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[前回のあらすじ]
染音の告白に驚いた両親だったが、最後は染音の決心を後押しする。
華街では染音の想像を超える苦しい生活を強いられたことが記されている。そして、名は伏せられているが、初めて結城と会った時の心情が明かされる。
染音の帳には続きがあり――
ここに来てからは多くのことがありました。鹿鳴館に行ったり、街中を巡ったり、体験したことのない新しいことばかりでした。
でも、時には悲しいこともありました。そんな時、結城さんは私を慰めてくれて、本当の家族のように接してくれました。そんな結城さんのことが大好きでした。
長月の十二日、私は学院から直接お買い物に行きました。素敵な物がたくさんあって、つい見入ってしまいました。気づくと外は暗くなってきていて、私はお買い物を終えて、屋敷に向かいました。その途中、話しかけられたのです。
お前に話すことが有る。連いて来い。
その人は晴風さんという人だったと思います。鹿鳴館で見たことがあるので、きっとそうです。
でも・・帰らないと・・・
八雲二人の事を知りたくないのか。
・・知っているんですか・・!
調査したのは軍だ。俺は直接的に其の調査に関わった訳ではないが、立場上情報は持っている。知りたいのならば連いて来い。
早く帰らないといけないのは分かっていましたが、どうしても知りたくて、ついていきました。晴風さんは裏通りをどんどん歩いて行きます。
裏通りは通らないように言われていることを伝えると、俺が居る、問題無い、と答えました。向かった先は一つの家でした。中に入るように言われ、入ると、何もありませんでした。空家だそうで、話すにはちょうど良かったようです。
帰った時には山城結城にも伝えてやると良い。お前と同様知りたがっている筈だ。
・・はい・・・
犯人が誰か知りたいだろう。
・・はい・・!
私は知って何かできるわけではありませんでしたが、父や母のことで断ることはできませんでした。
単刀直入に言う。犯人は山城だ。
すぐには信じられませんでした。あまりにも衝撃的なことで、しばらく、何も考えられなくなりました。
・・そんなはずないです・・・!・・結城さんがそんなこと・・・
信じることが出来ないか。無理も無い。だが、事実は事実だ。
・・・そんな・・
証拠が有る。見たいか。
私は迷いましたが、首を横に振りました。そんな物を、見たくありませんでした。ただ、晴風さんを見ると、真剣な顔で、嘘を吐いているようには見えませんでした。
私は泣かずにはいられませんでした。信じていた結城さんが犯人だなんて・・・
お前は今、何がしたい。如何すれば良いと思う。
完全に信じたわけではありません。心のどこかでは、そんなはずはないと思っていましたが、犯人に手が届いてしまうということが私を突き動かしたような気がします。父や母のために、もしも何かできるのなら、犯人に手が届くのなら・・・そう思いました。それでも・・・
・・でも・・・無理です・・できません・・・
私が小さな声で言うと、突然首元にとても冷たいものを感じました。私の首元には刀が突きつけられていました。あまりに怖くて、鞄は音を立てて落ちて、私はその場に崩れ落ちました。
お前が死ぬのと、殺すのと、好きな方を選べ。
晴風さんは押し付けるように言いました。すぐには無理でしたけど、何とか返事をしました。死ぬのが怖くて、そして、晴風さんが怖くて、涙が止まりませんでした。晴風さんは私を置いて、その場を去りました。
それから、鹿鳴館に行く日までの一月の間に、何度か父と母が暮らしていた家を尋ねました。軍の人がいて近づけませんでした。私はその近くに住んでいる人に尋ねると、中には知らないと答えた人もいましたが、ほとんどの人が、事件の日、山城さんを見た、と言いました。そのことが、犯人が結城さんであるという事実を裏付けていくのでした。
信じたくなかったというだけで、もう事実として受け入れてしまっていました。だから、結城さんと話せなかったのです。結城さんを見てしまったら、そう思うと怖くなりました。結衣さんとも、学院の往復の時は、一緒に歩きますけど、あまり見たくありませんでした。もしかしたら結衣さんも関わっていて、知っているのかな、と思うと、怖かったのです。
