第33話 特別だからするキス
あ、と私が思うよりも先に、私達の距離は隙間なんてないくらいに密着していた。
横になったまま、ノエル様の胸の中に抱き締められているんだ。そう気づいた時、ノエル様から零れる熱い吐息が耳元へと伝わり、全身が甘く疼いてゾクリとした。
「……サシャ」
「っ、はい」
「君は何か大きな勘違いをしていると思うのだけど、確認してもいい……?」
耳元でそう囁かれたら、コクコクと慌てて頷く事しか出来なかった。密着した体勢で話しかけられているから、こんなにもくすぐったいんだと、必死で思い込んだ。
「もしかして、なんだけど……さっきサシャが呟いたのって、僕がクララの事を想ってるって考えてるから?」
「……っぇ!?」
そういえば私、さっき何を声に出してたっけ……!?
疲れもあってか悪夢にうなされて、感情が迷子になって……うっかり心の声を呟いていた事実に今頃気づき、ハッとした。
でも、本人を前にして「はいそうです」なんて正直に言える訳もなくて。私は目の前にいるノエル様の、肩辺りにじっと目を伏せながら、どうしたらいいものか考え込んだのだった。
「サシャって嘘をつけないんだよね。困った時に黙るのは、肯定してるって事かな」
「……無礼を承知で話します。今から言うことが違っていたのなら、そんなの戯言だと笑ってくださって構いません」
この体勢は恥ずかしいけれど、逆に考えればノエル様の顔を見ないで話せるという利点もある。だから私は、思っていた事や感じていた事を素直に話し始めたのだった。
「……私、は、ノエル様がきっと、レクド様とクララ様の幸せの為に、ご自分の気持ちを隠してらっしゃるんじゃないかといつからか思っていて。でも、信じてもらえるか分からないですけど、この契約が終わっても……ずっと、誰にも言わないでいるつもりだったんです」
ノエル様がクララ様に向ける優しい表情、心配する姿、気を許す瞬間を間近で見ていたから気づいた。
それは兄の婚約者という扱いではなくて、特別な想いなんだって。
また押し黙ってしまった私を心配してくれたのか、はたまた呆れてしまったのだろうか。頭上から、はぁ……と深いため息が聞こえてきた。
「申し訳……ございません、でした」
あ、どうしよう段々泣きたくなってきたかも。
「ううん、サシャは何も悪くないよ。ていうか何で謝るの。このタイミングで言う事になるとは思ってなかったけど……ちゃんと話しておくよ」
心がジクジクと痛み始める。
ノエル様の口からはっきりとクララ様が好きなんだと聞くのが怖かった。……なんでなんだろう。
「確かにクララの事はだいぶ前から好きだった。でもね、その好きはサシャと出会ってから、違う種類の好きだったってようやく気づいたんだ」
「違う種類、ですか……?」
「うん。クララはもう、僕の中で家族同然だったんだよ。危なっかしくて妹みたいに思ってたけど……そっか。いずれは義姉になるのか」
……えと、ノエル様は最初、私に何て聞いてきたんだっけ?
私が大きな勘違いをしてると思うけどって……え?
「サシャに対する気持ちはね……特別じゃなきゃ、こんな事しない。分かる?」
額にそっと、柔らかい感触が伝わる。
それがキスだったのだと気づいた時。顔が見える距離に離れていたノエル様は、とても優しい表情で私を見つめていた。
「と、とくべつ……?」
伝えてくれた言葉の意味を噛み締める。クララ様に対する愛は家族愛。じゃあ、私に向ける特別な感情は……
「……え? 嘘、なんで?」
「何その可愛い顔。普段と違っていっぱいいっぱいなサシャも可愛い。いつもは何でもこなして大人っぽいのに、恋愛は初心者なんだ?」
「なん、う、ぁ」
「優しくしたいのに、そんな風に可愛いなんて反則。意地悪したくなる」
耳まで赤くなっている自信がある私は、咄嗟に布団の中へ潜り込んでしまおうとする。けれど、簡単に腰をすくわれてノエル様の腕の中へと舞い戻ってしまった。
終いには「この調子じゃ、サシャは自分の気持ちにもまだ気づいていないみたいだね」と、クスクス笑われた。
「でも、今夜はここまでにしてもう寝よう。弱ってる時に付け込むのはフェアじゃないし、これ以上はやめとくね」
はくはく、と未だ言葉にならない真っ赤な私を見つめて、どこか得意げで満面の笑みである。
「こんな状態にした僕が言うのもなんだけど、とにかく今は、何も考えずにゆっくり身体を休めて」
ポンポンと再びゆったりとしたリズムで背中を優しく叩かれる。密着したノエル様からの熱は、とろとろと溶けるように心地よくて安心できた。
怖かった事、悲しい夢も全部、ノエル様への感情でいっぱいに塗り替えられて。
だからもう今夜は悪夢を見ないだろうって、なぜか確信できた。
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眠りについた私が代わりに見た夢は、悪夢が重なって忘れかけていたおばあちゃんとの思い出だった。
前世で開業してから間もない頃、おばあちゃんに相談した事があった。
縁側に座布団を敷いて腰掛け、お手製の梅酒をちびちびと飲み、夜空を眺めながら。
『最近友達がさ、私に占いやってみてよって言うんだよね。そりゃ仕事上そういう知識はあるし、興味もあるんだけど……いざやってみて、全く当たらなかったら怖くて』
『そうなぁ……占いってものはさ、悩みがあって解決したくて、それを相談しにくるものだろう? そりゃ当たったら嬉しいもんだわな。でもな? たとえ当たらなかったとしても、占った側が悲観する事はないと思う。結果は関係なく、救われる人は沢山いるんだってばあちゃんは思うから』
『あ、当たらなくても……?』
当たらない占いなんて致命的なんじゃないのかなと思う私を横目に、おばあちゃんはまるで何て事はないかのようにカラリと笑った。
『悩みを持って占いを頼りにやって来る人は、自分の想いを聞いてほしいんだよ。当ててもらう事よりも、そこからどうしたらいいのか、次に進む為のアドバイスが欲しいんじゃないかな』
『アドバイス……うん、私もそう思う』
『だから、自分の想いに理由をつけて、蓋はしないでいいんだよ。助けてあげたいと思ったなら、手を差し伸べてあげなさい。一等星のように、自分の思うままに暗い夜道を照らしてあげればいいのさ。そうしたらきっと、誰かの道しるべになってるよ、紗夜』
夢の中でおばあちゃんは、空を見上げながら微笑んでいた。
──ノエル様の道しるべになれたみたいだよ、おばあちゃん。
想いに蓋は、しなくていい。
なら溢れてくる私のノエル様への想いは?
答えはもう、すぐそこまで出ている気がした。




