知らない世界
⚠︎グロテスク描写ではありませんが、嘔吐表現が含まれています。苦手な方は読むのを御遠慮ください。
世界の始まりは何処だったのだろう。
むしろ知るべきは、世界の終わりか?
考えても解らない、分からない、わからない。
ならばと、ここで物語を紡ごう。
さすれば見よ、この世界の出来事を。
語るはひとつの世界の話。
小さな世界の、始まりから終わりまでの物語だ。
○○○○○
駄目だ、と声が聞こえる。
大好きな声が悲愴を孕んで、声を枯らして叫んでいる。違うんだ、いったら駄目だ。お前がいないと、俺は───。
……ああ、そんなに悲しまないで。そんなに叫んでは喉が潰れてしまうよ。私はあなたにそんな顔をして欲しいのではなくて、あなたに喜んでほしい一心でこうなったのだから。だからどうか、笑顔で送り出してはくれないかな。ほら、わらって?
伝えたい言葉は舌を震わせることなく喉奥に留まり、やがて霧散した。
だからせめて、笑った。上手く笑えているかはわからないけれど。
意識の外で、愛しい彼が息を詰める音が聞こえた。
「駄目だ、いくな!」
意識が途絶えた。
*
ふと、意識が浮上した。
目の前には一面の銀世界。上空から降り注ぐ白の結晶が真白の地面へと降り注ぎ、ほんの僅かずつ積もりゆく様を少女はぼんやりと見つめていた。ここは、何処だろう。
しんしんと積もりゆく雪の景色。見たこともない場所。見知らぬ土地。未知の世界。
じわりじわりと理解していった脳味噌が徐々に焦りを生じはじめた。何処だ、ここは。どうして自分はここにいる。そもそも、自分は何者なのだ?
わたしは、私は───。
『駄目だ、いくな!』
唐突に頭に響いた声に、頭が割れるように痛んだ。オェ、と呻く声が漏れ出る。立っていられなくてその場に蹲った。
『エマ!!』
喉が焼けるように熱くて、口の中が気持ち悪くて臭かった。
ぼたた、と下から音が聞こえる。音のほうを見ると、純白を汚れた色が侵食していた。
あれ、と。
意識の外で自分が吐いたのだと、ようやく理解した。理解したと同時に口内に残った嘔吐物が気持ち悪くて、ぺっと吐き捨てる。
「うえぇ、最悪っ」
ぺっぺっ、と吐瀉物の臭いの残った唾液もついでとばかりに吐いた。
救いは周囲に誰もいないことだ。見知らぬ人間が急に嘔吐して、芯から心配してくれるような人間なんて片手で数え切れるほどだろう。残りの大多数は見て見ぬふりをするか、顔を顰めるか、最悪心無い言葉を投げられることもあるかもしれない。想像しただけで怖いし、腹が立つ。
さて、と少女は気を取り直した。
本当に、ここは何処だろう? 自分の知っている記憶にはない場所であることは確実だ。というか、なぜか少女の記憶は現状空っぽに近い状態になっていた。
言葉はわかる。体の動かし方も理解している。息も、通常通り可能。
つまり最低限生きる上で不便が起きる事態ほどの記憶喪失ではないが、少女がこれまでに経験してきたはずの出来事、自身の存在すらを含んだ記憶を喪失している状態であった。
一体何事だ、と思う。
本当に何もわからず、知らない一面雪の世界に立っていた。訳が分からない。
『エマ!!』
頭を痛めた原因であろう声を思い起こす。
痛い。いたいが、その声は少女に安堵をもたらすものであった。
相反するとも思われる想いに囚われた少女は首を傾げた。不思議な感情だ。
と、その時。
「ビャアっ!」
すぐ付近から猫が尻尾を踏まれたときのような声が響いた。何事だ、と思い周囲を見渡すと、すぐ付近に小さな黒い生き物がいた。人の形はしているが、その大きさが、それこそ猫のそれと大差ないものであるという異質なものであった。ふわふわと柔らかそうな黒髪は肩甲骨あたりまで伸びていて、それでいて服も黒単色のストレートワンピースを身に纏っている。真っ黒な風貌に唯一入っている赤のベルトと白い肌が際立っていた。
