音楽(3)
貰ったチケットは2枚あった。一人じゃ来づらいという配慮だろう。音痴な宣言をするなり黙って立ち去ろうとした自分に対してよくもまあここまで親切にしてくれたものだ。さすが鏡の世界。心遣いが違う。本当に違う。
友人を誘う。たまには普通に誘う。普通のことをするのは頻繁じゃなければ物珍しくて新鮮なのだ。普通に待ち合わせをし、ライヴハウスに時間通りに向かった。今日は自分が鏡の世界に来て以来、記念すべき普通の日になるかもしれない。
例のニット帽のミュージシャンは実はバンドを組んでいた。ギターボーカルとしてモチベーションを保つために、ライヴの練習の意味もこめて、よく一人で駅前で歌っているのだ。仲間がいつもは一緒にいないのは、上手な演奏を披露するのを躊躇しているためだろう。はいはい。
ライヴハウスのような場所の演奏はたまに歌詞が聞き取れないほど無駄に楽器の音が強いこともあるけど、このバンドはメッセージ性の高い、バラードのような落ち着いた曲がメインだった。本当に鳥肌が立つくらい完成度の高い演奏だった。
自分には音楽を支配する力はない。だいたい音楽に支配されるか、波長を合わせるだけ。音痴だし、音感もなく不器用なのでギターを挫折した経験がある。だから目の前の音楽の支配者たちに少し嫉妬する。以前の自分ならね。今は才能なんて要らない気がする。
この様子を目の当たりにしたら誰だってそう感じるだろう。素晴らしい演奏の間も観客はぼんやり眺めてるだけ、終わった後感想を漏らす者さえいない。なんで鳥肌が立つのかいぶかしがるような雰囲気の人はちらほら見かけたけど、楽しんでいる印象は全く見受けられない。当の演奏者側はというと、MCが謝罪ばかり。「おかけになって構いません。」なんて言ってるし挙げ句の果てには「どうぞお帰りになってください。」と懇願する始末。一応自分は招待されたはず。帰ってもいいんだろうけど良い音楽は聴いていたい。
実に奇妙な空間だった。楽しかったとはお世辞にも言えない。皆は何のために来ているのだろう。このバンドは何のためにライヴをしているのだろう。
楽しめないとこに行く。これは変わった行動。恥ずかしいことをする。これも変わった行動。だから鏡の世界ではこういう謎がありふれている。自分もいちいち疑問に思うのはそろそろやめようかと思い始めた。無意味な探求心など自分には要らない。