56 アンナの結論
「で、どうだった、アンナ?」
「……お兄様、本当に平民の方はあのように毎日を過ごしているんですの?」
帰りの馬車に乗り込み、アンナに今日の感想を聞くとおずおずとした様子で質問をしてきた。
「邪魔になっても悪いから忙しい時間帯は避けたが、おおむねその通りだな。もちろん、繁忙期には今日の比じゃないがな」
「繁忙期?」
「アンドレ商会ならユリア姉さんが商談から帰ってきた後、串焼き屋は祭りの日、農家なら麦の収穫期だな。繁忙期には従業員や一族総出で仕事をしても手が足りないというほどだ」
「そうね。南大陸から商品を持って帰ってきた後は、お客様も増えるからやっぱり大変ね」
「……今日以上に」
「アンナ、平民は遊んで暮らしていたかい?」
「……いいえ、お兄様」
「平民は勉強をせずに暮らしていたかい?」
「いいえ、お兄様。私が想像していた生活とはかけ離れていました。平民の方々は自分でできる範囲で仕事をし、自分でできる範囲で勉強なさっていました」
「ま、確かにアンナの言うように貴族の勉強に比べたらなんてことのないことだろうな」
「いいえ、お兄様! 私が間違っていました」
「いや、アンナ。俺が悪かったんだ。本当はアンナにも領民との交流をさせるべきだったのに、俺が領地を空けることが多かったから交流の時間が取れなかった」
ゲームの本来のシナリオだと、領地には妹二人に母上と父上、それに爺様が残っていて、アンナには次期領主としての教育が行われているはずだった。
だが、ゲームのシナリオが崩れて俺が次期領主になったことで、アンナの教育は後回しに。
しかも、ダンジョン攻略だの王都に呼ばれてだのと重なったことで、領地には妹二人と母上、それにレナだけが残される形になることが多かった。
母上は末妹のカリンの世話とレナを次期領主夫人にするための教育、それに自身の執務に追われてしまった。
結果的にアンナの教育は教師に任せっきりで、たまに我が家に訪れるユリア叔母さんに懐いてしまうのも仕方がないというもの。
「お兄様、でも私疑問ですの。本当に貴族の教育は必要なものなのですの?」
「うーん、まあ必要かどうかと言われれば必要ないものもあるにはあるぞ。俺は次期領主としてこの国の言葉、南大陸語、公用語の3つを習っている」
「はい、私も貴族としてこの国の言葉と南大陸語を習っています」
「だけど、この国で過ごすだけなら南大陸語も公用語も必要ない」
「そう……なんですの?」
「南大陸語が必要なのはバルディ領……つまりは港に訪れる南大陸人との交渉のためで、ゲルハルディ家の人間に必須というわけではない。公用語も北にある友好国との交流に必要なものだな」
「必要……ない」
「でも、ユリア姉さんのようになりたいなら南大陸語は必須だ。ユリア姉さんは南大陸語が誰よりも達者だからな」
「そうね、レナの叔父さん。バルディ領の領主よりも、トーマスよりも達者だからこそ、私が交渉の矢面に立っているのだしね」
ま、ユリア叔母さんが交渉しているのはソレだけが理由じゃなくて、貴族教育で培った教養の高さや交渉能力の高さにも所以しているのだが。
「で、アンナ。これからどうする? ユリア姉さんのようになるために勉強を放棄するかい?」
「いいえ、お兄様。私がこれからどうなるかは、またきちんと考え直します。でも、何になるにしてもきちんとお勉強はしたいと思います」
「うんそうだね。ユリア姉さんのように平民に嫁いでもいいし、爺様の妹、大叔母さんのように貴族に嫁いでもいい。父上の弟や爺様の弟のように文官としてゲルハルディ領で働いてもいい。何になるのもアンナの自由だよ」
「アンナがアンドレ商会に来るなら歓迎するよ! でもね、やっぱりお勉強をしていないと大変だよ」
「父上に聞いたら、ユリア姉さんは貴族学園でも上位の才媛だったらしいね」
「昔の話。今は愛する人に嫁いだただの平民だよ。貴族連中には笑いものになってるんじゃない?」
「いやいや、愛を貫いたって話題らしいよ。平民を好きになる貴族は多いらしいけど、結局愛人にしたり第二夫人にしたりで、自分が平民になるって貴族はほとんどいないし」
これは父上にも母上にも言われているから本当。愛した平民を娶った貴族は多いが、結局貴族として働けず、屋敷で囲ってる人間は多いらしい。
その点、ユリア叔母さんは自分が平民になり、貴族としての教養も活かして過ごしているということで、そういった自分本位な貴族を嫌っている人間に評判なのだ。
「そんなもんかねぇ」
「アンナ。……アンナは平民だからユリア姉さんに憧れたのかい?」
「違います! お姉さまの生き方に憧れたのです!」
「だよね。じゃあ、カッコいいユリア姉さんのようになるために、勉強も頑張らないとね」