鹿鳴館当日、馬車であの日のように向かっている途中、気が気でありませんでした。全身が震えてしまって、結城さんに気づかれないようにしていましたけど、結城さんは気づいていたのでしょうか。鹿鳴館では、結城さんは気を遣ってくれました。でも、それまでの結城さんの優しさが霞んでみえて、早く結城さんのもとを離れたい、そう思いました。露台から下に降りると、結城さんは誰かと楽しそうに話し始めたので、今しかない、と思いました。勝手に何かをしたことはほとんどなかったので、少し罪悪感がありました。
約束のところに行くと、すでに晴風さんがいました。私を見ると、晴風さんは歩いていくのでついていきました。廊下を歩いていくと、扉の前に人が立っていました。
お客様? 此方は――
ひっ・・・
気づけば、その人の胸のあたりに刀が刺されていました。血が服に染みて、床に垂れました。晴風さんは刀を引き抜くと、さらにその人の首を斬りつけました。私はあまりの出来事にその場に崩れました。これから自分がやろうとしているのは、こういうことなんだと思うと、震えが止まりませんでした。そんな私に構わず、晴風さんはその人の腰から鍵を取って、目の前の扉を開けました。
その時、廊下の向こう側から、女給さんが歩いてきたのです。女給さんはこの状況に気づくと、驚いたような表情をしました。きっと驚くなんてものではなかったと思います。晴風さんはすぐにその女給さんを押さえました。盆は床に落ち、洋盃は音を立てて割れ、破片が飛び散りました。
死にたくなければ、俺に従え。
女給さんは涙目で、何度も首を縦に振りました。
晴風さんは女給さんと先に殺した人を部屋に入れました。
何をしている。お前も入れ。
私は腕を引っ張られて、中に入りました。晴風さんはすぐに扉を閉めました。
部屋の壁には刀がたくさんありました。この部屋は鹿鳴館に来た人達が刀を預けておく部屋だったのです。
其の女を殺せ。
そう言って晴風さんは、血塗れの刀を私に無理矢理持たせました。
ぇ・・・こんな・・
お前が死ぬのと、殺すのと、好きな方を選べ。
私は床に倒されている女給さんのほうを見ました。女給さんは息があがっていて、涙目をこちらに向けてきます。私は震える手で、女給さんの胸に、刀の切先を向けました。女給さんの体も震えていました。そして、切先からは血が垂れていました。手を離すと、胸に刺さってしまうことが分かり、死そのもののような刀の重さが、とても気味悪かったのです。
そして、その時気づきました。その女給さんは、私が鹿鳴館に初めて来た日、私に気づいて、飲み物を差し出してくれた人だったのです。私の目から涙が零れ落ちるのを感じました。
・・あの・・・
お前がやらないのであれば、俺が殺す。
晴風さんはもう一本の刀を抜きました。
!・・この後のこと・・ちゃんとやりますから・・・この人を殺すのは・・
時間だ。
晴風さんは私から刀を奪うと、その女給さんの胸を一突きに、刀を刺しました。女給さんは震える手を私のほうへ伸ばしてきました。でも、その手は私に届くことなく、床に落ちていきました。
お前は此れを使え。
晴風さんは壁の所から刀を一本取り、私に渡すと、部屋を出て行きました。
渡されたのは、結城さんが普段持っているものでした。私はその場に崩れ落ちてしまいました。床に目を閉じて、倒れている女給さんや男の人を見ると、胸が潰れるような、吐き気にも似たような気分になりました。自分のせいで、関係のないこの人達まで巻き込んでしまったこと、優しくしてくれた女給さんを、私が・・・
拘置所で過ごしている間、ずっと忘れられませんでした。今も、たまに蘇ってきます。刀の、感触は、とても生々しくて、すぐにでも手を離してしまいたくなるような、気味の悪さでした。
父と母はどう思っているのだろう。結城さんはどう思っているのだろう。昼間、人工の光だけが照らす部屋で、一人考えています。
ある日、看守の人が新聞を私に渡しました。拘置所に来てから、十日以上経っていました。新聞は毎日渡されていましたが、読む気にはなりませんでした。ですが、ずっと同じことばかりを考えていた私は、別の何かがしたくて、その日ばかりは新聞に手を伸ばしました。
その時、一つの記事が目に留まりました。父と母が殺されてしまった事件の犯人が捕まったというものでした。もう結城さんには会わないのかな、そう思いましたが違いました。犯人は違う人だったのです。
そうなんだ。私は、何も悪くない、何もしていない大切な人を傷つけてしまったんだ。やっぱり、結城さんは違ったんだ。気づいた時には遅すぎました。私はなんてことをしてしまったんだろう。どうして、結城さんを信じなかったんだろう。
