10 新たな環境
「…それは、後で話そう。おい、連れて行ってくれ」
『はっ』
泰鴬達が謁見の間を出る。蒼龍もついて行きたかったが、主の鳳明がここを離れるまで蒼龍も動けない。
(泰鴬…。なぜ金 鴒明を知っているのか聞きたかったのに…)
「皇太子及び反逆軍の制圧に当たった者はここに残るように。では、解散」
小さい声でよく聞こえなかったが、鳳明が動かないのだから自身も動かない方がいいのだろう。鳳凰は話を続けていく。
「鳳明、こちらへ。蒼龍もだ」
『は』
鳳明が立礼をし、蒼龍は左後ろで座礼をした。皇帝の前に出るとなれば、普通は緊張で震えるだろう。しかし、蒼龍にそのような様子はなかった。
(この帝には覇気がない。そして…)
「蒼龍、挨拶を」
真の目的を考え出す前に、鳳明に声をかけられた。今は凰の四瑞神である帝に集中しなければならない。
「改めまして、帝国の四瑞神・皇帝陛下にご挨拶申し上げます。皇太子殿下の側近、蒼龍にございます」
(今は忠臣のふりをしていなければ)
蒼龍は袖の中で拳を強く握る。その様子からして、内面的な忠誠は零に等しいのだろう。何らかの気を感じ取ったのか、鳳凰の声は弱々しくなっていく。
「そ、そうか。凰の為によくやってくれた。二ヶ月ほど連勤しただろう。その分休暇を与える。そして、朱雀官に昇級だ。だが、専属医の件は取り消しだ。危険すぎる」
「! 承知いたしました…」
(無理だったか)
蒼龍は僅かにしかめ面になる。
「ほ、鳳明、お前も休んで良い。楊屋敷はお前の土地にする。好きに使え」
「ありがとうございます」
鳳明の後を追って、蒼龍は謁見の間を出た。別れ際、鳳明が蒼龍の肩に手を置く。
「本来は翰林院だったのに、妾の勝手で側近に持ってきてしまってすまなかったな」
「いえ、気にしておりませんよ」
「詫びといっては何だが、楊屋敷は其方に下賜する」
蒼龍が目を見開いた。
「いいのですか? あんな立派な屋敷」
「いいのだ。すまなかったな」
蒼龍は楊屋敷の門をくぐった。もう楊 鴒秋はただの鴒秋だから‘楊’はいらないかもしれないが。
(…)
蒼龍だった気分は黄鴒に戻り、そのまま黄鴒は寝台で目を閉じた。
(金 鴒明。故皇弟であり、金 黄鴒の実の父親…)
黄鴒の頭の中に、古い記憶が蘇る。
(皇帝の弟や妹は、皇后の旧姓と鳥を冠した名が与えられる。皇弟・金 鴒明も、それに倣って名を受けた。鴒明の‘鴒’は、鶺鴒の鴒…)
ーー鶺鴒には、鳥言葉の一つに「直情怪行」というものがある。その名の通りに育ったのか、皇帝・紅 鳳凰に反して、皇弟・金 鴒明は自立した人間であった。そして、鳳凰が一番に求め、疎んだのも、鴒明だった。
現帝はどうしようもない暗君だ。自分の意見を持つことがなく、皇太子の頃から誰かに頼らなければ政ができなかった。皇弟はそのような皇太子の姿を見て、よく助言をしてやっていた。自分たちに都合がいいように皇太子を動かそうとする臣下達の姿を知っていたからだ。鴒明の民を思った助言を、現帝も快く受け入れていた。ーー
(それが兄弟関係を壊す鍵になろうとは、誰も思っていなかっただろうな)
ーー「兄う…皇帝陛下、この度はご即位おめでとうございます」
「ありがとう、鴒明」
皇太子・紅 鳳炎が即位し、皇帝・紅 鳳凰となった。それでも、相変わらずの兄弟関係が続いていく。鴒明はこの国の皇帝補佐になるだろう。異なる考えを持つものはいなかった。
金 鴒明が殺された。帝の政に口を出したためだ。
帝が即位して一ヶ月。鳳凰が陰口を叩かれるようになった。いつまでも弟に頼っている。あれは帝の器ではないとのことだ。
鳳凰の耳にも「それ」は入った。
(鴒明に頼っていては、いつ父上に帝から降ろされるか分からないこのままでは駄目だ)
鳳凰は一人で政ができるようになろうと、鴒明の言葉を聞かなくなった。同時に、臣下達の意見を聞くようになる。ーー
(あんな奴らの話を聞いたらそれこそ駄目だろうに。鳳凰は気づかなかったのか?)
