5 蒼龍、黄鴒、花仁
母は頭を抱えて話を続ける。
「…銀西州国境沿いの地域は鴒秋を中心に鴒族分家が管轄していることは知っているな? 万一にも隣国の虎国に情報を流してしまえば…」
皆黙っている。情報が流出すれば、一族諸共処刑は免れない。しいては、お前たちの働き口がなくなる、と言いたいのだろう。
「二、三人、諜報員として向かってはくれないか?」
翌日、夜明け前に黄鴒は金鴒邸を出た。結局、諜報員は宮廷側が動いてから出そうという結論になった。
(国の機密情報が盗まれたなら、外廷でも動きはあるんじゃないか?)
正門と冬北門を抜け、皇宮に向かう。本宮に着くと、話を聞いたであろう鳳明の従者がいた。蒼龍に気づくと、拱手をして近づいてくる。
「蒼龍様ですね。殿下から伺っております。ご察しの通り、急ぎの用件ですので、向かいましょう」
「わかりました」
大会議室には鳳明がいた。なぜか、鳳凰の姿がない。後ろを見てみると、正妻である皇后と、第二から下の皇子たちが悠々と座っているだけだった。
(どんな状況かわかってんだろうか、第二皇子殿下達は)
「来てくれたのか。初仕事が大掛かりな場ですまないが、記録を頼む」
「承知いたしました」
蒼龍は耳に入る言葉を要約して筆を走らせる。様々な意見が飛び交う中、急にしんと静かになった。
「虎国に情報が渡るのを先に阻止するべきでは? 国内ではどうとでもできるだろうし…」
全員が一斉に蒼龍を見る。
「もう少し詳しく話してくれ」
鳳明の呼びかけで、蒼龍は我に帰る。どうやら、考えが口からこぼれたようだ。辺りをみると、皇后もわずかに視線を向けていた。蒼龍は地図を指差し、説明していく。
「今すぐにでも追いかけた方がいいという方もいますが、内陸から国際河川まで追うと、そのまま虎の都まで入られてしまいます」
否定された武官達は、地図を睨みながら顎に手を当てた。大河が国境になっているこの大陸では、背に河があれば逃げられないと思ったのだろう。しかし、鴒秋は反逆者といえど西方の領主。
(船の五隻は持ってるだろうな)
「なら、どうすればいい」
鳳明が聞くと蒼龍は見越したように説明を続けていった。
「では、これでいいな。それぞれ軍を動かしてくれ」
『御意』
半刻後、会議が終わった。禁軍ほどではないと判断されたが、ことが大きいために大尉が指揮を取ることになった。室に少人数しかいなくなると、鳳明は蒼龍に話しかける。
「見事な案だった。妾と共に大尉のところまできてくれぬか?」
「…もちろんお供します」
(あれ? 結構初歩的な作戦だったと思うんだけどな。そんなに凰の水準って低かったっけ)
蒼龍は違和感を覚えた。だが、考えているうちに軍部についたようだ。鳳明は何かを話している。すると、鳳明が動揺した様子で話しかけてきた。
「鴬氏を訪ねるぞ」
「? はい…」
戸部には鴬蘭の姿が見えた。静止したのは蒼龍の前を歩いているお方が原因だろう。鳳明は鴬氏を集めた。
「…琉 泰鴬はどこだ?」
泰鴬がいない。翰林院官の泰鴬がいないのはおかしい。鴬蘭を見ると、気まずそうな顔で拱手をしている。
「申し訳ありません、分かりかねます」
鴬蘭の様子は、演技とは思えなかった。何も知らされたいないのだろう。鳳明もそれを悟ったようで、詰めるのはやめたようだ。
「大尉といい、どうして重臣がいないんだ!」
戸部を出てからの鳳明の言葉には鈍く反応を見せ、蒼龍は言った。
「全員、楊 鴒秋の仲間なのでは?」
鳳明が足を止める。そんなはず、と思っているのだろうが、そうとしか考えようがない。先日の歴代鴬氏伝の時も、言動がすっきりしなかった。大尉はよくわからないが、仲間であれば大きな軍の指揮を取るだろう。仮に攫われていても、軍は動かすはずだ。
(まあ、処刑は避けられないな)
「そうだとしたら、事が大きいな」
鳳明は下を向いて考えこむ。
(…どうしたものか。鳳凰官の一人、鴒秋と、兵部の最高官、大尉。さらには琉 泰鴬まで…重臣がいなければ鎮圧どころか外廷も危うい。どこかに指揮はとれる官は…あ)
鳳明は振り返る。そこには先ほどから一緒に行動している金級官がいる。鳳明は蒼龍の方を掴んだ。
「蒼龍、其方が指揮をとれ」
「はい?」
蒼龍は聞き返す。が、鳳明の態度を見るに冗談ではなさそうだ。
(私でいいのか? 女の私で…いや、今は官吏だ。中身が女の身であれど、力にならねば)
鳳明は変わらず蒼龍を見つめている。蒼龍は鳳明の目を見た。その瞳には紅い炎がゆらめている。
「私でよければ、よろしくお願いします」
そこから七日間は怒涛の日々だった。皇宮と軍部の間に臨時通路が設けられ、蒼龍は本宮で細かな案を確認、提出した後、軍部の武官達に伝達を繰り返して過ごした。
蒼龍は銀西州に来ていた。野営を終え、馬車に乗って出発すると、次の目的地を確認し始める。
「次の目的地は…凌華か。いよいよ本拠地だな」
凌華には鴒秋達がいる。蒼龍がそこに向かっているのは、戦のためではない。
(諜報員として内部から壊してやるんだ)
凌華は虎までは二日と、凰の都に行くよりも簡単に行ける。だが、民に気づかれぬよう山を経由すれば、寒さに耐えられず凍え死ぬだろう。
(冬の間だけ過ごすと予定だ。いくらでもかかってこい、鴒秋!)
