涙が出ました。
「びじょんちゃんたち、ちゃんとスーパーに行けたかな」
二人が出かけてから一時間は経っただろうか。ひよ子はペンタブの液晶画面へ、右手に持ったペンを走らせながら、一人呟いていた。
寝室兼、自室なので、ひよ子が向かっている机はベッドの横に置いてある。疲れたら、すぐ横になれるので便利だが、ちょっと部屋の中が狭く感じるのが欠点だ。
「そういえば、あの子たちと住むようになってから色々あったなー」
二人と暮らすようになって、まだ一週間も立ってないのに、毎日のように事件が起きている。
今まではご飯を食べる。学校に行く。お風呂に入る。寝る。勉強する。アニメの仕事を手伝う。淡々と黙々と、ただ流されるように生きてきた。
そして両親を失ってから、この部屋に一人でいることが普通になった。虚しく寂しい毎日だった。
「今は寂しくないし、楽しいよ」
机に置かれた写真立てに視線を向け、ひよ子は微笑む。
近くの神社でひよ子が撮った両親の写真。二人は幸せそうに笑っている。
その刹那、ひよ子の頬を一筋の涙が零れ落ちた。
「あれ?」
家族を思い出しての涙ではない。びじょんとぱわわがこの家を去り、また一人になる未来を想像したら悲しくなってしまったからだ。
「結局、聞く勇気でなかった」
もしも、びじょんがひよ子を好きになってくれて、地球への侵略が中止になった先の未来。中止になるって決まったわけでもないのに、その先を心配するのも変な話なので聞けなかったのもある。
「それでも気になるよ」
九月以降、びじょんとぱわわがどうするのかが気になって仕方がない。
二人は宇宙船に帰って、どこかへ去ってしまうのか。
それとも──。
「ずっと一緒にいたいなぁ……」
涙が溢れて止まらなくなってきた。
手が震えて、線が歪んでしまった。
ひよ子は泣き顔を両親の写真から隠すように机へ伏して、止まらない涙を抑えようと必死に歯を食いしばった。
──……ど……ど……。
びじょんとぱわわが買い物に行ってしまい、こんふぃも日和見家から出ようかと考えていたのだが、ひよ子が見たことがない機材でなにやら始めたのが気になって、ついつい覗き見を続けてしまったのが間違いだった。
──……どうしよう。
ひよ子が泣いている。『ずっと一緒にいたいなぁ』という独り言から察するに、びじょんやぱわわと一緒に暮らし続けたいという意味合いだろう。二人と別れる日がくるのが寂しいのだろうとも察せる。
その気持ちはなんとなく理解できる。こんふぃも優しく接してくれているラーメン屋の店長と離れるのは寂しい。付き合いは短いが仲良くしてもらっている。
「う、うう……」
ひよ子は泣き伏している。
それにしても、こんふぃは泣いている人を見るのは苦手だ。何故なら、助けたいという気持ちになってきてしまうからだ。例え助けられない立場にいたとしても、なんとかできないかと考えてしまう。
悲しんだり泣いたりしている姿を目にしなければ、知らないですむのに。
──……でも見ちゃうとなあ……。
声でもかけようかと近づいたが、今まで姿を消して覗いてましたと伝えるのも気まずい。
というより、こんふぃは恥ずかしがり屋さんなので、他人と正面切って話すのは得意ではない。そもそもコミュニケーション能力に自信があったら、姿を消して日和見家で偵察なんてしていない。びじょんに直接、ラーメン屋へなにしに来たのかと質問すれば済む話だ。
それが出来ないのはただ一つの理由があったからだ。
──……人と話すのって恥ずかしいんだもん……。
そんなこんふぃにとってラーメン屋の仕事は実に大変だが、やっと慣れてきた。それを失うのは悲しい。だからこそ、びじょんやぱわわと別れる日を悲しんでいる少女を自分に重ねてしまう。
──……よ……よし。なんとか……元気づけたげなきゃ。わたしには無理でも……びじょんなら、きっと。
びじょんを呼びに行こう。こんふぃは、そう決意した。
──……びじょん……どこのスーパーに行ったんだろう。……一時間は経ってるけど。
まだ買い物をしているのだろうか。
