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[前回のあらすじ]
軍病院から連絡が入ったその日、染音の元へ行った侍女から告げられた事実。
ついに、結城の姉、結衣が息を引き取ったのだった。
なかなか受け入れられない染音と侍女は揉めてしまい、結城は侍女達に三日間の休養を取らせることにした。
結城は自室で一人になると、軍病院で見た姉の姿を思い浮かべ、結衣の髪束を見つめる。
翌日の午前、俺は侍女、染音と共に神社へ向かった――染音は侍女や俺から離れて歩いていたが――先ず、宮司様と話をした。其れから、殿の一室に運ばれていた姉を横抱きし、境内を歩いてゆく。皆も共にだ。
ある一本の桜木の前で立ち止まる。そして、姉をそっと地に寝かせた。俺は立ち上がり、侍女や染音の名を呼んだ。侍女は姉の傍に行くと礼をして、正座をする。初め、染音は俯いた儘反応しなかったが、暫くして、姉の元へと歩いていった。侍女は立ち上がり、深く礼をした。代わる様に染音が傍に横座りをする。姉の顔を見つめる染音の目に涙が浮かぶ。だが、地に手を突き、染音は堪えている様だった。
桜木の根元を、根に気を付け、穴を掘った。そして、宮司様から水を含ませた樒の枝葉を受け取り、姉の唇にそっと当て、其の唇を湿らせる。静かに深呼吸をし、再び姉を横抱きする。そして、掘った穴の底に姉を寝かせ、髪や服を整える。此れで、手を離せば、二度と姉に触れることは出来ない。俺は一度目を閉じ、手を引いた。其れから、姉の胸元に小刀を置き、掬鋤を手に取った。
土を、少しずつ、かけてゆく。姉の身体が、色白な肌が、隠れてゆく。土をかけてゆけばゆく程、胸が痛んだ。次の土をかけようとした瞬間、手が止まってしまった。此の一杯をかければ、姉は完全に見えなくなってしまう。俺には、耐え難かった。だが、其れ等を払拭しなければならない。俺は、震える手で、土を放った。
残りの土を被せ、最後に掬鋤で地を軽く叩き、地を固める。
然うだ。人は、こうして、死んでゆくのだろう。俺は自分自身を、後悔を恨んだ。
あの日、姉が見送ってくれた最後の朝、あの抱擁と接吻が、姉と交わした最後の愛。姉が望んでいたのなら、一度でも多く、姉を抱擁し、接吻をしてやれば良かった。学生時代、姉を拒まず、一日でも多く、手を繋いでやれば良かった。僅か一秒でも、早く屋敷に戻れば良かった。姉が嬉しく思うのなら、望んでいたのなら、性交までもしてやれば良かった。俺は、何もしてやれなかった。姉の愛を受け取ってばかりだった。
姉さんからは、俺はどの様に見えていたのだろう。俺から見た姉さんは、とても頼りになって、優しくて、愛に溢れていた。姉さんは、自身の愛を穢れた愛だと言う。だが、決してそんな事は無い。純粋で、温かくて、安心出来る、そんな愛だ。俺が小さい頃から、姉さんは何かと俺を気に掛けてくれた。何か有った時、姉さんは俺を優しく包んでくれた。自慢だった。姉さんは美人で、勉学も出来て、とても優しい。俺は幸せ者だ。姉さんと共に過ごせたことを嬉しく思う。
其れと、今は染音と少し揉めてしまっている。心配をかけて悪い。だが、今の染音を見れば、きっと驚くだろう。染音は随分と立派になった。自分の意思で一歩を踏み出し、一人の大人になったのだ。何時か屋敷を出て、生きてゆくことになっても、今の染音ならば、大丈夫だろう。
暫く姉さんを一人にしてしまう。だが、俺は役目を果たした後、近々姉さんの元へと行く。
其れまで、待っていてほしい。
其れでは、再び会う時まで。
姉さん、左様なら。
其の日から四十九日、出仕しないこととなった。
侍女が居ない三日間、侍女に貰った助言を元に、食事の準備や掃除など、全て俺がやった。普段侍女がやっていることを自らやると、其の苦労が分かる。侍女に改めて礼を言おうと思った。其の一方で、染音を一切見ていない。食事を用意するのだが、染音は其れを口にしなかった。数日間も何も食べていないことで、染音の体調が心配であった。
