はじめてのおつかいにいきました。
《ごめんね、ひよ子ちゃん。急な仕事で》
「ううん、気にしないで。わたしからお願いして手伝わせてもらってるわけだし」
《助かるー。でもね、あんまり甘やかさないでよ、わたし甘え過ぎちゃう》
おでんを食べ終えた直後、叔母の京から電話がかかってきた。
洗い物を、びじょんとぱわわに託し、ひよ子は自室でペンタブレットに向かいつつ、通話している。
ペンタブレットはペン状の物で画面をなぞると、筆圧を感知して紙に描いているように文字やイラストが描ける機材、略してペンタブだ。どの程度、『紙に描いているように描ける』かどうかは機材の性能によるが。
少なくともひよ子の物は、それなりに使いやすい。
京の仕事は、このペンタブを使って手伝うことになる。それはアニメの作画の仕事だ。 叔母から小遣いをただもらうだけなのは気が引けてしまう。なので、ひよ子は小遣いをもらう代わりに彼女の仕事を手伝わせてもらっていた。
《急なリテイクがたくさん入っちゃってね。明日って、七日だっけ?》
「ううん、八月七日は今日だよ」
《……ほんとに? あちゃー。別件の締め切り今日だった》
「そ、それは急がないとだね」
《線画の手伝い、お願いね。明日くらいまでに仕上げてくれたら嬉しいかも。データはメールしてあるから》
「今、そのファイル落としてるよ」
《いつも通り、ひよ子ちゃんに手伝ってもらうこと、制作さんに話し通してあるから、社外秘って文字に怯えないで頑張って》
「う、うん。いつ見ても社外秘って文字が書いてある画像は、危険な爆弾を抱えるみたいで不安になるよ」
受信したファイルを開くと、アニメの作画用資料が入っていた。隅には大きく『社外秘』と書かれている。
《また今度、なにか食べに行こうね》
「うん、京お姉ちゃん。頑張るのはいいけど、体壊さないように、ちゃんと寝てよ」
《いつもちゃんと寝てるよ。締め切り過ぎたらね! ひよ子ちゃんこそ、体には気をつけて》
「わたしは大丈夫だよ」
《中学生に仕事の手伝いで徹夜なんてさせちゃったら、わたしね、自分を許せなくなくなっちゃうから、しっかり休んでよ》
「わかった。徹夜なんてしないよ。またね、京お姉ちゃん」
《それじゃ、よろしく。またね》
苦笑しながら、ひよ子は通話を切った。アニメーターは過酷な仕事だと一般的に思われているようだが、実際に過酷な仕事だと思う。寝る暇も風呂に入る暇もないというイメージもあるが、そういう人も実在していると京から聞いている。
「京お姉ちゃん、大丈夫かな」
大丈夫かなといえば、びじょんとぱわわも大丈夫だろうか。
「二人で洗い物。その後は二人で夕飯のお買い物。無茶なお願いかな……」
徹夜をしないで明後日までに、渡された仕事を仕上げる。そのためには今から少しでも線画を進めておきたい。
なので、二人にお買い物も頼んでしまったのだが。
「ちょっと不安かも」
びじょんたちにスマホでも買ってあげようかな、連絡が取りやすいように。
そう思いながらペンタブに向かって、ひよ子は仕事モードになった。
「のだーっはっはっは! ダルマさんなのだぞ! がおーなのだー!」
ダルマを頭上に掲げ、ぱわわはキッチンを走り回っている。それを背に、びじょんはシンクに向かって黙々と洗い物を続けていた。
「その赤い物体。ダルマ。なんのために存在しているのだろうか」
「ひよ子はオキモノって言ってたのだ!」
びじょんが肩越しに後ろを見ると、ダルマを抱きしめながら床にゴロゴロと転がっているぱわわの姿があった。彼女は壁にぶつかって止まると、とても楽しそうに笑った。
「オキモノ。使用用途がわからない」
「しようようと? その意味もわかんないけど、ぱわわは可愛がって楽しんでるのだ!」
ぱわわは勢いよく立ち上がり、再びダルマを掲げながら走りだした。
「転ばないように気をつけて」
「はーい!」
シンクに向き直り、びじょんは洗い物を再開した。おでんを煮ていた鍋を、洗剤をつけたスポンジで擦る。
「泡がフワフワ」
「んー? びじょん? ブツブツ言って、どうしたのだ?」
