12 正体
「まあいい、皇帝陛下のご意向だ。刑は下さん」
「…分かりました。感謝いたします」
(…)
黄鴒は片手を頭に添える。昨日の出来事がかなり強烈だったらしく、その場で深呼吸をし始めた。
「宮廷官吏と行き遅れ後宮妃ね」
紫蒼が水桶を持って室に入ってきた。ただの後宮妃ではなく行き遅れがついているのは、鳳明の性癖が影響しているからだろう。
「今のは十五から十六ぐらいだもんな。十九の私は確かに行き遅れだ」
(全く年頃の娘が好きとは…妊娠はさせたんだろうか? …いずれ私もすることになるのかな)
「ほかの奴らには十九の妃が殿下のお気に入りって騒がれてるわよ」
「まあ大丈夫だろう。殿下の性癖が変わったと思われるぐらいだ」
「それは…いいのかしら?」
紫蒼は壁櫃から衣を取り出す。遠ざけて衣を見ると、黄鴒に向かって言った。
「この衣だけでいいの? 他の奴らはもっと色々持ってるけど」
「いいんだよ。ぴったり似合うものが一つあればいいんだ。他、他って言ってるけどさ、私が好きなもの来ても他に迷惑かからないしいいだろ?」
紫蒼の動きが止まる。少しして、気が緩んだかのように口角を上げた。
「それもそうね」
紫蒼は黄鴒に衣を着せていく。その間、黄鴒は窓の外を見ている。が、目に光がない。初夜のように。
(皇帝の意向…か。悔しいな。敵に助けられた。女が官吏になるのも当たり前になったらいいのに)
「終わったわよ」
「ありがとう。じゃ、行こうか」
黄鴒は後宮の北西にある尚寝局へ向かう。新しく黄鴒を出迎えた仕事場は、尚寝局庭園部だった。
「今日から世話になる。銀級が才人・金 黄鴒だ」
女官達は怪訝そうな表情を浮かべる。それもそうだろう。新しく入内した妃が周囲よりも歳をとっていて、化粧っけがない。それでいて堂々としていたのだから。
「これからよろしく頼む」
業務時間後、室に帰る途中に、黄鴒は紫蒼にだけ聞こえる声量で口を開いた。
「私は今は休暇中だから平然としているが、一ヶ月もすれば皇宮に行かなければならない。私がしている仕事も覚えておいてくれ」
「分かったわ」
顔を合わせずに会話する。二人が歩いていると、色々な妃と女官が二人を睨みつけた。紫蒼が視線を返すと、大抵は逃げるように顔を隠す。が、たまに黄鴒をじっと見つめている妃もいた。
「全員に受け入れてもらうのは難しそうね」
「それははなから無理な話だ。ま、殿下は信用をおいてくれるだろう」
卯月の十五日、銀級妃・金 黄鴒の室に黄鴒と紫蒼が立っていた。黄鴒の眉間にはシワが寄っている。
「皇宮に着くまで、どうやって姿がバレないようにしたらいいだろうか?」
今は日の出。出勤まではあと一刻。黄鴒は色々な假发を持ち、鏡の前で唸っていた。すると、紫蒼が黄鴒の假发をとり、目隠しをする。
「わ! なんだ、どうした!」
「うるさいわね。黙って正座しなさい」
「? 分かった…」
紫蒼の言う通りに黄鴒は床に座った。主を床に座らせる従者は紫蒼だけだろう。紫蒼は何かを取り出す。音からして液体だ。紫蒼はそれを黄鴒に数滴垂らした。
(なんだこれ?)
「改变此人的外貌…」
紫蒼が唱えていくと、澄んだ空気が黄鴒を包んだ。
「終わったわよ」
「? 特に変化はないが…」
小半刻ほどして、黄鴒は解放された。鏡を見ても何も変わっていない。紫蒼は「それでいいのよ」と言いながら黄鴒に官服を着せる。
「さ、行ってらっしゃい」
「ああ…行ってくる…?」
不思議な様子で、蒼龍は室を出た。紫蒼は自身にも術をかける。
(うん。腕は鈍ってないわね。よかった)
蒼龍の後を追う形で皇宮門近くまで行くと、宦官の服を着た蒼龍がいる。そのまま門をくぐると、蒼龍の服は宦官のものから官吏のものへと変わった。
(上出来)
それを見て驚く者は誰一人としていない。当たり前だ。紫蒼がかけたのは‘そういう術’なのだから。
(目欺の術…他人の目を欺けるけれど、細部まで変えるとなると効力が短いのよね。もう少し練度を上げないと)
紫蒼は黄鴒となり、尚寝局に向かった。下位女官から声をかけられ反応すると、自分の声がいつもより低い。
(ああそっか。黄鴒の声だものね)
この術を使って、紫蒼は黄鴒になりすますのだった。
「春季祀?」
蒼龍は目を丸める。初めて聞く単語に興味津々というところだ。
「ああ。準備を手伝ってくれ」
「分かりました」
鳳明から渡された資料を見てみると、一人の妃の姿が描かれている。
(どこかで見たことあるような…まあ気のせいか)
「主催は朱雀妃の蒼 春扇だ。」
蒼龍が少しばかり反応する。
「すごいですね。凰六族の娘が大役を…」
それを受け、鳳明は蒼龍を見る。何を言っている、という目で。
「お前も凰に六つしかない名家の娘だが?」
「…そうですね、はい」
蒼龍は目を泳がせる。蒼家よりも位が高い金家の娘がこんなことをしていると知られれば、金家の地位は落ちかねない。
「気をつけます…」
「よろしく頼む」
同日、宦官・蒼は後宮の南東部に向かい歩いていた。誰の目にも留まらぬようひっそりと。夜の闇に隠れつつ、一番端の室まで来ると、金 黄鴒という先々月に入内してきた妃の室があった。
「蒼です。失礼します」
室に入ると、そこには黒髪をまとめた女がいる。その名は紫蒼と言った。
「お帰りなさい。どうだった? 異常は?」
「全くないよ。すごいな、この術!」
蒼は術が解け、黄鴒に戻っていた。初めてかかった術に黄鴒は適応し、蒼龍、蒼、黄鴒の三役を使い分けることになったのだ。
「そう。よかった」
紫蒼が言うと、室の扉が開いた。その先からは鈴の音が聞こえてくる。
(殿下だ)
黄鴒は即座に拱手礼をする。すると、何を言うよりも先に、黄鴒頭に何かが触れた。
(?)
