16 珊瑚
太姫競決は、武・芸・文・礼の四点で競われる。今日は‘武の日’だ。黄鴒は衣ではなく、男物の漢服に刀をさげて皇宮門前まで向かっていた。会場に着くと、席へ案内される。だが、女官の視線は痛いものだった。
(ま、女が刀なんて下げてたらそう思っても変じゃないか)
黄鴒は横の席に座っている春扇をちらりと確認する。今の所怪しい動きはなさそうだ。
(ん?)
春扇を見ていると、口袋に手を入れている。そこから、何かがきらりと光っていた。
ーー暗器ーー
誰に向けてのものかなどすぐに分かる。
だが黄鴒はそれを言い出す様子もなく、じっと座っていた。
「紫蒼」
黄鴒の呼びかけに、紫蒼が反応する。
「どうしましたか?」
「今日一日、私を蒼 春扇と近づけないでくれ」
「? わかったわ」
紫蒼は不思議な顔をしながらも了承した。黄鴒が珍しく笑っていなかったからだろう。
「ふ、二人の娘の演技が終わった。これより小半刻ほどの休憩とする」
鳳凰の言葉に、黄鴒は背筋を緩めた。まだ黄鴒の番ではないが、白雁と冬鷸の演技が黄鴒に充分な緊張を与えていたのだ。
(正直、他の妃は私と同じぐらいだと思っていた。だが…。正直、あの二人は上手すぎる。私の演技であの二人に勝てるのか? 問題はそれだけじゃない。春扇もだ。あいつもまだ番が…)
「ねえ」
「うわっ!」
「さっきから何してるの? 呼んでも反応しないし」
「い、いや、なんでもないよ」
黄鴒はのけぞった体勢を戻す。
「私、ちょっと行ってくるわ。護衛は任せてあるから」
「わかった」
紫蒼の後ろにいた官を見てみると、黒目黒髪で、蒼家の仲間ではないようだ。当事者の春扇はどこに行ったかとあたりを見回すと、姿は見当たらない。
(はて、どこに行ったのか)
すると、黄鴒の周りに影がかかった。
「誰かお探しですか」
影の正体は護衛の官のようだ。黄鴒は右後ろを見る。
「ああ。木妃殿を探しているんだが、いないようでね」
「…何かあるのですか?」
護衛は黄鴒に聞く。
「朱雀妃ともあろう方が一人でいなくなったから、何も起きないかと心配してしまってね」
「そうですか…」
「ああ。…」
黄鴒は見逃さなかった。視界の端に、皇宮門の二階で官に小刀を渡している春扇を。演技の最中に投げつけて、黄鴒を負傷させる作戦なのだろう。黄鴒が正面に顔を向けると、一本の髪の毛が落ちてきた。位置からして護衛のものだ。だが、その髪の毛は‘蒼色’をしている。
(…まさかな)
黄鴒は護衛の顔を見た。いや、正確には襟元を見た。護衛の襟は、髪につけたであろう染粉で、黒く染まっていた。
(こいつも春扇の仲間か)
「どうしました?」
澄ました顔で聞いてくる護衛に、黄鴒はにっこりと微笑んで言った。
「いや、何も。護衛はよろしく頼む」
「黄鴒様ー! 戻りました!」
後ろを見ると、紫蒼がいる。戻ってきたようだ。
「では、私はこれで」
「じゃあ後ろにいてくれ。紫蒼に呼ばれたってことは私付きなんだろう?」
「承知いたしました」
「黄鴒様、何もありませんでしたか?」
紫蒼が問いかける。
「…ああ。何もなかった」
黄鴒はにこやかに言う。こんな状況なのに余裕があるのは、護衛のせいだ。近くにも遠くにも敵がいることを紫蒼は知らない。せめて黄鴒だけでも余計なことを喋らないようにするしかないのだ。
「小半刻経った。こ、これより、後二人の娘の演技を始める」
「さ、始まるぞ」
太鼓が鳴る。春扇が壇上で構えた。音楽が流れ、春扇が舞い始める。
(すごいな、まるで蝶みたいだ)
どれだけ敵意を持たれていても、芸事が上手いのはやはり尊敬する。
(私はどれだけやってもできなかったからな…。よくそれでいじめられたものだ)
音楽が止まる。春扇が舞い終わったようだ。
(だが、私の得意な武芸ならどれだけやられても負けない)
今度は、黄鴒が壇上に立った。
「鳳凰の国・凰国を統べる皇帝陛下・皇后陛下、並びに鳳明様にご挨拶申し上げます。銀級・金 黄鴒です。本日は剣舞を皆様にお見せできればと、今この場に立っております」