「泡がフワフワしていて、わたしの心もフワフワのモチモチなスプラッシュ」
「び、びじょん?」
「洗い物も楽しい」
「うう、ぱわわもお手伝いしたかったのだ」
「背が届かない」
「その洗うとこの上に乗って手伝えばいいのだ」
「シンクの上に乗るのはお行儀が悪いからいけませんって、ひよ子に厳命されたはず」
「椅子! ぱわわ、椅子持ってくるのだ!」
「さっき、その方法を試して、椅子から転げ落ちたばかり。危なく、鍋が破損する事態に発展しかけた」
「う、うう」
「ぱわわは落ち着きがないから、不安定な場所に立つと落ちる。なのでダルマと遊んでいて。ここは、わたしが片付ける」
「ううー。そうなのだ! 玉、出して!」
「玉?」
「みっしょんみたいに、半分の玉を出して欲しいのだ! それに乗れば、ぱわわも洗い物できるのだ!」
「可能だけれど、椅子から落ちる子は玉の上からも落ちる」
「みっしょんに連れてきてもらった時も、三回くらい玉から落ちたのだ」
「大丈夫だったの?」
「みっしょんが助けてくれたから大丈夫だったのだ! まんがいち、地面まで落っこちても大丈夫! すんごーく痛いと思うけど!」
「今度、椅子から落ちないように修行しよう」
「はい! ぱわわはダルマさんと遊んでるのだ!」
「今日のとろこはそうして」
ぱわわは頷くとダルマを掲げ、回転し始めた。
「ところで、ぱわわは船に帰ると言っていなかった?」
「うあん! なんのことなのだ!」
「四日前。夕食を食べたら、わたしがぱわわを船に送るという話になっていたはず」
「ぱわわねー……」
びじょんは片眉をあげ、言葉の先を促す。
「お夕飯食べたらね、おいちくて。もう少し地球にいたいなーって思ったのだ」
「そう。気持ちは理解できる」
「まだ、ここにいてもいい……?」
「ひよ子も、ぱわわがいて楽しそう。いてもいいのでは?」
「そっか! 嬉しいのだ!」
「一応、ひよ子に確認してみよう。一緒に暮らしていいかどうか」
「うん! そういえばひよ子は? なにしてるのだ?」
「仕事。忙しいから、洗い物とお買い物を、わたしとぱわわに託すと言っていた」
「んー? んんん……!?」
「後頭部で爆発物が炸裂したような顔をして、どうしたの?」
「ぱ、ぱわわとびじょん二人でお買い物!?」
「そう。高度で困難な任務。ひよ子はわたしたちを信じ、その任務を与えてくれた」
びじょんは目を輝かせ、誇らしげな顔でぱわわのほうへと振り返った。
「地球初心者の、ぱわわたちがお買い物。それって、大丈夫なのかー……?」
「安心して。わたしがついている」
「そ、そうなのだ! びじょんがいれば安心なのだ!」
「我々の任務は、そう。スーパーという物資流通の場へ赴き、シチューの具材と納豆を手に入れること」
「おー!」
「一緒に頑張ろう」
「頑張るのだー!」
「ここはどこなのだー!?」
「おかしい。スーパーは、この辺りのはずなのに」
「やっぱり大丈夫じゃなかったのだー! うわー」
ぱわわは地面に寝転がって駄々をこね始めた。
「ぱわわのパワーで暴れると、道が破損する可能性が高いからやめなさい」
「はいなのだー!」
立ち上がったぱわわの背中についた砂埃を払いながら、びじょんは周囲を見渡す。
空を覆う木々。その合間から降りそそぐ木漏れ日が、美しく草地を彩っている。風に揺れて擦れる枝の音に混じって、セミの鳴き声が聞こえる。木々と草地の中を通っているアスファルトの道の上を、びじょんとぱわわは歩いていた。
「ここは恐らく公園と呼ばれる場所。それも日本という国では、かなりの規模の公園」
「こうえん。なにする場所なのだー?」
「わからない。どうして、ここにいるのかもわからない。我々はどこに向かって進んでいたのだろう」
「どこにっていうかねー。この道、さっきも通ったのだ」
「不思議だ。前回は公園を通り抜け、スーパーへとたどり着いたのに」
「ひよ子は、ぱわわたちの知らない秘密の抜け道を通ったのだなー」
「そうかもしれない」
「そんなわけないのだ。右に曲がって右に曲がって右に曲がったから、ぱわわたちは、この場所に戻ってきただけなのだ……!」