ーー「陛下! 進言をお許しください!」
「うるさい! お前は口を出すな!」
見かねた鴒明は助言を増やすが、鳳凰は受け入れない。この頃には、鳳凰は自身こそが帝であり、自身のやり方こそが正しいと思い込んでいた。
「鴒明をどうにかしたいのだが、どうしたらいいだろうか?」
鳳凰は臣下に鴒明のことを相談する。腐り切った奴らの中で処刑という判断が出るのは遅くなかった。
その結果、金 鴒明は投獄された。罪状は帝に対する無礼だという。
大衆の中で、黄鴒は父の処刑を見た。最後に見た姿は、破れた服を着て、腕を縛られていた。邸に帰ってこなかったのはこのせいか。黄鴒は幼いながらに察した。
殺される直前に、鴒明は笑みを魅せた。黄鴒の目には、皇弟として、父として、国のためにできることをやり尽くした男だった。
首が落ちた後、何かが黄鴒の頬を伝った。この瞬間を、この帝を、忘れてはいけない。
ーーーーー忘れさせてなるものかーーーーー
黄鴒は国の為、父の死を広く知らせる為、宮廷官吏になることを決意した。ーー
(いつからだろうな。記憶の中の、父さんの死が封印されていたのは。殿試の時には、すっかり忘れてたなぁ)
愚帝であるはずの鳳凰に仕えることさえ、栄誉だと思った。
(思ってしまった)
今、思い出した。自分の目的は、この国を変えることだと。暗君を引きずり落とし、金 鴒明の死を歴史に刻むことだと。
黄鴒は鳳明からの文を見る。
【皇弟の死について、父が本当に申し訳ないことをした】
黄鴒の口角が少しだけ上がった。
(国を変えたいというのは、殿下も同じなんだな)
どうやら、今度は正攻法で国を変えられそうだ。
休暇が始まって六日程。黄鴒は黄鴒として、屋敷で過ごしていた。今日は鳳明から飲みに誘われ、城下町に来ている。
「待たせたな。久しいが、元気だったか?」
「はい、おかげさまで。明狼様こそ、お元気でしたか?」
(危ない、鳳明様というところだった。明狼と呼べと言われているのに)
頑張って庶民の格好をしているが、やはり貴人で、街ゆく人の視線を買っている。本人は気づいていないようだ。
「わ…俺は元気だった。さ、酒場に行こうでは…行こう」
「お忍びなだけあって、大変ですね。族が出るかもしれませんよ?」
「まあ、大丈夫だ。俺自身が戦えるからな」
酒場に着き、二人は酒を注文する。しばらくして酒が来たが、‘蒼龍’は少しずつしか飲まない。
(酒の強さは普通だが、万が一にボロが出ては困るしな)
明狼はどんどん酒を煽っていく。少し呂律が回らなくなったところで、鳳明が語り出した。
「聞いてくれないかぁ、蒼龍ぅ」
「どうしました?」
困った様子の明狼に、蒼龍は顔を向ける。
「妹が困った性格でなぁ。公務にまでついてこようとするんだよぉ」
「ついてくるな。もう相手しないぞ。と伝えてみてはいかがでしょうか?」
「そうだなぁ。頑張ってみる!」
いつもよりも幼くなっている明狼を見て、蒼龍は癒されていた。
(皇太子としてじゃなくて、一個人として関わると、意外と楽しい人だなぁ)
「皇宮まで運びましょうか?」
「たのむぅ…」
泥酔した明狼を支えて、蒼龍は都の道を歩いていく。外延門まで着くと、見張りに止められた。
