侵略しに来ました。
「侵略に来ました」
「え? ……え?」
「わたしの名前は、びじょん。よろしく」
ひよ子がベッドの上で目を覚ますと眼前に赤い目の美少女がいた。まだ夢の中にいるのかと思った。思ったが違っていた。目の先には、こちらを覗き込むようにしている、びじょんと名乗る少女が確かにいる。
「ど、どちら様? あなた、幽霊的な人……?」
美しい宝石のような瞳で食い入るように見つめられ、ひよ子はベッドに横たわったまま硬直している。
そんなひよ子を見下ろす少女は、逆光を背にまるで輝いて見えた。柔らかそうな白い髪が微かに揺れた。
「幽霊。それは命を失った生物が、希薄な物体のようなものとなって再び現れる存在を指している。あってる?」
「そう、うん。そうだよ」
「だったら違う」
「それじゃ泥棒的な人? ずっとそこにいたの? それよりなんの用……?」
「泥棒。他者の財産や物資を許可なく奪うも──」
「こ、言葉の説明はいいから」
「質問へ順番に答えていくと、あなたが起きるまで、ここでその寝顔を見ていた。三時間くらいかな」
「三時間も!?」
無表情のまま彼女は頷く。
「そしてなんの用かという問に答えると、大切な話がある」
「大切な話?」
「なので真面目に聞いて欲しい」
ひよ子は、びじょんと椅子にちょこんと座っていて、テーブルを挟んで見つめ合っていた。謎の侵入者にミルクたっぷりの微糖コーヒーとドーナツまで出している。
「この肌色に近い茶色の液体はコーヒーと呼ばれる嗜好品で、褐色でリング状の物体はドーナツという菓子であっている?」
「うん、あってる。初めて見るの?」
「実物は初めて」
コーヒーやドーナツを初めて見る人というのも珍しい。気がする。
ひよ子が世間に精通しているというと、そうでもないので実際どうなのかはわからないけれど。少なくてもその二つを初めて見たという人を、生まれて初めて見た。
「おお、すごく甘そうな香りがする」
「コーヒーは甘そうな匂いでも、ちょっと苦いかも」
びじょんはコーヒーカップを口元に寄せ、クンクンと可愛らしく鼻を鳴らして香りを吸った。
「良い。この香り」
彼女はカップに唇をつけ、コーヒーを飲み込んだ。
「コーヒー。苦味と甘み、そして香ばしい。推測だけど、これには砂糖が入っている?」
「うん、ちょっとね」
「砂糖は甘くて美味しいが有機生命体にとって摂取し過ぎは害だとデータにある」
「そんなにたくさん入れてないから……もしかして甘い物が苦手だった?」
「ううん。害になる物質を積極的に摂取する理由が理解できなかった。今までは」
「え、えっと」
「理解できた。理由は美味しいから。美味しいというのは味覚に──」
「うん、言葉の説明はいらないよ。コーヒー美味しい?」
「美味しい」
「良かった。ドーナツを食べながら飲んだりすると、もっと美味しいかも」
「そう。試してみる」
真剣な眼差しで、びじょんはドーナツを頬張る。
「うん。これは。モグモグ。うん。うんうん」
やたらとびじょんは頷いている。ごくんと飲み込んで、彼女はコーヒーカップに口をつけ飲み始める。相変わらず無表情だが、心なしかどこか幸せそうだ。
「おおお。美味しい。とてもすごい」
驚愕の表情というべきか。目を少し見開き、びじょんは両手を見つめる。
「こんな感覚は初めて。感情が動く。だから感動というのか。すごい」
「そこまで感動してもらえて嬉しいなー」
つい、ひよ子は微笑んでしまった。
「地球。すごい。こんな衝撃があったとは」
地球規模で感動してもらえたようだ。インスタントコーヒーとスーパーで安売りしていた賞味期限切れ間近のドーナツで。誤解のないように言明しておきたいが、ひよ子はインスタントコーヒーもスーパーのドーナツも大好きだ。好きじゃなかったら買っていない。
「わたしのドーナツも食べる?」
「いいの?」
再び驚愕したような顔をして、びじょんはひよ子の前にあるドーナツを凝視した。
「いいよ」
「なんというすさまじいまでの歓迎。この場合、ありがとうと口にするのが間違いの少ない対応?」
「まあ、そうかな」
「ありがとう」