「言われてみれば前回、公園内で右折はしなかった」
「な、なのにどちて自信満々に進んでたのだ」
「自信なんてない。自信に満ちているように見えるのならば、それはきっと、わたしが表情を浮かべるのが得意ではないから、不安や怖れが表に出ていないだけ」
そう自信満々に言うびじょんに、ぱわわは目を丸くする。
「も、もしかして、道があってるか不安だったのかー?」
「うん、とてもすごく」
「え、ええええ……」
ぱわわは驚愕の表情で、尻もちをつき、その勢いで後ろに転がった。
「……前に一回、行ったことがあるのかー?」
「うん。あるにはある」
「あるにはあるって微妙な言い方なのだ」
ぱわわは立ち上がり、苦笑した。
「以前、ひよ子とスーパーへ行った時は、セミの話などに夢中だった」
びじょんは顎に指先を当てて眉をひそめる。真剣になにかを思案するような表情だ。
「つまり──」
憂うように目を伏せ、びじょんは言葉を濁す。
「つ、つまり? つまりなんなのだ」
「──つまり、道順はうろ覚えだった」
「う、うわー!」
ぱわわはコテンと後ろに倒れ、そのまま動かなくなった。
「これじゃお買い物に行けないのだ。納豆が食べられなくなっちゃうの、やーやー!」
そして倒れたまま泣いてしまった。
「ごめん。実は……わたし方向音痴なの」
「え!?」
ぱわわは再び目を丸くして、上半身を起こした。
「そ、そ、それならなんで道案内するなんて言ったのだ……!?」
「道案内するなんて口にした覚えはない。ついているから安心してと言っただけ」
「い、言ってない!? 言ってたのだ! 言って……言ってなかったような」
「自慢ではないけれど、船からひよ子の部屋にたどり着くまで二日かかった」
「ほんとに自慢になんないのだ……」
「ぱわわは有機生命体をベースに造られた戦闘生物。強靭な肉体と優れた五感により、あらゆる場面で能力を発揮できる」
「うん、ぱわわはすごいのだー!」
「自慢していた帰巣本能を活かして、スーパーへの道順を探って欲しい」
「わかったのだ! 匂いでも嗅いで、すうぱあってのを追跡するのだ!」
ぱわわは四つん這いになり、笑顔で道をスンスンと嗅ぐ。
「さすが、頼もしい」
「って、無理なのだー! 行ったこともない場所の匂いなんてわかんないのだ!」
四つん這い状態を解除し、ぱわわはびじょんに詰め寄る。
「帰巣本能はどうしたの」
「き、帰巣本能っていうのは文字通り、巣に帰る本能なのだ。なびげーしょん的なしすてむじゃないのだ」
「確かに。正論」
「ぱわわの帰巣本能を活かすならねー、お家に帰ってひよ子に道を教わったほうが早いのだ」
「お買い物任務を与えられた時に道順を聞いておけばよかった」
「聞きそびれちゃったのだな」
「ううん。スーパーまでの道って、わかる? と質問されて、わかると答えてしまった」
「な……なんで!?」
「ひよ子はわたしを、とてもすごい人だと思ってくれている。それはわたしが宇宙から来た人間だからかもしれない。地球人にはない能力を有しているからかもしれない」
びじょんは悲しそうにうなだれてしまった。
「地球を侵略した種族なのに、スーパーまでの道がわからないなんて恥ずかしくて言えなかった。ひよ子に方向音痴だって知られたくなかった」
「そ、そんな。ひよ子はきっと気にしないのだ」
「それでも恥ずかしかった……」
落ち込むびじょんの頭を、ぱわわは背伸びして撫でた。
「ホムサイダーズにだって得意なこともあれば、苦手なこともあるのだ」
頷いたびじょんの頬を優しく撫で、ぱわわは微笑む。
「ぱわわだって、空を飛べないのだ。ホムサイダーズの仲間たちはみんな飛ぶ能力があるのに」
「……ぱわわ」
「びじょんはイメージを気にしていたのだな」
ぱわわはびじょんの手を引いて、近くのベンチへと誘った。並んで座ると、植物の優しい香りがした。
「びじょんはぱわわと仲良くしようって言ってくれたのだ」
「うん、言った」
「ひよ子とも仲良くしていきたいのだよね?」
「もちろん」
真剣な眼差しで、ぱわわはびじょんを見つめながら力強く頷く。