誰もが怪訝そうに黄鴒を見つめる。一人だけ剣舞など、目立って仕方がない。静かな会場に、音楽が流れ始めた。
ビリィィィッ
「!!?」
皆が一斉に黄鴒に目をやった。黄鴒は、背中に一輪の藤袴が描かれた上かけを切り裂いたのだ。衣装を裂くなど、通常は考えられない。だが、その下から、橙の衣が顔を出した。
ふわり ひらり
舞うように刀を振る黄鴒の元に、一つの提灯が飛んできた。すると、またしても黄鴒は刀で切り捨てた。提灯の中から、幾多もの黄色い花びらが舞う。
(弟切草のものだわ)
黄鴒が強く舞ってみせると、花びらは風にのって彼方へと飛んでいった。皇宮門に背を向けた黄鴒に、二、三個、銀色に輝くものが向かう。小刀だ。
「!!」
刃が触れ合う音が鳴り、黄鴒は剣舞を終えた。小刀は、全て壇の床に刺さっている。
「鳳凰様と朱雀様に剣舞を披露でき、誠に光栄でございました。これこそが、皇太姫になる覚悟にございます」
最初に拍手をしたのは、皇后である、紅 藍方だった。鳳凰は意図が分からず、左右をキョロキョロと見ている。自然に鳳明も手を叩き、会場の全員が黄鴒に拍手を送った。
(ためらいを捨て、前に進み、敵意すらものともしない…皇太姫としてあるべき姿だわ)
紫蒼が見ていると、黄鴒が壇からおり、席に座った。よく見てみると、顔が白い。呼吸も荒い。
(熱中症!? でも今は…)
紫蒼は動くのをぐっと堪え、鳳凰の声が掛かるまで待つのだった。
「ねえ、あんた、大丈夫? 体調崩してたみたいだけど」
「? ああ、あれなら大丈夫だよ。もう治った」
夕方になっても、黄鴒達は医局にいた。
「治ったなら室に戻りましょうよ。いつまでもいても…」
「いや、それはできない」
「なんで?」
黄鴒は、紫蒼に日中のことを話していく。護衛が蒼家の者だと言うこと、小刀は演出ではなく仕込まれた物だったと言うことなどだ。紫蒼の顔は青ざめる。
「じ、じゃあ、室に戻らないのも?」
「ああ。あの護衛か蒼家の誰かが今夜くると思ったからだ」
黄鴒は開いていた窓を閉じ、紫蒼を見た。
「今後何が起こるか分からない。気を抜かないでくれ」
「わかったわ」
トントントン
室の戸が叩かれた。一体誰だろうか? 医局の一室になど、誰も用はないはずだ。紫蒼は黄鴒と目を合わせる。
「…」
黄鴒は黙って頷いた。紫蒼もそれに返し、戸の向こうにいる人間に応対していく。
「どちら様でしょうか?」
「宦官です」
「何のご用で?」
「金 黄鴒妃を訪ねてきました」
「…」
声は高く、武官のものとは思えない。もし自身に危害が及ぼうものなら、この刀で対処してやる。
「開けてやれ」
静かに戸が開く。そこには宦官がいる。だが、一つ瞬いた後には、黄鴒の口を塞いでいた。
「え」
紫蒼には黄鴒の刀が向けられ、術が解けて蒼色の髪をした男は言う。
「お前達はグズだな。術にも気づかないなんて。ああ、そうそう。俺は今からこいつを殺すよ。紫蒼とやらは殺人罪でお縄だな!」
男がそう言って刀を振りおろす。すると、紫蒼が大声をあげた。
「やめて、小珊!」
「はっ!?」
黄鴒が目を開けると、紫蒼が黄鴒に覆い被さっていた。刀が刺さり、背中から大量の血が流れ出ている。黄鴒は名を呼びかけることしかできなかった。
「紫、蒼…?」
黄鴒が言うと、紫蒼は首を横に振る。そして、小さく呟いた。
「違うわ…私は紫蒼じゃない。空家の、空 紫蒼よ…」
‘紫蒼’の名を聞いて、一番に反応したのは、小珊とやらだった。小珊は、母さん! と叫んで、紫蒼の背中に術をかけている。
「え…? なんだ、どういうことだ?」
紫蒼の行動、小珊の発言に、黄鴒は完全に考えることを止めてしまった。
「ずー、つぁん? しゃおしゃん?」
困惑する黄鴒に、紫蒼は言った。
「ごめんなさいね。あとで説明するわ」
「それより、止血を手伝え、このボンクラ!」
「…小珊、口悪いな」
そう言いつつも、黄鴒は紫蒼を助けるために動くのだった。
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