黄鴒が顔を上げずにいると、鳳明が口を開いた。
「忘れ物だぞ、蒼龍」
「あっ…ありがとうございます…」
頭に触れたものは、鳳明に渡された資料だった。黄鴒が手に取ると、紫蒼が覗き見る。
「なんですか? これ」
「春季祀の資料だよ」
黄鴒が振り返ると、紫蒼はペラペラと資料をめくって目を通していく。一通り見終わると、茶の用意を始めた。だが、まだ論点は春季祀にあるらしい。
「今年は遅いんですね。例年弥生に行っていたのに」
今年は卯月、春真っ只中だが、これでも遅いのか。と黄鴒は二人を交互に見る。
(春嵐が一度起きてからするんだっけか。昔勉強してたんだけどなぁ…忘れた)
再度二人の話に耳を貸すと、何やら不穏な内容が聞こえてきた。
「今年はまだ一回も起きていない。だから、起きる前にやってしまおうと言うわけだ」
「規模も大きくしてですか?」
「ああ。蒼龍にも手伝ってもらっている。な」
それまでただ聞くだけだった話題を振られ、黄鴒はビクッと反応する。
「え、あ、はい」
鳳明は茶を飲みながら規模の大きさについて語り出した。
「桜梅桃李と文と衣まで。色々用意するものがあって大変だよ」
(…祀用の文?)
黄鴒は思い返す。渡された資料ならまだしも、文なんてあの場にあっただろうか。そういえば、官達が忙しく動き回っている中で、なんかが遅れると聞こえたがする。
(きっとそれだろう。今頃文は室に保管されている。大丈夫だ)
黄鴒は違和感を頭の中で解決させた。
「今年は規模が大きいが、空家の令嬢は欠席だ。何かあるんだろうな。国をほったらかしてまでの大切な何かが」
「空家と言うと、先々帝の代にできた家門ですよね」
「ああ。国にとって重要な家門だ。なるべく出席して欲しいんだがな」
鳳明は苦い顔をしている紫蒼を見る。その視線は、茶を飲んでいる黄鴒には見えていない。茶器から口を離すと同時に、紫蒼は顔をそっぽに向けた。
「今回、官吏は鳳凰、妃は朱雀が出席するため、お前は出なくてよい。代わりに、宮廷内の平和を保ってくれ」
「宮廷内」と表したのは、蒼龍と黄鴒という人物が存在しているからだろう。黄鴒は姿勢を正す。
「御意」
鳳明を見送ると、黄鴒は紫蒼の前に立つ。紫蒼は少し身構える。すると、黄鴒は紫蒼に突飛なことを聞いた。
「お前、何者だ?」
「え」
意外な問いに、紫蒼は声を出した。黄鴒は壁に紫蒼を追いやる。
「どうして術が使えるんだ?」
「…故郷のものを試しただけよ」
当たり障りのない返事をする紫蒼。さらに追いやる黄鴒。
「空家の話で黙っていたのは?」
数秒間があく。紫蒼は黄鴒の目をじっと見る。その表情には曇りがあった。
「知らない話だったから、黙ってただけよ。さっきあんたもそうしてたじゃない」
「侍女試験にも凰六族は出るのに、か?」
黄鴒は眉間にシワを寄せつつも問い詰める。
(術といい黙り込みといい、怪しい点はいくつもあった。もし紫蒼が空家の人間なら、職務放棄で皇帝行きだ。名家は国への貢献度が高いぶん、働かなくなると国は雲行きが怪しくなる)
「皇帝と対談の後、強制処分、ね」
「わかってるんじゃないか。言えよ」
「だ、だから、知らないわよ」
黄鴒は少しだけ視線を下に下げる。何かを考えた後、いきなり口を開いた。
「強制処分三箇条」
「労働降格罰則金」
紫蒼は口を抑える。いや、えっと、などをぶつぶつ言いながら。見ようが見まいが焦っていることが丸わかりだ。
「言え」
黄鴒の迫力に、紫蒼は渋々覚悟をしたように黄鴒をよける。
「蒼家の元侍女だったの! 上級になる過程で学んだのよ! 他家の人間が侍女は嫌かと思って言ってなかったのよ!」
紫蒼の話を聞きながらも、黄鴒の目は少しばかり冷えていた。
(それだけならあんなに躊躇わないだろ。てか矛盾してるし)
そして、黄鴒は話し出す。
「じゃあいい。話を変える」
黄鴒は真剣な目で紫蒼を見る。
「響江とはどういう関係にあるんだ」
「あー、それは…」
ご高覧ありがとうございました!