「あはは、どういたしまして」
悪い人じゃなさそうだ。
実のところ、警察に連絡しようかどうか迷いに迷ったが、大切な話があるというのは嘘ではないようなので一応聞いてみることにした。人を見た目で判断するのはどうかと思うが、びじょんは押し込み強盗には見えなかったし、変わってはいても危険な人ではないような気がした。なので通報は話を聞いてからでも遅くはないかと思った。
学校が夏休みに入って以来、一週間は誰とも会話をしていなかったので、人との会話に飢えていたのもある。そしてベッドで寝ながら話を聞くのもなんなので、彼女をリビングに通して、せっかくだからコーヒーも用意した。
スマホを見ると『08:15』と表示された。
「朝ご飯の前に、その大切な話っていうのを聞かせてもらおうかな」
「朝……ご飯……?」
無表情なのに、どこか幸せそうにドーナツを食べていた彼女が、突然と鋭い視線をひよ子に向けてきた。
「う、うん、朝ご飯」
「朝食。と呼ばれる食物や料理を摂取する行為」
「そうだよ。良かったら食べてく?」
「いいの?」
「いいよ」
「おおおおおお。それはすごい」
「納豆とご飯と焼き海苔で、質素な感じだけど」
「納豆。ご飯。焼き海苔。すごい。この日本という国の伝統的な朝食スタイルではないだろうか」
「うん、そうかも」
「おおお。すごい。良い」
なんだか嬉しそうだ。こっちも嬉しくなってしまうくらいには、びじょんは幸せそうな顔をしている。
「ところで大切な話って?」
「そうだ。朝ご飯が楽しみで失念していた」
ほわっとした雰囲気から一転、彼女は深刻ささえ漂う真剣な目つきになる。ひよ子は思わず息を呑んだ。
「日和見ひよ子。十二歳。日本の東京都世田谷区廻沢町在住。職業は地元の私立廻沢中学へ通う中学一年生。趣味は絵を描くこと及び、料理──」
ひよ子は口を開けてポカーンと唖然とした顔をしてしまった。
「な、なんで? どうして、わたしのこと、そんなに詳しいの?」
「──多くの人間は両親と同居している。しかし、日和見ひよ子は事情があり現在は独りで暮らしている」
「や、やめて。なんでそんな話……」
「この地球と呼ばれる惑星に棲む生物、そのすべての命が失われるか存続するかは、あなた次第」
「……え?」
「日和見ひよ子。あなたの行動や言動で、わたしたち『ホムサイダーズ』による地球への『刈り取り』の実行するかしないかが決まる」
「ぜ、全然わかんないよ。どういう話?」
「わたしが日和見ひよ子へ好意を持てば、地球への侵略は行われない」
「え? え!?」
「わたしが日和見ひよ子へ嫌悪を持てば、この星から主たる生物は消滅する」
「ご、ごめん。わたしの理解力が足んないのかな……本当にわかんないよ!」
「微生物や昆虫などの小型生命体は『刈り取り』対象ではないが──」
「うう……」
彼女がなにを言っているのか理解できない。ひよ子は思わず立ち上がりスマホに目を向ける。
──この子、危ない人かもしれない。通報しようか。
「外部に連絡を取るのは許可できない。話がややこしくなる」
彼女の言葉と同時にスマホの電源が落ちた。
「が、画面が。どうして」
「話を理解しやすいように、わたしの力を見せる」
びじょんも椅子から立ち上がり、テーブルへゆっくりと手を置いた。
するとテーブルが収縮するように潰れながら床に転がった。それはやがて球体になり、壁の方へと転がっていった。
「な、なに……これ」
今度はひよ子が驚愕の表情で、びじょんを見つめる番だった。
「最初に言ったはず」
「なんて?」
「侵略に来ました」
びじょんの宝石のような赤い瞳。美しいが今は恐ろしく見えてきた。
「わたしはこの星の生命体ではない」
「う、宇宙人?」
宇宙人。自分で言っていて、ひよ子は苦笑してしまった。
しかし、テーブルやスマホは無残な姿を晒し、その笑ってしまう言葉を無理矢理にも肯定しようとする。
「簡単に言う」
びじょんが一歩近づいてきて、ひよ子は怯えて数歩後退する。背中に壁の冷たい感触がした。
「わたしが日和見ひよ子を好きになれば、地球の生き物は滅ぼされない」