一気に後悔が襲ってきました。それまで、全く無かったわけではありません。奥底に溜まっていたものが溢れてくるようでした。
結城さん・・ごめんなさい・・・
私は心の中で叫びました。何度も何度も叫びました。
本当にごめんなさい。
私は取り返しのつかないことをしてしまいました。それからの日々も、毎日が辛かったです。あの時の光景が何度も思い出されて、ずっと後悔がつきまといます。食欲もなくなって、部屋ではひたすら泣いています。
文章は其処で終わっていた。其の帳を閉じようとした時、よく見ると頁が数枚破られている様だった。
俺は帳を持って染音の部屋に行った。染音は窓際の椅子に座り、外を眺めていた。俺を見ると、直ぐに俯いてしまう。
「読ませてもらった。」
「!・・はい・・・」
「染音の気持ちは、よく分かった。」
「・・ごめんなさい・・私は・・・最低です・・・こんな私に優しくしてくれた結城さんを・・傷つけてしまいました・・・」
俺は染音の近くまで行き、頭を撫でてやる。
「・・・嫌い・・ですか・・・・」
「何を言う。全て正直に話してくれた。そして、染音は直ぐに自身の所為にしてしまうだけで、何も否定的になることは無い。染音の事は、変わらず家族だと思っている。」
「!・・ごめんなさい・・・」
「其れで、少々気になることが有るのだが。」
「・・・?」
「帳のことで、数枚破られているが、如何かしたのか。」
「!・・それは・・その・・・」
翌日も俺は仕事に向かった。晴風少佐に会うと、少佐と俺は変わらず挨拶を交わす。仕事中も特に変わった様子も無い。
「山城、食堂に行くが、来るか。」
「ええ、是非。」
昼、仕事が一区切りついた時、少佐に誘われ、食堂に行く。
「数日前に戻った様だが、様子は如何だ。お前と同様、負傷したのだろう。」
「負傷、然うですね。幸い、現在は何とも。」
今までと全く変わらない。染音が嘘を吐くとも思えないが、少佐があの様な事をするとも考え難い。昔から良くしてもらっている。軍でも信頼が有る。確かに染音の話では辻褄が合うが、少佐が其の様な事をする理由が無い。
「少佐は何かお聞きしていることはございますか。」
「変わった事は無い。ただ、鹿鳴館の警備を強化するというのは聞いている。」
学院の帰り道、いつもの様に並んで歩く。だが、染音は少々距離を取っていた。
「何故戻ってきたの。」
「・・・」
「貴女が何をしたのか、分かっているわよね。」
「・・ごめんなさい・・・」
「・・全く。」
結衣は深い溜息を吐いた。
「結城、如何したの。」
「少し、話がしたい。」
数日もしない日の夜、部屋に姉を呼んだ。姉は直ぐに寝台に座った。
「其れで、話って何?」
「染音が此処に来てから、姉さんは何をしていた。」
「何って・・染音の面倒を見ていたわ。特に変わった事は何も・・」
「此の一年間の事を染音から聞いた。姉さんとどの様に接していたのか。」
「!・・然う。」
「何故、あの様な事をした。」
「其れは・・」
「確かに、姉さんに対して憤慨しない訳ではない。だが、其れよりも姉さんが何故然うしたのか、理由を聞きたい。理由も無く、姉さんが何かをする筈が無いからな。姉さんを責めるつもりもない。だから、正直に話してほしい。」
「・・・・」
姉は一度深呼吸をして、静かに話し始めた。
「長月の十四日、私が怒ってしまったのを覚えているかしら。
長月の十四日は結城と私の誕生日だから、毎年二人で過ごしていたでしょう。中々休暇が取れなくて、過ごす時間が限られているから、私は結城と過ごすことが出来る其の日を毎年楽しみにしていたの。無理だと言われていたけれど、其の日の朝、一日空いていると言われて嬉しくなってしまったの。其れなのに、やはり無理だと言われてしまったから、ごめんなさい。そして、結城が少女を連れ帰ってきたことに驚いてしまって。染音との事は聞いている通りだと思うわ。染音が此処に来た次の日から私は厳しく接した。
姉は静かに語る。毎日朝早くから社交舞踊の練習をさせ、休憩という名目で礼節の練習を行い、満足に休憩を取らせることも無く、加えて史や裁縫をさせたという。睡眠時間は六時間少々で、其の様な日々を送っていては近々体調を崩してしまうであろうことを分かっていた。其の上で強要していたそうだ。さらに、体調を崩してしまった時や練習中、裁縫で失敗してしまった際は頻繁に罵詈雑言を浴びせたという。特に鹿鳴館に行った日が酷かったらしく、染音は其の所為で、塞ぎ込んでしまったのではないか、と姉は言う。暫くし、染音が姉に社交舞踊を教えてほしいと頼んだそうだが、其れを冷淡に突き返したのだ。
