第44話 黒猫と月にサヨナラ
翌日、ゆっくり朝寝坊をする余裕もなくドタバタと、夜会に向けての準備が始まった。
「こんな豪華なドレス、準備してたなんて聞いてないんだけどなぁ……」
私は鏡に向かって、本日何度目になるか分からない溜息をついた。
「よくお似合いです」
イヴが一言だけハッキリと呟くと、静かにチークブラシを鏡台に置いた。どうやらメイクも完成したらしい。
私の知らぬ間に部屋へと届けられていたドレスは、黒のレースと刺繍を幾重にもあしらった、裾に向かうにつれて深い紫色になっていく品のある物だった。糸には銀色のようなラメも混ざっているのだろうか、動く度に光が反射してキラキラと輝く。
「サシャの為のオーダーメイドドレスだもの。デザインや色に口を出した甲斐があったな」
「ノエル様っ……!? ノックくらいしてくださいっ……!?」
突然ひょっこり鏡に映ったニコニコ顔の王子様に、ギョッとする。鏡越しに目が合ったかと思うと、ノエル様は瞳を細めて更に笑みを深めた。
「凄く似合ってる。月の妖精みたいで、本当に綺麗」
「うっ……ぁ、ありがとうございます……」
真正面からどストレートに褒められるのも、中々に強烈だ。ましてや自分の気持ちをようやく自覚したばかりの恋愛初心者な私にとっては、ダメージが大きいのである。
これがいわゆる両片想いってやつ?
何だかむずがゆくなり、ほんわかと心が浮き足立つ。だけど夜会が終われば、それは私達の契約の終わり意味する訳で──
「サシャ? どうかした?」
「……いえ、何でもないです」
複雑な想いを胸に抱えながらも、私は気持ちを切り替えて、ノエル様のエスコートを受けて会場入りしたのだった。
夜会が始まってすぐに、事の詳細は伏せつつも、今回の一連の事件について説明がなされた。王族や高位貴族が関わっていたとなると、貴族への説明もしない訳にはいかないのだろう。
王位継承権を巡って王弟がランベール侯爵と手を組み、王子やその婚約者に怪我を負わせようとし、更には命を狙った事。それは貴族達にとっても、酷く衝撃的な内容だったようだ。
会場内は暫くの間騒がしかったが、王子達の生誕祝いを開始する旨が告げられると、再び会場は静まり返る。
「王家の秘宝は……無事見つかったか?」
2人は、はい、と頷き陛下へ本を献上した。
「うむ、確かに受け取った。それから……すまなかった。私はお前達が、母を失ったショックのあまり、あの日の約束を忘れてしまったのだと思っていてな。時間が経てば自ら思い出すかもしれない、そんな期待をしながら数年黙ったまま過ごしていた。だが成人を迎える年になり、いよいよタイムリミットが迫った為、お前達に王家の秘宝を探すようにと命じたのだ」
「記憶の件も含めて思う所は色々とありますが……今は、こうして無事に見つけられてよかったと思います。この本は当時の私達にとって、確かに王家の秘宝でしたから」
「……そうか。して、2人には平等に王位継承権がある事になるのだが……どちらが王太子となるのか、もう話し合って決めたのか?」
「はい。私、レクド・ベネトリアが次期国王を目指し、王太子に立候補したく思っております」
「ノエル・ベネトリアは、その志をもつ兄レクド・ベネトリアを側で補佐したいと思います」
2人の宣言を、揺るがないものだと感じとったのだろう。よろしい、と陛下は満足そうに頷いた。
レクド王子はクララ様へ、新たに自らの王家の秘宝と定めた婚約指輪を贈る。クララ様の左手薬指には、黒猫の涙になぞって、透き通るくらいに美しい雫型のダイヤモンドが輝いた。
陛下はその一連の流れを優しく見守った後、レクド王子の王太子承認を高らかに宣言した。会場内は祝いの拍手や大きな歓声で包まれたのだった。
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開始早々人に囲まれてしまい、ちょっと人酔いしてしまった私は、1人こっそりとバルコニーで涼んでいた。
