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47話

 


「鯰ー!」


 教会のような家の玄関がバタンと開いて曇り空を撃つかのような切迫した声が響き渡った。


 逆光の中から飛び出してきたのは、陽光をそのまま編み込んだような金色の髪をなびかせた少女――美佳だった。


 まるで世界に他の何も存在しないかのように、松田にも、警察官にも、集まった野次馬たちにも目もくれず、彼女は一直線に駆ける。


 長身の体格と無駄のない走行フォームはサラブレッドを彷彿とさせた。


 そして――。


「鯰っ!」


 そのままの勢いで、美佳は迷いなく鯰に飛びついた。


「うわっ……!」


 鯰は驚きに目を見開いたが、一歩も引かず、まるでそれが当然であったかのように、美佳の全身をしっかりと受け止めた。


 ざわめいていた野次馬たちの一部にどよめきが起こり、拍手をしている者もいる。事情が分からなくてもその光景はとてもドラマティックであり、心の通い合った男女の美しい再開であった。


「鯰!」


「ちょっと美佳、勢い強すぎ」


 苦笑いをしながら手の中にある少女の体の華奢さに気付く。自分よりも背がたかくて強気な少女はまさに少女だった。


「大丈夫だった?!怪我はない?」


 青く大きな美佳の瞳は潤んでいる。本来人目を気にする性格のはずの美佳だが、今は全く周囲の状況が目に入っていないようだった。


「全然余裕、全くの無傷」


「本当に大丈夫なのね?」


 少しの嘘も見逃さまいとする目で鯰を見る。


「あいつの攻撃、ワンパターンなんだもん。バックステップだけで余裕で躱せたよ。もちろん警察官の人たちのおかげだけどね。何かあったらすぐに助けてくれるっていう心の余裕があったから」


「よかった、本当によかった………」


 胸に顔をうずめたままの美佳と、柔和な笑顔の鯰。


「そんなに心配してたの?」


「馬鹿!当たり前じゃない!」


「そうだよね………」


 鯰は自信があった。相手が武器を持って襲い掛かってきても自分なら無事に終えることが出来るだろうと。けれどそれは少女には分からない事だった。


「自分の立場でしか考えてなかった、ごめん」


「………」


 声にならない声が聞こえて涙が出そうになった。


 心配してくれたという申しわけなさと、無事を願ってくれていたんだという有難さで、心が痛くて暖かい。


「もう大丈夫だよ」


 優しくゆっくりと喋る。


「殺人未遂の現行犯逮捕だから二度と学校に来ることは出来ない。これからはもうあいつのせいで悩む必要はないんだ」


 いまこの場に涙は相応しくない。だから鯰は笑った。今日は昨日よりも良い日常が待っている始まりの日だから。


「ごめん………」


「どうしたの?」


 胸骨に感じる振動に鯰が問いかける。


「鯰だけを危険な目に遭わせてごめんなさい、力になれなくてごめんなさい。本当なら私も………ただ見てるだけじゃなくて一緒に戦えれば良かったのに、戦わないといけなかったのに」


 鯰は笑った。


「さすがは美佳だよ、まさかそんなことを考えてくれてるなんて思わなかった。けどその気持ちだけで嬉しいよ。それにあんなやつは僕だけで十分、美佳の力を借りるまでもなかったよ」


「次………」


「?」


「もし次にこんなことがあったら、そしたら、私も戦う!ただ安全な場所に閉じこもって、祈っているだけの惨めな私になんかにはならない」


 美佳の声が震えていた。


「次は私も、一緒に………」


「こんな事はもう無いと思うけどね………」


「家に日本刀があるの」


「ふぇ!?」


「鹿島家に代々伝わるやつで、雷を斬ったって逸話のある本物の日本刀が。今まで怖くて一度も触ったこと無かったけど稽古する。稽古してあんなやつ背骨ごとぶった斬る!」


「な、なるほどお、美佳はずいぶんと頼もしいなぁ………」


 苦笑いする鯰の元に日向がやってきて、娘の背中を優しく摩る。


「美佳………」


 ああよかった、娘さんを止めてください。あなたの娘はなんだか変な決心をしたようですよ。


「覚悟よ」


「え?」


「美佳に一番必要なのは覚悟よ。それさえできれば、あなたはきっと鯰さんの隣に並ぶことが出来るわ」


「並ぶ?」


 美佳が首をひねる。


「あなたは守られるだけのか弱いお姫様なんかじゃない。並んで共に戦う、本当の絆で結ばれたパートナーになれる」


「本当の絆………」


「あなたなら出来るわ」


「ありがとうお母さん、私がんばる!」


 暴走気味の美佳を止めて欲しかったのに、お母さんはそれを助長するようなことを言っている。


 だけどまあいいかと思う。


 犯人は無事に捕まったのだし、自分の担任が犯人だったという衝撃的な事実に対しても美佳の動揺はそれほど感じられない。結果オーライというべきだろう。


 鯰はひとり頷いた。





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