「だったらお互いの見せたくない部分も見たり見せちゃったりする時が絶対きちゃうのだ」
びじょんはぱわわから目を逸し、考えこむように目を閉じる。
「ひよ子のこと、びじょんはもう好きなのだよね?」
「うん。好き」
素直に頷き、びじょんはぱわわを見つめ返す。
「ひよ子に失望されたり、嫌われるのが怖くなってきた。今の生活が楽しいから失いたくなくなった」
「うんうん。ぱわわも船の生活より今が楽しいのだ」
ぱわわは何度も頷き、びじょんと腕を組んだ。
「ひよ子だって、びじょんのこと好きだと思うのだ」
「そうかな。ぱわわも言っていた通り、わたしは人の気持を察するのが苦手」
「びじょんがひよ子を友達って言った時、とっても嬉しそうだったのだ! ほんとにほんとにとってもひよ子は嬉しそうだったのだ!」
ぱわわは両腕を空へ広げた。
「ひよ子はびじょんを失望したり嫌ったりしないのだ。方向音痴くらい、絶対に気にしないのだ」
「うん」
そう小さく頷いた彼女は、どことなく安心したような表情をした。
「ぱわわねー、二人を見てて羨ましいって思ったのだ」
「え? 羨ましい?」
「仲良いなー。楽しそうなのだなーって」
「わたしとひよ子は仲良しになれている。と?」
「うん! とっても!」
「そうか。嬉しい」
「だから大丈夫なのだ。きっと、これからも仲良く一緒にいられるのだ。もちろん、ぱわわも一緒なのだ!」
「うん。ありがとう、ぱわわ。きっと大丈夫」
満面の笑みで微笑むぱわわに、びじょんは嬉しそうに目を細めた。
「方向音痴の話だけではないのです。わたしたち、ホムサイダーズが今まで『地球人』にやってきた『刈り取り』。その詳細を知っても、彼女はキミを友達だと思ってくれると思っているのですか? びじょん」
薄暗い部屋の中央。そこに置かれた椅子に腰掛けた長い黒髪の少女めでぃ。彼女は不快そうに顔をしかめた。
めでぃの左右には鍵盤型のコンソールが展開しており、視線の先にはモニターがある。その画面の後ろ側にはパイプオルガンのパイプのような物が連なっていた。
暗い部屋には大きな砂時計が置かれており、サラサラと砂が落ちる音が聞こえる。
その砂時計を一瞥して、めでぃはモニターへ視線を戻す。画面には公園にいるびじょんやぱわわ、そしてひよ子の後ろ姿が映っていた。
「地球のみなさんは今日も楽しそうデスネ」
砂時計の対角線上の片隅に置かれている大きな鳥かご、その中でふてぶてしく微笑んでいる少女が、笑いを含みながら囁くように言った。
「アナタが最後に楽しんだ日はいつだったデスカネ」
その言葉に、めでぃの両腕が力をこめたように震えた。
「わたしが最後に楽しんだ日は、奇しくもキミが最後に栄養をとった日と同じなのです」
「五十年前デスネ。『あの星』の時間では『半年前』デシタッケ」
「キミをその有様にした日。本当に楽しかったのです」
「本当に楽しかったのデスカネ。あの日のアナタは、真っ赤になってピィピィないてましたヨネ。それこそ鳥のように──」
ねぎの言葉を遮るように、轟音が響く。
めでぃが強く鍵盤を叩いたので、パイプオルガンのような機械から、その姿に相応な音が鳴ったのだ。
めでぃは肩越しに憎悪のこもった目で、ねぎを凝視していた。
「おっと。怒らせちゃいましたカネ。わたしったらワルイコしちゃいマシタ」
腕に抱いた人形たちの腕を、自らの口に当てて、ねぎはおどけるような所作をした。
「五十年前のアナタのように悲しんでいる人がいマスヨ」
「なんの話ですか」
「ほら、モニター。アナタのお気に入り。悲しんでマスヨ」
「お気に入りなんかではないのです」
めでぃは、つい視線をひよ子が映っている画面へと向けてしまった。そこには泣き崩れているひよ子の姿があった。
「なにを泣いてい──」
言葉を思わず途切れさせ、めでぃは目を見開く。ひよ子の泣いている姿に動揺したからではない。その横の映像を目にしたからだ。
「こんふぃ。……どうして、キミがそこにいるのですか」
ベンチに座っている、びじょんとぱわわ。その前に立つ、こんふぃの姿があった。