、
(私が金 黄鴒であることを知っている唯一の人間だ)
様々な未来が頭に浮かぶ。鴒秋も同じことを考えたようで、二つ、選択肢を提示してきた。
「お前は金 黄鴒。それが大前提だ。…一つ。お前は蒼龍として都に戻るが、女であることが明かされる。二つ。お前は元からこちらの人間として立ち回る」
「…っ」
蒼龍は下唇を噛み、鴒秋を睨みつけた。前者は国の為になるが、後者は最大の秘密を隠せる。
「…楊 黄鴒だ」
葛藤の末、蒼龍は後者を選んだらしい。姓を‘金’ではなく、‘楊’と名乗ったのがいい証拠だ。響江は蒼龍から手を離す。
「では、よろしく頼むぞ」
鴒秋は握手をしようとした。が、蒼龍は背を向け、服についた埃を払う。蒼龍の肩に鴒秋の手が置かれた。
「期待している」
鴒秋と共に泰鴬が室を出た。目線を上げると、響江が何やら不敵な笑みを浮かべている。
「なんですか?」
蒼龍は不機嫌そうに聞く。
「いやぁ、女性だったとはぁ…。驚きですねぇ…」
響江はジリジリと近づいてくる。後ろには机があり、下がれない。そのまま、蒼龍は押し倒された。
「黄鴒さん…僕の女性になりませんかぁ? 僕、強気な女性、好きなんですよねぇ」
蒼龍は目を逸らした。
(断らないと。でも何も思い浮かばない…)
ヒュッ
蒼龍は話し始めようとしたが、言葉にならず、息を吸う音だけが鳴る。
(仕方ない、ちょっと誘い文句にはなるけど…)
蒼龍は苦しまぎれに響江に言葉を飛ばした。
「そっ、そんなことを言われても、本音で話したことない人は嫌ですね」
「!」
響江が怯えた表情になる。それに気づかず、蒼龍は話を続けた。
「どんな性格でも裏の顔でもいいから、一度は見てみたいですよね〜」
響江の表情に光が戻る。
(さっきから百面相だな、この人)
すると、響江が消えかけの火のような声音で口を開いた。
「どんな性格でもいいんですか…?」
「ええ。それに、自分から見たいと言った手前、絶対に否定はしませんし。じゃっ、失礼します」
蒼龍は室を抜け出した。
「…」
響江は、一人立ち尽くしている。空が茜色になるには少し早いのに、響江は耳まで赤く染まっていた。胸の辺りの布地が拍を取っているのがわかる。
「恥めてだ、あんな人は」
どうしようもなく口角が上がる。自分でも感動しているのが丸わかりだ。
「金 黄鴒…」
響江は草原の中で、一輪、雅量な花を見つけたようだ。
翌日、辰の刻。蒼龍は最高指揮官室にいた。先日の話は誘い出すための謳い文句だったようで、何も決まっていないというのが現状らしい。
(バラすだけバラしてあとは無計画かよ)
呆れつつも、鴒秋の話に耳を傾けた。幸い、蒼龍は指揮官だ。凰の動きは把握している。
(私のやることは一つ。凰側が鴒秋を捕らえられるよう、誘導するのみ)
今は一年の内の如月。して九日の上旬だ。予定では動き出すまであと二ヶ月程。その間に都が手を回してくれれば良いが、
(そううまくはいかなそうだ)
「紅家は…だろう。そうすると…」
「こうしたらいいのではぁ?」
鴒秋はそばにいる響江と共に作戦を考えている。文を通して都に知られていることを踏まえ、新しく立案するようだ。
「おい、凰はいつ動く予定だ」
後ろには護衛がいる。下手なことは言えない。
「春頃…弥生下旬から卯月上旬だ」
「二ヶ月か…ちょうどいいな。おい、響江。武器の方はどうだ?」
響江は帳簿を持ち出す。恐らく、載っているのは大刀、槍、弓、砲ぐらいだろう。鴒秋の軍は六十万。確認に時間がかかるといいが。
「あとは鉄砲だけですねぇ。そうだ、黄鴒さんに確認してもらいませんかぁ?」
「…そうだな」
残念。時間はそう多くは掛からなそうだ。
(ここにいるよりかは出張させて文を書く暇すらなくす気か。まあ、従う他ないな)
「承知した」