「な、なんでわたしなの?」
「そう約束した。わたしより強い者と」
「びじょんさんの仲間と?」
「仲間かどうかと問われると、なんとも返答しにくいが、そういった関係に近い」
「どうして、その人は、わたしを指定したの?」
「さあ。それは知らない。知らないが、わたしが地球への侵略に反対したら、地球人を好きになれたら、刈り取りは止めると約束してくれた」
「う、うん、それで?」
「好きになるかどうかの対象。それは日和見ひよ子と指定されただけで、何故かはわたしも聞かされていない」
「ちょ、ちょっと!」
「うん?」
「よくわかんないけど、とても大事なことを、わたし個人に背負わされてない!?」
「地球の生物を守りたかったら頑張って」
「困るよー!?」
「どう? 美味しい?」
「美味しい。納豆と、ご飯はよく合う。それにのせる焼き海苔もすごく香ばしい」
「良かった……」
ひよ子は青ざめている。このびじょんという少女に嫌われると、地球の生物の大半は滅ぼされてしまうらしい。ちなみにテーブルは潰されてしまったので、床へトレイにのせた朝食を置き、クッションの上に座りながら食べている。、
正直、どうしていいのか、よくわからない。好かれる努力をすればいいのだろうか。
「ちなみに媚びなくていい」
心の内を見透かされたような言葉に、ひよ子は動揺した。
「べ、別に媚びるつもりは……」
「ありのままの日和見ひよ子を見せて欲しい」
「いつも通りにしてろってこと?」
「そう。それであなたを好きになれれば良い」
「う、うーん。自信ないな」
「自信ないの?」
「自信ないよ。友達もいないし……」
「一人ぼっち?」
「認めたくないけど……うん」
「これからしばらくは違う。わたしが同居する」
「あ、あはは。そうだったね」
ひよ子は苦笑する。
「あ。そうだ。期限は? いつまでに好きになってもらえばいいの?」
「あなたの時間的な単位で答えると、一ヶ月」
「一ヶ月かぁ」
「今日は八月一日。つまり九月一日までが期限」
「ちょうど夏休みが終わる頃だね」
「日和見ひよ子のスケジュールに配慮した期間。学校がない時期」
「そ、そっか。ありがとう」
変に気遣いができる宇宙人だ、とひよ子は再び苦笑いを浮かべる。
「他の偉い人に相談したりしたらだめなの? 政治家の人とか」
「外部との連絡は許可できないと伝えたはず」
「そうだったね。ごめん」
「謝ることはない。誰かに相談したい気持ちは理解できる。一人で地球に住む大半の生物の命を背負っているのだから」
「……うん」
「しかし、他の人間と交渉するつもりはない。あなたたちの支配者とは」
「どうして?」
「地球にいる権力者たちが持つ軍事力は、すでに我々に敗北している。例をあげると、米軍や自衛隊など」
「え……!? 地球って、もう負けちゃったの!?」
「地球の生命体の命は、出来る限り奪っていない。戦力の差を教えただけ。今のところは」
「ネットでもテレビでも、そんな大事件、昨日まで扱ってなかったのに……」
「情報機関の話なら、現在も扱っていないはず。滅ぼされる寸前だと理解しているのは、一部の地球人だけ」
ひよ子は唖然とし、ツバを飲む。
「わたしは単独でも現在の地球に存在する全人類を相手にしても勝利できる。これは誇張ではなく事実」
「びじょんさんって、そんなにすごいの?」
テーブルをテニスボールのように潰して丸めてはいたが、この世界を相手に勝利した存在には見えない。可愛らしい女の子に見える。普通の女の子のようには見えないが。
「比較対象が現存している地球の兵器ならば、わたしはかなりすごい。我々の種族の中では、それなりにすごい」
「よくわかんないけど、すごそう」
「すごいといえば、この納豆。すごくネバネバする」
「それがいいんだよ」
「取れない、うわああ」
納豆が指について、ネバネバと格闘している少女が、地球の軍隊よりも強いと言っているのだから笑ってしまう。笑ってしまうが本当の話なのだろうか。
「話を戻そう。従って、地球人と交渉の余地はない。我々はいつでも地球を滅ぼすだけの力はあるし、我々にとって地球は生きるための資源の塊だと言っておこう」