どう見ても尋常でない黒くて小さい生物が、叫び声の先にいる。
「なんだありゃ」
思わずというふうに少女の口から声が漏れる。
それというのも黒チビ生物の様相が明らかに尋常でないからではなく、その生物にナニかが寄って集って襲っていたからだ。
ナニかは人間と近しい姿をしているが、頭部に狼のような獣耳をたずさえており、中には爪の異様に鋭いやつ、そして中には牙が口に収まらないほど突き出た奴がいる。ソイツらが三体集まって、黒チビ生物を襲っていた。
なんだあれ、関わりたくない。
一番に感じたことは上記の通り。薄情だと言われようと、怖い上に面倒事であることの明白な事態に首を突っ込みたいなんて誰が思うだろう。そもそも、少女は失ってしまった自身の記憶について考えるだけで精一杯なのだ。と、それらしい言い訳も加えておく。
ここは見て見ぬふりを───
「ちょっとっ、気付いてるのに気付いてるから! 見てるなら助けてよぉ!」
「うわっバレてる」
「ちょ、おいっ! 逃げようとしないで!」
甲高い声に驚き咄嗟に踵を返すも追って言葉をかけられ、仕方ない、と少女は黒チビに向き直った。
少女は白銀の髪をガシガシとかき、面倒を隠そうとすらせず溜息を吐く。ゆったりと、しかし着実に黒チビとナニかへと寄っていく。
そうして、少女は上空を思わせる青い瞳で前を見据え、殊更ゆっくり瞬きをした。
なに悠長にしてるんだ早く助けて、と文句を垂れる黒チビは置いておき、少女は口を開き言葉を紡ぐ。
「ねえ、私、記憶がないんだけどさ」
シャク、シャク、足元で雪を踏む音がゆっくりと響く。
「私自身がとても優秀な人間だってことは、覚えてなくてもわかるんだよね」
シャク、やっと音が聞こえたのかナニかが少女へ振り向き、いびつな声を轟かせた。
「内に流れる膨大な力を感じる、それの使い方もわかる」
少女は思い出したように右の手の平を天へ向けた。そこから莫大なエネルギーが溢れ出し、炎や氷、雷が混ざった力が一箇所に凝縮された。
「これを見て、それでも私に挑む?」
ナニかが少女へと駆け出した。
少女は目を眇め、そして手に込めた力をナニかへと投げ当てた。見事命中したそれはナニかの身体を凍てつかせ酷く焦がし、雷撃を食らわせた。末に葬った。
その光景を見ていないのか、残り二体もが少女に襲い掛かる。
ヒョエと黒チビが息を呑む。
その声を聞きつつ少女は手に冷たい能力を込めた。
瞬間、一体が凶器の爪を振りかざし少女へ向かってきた。引っ掻きを屈んで躱すと、地面に積もった雪を一握り、掴んだ雪からパキパキと音が奏でられ一瞬にして氷の刃が造られた。細身の氷刃を振るいナニかの爪を薙ぎ、ついで臍の辺りを一突きする。サクリ、と。氷刃は想像以上にすんなりとナニかの身体を貫いた。
ついで牙の鋭いナニかが大きく口を開いて噛まんと寄ってきた。少女は爪のヤツの腹に刺さった氷刃を抜くと、無防備に開かれた牙のナニかの口内へ突き立てた。そのまま刃を下へ向け、身体へと貫き刺した。今度は簡単に貫くことは出来ず、ぐう、と少女の口から声を漏らす。ズクズクと肉を割く感触を感じながら突き刺し、やがて深くまで刺さった氷刃から手を離した。
ギャア、ギャア、とナニかの口から声が響き、そして数秒の後、ナニか共の身体は陽炎のように揺らめくと世界へと溶けいった。
残ったのは先程まで少女が振るっていた氷刃だけで、それも少女の能力が尽きたのか雪に戻り白い地面へ混ざり行った。
ふう、一仕事終えた少女は息を吐いた。
身体に流れるエネルギーは意識が覚めた時点で気付いていた。少女の身体には自覚する限り炎・氷・草・水・土・雷。かの能力を身に宿し者は龍眷属といわれ───……あれ、これは何処の記憶だ?