昼食をとった後、蒼龍は再度、武器庫に向かっていた。左斜め向かいには、響江が座っており、響江はチラチラと蒼龍を見ている。
(さっきから見てくるのはなんなんだ)
蒼龍は見えていたが、見えていないふりをした。
「黄…」
被せるようにして馬車の扉が開く。響江の手は蒼龍の手首に届くか否かの所で止まった。
「到着しました、響江様」
「はぁーい…今出ますぅ」
響江は目が笑っていない笑みを作り、馬車を降りる。
(危ない。また面倒なことになるとこだった)
蒼龍は胸を撫で下ろした。
「この一角で三万、それが五万で計十五万です。ご確認ください」
「ありがとうございますぅ。…大丈夫そうですねぇ。確定お願いしまぁす」
確認作業はあっさりと終わってしまった。鴒秋の言動からして、早ければ明後日にでも動き出すだろう。
(このままでは凰がクォカイに支配されてしまう。何か都に伝えられるものは…)
辺りを見るが、何もない。当然だ。監視付きで出張に来ているのだから。蒼龍は胸元に手を当てる。
クシャ
小さく音が鳴る。正体は、昨夜、蒼龍が急ぎで書いた文だった。だが、伝書鳩もいなければ、馬もいない。おまけに響江という今一番厄介な存在がいる。
(問題は一つずつ潰すほうがいいか)
蒼龍はまず響江との問題を解決することにした。
「じゃあ注文してきますねぇ。黄鴒さんは座ってお待ちくださいぃ」
「わかりました」
しばらくして、響江と蒼龍…いや、今は約会のような状況だから黄鴒というべきだろうか。二人は響江の計らいで甘味屋にいた。
(どうして二人だけなんだ。護衛まで下がらせて、響江は何がしたいんだ?)
黄鴒は眉間にシワを寄せる。どうやら、黄鴒にとって響江は眼中に入る存在ではないらしい。響江は健気に湯円を持ってくる。黄鴒は会釈をしながら受け取った。二人は静かに食べ始める。
「…響江さん」
響江が素早く反応する。想い人に話しかけられたこともあるのだろうが、一番の理由は声だろう。まだまだ低いが、男声からは脱した女の声になっていた。響江は微笑みながら言う。
「綺麗なお声ですね。僕、低い声好きです」
「ありがとうございます。…いや、声はいいんですよ」
急に褒められたが、絆されるものかと黄鴒は我に返る。
(響江が私を監視してる可能性だってあるんだぞ!)
「なんで二人だけなんですか?」
「…少し話したいことがありまして」
響江は目線を下に逸らす。
話すこと、というと鴒秋の話だろうか。それとも、クォカイのことだろうか。響江から出てくる話にはいつも驚かされる。
「突然なんですけどね…あの、今からの話、聞いてくれますか?」
「? もちろん聞きますけど…」
黄鴒の言葉に、響江はの口角が上がる。まるで安心したように。
「ありがとうございます。僕ですね、黄鴒さんに」
「おーい、食べ終わったなら皿戻してくれー!」
店主が二人に向かって叫ぶ。
「あっ、すみません! 今片付けます! 響江さん、お皿ください」
「…はい」
響江はがっくりと肩を落とした。二人はそのまま甘味屋を出て、歩いて拠点まで向かう。その最中、響江は黄鴒に問いかけた。
「黄鴒さん…って、その、想い人とか、恋人っていらっしゃいますか…?」
突拍子もない質問に黄鴒は固まる。だが、湯円の礼としてだろうか。答えるようだ。
「…いませんよ」
「何か含まれてませんか? それ」
黄鴒の頭の中に、鳳明と響江がよぎる。
「いやぁ、別にぃ…」
黄鴒は遠い目をしていた。
(殿下はまぁ、気になりはする。あくまでも心配の域を出ないけど。響江は…だめだ、気にしてはいけない)
印象はまずまずだが、気にはされているようだぞ、響江。
「じゃあ、恋人にするなら、どんな方がいいですか?」
「えっ」
黄鴒は顎に手を当て、深く考え始める。
(どうだろうか…難しいな)
ーー自分をしっかり持ち、正しい判断ができる人間ーー
(?)