其の時期だと思うわ。染音が私とさらに距離を置き始めたの。以前よりも私に怯えているのを強く感じる様になっていたわ。」
姉は目を伏せている。表情は見えないが、其の口調から姉の気持ちを多少也とも察することが出来た。だが、其れでも姉のしたことを受け入れ難い自身が居る。姉の話は染音から聞いた話と一致している。どちらも嘘は吐いていないであろうが――
「先程も言った通り、俺が知りたいのは――」
「仕方無いでしょう。」
俺が怒気の籠もった口調になっていた所為か、姉の口調が強くなった。
「染音の為なのよ! 染音は純粋だから、優しくしてしまうと直ぐに懐いてしまう! 染音は結城だけを愛してほしかったから! 染音には、結城だけを見つめてほしかった! だから・・・」
「・・・」
「染音の気持ちはよく分かるわ、痛いほどに。染音が鹿鳴館から泣いて帰ってきた時も、染音の気持ちはよく分かった。とても辛かったのでしょうね。勉強もとても頑張っていたから、褒めてあげたかったわ。頭を撫でてあげたかった。其れでも、染音には結城の事を愛してほしいの。だから、こうするしか無かった。私には、此れしか思い付かなかったから・・・」
「・・姉さんも、染音の事を考えていたのだな。」
「ええ。でも、ごめんなさい。私が染音を苦しめてしまっていたことに変わり無い。染音の為とはいえ、辛い思いをさせてしまったと思っているわ。」
「・・然うだな。」
「・・・」
姉は下を向きながらも、口角を軽く上げる。
「きっと、私は嫉妬してしまっていたのかもしれないわ。染音は素直でとても優しい子だから。其れでいて、可愛らしくて、何の悪気も無く、結城に抱き付くのだもの。少し、羨ましいわ。私もずっと結城と居て、大好きよ。けれど、簡単には出来ないから。」
少々顔を上げると、姉は淋し気に微笑む。
「染音に話せば、分かってくれるだろう。恐らく、皆で仲良く暮らしたいと思っているに違いない。姉さんとも仲良くなれれば喜ぶだろうな。」
「・・然うね。先ずは謝らないと。有難う、切欠が欲しかったの。」
姉は寝台から立ち上がると、微笑み、嬉しそうに部屋を出て行った。
結衣は結城の部屋を出ると、上方から扉が閉まる音が聞こえた。中央階段を上り、染音の部屋の前に来ると、扉を数度叩く。中から小さく返事がし、結衣はそっと中に入った。
「若しかして、先程の会話を・・」
「!・・・ごめんなさい・・・気になってしまって・・・」
「いえ、良いのよ。」
結衣は下を向き、染音は椅子に座り、背を向けている。
二人は暫く話さなかった。部屋は静寂に包まれた。
「ごめんなさい、辛い思いをさせてしまって。」
「!・・いえ・・・私は結衣さんのことなんて・・何も考えてなくて・・・怖がってばかりで・・」
「・・・」
結衣は静かに染音の元まで行くと、膝を突いた。
「本当に、ごめんなさい。」
「・・・結衣さん・・」
「こんな事では済まないわよね。」
「・・結衣さんがそんなこと・・・前も・・私の成績の事で結衣さんが・・・頭を下げるのを見たら・・とても胸が痛みました・・だから、結衣さんがそんなこと・・・やめてください・・」
「・・・」
染音は結衣の方を向き、同様に膝を突いた。
「・・・・私もごめんなさい・・自分のことばかり・・・」
「・・・」
「・・あの・・・それと・・実は、長月の十四日のこと・・見てしまったんです・・・結城さんと結衣さんが、その・・」
「あんな恥ずかしい姿を・・」
「!・・あの、それで・・本当に仲が良いんだなって・・思いました・・・」
「・・・」
「・・私も、良いですか・・・?」
染音は然う言うと、両手を小さく上げた。
結衣は一瞬呆けてしまった。だが、直ぐに優し気に微笑んだ。
「勿論。」
結衣は両手を伸ばし、広げた。染音は恐る恐る体を近づけ、ゆっくりと腕を結衣の背に回した。体が密着すると、結衣も染音の背に腕を回し、力を入れる。
「・・結衣さん・・・」
「ずっと、こうしたかった。」
「・・・温かい・・」
染音は安心した様に、目を閉じる。
連載小説16本目をお読みいただき、ありがとうございます
これで、第2節は完結となり、近々第3節が始まります
次回の投稿では、「『第2節 操り人形』を振り返る」と題して、第2節のまとめおよび考察を行います
お読みにならなくても、差し支えありません
引き続き、本作をお楽しみいただければ幸いに思います
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