声を聞いた時のような酩酊感で視界が回る。成程記憶を引きずり出そうとするとこうなってしまうのだと理解する、と同時に足元がふらついた。
「あわわ、大丈夫!?」
回る視界の中声へと視線を向けると、黒チビが心配に眉を下げてこちらへ向かっていた。見た目のわりには走るのが速い。
というか、あれ、四足歩行で走ってきてるんだけど。
「足元フラフラになってるよっ、どこか痛めたの?」
「大丈夫、ちょっと気分が悪くなっただけ。それより、えっと……キミ……チビは襲われてたけど、平気なの?」
「チビじゃない、僕はシャトン!」
「へえ、シャトン。怪我はない?」
「ない! お陰様で元気いっぱい!」
そう、と少女は胸を撫で下ろした。
さすがに目の前で襲われて何処かを駄目にしてしまっている、などというのは寝覚めが悪い(最初に見捨てようとしたのは置いておき)。
それに、近寄られて気付いたが、黒チビ───シャトンが傍にいると何処と無く安心するのだ。記憶が無い少女にとっては不思議なことに、既知の感覚であるというか、よく知った雰囲気を感じるというか、愛しく感じるというか。
だから、シャトンに大事がなかったことに酷く安心した。
「ねえ、キミはなんて名前なの?」
「えっ、私?」
不意にシャトンに問われ、少女は言葉につまる。大切なことをメモしていたはずのページが白紙になっているような、そんな感覚。大切なことが、真っ白だ。
目の前に広がる真っ白い雪景色と同じく、少女の頭は一滴の色もない。
「私、わたしは……」
ぐるぐると白の記憶の中を彷徨っていると。
『エマ!!』
白の中にほんの一筋、色が引かれた。
「え、えま、……エマっていう。私はエマ」
唯一記憶にある謎の声に導かれるように、少女は自身をエマと名乗った。嘘をついた罪悪感で胸の辺りに蟠りが残るが、もうどうしようもない。この瞬間をもって少女はエマとなった。
表情を曇らせた少女、もといエマに気付いていないのか、シャトンは対照的にパッと顔を綻ばせた。
「エマっ、いい名前だね。僕の好きな名前だ!」
「そう。それはよかった」
「ねえ、エマ。これから何処へ行くの?」
「さあ……此処にいても何もないから、何処かへ行くよ」
答えになっていないボンヤリとした言葉にシャトンは首を傾げたが、すぐに「じゃあ」と次を切り出した。
「僕も連れてって! いや、駄目って言われても着いていくけど……ついて行ってもいい?」
「……どうして?」
「だって、此処にはオッカナイ奴がいるんだもの。エマは強いし、薄情だけどいざとなれば助けてくれる!」
「酷い言いような上に魂胆があけすけだね。……私には行く宛てがない。それでもいいの?」
「ひとりでいるより断然いい!」
「……」
そうか、とエマは頷いた。
エマは小さな身体を持ち上げると、ゆっくりと抱き締めた。やっぱり、この子は何処と無く落ち着く。苦しいと擽ったそうに笑うシャトンを無視して、抱き抱えたままゆっくり歩いていく。
ただただ白い雪の上を、先に何があるかも知らず、歩いていった。
こうしてエマとシャトンの宛のない旅がはじまった。
この出会いは偶然だったのか運命だったのか、それとも必然として決められたものだったのか。
そんなものは分からない。まだ、わからなくていい。
二人の物語は、はじまったばかりなのだから。
今後とも気ままに書いて投稿します。
完全趣味にて創作しているので、配慮に欠ける部分があるかもしれません(年齢指定等についてはきちんと制限・注意記載いたします)。
もし当作品を読んで面白い!続き読みたい! と思う方がいらっしゃいましたら幸いです。
また、これは全年齢に適してない! と思われましたらご助言いただけますと嬉しいです^^
私が飽きない限り書き続けます。
よろしくお願いします。