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単語の説明はありませんので、このままお進みください
約束通り一週間後の今日は愛馬で街へ出た。
染音は久々の馬で、其の高さにはまだ慣れていない様だった。
午前八時頃には既に明るかったが、決して暑くはなく、日差しが辛い訳でもない。春の爽やかな、心地の良い日だ。
俺は先ず西側へ向かった。
「此の様に街へ出るのは久方振りか。」
「・・はい・・・学院に通い始めたのは先週で・・・それまでずっと・・・」
「然うか。では、今日は良い気分転換になれば良いが。」
「・・はい・・」
染音は見たことが無い景色に目を奪われていた。
聞けば、八雲家に住んでいた時、学院以外で出掛けたことは殆ど無かったらしい。まして、遠出などは一度も無いという。そんな染音には今日は良い日になるだろう。
「其れで、染音は両親から、羽染家の事は聞いたことが有るのか?」
俺は周囲を確認してから、然う尋ねた。
「・・いえ・・詳しくは・・・聞いたことがあるのは・・私を拾った時のことくらい・・です・・・」
「然うか。実は、俺は染音の生みの親、羽染彩羽さんと関係が有った。」
「!・・・本当の・・お母さん・・ですか・・・?」
「・・嗚呼。染音の母、彩羽さんの事は何時か話さなければならないことだ。だが、何時話すべきか・・」
「・・・今・・聞かせてください・・・結城さんが・・良ければ・・・」
「だが、今日は街を巡る約束だろう。話をしていては碌に街を見ることは出来ない。良いのか。」
「・・はい・・お願いします・・・」
「然うか。分かった。」
俺は一度深呼吸をした。
今から十八年前、俺が十五歳の頃の事だ。姉さんは四つ上だから当時十九歳だった。其の年、長年続いていた五十年戦争が漸く終結した。姉さんに習ったか。事の発端は更に五十年前に遡る。此の街から東に向かった場所には広野が有る。其の広野は資源地帯で其の資源を巡っての事だという。
戦争が終結したと言っても街に変わった様子は無かった。何故ならば、我が軍が最前線で止めていたからだ。強いて言えば、鹿鳴館での行事が増えたことくらいだ。
当時俺は学院中等科参年だったから、出兵ということは無かったが、父は当然出兵していた。
父から聞いたことは無い。だが、他の華族の人からこう聞いたことが有る。父は前線には出ず、後方で街への飛び火を防いでいた、と。飛び火しそうになったことは確かに幾度か有ったという。稀に起きる其の状況で、父は尽力したそうだ。其の結果、市民への被害を零にした。世間的に見れば、評判は良い。勲章まで授かった。だが、俺から見れば、父はそんな風には見えなかった。前線に出なかったことは裏を返せば、命を捧げなかったということではないか。他の華族に対しても誇れることではないと思うことも有る。
愚痴は止そう。其れで、父は戦争が終結して間も無く此の世を去った。確か、三十九頃だったか。嘗ての事は知らないが、体が弱く、持病が有ったそうだ。
葬儀の日、俺は父の遺した刀を初めて手にした。其の重みは今も確かに覚えている。十五歳だった俺は亡き父の後を追い、当主となった。其の日は酷い雨で、昼間だというのに暗かった。
此の日の姉さんの表情も覚えている。口は堅く結ばれ、其の眼は悲し気ながらも強さを感じた。ただ、何処を見つめていたのか、分からない。少なくとも目前ではなかった。何処か遠くを、そんな眼をしていた。姉さんは昔から頼りになる人だ。俺は何か有れば、姉さんの元へ行った。俺を気遣ってか、其の日、立ち尽くしていた俺の肩を軽く叩いた。そして――いや、此の日の話はもう良いだろう。あまり関係は無いし、聞かせることでもない。
其の年の神無月の二十六日、俺は初めて鹿鳴館に赴いた。姉さんも一緒にだ。初めてあの大広間を見た時は流石に驚いた。其れで、挨拶をしなければならない人は数える程しか居なかったから、姉さんと俺は上の露台で洋盃を片手にゆっくりしていた。
俺は何となく下方の大広間を眺めていた。優雅な曲に何組かの男女が踊っている。
「気になるの?」
「・・いや、特に意味は無い。」
「然う。ふふ。」
「・・?」
振り返ると、姉さんは愉し気に笑っている。
「一緒に踊りましょう。」
「・・・」
姉さんは持っていた洋盃を近くの洋卓に置くと、直ぐに階段を降りて行く。俺は茫然としていたが我に返り、其の背を追った。
下に行くと、姉さんは既に踊る場所に居た。其れを見つけ、傍に行くと、依然として笑っていた。そして、そっと手を差し出され、俺は其れを握り返した。然うして、姉さんと俺は節奏に合わせて踊り始めた。
「如何?」
「・・・嗚呼。」
此の時の姉さんは、今までで最も美しかっただろう。屡々袖が捲れ、現れる腕、細い首筋、降り注ぐ装飾電灯の光に反射する色白の肌が視界に入る。微かな陰影が其れを際立たせた。赤みがかった黒の長髪は揃って、しかし、美しく乱れる。そして、其の眼を真っ直ぐに俺に向けてくる。ただただ、姉は綺麗で、愉快そうであった。
其の後、姉さんと俺は屋敷に戻る為、玄関に向かった。だが、扉の横に女性が一人、立っていた。其の女性は足音に気付いたのか、振り返り、俺等の方を向く。
端整な顔立ちをした人だった。整えられた黒髪は真っ直ぐに下に伸び、華奢な軀をしていた。当に美しさ其の物だった。
「お名前を、お伺いしても?」
「・・・!・・山城結城と申します。」
俺はあまりの美しさに見惚れてしまっていたが、慌てて名乗り、頭を下げる。次いで、姉さんも名乗り、礼をした。
「山城結城様、結衣様。素敵なお名前でございますね。」
其の女性は、然う言うと微笑んだ。
「あな――」
突然腕を引っ張られ、体勢を崩してしまう。何事かと思えば、姉さんだった。其の儘、姉さんと俺は出て行き、馬車で戻った。其の人のしっとりとした声は頭から離れなかった。そして、最後に、女性の口が動いた様に見えたが、聴き取ることなど当然出来なかった。
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