「……ん? 今日って満月?」
ロジャに会った日も、満月の夜だったっけ。
もう一度だけ会えたら、言いたいことがあるんだよね──そう思った私は、気づけばそっと会場を抜け出していたのだった。
諦め半分だったけれど、以前出会った空間に足を踏み入れると、静かに佇む黒猫の姿をすぐに見つける事が出来た。
「サシャ、おめでとうございます。無事、今日の夜会を迎える事ができたようで何よりです。望んでいた通りハッピーエンドになりましたね」
「あ、ありがとうございます。あの……すごく今更なんですけど、悪役令嬢の私が最後までストーリーを進めてしまってよかったんでしょうか。ヒロインであるナタリーは結局捕まってしまいましたし……」
私の不安げな吐露を聞いたロジャは、丸い瞳をパチパチさせていたかと思うと、そういえば言いかけたままでしたっけ……と呟いた。
「先日は言葉足らずでしたね、すみません。ヒロインは君だったんですよ、サシャ」
「……はい?」
「サシャとロジャ。名前が似てると思いませんか? このゲームのヒロインの名前はサシャなんですよ。悪役令嬢の名前はナタリー。生まれや顔立ちは変わらないままだったようですが、どうやらお2人の名前と役割だけが入れ替わってしまっていたみたいですね」
「じゃあ……もしかして、占いを通じて人を救う力があったのは、ヒロインだったから……?」
何だか私は自分が思っていたよりも、ヒロイン補正があった事にショックを受けていたみたいだった。だけどロジャから「ああ、それは違います」と間髪入れずに訂正が入り、ビックリして俯きかけていた顔を上げた。
「元々ヒロインだからといって、ゲーム内での特別扱いはないんですよ。僕達は基本的に登場すべきところ以外では干渉しないというルールがありますので」
「な、なるほど……?」
「ゲームを動かす側といえど、人の心は悪戯にいじれませんからね」
このゲームのシステムは意外とプレイヤーにほとんど任せて、後は自由に見守るスタイルだったのかもしれない。
「ただ……君はこの世界に、悲しい前世の記憶を持ったまま生まれ変わってしまった。そんな君を救いたいと願う不思議な力が、色んな所で君の事をほんの少しだけ手伝ったんだと思いますよ」
「じゃあ、ドクダミの葉も……?」
「あれはゲーム内での救済措置の1つですね。黒猫の涙を渡す際の僕との会話を覚えていますか? あの時に合格ラインの答えを出せなかった者は、月光を一定期間浴びせて乾燥させたドクダミの葉を万能薬として使うことも可能なんです。まぁ、回答に失敗した人がその葉に気づくのかという話ですけどね」
「そうだったんですか……だから万能薬と同じ効果でノエル様を救う事ができたんですね」
「はい。さて……ゲームは間もなくエンディングを迎えます。これからもこの世界を生きていく君の幸せを、僕は1番に願っていますからね。また会いに来てくれるとは思ってなかったので、正直驚きましたけど嬉しかったです」
にぱ、と笑ったロジャの尻尾は、ふわりふわりと穏やかに揺れる。
「お礼を言いたかったんです。あの夜、奇跡的にロジャと会う事が出来て、そのおかげで皆を助けられたから。本当にありがとうございました」
「……ふふ。やっぱり君は色んな人や物を惹き寄せる不思議な力がありますね。まぁ、僕もそのうちの1匹ですけれど。最後に僕からプレゼントを贈らせてください」
ブワッと花びらが夜空へと舞う。それは満月へ向かって飛んでいく蝶のように見え、とても幻想的で美しかった。
月へと消える黒猫を眺めながら私は、あぁ、ゲームのエンディングを迎えたんだなとやっと実感した。
「……さよなら」
もう会う事はないだろう黒猫を想い、月を見上げて、小さく呟いた時──
「さよならって、どこに行くつもりなの」
どこか焦ったようなノエル様に、私は手首を掴まれていた。
月夜の宴はまだ始まったばかり。
ここからは、乙女ゲームも知らない私だけの恋の行く末だ。




