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[前回のあらすじ]
山城家にいた時と異なり、侍女とも仲良くすることができないと分かり、染音は寂しい日々を送っていた。誰にも自身の気持ちを打ち明けられないまま過ごす中で、鷯の愛犬、樰だけが心の拠り所であった。
そして、相変わらず鷯の母との関係は悪く、鷯の母の嫌味や鬱憤に耐える日々が続く――
文月になり、暖かな日々が続く。染音は高等科に通う生活に慣れてきていた――相変わらず成績はあまり芳しくなく、屋敷では気分が優れなかった――
染音は課題に関して資料を求め、学院管轄の図書堂を目指していた。だが、廊下ですれ違った女学徒に引き留められてしまった。染音を引き留めたのは、上級生の女学徒二人であった。
「染音さんですわね。久しくお会いしておりませんでしたけれど、いかがです?」
「・・? ごめんなさい、覚えていなくて・・・」
「まぁ・・無理もございませんわ。お話するのは此度が初めてですから。私の姓は滌堂院。染音さんの婚式に参列させていただきましたわ。」
「・・・」
染音は小さく頭を下げた。滌堂院家は数千年前、皇族から分家した一族であると伝えられており、華族の中でも一際高貴な華族である。
礼をする染音に滌堂院は微笑むと、隣に立つ女学徒――姓は久城――を紹介した。
「幾分遅くなりましたけれど、改めてご結婚おめでとうございます。あの鷯様となんて、羨ましい限りですわ。素敵な方ですもの。」
「・・有難うございます・・・?」
染音は再度小さく頭を下げた。
「ふふ、相も変わらずお人形の様ですわね。ただ、鷯様ご本人は構いませんけれど、果たして幸か不幸か。」
「・・・?」
「今は亡き香月家の穢れた血が流れているのですもの。身分に執着した華族の恥晒しですわ。真に高貴ならば、滌堂院家の様に何もなさずとも全てを得るというのに、皇族の分家であることを鼻に掛け、大した能でもなし、首席であることを自慢し、鹿鳴館では高貴な華族に縋る――なんて醜いのでしょう。」
滌堂院の眉間に皺が寄り、歯軋りする音が聞こえた。
「染音さんは山城の姓を失い、幾らか苦労なさるのでしょう。私は滌堂院の姓を失うのが嫌だったものですから、男子を屋敷に招きましたわ。」
「・・・」
「山城の姓を失い、と申し上げましたけれど、染音さんが山城家の者だったことを自らお話することの無いようになさい。」
「・・? 如何して、ですか・・?」
「お分かりでないのね。結城様は婚約なさらず、結衣様は婚約なさらない上に、入隊なさるなんて・・確かに市民や一部の華族から支持を得ていたものの――女の身分で男子と同等に振る舞って良い筈が有りませんわ。」
「!・・・結城さんや結衣さんの事は・・あまり――」
「染音さんがどの様にお考えかは存じ上げませんけれど、華族として如何すべきか、お考えなさい。」
「・・・はい・・」
「少々お話するだけのつもりでしたが、良いでしょう。では、機会が有りましたら是非。」
滌堂院は深く礼をすると歩いて行く。すると、隣に立っていた女学徒は染音に近づき、耳元で囁いた。
「貴女の事ですから、滌堂院家の事をご存じなかったのでしょう。けれど――無事にお過ごしになりたいのなら、滌堂院様に失礼の無いように。」
「!・・・」
「・・只今戻り――」
「ご覧なさい! 洋袴の此の傷を如何するつもりです!?」
「其れは自業自得というものです!」
夕方屋敷に戻ると、鷯と其の母が言い争いをしていた。
「だからあの様な馬鹿な狗など飼うものではないと言いましたのに!」
「其の様な事をおっしゃるからでしょう!」
「私に非が有るとでも言うのですか!」
「然うです!」
「!・・まぁ、染音さん、戻りましたのね。」
「・・・はい・・」
「夏期休業前の成績も所詮碌な物ではないのでしょう。早くお部屋でお勉強をなさい! 貴女も馬鹿なのですから!」
「!・・・はい・・」
染音は小さく頭を下げ、自室へ向かった。
「染音さんになんて事を言うのです!」
「事実でしょう! 兎に角貴方も自室に戻りなさい! 不愉快です!」
「お母様に言われなくとも戻ります!」
染音が部屋に入ると樰が伏せていた。其れに気付くと、染音は鞄を置き、傍に膝を突く。そして、樰の背に手を当てた。
「・・さっきの、聞こえてましたか・・・?」
「――」
樰は小さく唸った。染音は暫く黙っていたが、其の頬を涙が伝う。頬を離れると樰の鼻先に落ちた。樰は再度小さく唸り、染音の方を向いた。
「・・・ごめんなさい・・ごめんなさい・・・」
染音は頬の涙を拭った。
「・・・如何すれば良いのか・・分からなくて・・・」
樰は染音に身体を寄せた。
「染音様、起床のお時間でございます。」
翌朝、扉を叩く音の後、侍女の声が聞こえ、部屋に入って来る。
「既に朝食は出来ておりますから、お召し替えの後食堂へ。」
「・・あの・・・」
「いかがなさいましたか。」
「・・朝食は食べます、けど・・・気分が優れなくて・・学院は・・・」
「其れではご主人様がご立腹なさいますよ。」
「・・・でも・・」
「かしこまりました。一度、ご主人様に其の旨をお伝え致します。」
侍女は礼をすると、部屋を後にした。
食堂へ行くと、既に鷯と其の母が居た。染音も席に着くと、皆食べ始めた。普段ならば、鷯の母は話し始めるのだが、此の時は黙った儘であり、染音は少々疑問に思った。
食べ終わると、鷯の母は足早に去った。
「・・あの・・・」
「如何しました。」
「・・・お仕事が、お休みなのは・・何時ですか・・・?」
「其れでしたら、丁度本日です。」
「!・・一緒にお出掛けを・・・」
「しかし、学院に行かれずに、宜しいのですか?」
「・・・ごめんなさい・・」
「いえ、其の様な時も有るでしょう。では、夕方にしましょう。」
鷯は染音が食べ終わるのを待ち、染音が立ち上がるのを支えてやる。
染音は書物に手を伸ばす気になることが出来ず、時季外れではあるが、編み物をした。高等科に進学してからというもの、裁縫を一切していなかったが、嘗ての感覚を思い出し、静かに視線を手元に向けた。
学院が終わる時間になると、鷯は染音に部屋へ呼びに来た。其れに応じ、玄関を出ると、馬が居た。鷯の馬は訓練を終え、軍の敷地外へ連れ出すことが可能になったという。あの時と同様支えてもらいながら、染音は乗馬した。鷯も乗馬すると、馬を走らせる。暫く街を巡り、染音の希望により、神社へ向かった。程良い場所で、二人は腰を降ろす。
暫く静寂が続く。夏の風は、一時を過ごすには丁度良かった。鷯は屡々染音を見るものの、遠くを見つめていた。染音は俯いて居たが、徐に鷯の手を取り、体を鷯の方へ向けた。
「如何しました。」
「・・・接吻・・しても良いですか・・?」
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