突然、黄鴒の頭にその文章が浮かんだ。なぜかはわからない。だが、
(忘れてはいけない気がする)
黄鴒は響江に伝えた。
「自分をしっかりと持ち、芯の部分は誰にも影響されず、正しい判断ができる人がいいです」
「…ほう、そうですか」
「はい。高望みですけどね」
黄鴒は苦い笑みを浮かべた後、響江と歩き出す。すると、一羽の鳩が道に降りてきた。その鳩は、卯の花色だ。
「!!」
黄鴒は気づいたようだ。そう。この鳥は都からの伝書鳩だ。黄鴒は文をくくりつけようとする。だが、響江がいることを思い出した。振り返った黄鴒に、響江は優しく言う。
「僕は何も見ていません」
「! あ、ありがとうございます…」
黄鴒は戸惑いながらも、伝書鳩を放した。
「戻ったか。明日にはクォカイへ向かうぞ」
「承知しましたぁ」
「承知した」
拠点に戻ると、鴒秋がいた。二人はそれぞれの立場に戻る。周りでは、一般兵たちが戦の準備をしていた。
(いよいよか)
「お前の分だ。使え」
鴒秋から渡されたものは鎧だった。蒼龍はそれをまじまじと見つめる。
「…だいぶいい材質だな、これ」
「当たり前だ。禁軍が相手だぞ」
「そうか」
蒼龍は室に向かう。響江は何か言いたげだったが、鴒秋に捕まっていた。
その夜、蒼龍は窓から顔を出していた。室は四階。鳳明達の所へ向かおうにも、飛び降りはできなさそうだ。
「どうしたんです? 黄鴒さん」
振り返ると、響江がいた。何かを伝えたそうに見えるが、蒼龍は気づかない。響江はそのまま続ける。
「戸を叩いても反応がないので入ってしまったんですが…」
心配そうに黄鴒を見る。だが黄鴒は応えらえないとでも言うように目線を逸らす。
「いえ、なんでもないです」
黄鴒の様子を見て、響江は言った。
「脱出しようとか、考えてます?」
蒼龍の肩がすくむ。同時に、後ろに手を回す。何も言わないが響江は察しただろう。
蒼龍が脱出するつもりだということを。
(怖い)
蒼龍に恐怖が纏わりつく。当たり前だ。仲間は遠く離れた場所にいて、女一人で男三人の敵地に身を投じているのだから。
突然、温もりが蒼龍を包んだ。蒼龍は我に返る。全身に意識を向けると、響江が蒼龍に抱きついているのがわかった。
「黄鴒さん…」
表情こそ見えないが、泣きそうな声だ。
「響江さん?」
動かぬまま、響江は話し始める。
「いきなりでびっくりしちゃいましたよね。ごめんなさい。あのですね、僕、今すごく後悔してます。出会うなら、禁軍と罪人ではなくて、平民の響江と黄鴒として出会いたかった…」
蒼龍は何もできない。
「黄鴒さん、僕はあなたに惚れました。少ししか一緒にいないはずなのに、泣いて別れを惜しむほどに」
蒼龍の耳の中に入ってきた言葉は、蒼龍に硬直以外の選択肢を与えなかった。
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