休暇から戻って来た侍女は皆、大分落ち着いたのだろう、顔色が良くなった様に見え、其の三日間が多少也とも役に立った様で安心した。其れから、侍女によれば、其の翌日に染音が泣いて謝りに来たのだという。兎にも角にも、侍女と染音との関係が良くなったのならば、一先ず安心といった所だろうか――相変わらず、俺には姿さえも見せないが――
気付けば夏は過ぎ去り、長月になっていた。四十九日を終え、染音は以前の様に学院へ通い、俺は軍へ行き、平穏な日々を送っていた。軍の再編成以後、共に第二隊の配属となった志布志鷯さんを屡々食堂へ誘い、昼食を共にしていたことも有り、随分と親しくなったと思う。鷯さんはとても丁寧な口調で、博識な人だった。
そんな折、鷯さんからという訳ではないが、軍内部で、晴風元少佐が獄中自害したという情報を耳にした。例の件も有り、無視は出来ないが、態態侍女等に言うことでもないと思った。
十月の下浣には染音と共に鹿鳴館へと赴いた。御前中将は俺を気遣ってくださった様で、鹿鳴館への参列の有無を尋ねられた。何時までも気を遣ってもらうのは、頭が下がるがあまり気分は良くない。そして、何時までも言い訳など出来ないと思い、参列を決めた。染音の気分転換になるだろうとも思ったが、若しかすると、染音は嫌だったのかもしれない。馬車の中でも、鹿鳴館でも俺と少々距離を取り、ずっと背を向けていた。其の所為で表情は全く分からない。一応、俺が動けば、連いて来る。
露台に上がると、染音は亦庭を眺める。深淵を思わせる濃青色の飲み物が注がれた洋盃を両手で握っていた。
暫くして、俺は染音を残し、階下に行った。鷯さんを見つけ、話をする。少々無理強いをしてしまったかもしれないが、染音と舞踊をやってくれるよう頼むと、快く承諾してくれた。だが、鷯さんが露台に行った儘戻って来なかった。恐らく、染音が原因だろう。こんな時に、染音に踊らせようとした自分を恥じ、鷯さんに申し訳無く思った。
此の冬は大分冷える。霜月に入ろうかという時期に、雪が舞い始めた。例年よりも早く外套が必要になったことに少々苛立ちながらも、此の冬を越せば、春が来ることが楽しみであった。
師走のある日、仕事をしていると学院から連絡が有った。如何やら染音の体調が優れず、医務室で休養しているらしい。講義へ戻ることは難しく、早退させることにした様だ。侍女に迎えに行ってほしいが、此の雪の中馬車を出すというのも、徒歩というのも大変であろう。屋敷へ連絡をし、隊の人達にも事情を話し、仕事を抜けた。学院に着くと、門の所に愛馬を残し、女子部の校舎へ入る。担当の先生と軽く話をし、染音を引き取った。
「乗れるか。」
愛馬の近くまで行き、然う尋ねる。だが、染音は何も言わない。一度染音の額に手を当てる。少々熱く、顔も赤い。
「徒歩では時間が掛かる。やはり乗馬した方が良い。」
「・・・歩きます・・」
「・・然うか。」
気は進まないが、本人が然う言うのでは仕方無い。染音の歩調に合わせ、帰路につく。
其の途中、俺は気付いた。
「手袋と襟巻を新調したのか。」
「!・・・」
以前使っていた物とは異なる、濃い青黒色の手袋に襟巻をしていた。染音は、顔を僅かに反対側へ向けた。
「・・染音?」
「・・・何で・・結城さんが来たんですか・・・?」
「来ない方が良かったのか?」
「!・・それは・・・一人で・・大丈夫です・・・」
「っ・・然うか。此処まで来れば屋敷まで然程距離は無い。」
「!・・ぁ・・」
俺は乗馬し、其の場を去った。体調を崩した染音を一人残すのは心配だった。否、そんな事をするのは、間違いなのだろう。だが、俺が居ることで、染音が嫌な思いをするのなら、居ない方が良い。
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