「う、うーん。それならどうして、びじょんさんがわたしを好きになったら、滅ぼすのを止めるなんて、ややこしい話になったの?」
「ややこしくない」
「そうかな」
「わたしは種族、つまり家族のために他者の文明や命を滅ぼす行為を、どうしても肯定できない。悲しいと思う」
「うん、それはわかる」
「しかし、日和見ひよ子のいうところの、わたしの仲間の大半は地球の生物に対して、なんとも思っていない。あなたたちの未来や生活は無価値として、その生命は資源としか考えていない」
「それは怖いね……人間を家畜みたいに思ってるってことだよね」
「その通り。人間も同じように他者を喰らい、同じ人種の生活圏を拡げてきた歴史を持っている。怖いといえば地球の人間も怖い」
「う、うう」
「他者の思考はさておき、わたし個人は滅ぼす以外の選択肢を模索したい。だから我々の指導者、つまりリーダーにそう進言した」
「地球を助けたいって?」
「違う。生命体の大半が滅んでも地球自体は存在し続ける。滅ぼしたくはないと言ったのは、この星に住んでいる生物と、その文化」
そう言うと、びじょんは器用に箸を使い、ご飯を一粒も残さず口に入れた。
「我々のリーダーが提示した条件は、もう一度言うが、わたしが日和見ひよ子を好きになること」
「つまり……」
「つまり、わたしのリーダーは刈り取りを止めるつもりはないし、挑んできても勝利はない。すでに敗北している。そして、滅亡を回避する条件は唯一つ」
「誰に相談しても無駄ってこと?」
「回りくどくて難しい話になったかもしれないが、理解してくれたみたい」
「うん、なんとなくわかった」
「良かった。こんなに美味しい物を作れる種族を滅ぼすのは悲しいから」
心底安堵したような表情で、びじょんは残っていた焼き海苔を食べた。パリパリと小気味の良い音がする。
「おおお、海苔が上顎の内側に張り付く。これは妙な感じがする。美味しいけど」
「変な感じするよね。口の中に張り付いた海苔って」
さっきまで物騒な話をしていたとは思えないほど、和やかな雰囲気になった。
「本音を言わせて欲しい」
びじょんは険しい顔で、そう言った。
「え? 本当は、なにか恐ろしい陰謀があるとか……?」
「違う。お味噌汁という物も食べたかった」
「お、お味噌汁!? 作ってこよっか……!?」
深刻な話かと思った。
「いいの? 本気?」
びじょんの目がキラキラしている。一際煌めく一番星のように。
「そんなに地球の食べ物は美味しい? びじょんさんたちって、料理できない人たちなのかな」
「料理ができないなんてものじゃない。料理なんて存在しない」
「料理が存在しないの!?」
「うん。料理という概念は、この地球へたどり着く以前から知識としては知っていた。別の星の住人も料理をしていたから」
「そうなんだ。……違う星の住人!?」
びじょんの言葉をすべて信用するという前提で、冷静に考えたら異星人はすでに存在していることになる。なるが、他の星の住人の話を聞かされると驚いてしまう。なにせ宇宙に知的生命体は地球にしか存在しないというのが、ひよ子の中での認識なのだから。
「地球人は惑星外への探索は進んでいないようだから、そう驚くのも仕方がない」
「うん。びじょんさんも、わたしから見ると異星人だね」
「わたしたちは惑星を持たないから、異星人と言われると正確ではない」
「星に住んでいるわけじゃないの?」
「船の中で生まれて、船の中で生きてきた」
「宇宙船!? そ、その船は今どこに?」
「現在、この家屋の上空、10kmほどの位置で待機している」
「聞いておいてなんだけど、そういう情報って言っちゃっていいのー!? 地球から宇宙船へ攻撃されたら、ちょっとまずいんじゃ……?」
「構わない。地球人に船の座標が知られて、攻撃を受けたとしても驚異足り得ない」
「そんなに戦力の差が……?」
「ある。それよりも──」
「それよりも?」
「──お味噌汁はまだなのだろうか」
とてもキラキラした目を向けられて、ひよ子は何度目かの苦笑いを浮かべた。
次回来週金曜更新予定です。