17 紫蒼と空家
「やっと終わった…」
「ごめんなさいね。ありがとう」
止血を終え、紫蒼は腹ばいで寝台に寝そべっている。軽いことよ。と流している本人よりも、小珊の方が焦っていた。黄鴒が疑問に思うのは不思議ではない。それが当然だと言うように、紫蒼は話し始める。
「とりあえず、答えるわ。いいわよね? 小珊」
「ああ」
枕元に座る黄鴒に、小珊は不服そうに言った。
「母さんの近くにいさせろ。せっかくまた会えたんだ」
黄鴒が「はぁ?」と口にすると、紫蒼が小珊を手で静止する。
「今説明するんだから、待ってなさい」
「…わかった」
「じゃ、黄鴒」
黄鴒が紫蒼に目を向けると、話が始まった。
「まず、私は紫蒼と名乗っていたけど、本当は姓も持ってるのよ」
「…それが、言ってた‘空’?」
「そう。私の名前は空 紫蒼。で、小珊って呼んでるこっちのが、息子の珊瑚」
「う、ん…?」
黄鴒はどうにも納得できないようだ。二人が視界に入るところから見ても、似ているな。はおろか、この二人が? という表情をしている。
(紫蒼は二十歳、珊瑚は三六歳、といったところか…どう見ても紫蒼が母親とは思えない。むしろ、珊瑚が父親と言ってようやく成り立つぐらいじゃないか?)
いつまでも見ている黄鴒に、珊瑚は一枚の紙を投げつけた。黄鴒の手の中には、改仕状がある。蒼家から金家へ仕え先を変える、と書かれていた。
「は」
黄鴒は珊瑚を見る。珊瑚は当たり前だという様子で続ける。
「お前が今疑問に思っていることはあるだろうが、まず移籍を承諾してもらってからだ。疑問もそこでなくなる」
「……まあ、話だけでも聞いてやるよ。私は何をすればいい?」
「…ま、明日わかるさ」
そう言うと、珊瑚は室を出ていった。
翌朝、黄鴒は投げつけられた改仕状に署名をしていた。
(いや全く。本当に全く納得はしてないが、こちらに来るというのなら…まあいいだろう)
珊瑚のことを警戒してはいるものの、紫蒼の嬉しそうな顔に、否とはとても言えない。黄鴒も、大切な人を失う気持ちはよくわかる。それに、仲間が増えるということは黄鴒にとっても利点をもたらすのだ。
「さ、後は珊瑚を待とう」
黄鴒が筆を置くと、室の扉が勢いよく開いた。外には、皇后・紅 藍方がいる。何やら焦っているようだ。
何があったかと見ていると、皇后が叫んだ。
「紫蒼!!」
紫蒼の方に視線がいく。当人も、訳がわからず、皇后陛下…? とだけしか発さなかった。
「覚えているか!? 私だ。紫藍だ!」
「え?」
黄鴒が反応する。
「ズーラン…? !」
紫蒼が紫藍に抱きつく。ここでようやく分かったが、紫蒼と紫藍は姉妹らしい。様子からして、長く会っていなかったようだ。
(よく見たら、確かに似ている。あんなに喜んでいる紫蒼は初めてだ。…ん?)
