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[前回のあらすじ]
結城は平静を求め、神社へ赴いた。しかし、不安や疑念ばかりが膨らんでしまうのだった。
そして、染音は結城を見送ったり、出迎えたりするようになり、結城は染音の成長を感じていた。
だが、またしても染音と思いがすれ違い、二人は互いに会わなくなってしまう。
そんな中、早朝にも関わらず、結城の部屋へ侍女が飛び込んで来たが――
気分が優れず学院を休んだ染音が目を覚ましたのは午前十時を回った頃であった。
現在は午後一時前、食事もとらず、外を眺める染音の元を侍女が訪ねる。
「紅茶をお持ち致しました。」
侍女は小さく礼をし、染音の近くの洋卓に置いた。一度、侍女の方へ顔を向けるが、染音は直ぐに戻ってしまう。目を伏せ、只管に桜木を眺める。
「あの、染音お嬢様・・」
暫くして、侍女が染音を呼ぶ。だが、染音は一切反応を示さなかった。
「実は、早朝に軍病院より、結衣様について、ご連絡がありました。」
「!・・結衣さんが、目が覚めたんですね・・!・・良かったです・・本当に・・・」
「・・・」
そんな染音を見て、侍女は唇を震えさせる。
「・・染音お嬢様、よくお聞き、ください。」
「・・・?」
「・・結衣様は、お亡くなりになりました・・」
「・・・!」
「早朝四時頃に・・息を引き取られたそうです・・・」
「・・・」
染音の唇も、何かを発しようとするが出来ないでいる様に、小さく震えていた。膝上の手に微かに力が入り、洋袴に皺が寄る。
「・・嘘です・・・」
「・・染音お嬢様・・しかし・・・」
「そんな訳ないです・・・!・・結衣さんがそんな・・・!」
「お気持ちは分かります。ですが――」
「貴女は嘘吐きです・・! お医者さんも・・・!」
「!・・」
「・・結城さんだって・・戻って来るって、言いました・・! 結衣さんも、傍にいてくれるって・・約束しました・・・」
「そんな事など・・・ぁ、いえ! 違います! 申し訳ございません。」
「そんな事なんて・・・! もう良いです・・・」
「!」
「・・もうこれ以上・・・私には――」
「分かりました! では今後一切のご奉仕を致しません! 衣服やお食事のご用意、学院の往復等、一切行ないません!」
「!・・ぁ・・」
「其れで、部屋を飛び出したのか。」
「・・申し訳ございません。」
屋敷に戻り、自宅で支度をしながら侍女の話を聞いていた。まさか染音と侍女との関係も悪くなってしまうとは思わなかった。侍女と然うであれば、流石に俺は既に嫌われてしまったかもしれない。先日の事もある。あの染音が其れ程までに言うのだ。
其れは良いとして、其れよりも、染音が一人になってしまうことの方が心配だ。
「・・侍女としてあるまじき事をしてしまったと反省しております。」
「・・・」
「ですから、謝罪をさせていただいた上で、お食事等全て、やらせていただきたいのですが・・」
「駄目だ。」
「!・・あの、其れは・・」
「皆、疲れている。染音も、お前達も、一度にあまりに多くの事が有った所為で疲れているのだ。時が経てば、染音も事実を受け入れることが出来るだろう。染音には、一人の時間が必要だ。」
「・・はい。」
「そして、お前達もだ。明日から三日間、実家に戻り、休暇を取ると良い。」
「休暇など・・・」
「良い。」
「・・・では、然う致します。他の侍女にも、伝えておきます。」
侍女は深く礼をし、部屋を出て行こうとする。
「姉さんは、最期に何を食べた。」
突然の質問に驚いたのだろう、侍女は一瞬肩を揺らしたが、直ぐに体を此方に向け、体勢を整える。
「昼食として、お蕎麦を一人前、そして、緑茶を湯呑みでお飲みになりました。」
「・・然うか。」
侍女が部屋を出れば、静寂に包まれる。俺が作る衣擦れの音だけが虚しく響く。目を閉じれば、姉の姿が、浮かぶ。
今日の午前中、俺は軍病院を訪ねた。例の軍医が迎えてくれた。其の軍医は無言で病室へと俺を案内した。
姉が死ぬことなど分かっていた筈だが、見た時、俄かには信じることが出来なかった。口は結われ、目をそっと閉じている姉は眠っている様であった。だが、瞳孔反応を調べると、一切の反応は無く、胸に耳を当て、鼓動を確かめると、規則的な音は聞こえない。こんな事をせずとも、俺が殺したのだから、分かり切っていた筈だ。其れでも、確かめたかった。そして、姉は確かに死んでいた。
俺は胸に手を当てた儘、姉の手を握る。とてもほっそりとしていた。とても、綺麗な指だ。こんな事になるのなら、姉を拒むなどということをせず、繋げば良かった。
袖先には手首が見える。俺は袖口を抓む。そして、袖を捲ろうとしたが、其の手を止めた。深く呼吸をし、俺は姉の首へと手を伸ばす。細い首筋に手を当てると、其処から姉の素肌を、手を滑らせてゆく。肩、鎖骨、胸、と。姉の肌は更更としていた。姉の胸は柔らかい。そして、俺は姉の髪に手を当てる。変わらず、姉の赤みがかった黒髪は綺麗で、心地良い。引っ掛かることなく、髪は流れてゆく。軽く持ち上げ、手を傾けると、一本ずつ、別々に落ちていく様であった。
俺は顔を反対側に向ける。健康的に括れた腰、そして、太腿が視界に入る。何時かの、姉の、膝枕を思い出す。俺は気でも狂っている。こんな時でさえ、妖艶に思ってしまう。
それから、再び姉の手を握り、顔を上げる。
「・・有難う、ございました。」
「・・・」
軍医からの返事は無かったが、小さく礼をした気がした。
「・・・一つだけ、いただきたいものが有ります。」
俺は机の前に行き、机上の細長い檜の箱に手を伸ばし、静かに持ち上げる。そして、そっと其の蓋を開けた。其の箱には、姉の髪束を入れていた。せめて形見に、と思い、切ったのだ。だが、姉の腰まで有る綺麗な長髪は、全てを切るにはあまりにも惜しく、姉の容姿を損なわぬよう、所々切り、集めたのだ。顔を近づければ、俺の心を幾度と鎮めてくれた、あの懐かしい香りがする気がした。
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