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[前回のあらすじ]
結婚式を終え、ついに結城の元を離れ、一人の大人として歩み始めた染音。
式中では、瞬間結城に目を向けるも、しっかりとその先を見つめていた。
志布志家の屋敷に行くと、鷯が愛犬、樰を飼っていることが分かった。
新たな生活が始まったばかりであったが、鷯の母、つまり姑問題に直面することとなる。
翌日から鷯は軍へ、染音は学院へ通う日々が始まる。数日は侍女が共に来ていたものの、直ぐに一人で通うこととなった。というのは、以前よりも学院まで近く、染音が比較的覚え易かったからである。又、侍女が一人で通うように染音に言ったことも有り、染音は、此れが当然なのだと淋しさを抑え、納得した。
そして、鷯が言っていた通り、鷯の母の嫌味は続いた。食事中は当然、夜には屡々染音の部屋を訪ね、学績や其の家督を鼻に掛けていた。
ある夜、染音は自室で窓の外を眺めていた。如月の下浣、既に雪は降らなくなっていたが、多くの残雪が目に入り、染音はまだ冬なのだと感じた。
「失礼致します。」
扉を叩く音の後、薪を手にした侍女が入って来る。礼をすると、侍女は素早く薪を積んでいった。
「・・あの・・」
「何でしょう。」
侍女は短く返事をするだけで、手を止めなかった。
「・・・紅茶を・・良いですか・・?・・少し、寒いので・・・」
「直ぐにお持ち致します。」
作業を終えると、侍女は礼をして部屋を出た。
暫くして、侍女は紅茶を持って来ると、染音に手渡した。
「其れでは失礼致します。」
「!・・あの・・」
部屋を出ようとする侍女を引き留めた。
「・・あの・・少し・・お話が、したくて・・・」
「染音様はご自身の立場をお考えになってください。鷯様が居らっしゃるではございませんか。そして、私は侍女であり、染音様とお話をする様な関係ではございません。何より、其の様なお時間は無意味でございます。」
「!・・でも・・前は――」
「染音様が以前お過ごしになっていたお屋敷の事は存じ上げませんが、少なくとも此処は志布志家のお屋敷でございます。染音様がなさるべきことをお考えくださいませ。」
「・・・はい・・」
侍女は礼をして立ち去った。其れと入れ替わる様に鷯の愛犬、樰が入って来る。そして、一度小さく吠え声を上げた。染音は立ち上がり、樰の元へ行くと、しゃがんだ。樰の首筋をそっと撫で、いつも有難うございます、と呟くと、樰は再度吠え声を上げた。
樰は徐に伏せる様に、其の場に座った――其れでも数十糎程の高さが有る――
「・・今日も、失礼します・・・」
染音は其の横に横座りをすると、体をそっと樰に預けた。樰は染音が屋敷に来た日から毎夜染音の部屋へ来ていた。初め、染音は恐れていたが、勇気を振り絞り、触れると、樰は拒むこと無く、身体を寄せた。其れからというもの、染音は樰と此の様に過ごす様になった。大型犬特有の毛並みの気持良さ、温かみ、誰にも想いを話せぬ日々を送る中、此の僅かな時間だけが、染音の気持ちを保っていた。
弥生の十日、鷯と染音は鹿鳴館へ赴き、舞踊を一度だけやった。其れを終えると、二人は例の露台に居た。何も言わず俯く染音に、鷯も、何を言う訳でもなく、そっと寄り添った。
季節は春半ば、卯月の中浣。葉桜の木々が並び、鮮やかな景色を見せる。染音は学院中等科を卒業し、無事高等科へ通っていた。
木曜日、染音は昼食の為、自室を出る。高等科へ進学すると、木曜日は該当講義が無く、毎週休暇となった。
「高等科はいかがです? 文学を専攻なさっているのでしょう。」
向いに座る鷯の母が尋ねる。
「・・覚えることが多いので、少し――」
「苦労をお察ししますわ。ふふ、私も文学を専攻していましたけれど、要領良く出来たもので、其れ程苦労せずに出来てしまいましたわ。」
「・・・」
口に手を当て、小さく笑う鷯の母から、染音は目を逸らした。
昼食を終え、染音は自室へ向かう。だが、把手に手を掛けようとした時、低い吠え声が聞こえる。樰が足元に寄り、尾を振っていた。
「・・直ぐに準備します・・・」
染音が樰の頭を撫でてやると、樰は一度小さく吠え、蹠球の音を響かせる。染音も着替えた後、玄関へ向かった。
外へ出ると、樰は駆け出した。だが、いつもと異なり、逆方向であった。染音は其れに気付くと、慌てて後を追った。樰は時折止まっては染音を待ち、染音が追いつけば再び駆け出した。
染音は疲れ果て、立ち止まり、膝に手を突いた。動かずに居ると、樰が戻り、尾を頻りに振る。
「・・ごめん・・なさい・・・」
漸く呼吸が落ち着き、顔を上げれば、目前には木製の橋が有った。樰は神社へ駆けていたのだった。
染音に一度吠え声を上げ、樰は歩いて行く為、染音は其の後を追う。橋を渡り終えると、樰は再度駆け出し、桜木が並ぶ境内を駆け抜ける。染音は流石に其の後姿を追う気になることは出来ず、樰が駆けて行った方へ向かった。
樰は其れ程遠くへは行かず、駆けている為、染音は草上に座り込み、其の姿を眺めた。だが、樰は然程経たずに染音の元へ来た。体を寄せる為、染音は手を添え、撫でてやる。
「――!」
尾を頻りに振り、吠え声を上げる。
「ごめんなさい・・来るだけで疲れてしまって・・・」
振れていた尾は次第に垂れてゆき、樰は其の場に臥せた。
草を踏む音がし、染音は視線を其方に向ける。盆を持った巫女であった。染音の傍に膝を突くと、挨拶をする。
「煎茶でございます。」
草上に置いた盆の湯呑を手に取り、巫女は染音に差し出す。染音は受け取ると、小さく礼を言う。
「其方にもどうぞ。」
今度は水が注がれた白い小皿を樰の目前に置いた。すると、樰は直ぐに舐め始めた。
小皿の水は直ぐに無くなってしまった。巫女は染音が飲み終わるのを焦らせることもせず待ち、小皿と湯呑を盆に乗せ、去って行った。
染音と樰は暫くして、屋敷へ向かった。
「只今戻りました・・・」
「染音さんは随分とお暇な様ですわね。文学のお勉強をなさらなくて良いのですか。」
「!・・其れは・・でも、樰さんの散歩も・・・」
「そんな狗の事など如何でも良いでしょう。全く、鷯さんは如何してそんな物を飼ってしまったのでしょう。華族が狗を――」
「――!」
鷯の母の言葉を遮る様に、樰は大きく吠えた。鷯の母は肩を震わせ、腰を抜かしてしまった。
「ひっ! と、兎に角、早く連れて行きなさい!」
「・・はい・・」
染音が歩き出すと、樰は其の後を追った。
33本目をお読みいただき、ありがとうございます
引き続き、本作品をお楽しみください
終節月下美人も続いてきまして、物語全体として終盤へと差し掛かってまいりました
ぜひとも最後まで、染音らを見守りいただきたく思います
また、質問、意見、感想等ありましたら、遠慮なくお声かけください
お待ちしております
今後とも、よろしくお願い致します




