侮りがたし公爵夫妻
「暑いわ……」
ヒルデは馬車に揺られながら、憂鬱そうにため息を漏らした。
ハイリガークリスタル学園は夏季休暇に入り、貴族達は皆、王都にあるタウンハウスから避暑地のカントリーハウスへと引っ越しをする。
ふた月程の夏季休暇を経て、秋空へと変わり始めた頃に学園が再開されるというのがこの世界ならではの学園周期なのである。
——ゲームではヒロインが自分磨きに切磋琢磨する期間なのよね。つまり、攻略対象から離れて伸び伸びと羽根を伸ばせるチャンス!?
と考えて、チラリと目の前に座る公爵夫妻へと視線を向けた。
仲睦まじ気に手を握り合い、今年のカントリーハウス方面では狩りがどうだ、裏の湖のボートがどうだと会話に花を咲かせている。
ヒルデのカントリーハウスがあるハインフェルト公爵領は、ベルーノのグラルヴァイン侯爵領と隣接している。ハインフェルト公爵は国王とも面識があり旧知の仲である為、その乳兄弟であるベルーノの父であるグラルヴァイン侯爵とも友人同士だ。
互いにカントリーハウスを行き来し合ったりと交流がある為、ヒルデとベルーノは学園入学前にも何度か顔を合わせた事があった。
とはいえ、女性と遊ぶ様なタイプではないベルーノは、ヒルデと会話することも無かったし、彼が騎士団に入団してからは夏の間もカントリーハウスに戻る事は無く、ヒルデは専らベルーノの妹であるローザリンデとばかり遊んでいた。
本来のゲームのサイドストーリーでは、そこでヒルデがローザリンデを森に置き去りにしたせいで、魔物に襲われて、怪我をさせてしまうというエピソードがあったのだが、断罪イベント回避の為、ヒルデはローザリンデを魔物から守る為に悪戦苦闘の末、泉へと突き飛ばしている。
ローザリンデは怪我を負う事はなかったものの風邪を引き、ヒルデは代わりに怪我を負ってしまった為、結局のところ不幸を回避できたとは言い難い。
——そういえば、前世では生徒会室に連れていかれてベルーノに責められたのに、今世では何も言われなかったわ。どうしてかしら?
「ねぇ、お母様。ローザリンデさんはお元気かしら?」
ヒルデが斜め前に座る母に問いかけると、公爵が寂しげに眉を寄せた。
「ヒルデよ、何故いつも私には声を掛けてくれぬのだ?」
——え? 苦手だから……?
ヒルデはどうしても父親という存在が苦手なのだ。それ程に愛莉であった頃のトラウマが根強いのだから仕方がない。
押し黙るヒルデに、公爵夫人が上品に笑った。
「ローザリンデさんはお元気ですよ。ヒルデちゃんが来るのを心待ちにしているみたいですもの」
「本当!?」
ヒルデはパッと顔を輝かせた。ローザリンデはゲーム上ではエキストラキャラであるが、花が好きでヒルデとは気が合った。彼女が風邪を引いて以来、顔を合わせていないので気になっていたのだ。
——ベルーノには怖くて聞けなかったもの。まあ、最近はちょっと怖くなくなったけれど……。
そう考えて、仮面舞踏会でのベルーノの様子を思い出し、カッと顔を赤らめた。
——なんか、すっごく優しかったわよね、あの人。鼻水つけても怒らなかったし。
「あら、ヒルデちゃんったらお顔が赤いわ。レオンハーレン殿下の事でも考えているのかしら?」
公爵夫人がホホホと笑いながら言った。公爵は満足気に頷くと、ヒルデを見つめた。
「ルビー・グッド氏のドレスを贈る程に、殿下はヒルデを想っているようだ。我が娘ながらその魅力の計り知れなさには、私も鼻が高い」
——レオンハーレンは……。確かに、流石高難易度攻略対象と言われる程に完璧な王子様よね。
仮面舞踏会での出来事を思い出す。彼はヒルデの手を取り、その指先に愛し気にキスをした。
『……私はかならずそなたに気づくとも。例えどのような姿をしていようともな』
——よく言うわ。悪役令嬢エルメンヒルデ・ハインフェルトに憑依しただけで、本当の私は別人なのに。
しょんぼりとしたヒルデに、公爵夫妻は顔を見合わせた。学園でのパーティーで、ヒルデにとって何か良く無い事でもあったのだろうかと心配し、公爵はヒルデに優しく問いかけた。
「ヒルデ、殿下と何かあったのか?」
優しく問いかけたはずの公爵の質問に、ヒルデは尋問しているのだろうかとドキリとした。
レオンハーレンに粗相を働いたのかどうか、よもや婚約破棄などされはしないだろうなと。
「な……何も……」
震える唇で答えたヒルデに、公爵は優しく笑みを向けた。
「私と国王陛下が旧知の仲だから、勝手にお前の婚約を決めてしまったが、嫌ならば無理に殿下の妃になる必要はないのだぞ。学園入学まで、殿下はお前に殆ど会おうとしてこなかった。王城に出向いても口も利かなかったと聞く。それ故に、婚約を解消しても、お前が責められることなどないとも」
公爵の言葉に、ヒルデは恐る恐る顔を上げた。
ヒルデと同じサファイアブルーの瞳で、公爵は優しい眼差しを向けている。チラリと公爵夫人の方へと視線を向けると、彼女もまた優しい眼差しをヒルデへと向けていた。
——どうしてこの人達は、私にこんなにも優しい眼差しを向けてくれるのかしら……。
「お……お父……様は、私が殿下と結婚しなくてもお怒りにならないのですか?」
怯えながら言葉を発したヒルデに、公爵はそっと頷いた。
「私はお前が幸せであればそれでいいと思っているよ。望まぬ事を無理強いする気は無いから、安心しておくれ」
——これって、つまり私がレオンハーレンから婚約破棄されても、追放は無しということかしら。本当に!?
パッと明るい顔をしたヒルデに、公爵は嬉しそうに微笑んだ。すると、公爵夫人が「そうそう、ヒルデちゃん」とニコニコしながら言葉を続けた。
「アルフレート君が遊びに来てくれるそうよ。お友達のアマリアちゃんも連れてくると言っていたわ。殿下も是非来たいと仰っていたわね」
——ちょっ!? 最悪な予感しかしないわよ!? 折角羽が伸ばせると思ったのにっ!!
「はは……ははは……」
ヒルデが乾いた笑いを発すると、公爵夫人が「ホホホホ」と笑い、公爵が「フフフフ」と笑いだした。
馬車の中は悪役令嬢一家の不敵な笑いに包まれて、馬車を操る御者は身震いしたとかしなかったとか。
「そうそう」と、公爵夫人が更に言葉を続け、ヒルデはまだ何かあるのかとビクリとした。
「殿下がいらっしゃるとなれば、ベルーノ君もついてくるんじゃないかしら? 今年の夏は賑やかになりそうですわね」
——そっか。ベルーノさんも……。
と考えて、ヒルデは僅かに顔を赤らめた。仮面舞踏会での出来事を思い出したのである。
——鼻水つけちゃったこと、やっぱりもう一度ちゃんと謝らないと。
公爵はヒルデのその様子を見逃さず、ほほぅと静かに唸った。『ヒルデはベルーノ・グラルヴァインに気があるのか』と考えて、ほくそ笑んだのである。
「良い思い出作りができる夏季休暇となりそうだな、ヒルデよ」
公爵の言葉の意図が分からず、ヒルデは引き攣った笑みを浮かべながら「ええ、そうですわね」と答えた。