蒼龍は簡素な馬車から、凌華の特徴でもある山岳地帯を眺めていた。
ある一室に、戸を叩く音が響いた。
「入れ」
そう言ったのは、楊 鴒秋。巷で騒がれている件の犯人だ。
「失礼しまぁす、鴒秋さまぁ」
間延びした口調で入ってきた男は、持っていた文を机に置き、鴒秋に見せる。
「皇宮担当の者から早馬が届きましてぇ。ある高官が凌華に追放されたようですぅ。高官はぁ、随分と皇帝を恨んでたそうですよぉ。…こちらに引き入れますかぁ?」
にこにこしている男の文を見ながら、鴒秋は数秒考え込む。素性は分からないが、高官と言われるのだから有能なのだろう。皇帝を恨んでいるという点も自分達と同じだ。
「出迎えてやれ。だが、警戒はしろ」
鴒秋が言うと、男は笑顔で拱手した。
「承知いたしましたぁ。この響江、必ずや引き入れますぅ」
返事をした男は、名を響江といった。彼もまた、鴒秋、泰鴬と共に国を裏切った一人だった。
「さてさてぇ、どうやってお迎えしましょうかねぇ…馬車ですかねぇ…」
響江は室を出ると、地図を見ながら頭を掻いた。廊下を歩いていくと、一般兵が頭を下げる。二人の兵は、響江が立ち止まっても微動だにしない。いいところにいい下っ端を見つけた響江は、段々と口角が上がっていく。
「お二人共、今時間ありますかぁ?」
一般兵は顔を見合わせる。互いに険しい顔になっているが、それを見た上で、響江は二人の方を掴んだ。
「お迎えする人がいるので、お二人もついてきてくださぁい」
「…御意…」
嫌々、渋々という様子で、一般兵は響江に着いて行った。響江は、人の様子など気にせず、にこにこと歩いていく。
「こちらでいいんですね? では、ご武運をお祈りします」
「ありがとうございました」
蒼龍…花仁は、銀西州に来て二日目、敵対する楊 鴒秋の逃亡先、凌華に立っていた。辺りを見回すと、国境沿いだからだろうか、無駄はないが相応に豪華な建物が立っている。
(でも、民の家屋は少ないな。畑も。貧富の差が目に見える。…とりあえず進むか)
関所から真っ直ぐに伸びている道を歩いていくと、前方から何かが向かって来ているのが見えた。
「なんだ、あれ」
花仁が立ち止まっていると、見えてきたの馬車だった。花仁の前で止まると、一人が降りてくる。どこか見覚えのある容姿だ。
「よくぞ凌華にいらっしゃいました、花仁殿。上層部より、貴殿をお迎えしたいと言を受けております。どうか私たちにご同行願いたい。私のことは、響江とお呼びください」
響江は花仁が蒼龍であることに気づいていないようだ。花仁は様子を確認した後、話を続ける。花仁の前に響江が座った。
「わざわざ馬車まで出していただきありがとうございます。凌華に来てからどうしようかと思っていたので助かりました」
「住まいなどは…宮廷側から用意されていないのですか? 罪人といえど元高官でしょうに」
響江は眉をひそめる。
「追放とは、家の一つも用意されないものでしたっけぇ…? そうだとしたら、一体花仁さん、あなた何をしてここに追放されたんですかぁ?」
自分達にも危険が及ぶと感じたのか、珍しくじっと見つめてくる。話し方にも素が出てきた。花仁が一瞬の間に考えを巡らせると、思い出したのは鳳明の言葉だった。
ー追放されるほどの理由?…皇族の毒殺未遂とかはどうだろうかー
(そうだ、毒だ!)
「紅 鳳凰に毒を盛りました」
響江が目を見開く。「そうですか…」と小さく呟いた後、窓の方を向いた。車内には沈黙が流れる。
(毒を…盛った? 紅 鳳凰に? それが事実なら、現帝は今生きていない…我々の存在意義は…)
目を座らせ、爪を噛んでいる。表面下でかなり焦っているのだろう。花仁はそれを冷観してから、静かに口を開いた。
「ですが失敗しまして、こちらに追放されました」
「そうなんですねぇ…本当に殺してたら、国内追放じゃ済みませんもんねぇ」
響江はいつもの不敵な笑みに戻る。全く顔に出やすい人間だと、花仁は内心鼻で笑った。
(そんなことを思っていられるのも今のうちだな)
どうやら、目的地に着いたようだ窓に顔を向けると、五階はある建物が建っている。構造からして役所なのだろう。花仁は響江と共に中に入って行く。
「では、領長室まで案内しますぅ」
響江と共に中庭に出る。一番大きい本殿に入り、しばらく歩くと、響江は一室の戸を叩いた。
「例の方をお連れしましたぁ」
「入れ」
中から低い声が聞こえる。同じように、それより曇った声、怯えている声も聞こえてきた。響江が戸を開くと、どこかへ行ったはずの大尉、元翰林院官・琉 泰鴬、そして元は黄鴒の叔父だった楊 鴒秋がいた。
「その方が、件の追放された高官か。名は?」
「花仁と言います」
花仁は拱手をする。
(飛びかかった方が早いんだろうが、我慢だ)
鴒秋は花仁の目をじっと見ている。何かあったかと花仁が反応すると、鴒秋h言った。
「こっちに来てくれるか」
鴒秋が何かに気づいたようだ。
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