皇后の後ろをよく見てみると、珊瑚がいた。母と伯母を眺め、笑みを浮かべている。黄鴒と目が合うと、室に入ってきた。
「いい朝だな」
「ああ…」
黄鴒は動かない。動けないのもあるが、室の入り口でずっと喋っている姉妹をどうしたらいいか分からないのだ。とりあえずと、黄鴒は珊瑚と話すことにした。
「話はここでするのか?」
「いや、本宮でする予定だったんだがな。皇后陛下に自分は紫蒼の息子で、紫蒼は金 黄鴒の室にいると言ったら、衣装をひるがえしながら走っていかれた」
「そうか」
珊瑚は紫蒼たちに近づき、何かを話す。すると皇后は立ち上がり、黄鴒に向かって言った。
「失敬。改めて、私は紅 藍方こと、空 紫藍だ」
「あ、ああ。おっしゃる通りですよね。申し訳ありません。藍方だと教わったので、間違えたかと…」
黄鴒がそういうと、皇后は豪快に笑った。
「すまないね。惑わせてしまって」
「いえ、大丈夫です…」
「姉さん、本宮に行きましょうよ」
「お、そうだな」
紫蒼に反応し、皇后は大きな歩幅で歩いていく。黄鴒たちもついていき、少し歩いたところで、皇后は侍女たちに見つかった。
「陛下! どこに行っておられたのですか? 私どもは心配で心配で…!」
「いや、すまないな。金 黄鴒妃に世話になっていた。この三人を本宮へ案内したい」
皇后は黄鴒たちを紹介する。紫蒼と珊瑚は拱手礼をし、黄鴒は微笑む。
「ご紹介に預かった。銀級・金 黄鴒と申す」
黄鴒も礼をすると、侍女の一人がつぶやいた。
「この女を…?」
黄鴒には、皇后の雰囲気が変わったことしかわからなかった。
侍女の件から半刻ほど。黄鴒は本宮の待機室にいた。少しして皇后が入ってくると、そこには手を縛られた先ほどの侍女がいる。睨んでくるが、黄鴒は意にも介さない。様子を見て、皇后が話し始めた。
「先ほどはすまなかったね。こいつは充分叱った。もうしないように言ってある。おい、謝れ」
皇后は侍女を小突く。不機嫌そうにその侍女は言った。
「…申し訳ありませんでした」
「いや、大丈夫だ。貴女が言ったようなことは思われ慣れている」
「改めて、申し訳なかった。さて、本題に移ろう」
侍女は逃げるように室を出ていく。皇后は冷たい目を送りながら、どこかで見たような家系図を広げた。今度は金家のものではなく、空家のものらしい。
「まず、凰六族の空家について説明していこう」
その一言から、紙に墨が走り始めた。
ーー「紫藍」と「紫蒼」は、凰の皇族の実験により生まれた。賢帝を生き永らえさせようという考えのもと、実験体として、一歳差の姉妹は歳をとるのが二倍遅くなったんだ。それだけではない。皇族から逃げた姉妹のうち、妹は捕まってしまった。そして、不老不死となった。妹が二十歳の時だーー
「その妹が、紫蒼…?」
「ああ」
「ええ」
姉妹で発言が被ったことなど気にせず、皇后は話を続ける。
「その後、紫藍と名乗った姉は雷国に逃げ、百数年間過ごした後、正体を隠して凰国の皇后となる。五十六歳の時だ。さて、お前は?」
「私は…」
紫蒼が筆を握った。
(筆跡まで、よく似た姉妹だ)
ーー紫蒼と名乗った妹は不老不死となった後、逃げ出せたけど、四十年後には放心の末に体を売り始めるの。そこでできた子が珊瑚だった。そして珊瑚もまた、歳をとるのが二倍遅い。皇族は妹を囲って生活を支えたものの、妹は数年後には、姉がいるという情報を頼りに雷へと商いに行ってしまった。息子を置いて。そして、戻ってきたのが今年というわけーー
「姉さんとは、丁度すれ違っちゃったのよね。珊瑚も、産んで名前をつけた後、ほとんど会わせてもらえなかったし」
当人を見てみると、口に手を当てている。自身の出自を知らなかったのだろう。ええ…とつぶやいた後、何も言わなかった。
「あ、そういえば、珊瑚はよく自由にしてもらえたわね」
「ああ、確かに」
「気になるな、話してみろ。小珊」
「やめてください陛下まで。話しますけど…」
聞いていくと、幼い頃、周りの人間が自分に対して従順だと気づき、割と傲慢に振る舞ってきたらしい。脱出も、国外に逃したくないなら国内ぐらい自由に行動させろ、というと、すんなり受け入れられたようだ。
「どうして蒼家に入ったんだよ?」
「それは…春扇が…綺麗だったから…」
「お前三十路で十七歳の女子に惚れたのか!?」
顔を赤くして頷いた珊瑚に、全員が頭を抱えた。
「でも、金家につくと言った以上、蒼家には肩入れしない。約束する」
「そうか。守ってくれよ? 小珊」
「黄鴒まで言うのかよ!」
三人の笑い声が響いた。その後、紙を片付け、皇后は姿勢を正す。つられて黄鴒たちも背筋を伸ばした。
「では、この改仕状は受理する。今から珊瑚は金家の者だ」
「はっ」
「金 黄鴒の侍女、紫蒼よ。お前は今後、紫蒼と名乗れ。そちらの方が楽であろう」
「ありがたき幸せにございます」
「金 黄鴒。太姫競決、期待しているぞ」
「承知いたしました」
皇后は立ち上がり、室を出るところで、振り返って言った。
「三人とも、遊びに来い。私一人では暇だ」
皇后の言葉に、三人の顔は明るくなっていった。
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