(案の定)
「貴様、何者だ」
酔っているからか、鳳明だと気づいていないらしい。不敬ではあるが、鳳明の顔を見せてやった。髪は染め粉で黒くなっているが、橙の瞳は依然としてそこにある。見張の顔が歪んでいく。
「! 大変申し訳ありません、朱雀の君。そちらの方は…」
「朱雀の君が側近、朱雀官の蒼龍です」
さらに顔が歪む。見たところ、銅級官のようだ。
「皇太子殿下と上官様に対し失礼いたしました…ど、どうかお許しください」
必死に謝っているのを見て、蒼龍はははっと笑う。
「怒ってなどいませんよ。見るからに平民ですし、何も言わずに入ろうとした僕たちにも責任はありますから」
「そーだ。それに、髪を黒く染めた妾も悪い」
「ありがとうございます。では、お通りください」
内廷を通り過ぎて皇宮に着くと、鳳明が自力で立った。
「ここまでで大丈夫だ。世話になった」
酔いが抜けたのか、しっかりとした足並みで宮に入っていく。蒼龍はそれを見届けてから屋敷に戻った。
「あー、疲れた。でも、楽しかったな」
黄鴒が回廊を歩いていると、裏門から何者かが入ってきた。
(族か?)
黄鴒は玄関に向かい、刀を手に取る。戸を開けると、何かは正面にいた。黄鴒は大声を出す。
「何者だ! ここは宮廷官吏の屋敷だぞ!」
刀が首にあたっているまま、何かは手を挙げた。すると、大きくため息をついて話始める。
「あーあ、響江のお願いだからわざわざきたのに…男じゃないのね。来て損した!」
「はぁ?」
黄鴒が固まっていると、誰かは「お邪魔…お世話になりまーす」と言いながら中に入っていく。
「ちょ、ちょっと待て。おい、待て!」
「なによ?」
黄鴒が腕を掴むと、振り返ってそう言った。
「お前、誰だ?」
そう聞くと、気だるそうに話し始める。
「あたしは紫蒼。響江に頼まれてあんたに仕えることになったのよ。聞いてないの? 嘘ぉ」
「そ、そうか」
急に人が家に上がって驚いている黄鴒を尻目に、紫蒼は話し続けていく。
「あんたの叔父さんのけんはご苦労様。それだけ。話変わるけど、凰って髪の色が貴族だけカラフルなのはなんでなの?目がチカチカするんだけど」
「か…?」
「あー、そっか」
聞きなれない言葉についていけない黄鴒に、紫蒼は面倒くさそうに説明をする。
「クォカイの北東、凰の北にある雷ってところあるでしょ?そこで知った言葉。いろんな色ねって意味」
「お、う?」
紫蒼から渡された地図を睨んでいる黄鴒を見て、紫蒼は声をあげた。
「そんなことも知らないで大丈夫なの!? あんた後宮入るのよ!? 名家のご令嬢でしょ!?」
「え…?」
固まった黄鴒を、紫蒼は呆れた目で見つめ返す。
「自覚な…」
「後宮入るのか? 私」
「知らないの!?」
紫蒼の怒号が響く。
「あんたの侍女のなるために雷からここまで来たのよ!?」
初対面の二人だが、揃ってうろたえている。宮廷官吏の蒼龍。転じて貴族の娘、黄鴒。
さあ、どうする。金 黄鴒?
ご高覧ありがとうございました!
これにて蒼龍編は完結となります。そこでなのですが、準備期間として、来週の投稿はお休みさせていただきます。
再来週からの黄鴒編、お楽しみに!