日和見家を出ると正面には大きな公園の入り口があった。その入口には『光秋園』と書かれた黒いプレートが埋め込んでるコンクリート状の物体がある。
そこまで進んで、こんふぃは『姿を消す』能力を解除した。スボンのポケットに入れていたスマホを使い、最寄りのスーパーの位置を検索するためである。
自身と着ている服や持ち物も一緒に消えている状態に出来るが、その状態では腕につけているリストバンドのような小型の通信機や、スマホなどの機器は操作できない。
こんふぃは偵察が主な役目で機械的なことには詳しくないが『姿を消している』状態では電気がうまく流れないのかもしれない。そもそもポケットからスマホを取り出せない。服や所持品は『姿を消した』状態で固定されてしまう。触ろうとしても手が体や機器をすり抜けてしまう。触ったという感触はあるのだが。限りなく気体に近い液体を触っているような感触だ。
──……スーパー。二箇所ある。どっちに……行ったんだろう。
こんふぃがスマホを取り出し、スーパーの位置を検索している最中だった。視界の端に、白い髪の少女が見えたのは。
「び……びじょん?」
思わず声が出てしまった。日和見家の目と鼻の先にある公園、その入口付近にあるベンチに、びじょんとぱわわが仲良く座っている。
──……な、なにしてんの、この二人!?
「だから大丈夫なのだ。きっと、これからも仲良く一緒にいられるのだ。もちろん、ぱわわも一緒なのだ!」
「うん。ありがとう、ぱわわ。きっと大丈夫」
なにが大丈夫なのか知らないが、二人は微笑み合い始めた。仲が良くて結構な話だ。
しかし彼女たちはスーパーに向かったのではなかったのか。二人には買い物をした気配はない。見る限り手ぶらである。一時間もなにをしていたのか。ずっとベンチで談笑していたのか。
混乱しつつも、こんふぃは二人に近づく。
「あ……あの……び……びじょ」
「さて、ぱわわの言ってた通り、一度戻ってひよ子に道順を教わろう」
「それがいいのだー!」
放っておいても、びじょんは日和見家に戻りそうな展開になった。
それにしても二人はこんふぃの存在に気がついてくれない。姿を消していないのに。目の前まで近づいたのに。
肩を落とし、もう帰ろうかなと二人に背を向けようとした瞬間──
「あ。こんふぃ」
「え? こんふぃ? どこなのだ?」
気がつかれてしまった。
「わたしたちの前にいる」
「ほんとなのだ。びじょんのほう向いてたから気がつかなかったのだ!」
──……ど……ど。
「どうしたの? ラーメン屋さんの仕事かなにかで公園に来たの?」
──……どうしよう。
「あ……あの……その」
「ラーメン美味しかったのだ! こんふぃが作ったのかー!?」
「え……? あ……あの……スープとかは店長が……」
「こんふぃが地球で頑張っているなんて知らなかった。とてもすごい。わたしは心の底から応援している」
「あ……ありがとう!」
そう言ってもらえて、ちょっと嬉しい。
「じゃなくて……っ」
「必死な表情。こんふぃ、なにかあったの?」
「……日和見ひよ子。友達なんだよね……」
「ひよ子になにかあったの?」
表情を険しくし、びじょんは立ち上がった。思わず気圧され、こんふぃは数歩、後ずさる。
「う……うん。一人で……泣いてたよ」
「ひよ子が泣いていた? どうして? 何故?」
顔がくっつきそうになるくらいびじょんに詰め寄られたが、今度は気圧されずに踏みとどまった。
「理由は……勝手に伝えていい内容じゃないもん……」
「わかった。直接聞く」
「元気づけたげて……」
「そうする」
びじょんは頷き、こんふぃの肩を優しく叩く。
「こんふぃ」
「……うん?」
「ありがとう」
そう言って、びじょんはこんふぃに背を向けて歩き出した。どこか頼もしい決意めいた表情を浮かべている。
しかし──
「……逆だよ!」
「ひよ子のお家はそっちじゃないのだ……!」
同時にツッコまれ、びじょんは方向転換した。
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